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春色の雪  作者: 月島
最終章 自分の力で生きていく
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36/39

36 決めていいかな

 桜一朗(おういちろう)は部屋の中の数少ない荷物を段ボールに詰め、引っ越し準備をしていた。

 殺風景な部屋が、更に殺風景になる。不意に、彼女が初めて来たときに「部屋を賑やかにしよう」と言ってくれた事を思い出した。


(小雪(こゆき)の家族の事もあったし、飾れるお土産は買えず仕舞いだったな。それでも、凄く……楽しかったけど)


 桜一朗(おういちろう)はそう思いながら、学校に持って行っているリュックについたレオネードのキーホルダーを目の前に持ってきて、見つめる。


(小雪(こゆき)との思い出は、どれも……どんな一瞬も、眩しくて鮮やかだったな)


 静かに目を伏せながらキーホルダーを見つめていると、インターホンの音が鳴った。


「はーい」


 玄関まで行き、ドアを開ける。すると目を潤ませた友部(ともべ)の後ろに、いつも通り涼し気な顔の桔梗(ききょう)も立っていたため、思わず顔を顰めた。

 彼がここに来る理由が分からないし、あったとしても前向きな理由ではなさそうだ。


「何で竹花(たけはな)もいるの?」

「先に友部(ともべ)君への礼を言うべきじゃないか? 休んでる間のプリントを持ってきてくれたみたいだぞ」

「はあ……それは認める。友部(ともべ)、ありがと。お茶でも出すから上がって。不本意だけど、竹花(たけはな)も一緒にどうぞ」


 桜一朗(おういちろう)に促され、二人は靴を揃えて春馬(はるま)家に上がった。

 居間に来て、座布団に座る。しばらくして、桜一朗(おういちろう)が緑茶を淹れて持って来た。


「ほら、飲んでいいよ」

「あ……ありがと」

「ああ、いただきます」


 友部(ともべ)は緊張した様子で、桔梗(ききょう)は落ち着きを払った様子でお茶を飲む。

 時計が針を刻む音しかしない室内で、最初に口を開いたのは友部(ともべ)だった。


「なあ、春馬(はるま)って引っ越しちゃうの?」


 お茶を飲んでいるのに口が乾く。どうか否定して欲しいと願いながら、友部(ともべ)は桜一朗(おういちろう)を泣きそうな顔で見つめていた。

 まだ引っ越しの事は小雪(こゆき)と担任にしか言っていない。となると、どちらかから漏れた事になる。

 桜一朗(おういちろう)は気まずそうに首の後ろを押さえながら、小さな声で答える。


「うん。家族の都合で引っ越す事になりそうなんだ」

「いつ引っ越すの?」

「夏休みかな。一人で薫野(かおるの)に残るって言ったって、誰も許してくれないだろうし」

「春馬(はるま)の気持ちは? 春馬(はるま)は引っ越したいって思ってるの?」


 ――自分の気持ち。

 小雪(こゆき)にも同じことを聞かれた。祖母からも、自分の人生は自分で決めていいと言われた。でも、でも――。


「俺の気持ちって……みんなそれを聞くけどさ、結局、俺に選択権なんかないじゃん。周りが傷つかない選択肢を選ばなきゃいけない。周りが幸せになれる選択肢を選ばなきゃいけない。世のため人のため……そういう制限がかかったこの世界で、自分の気持ちにどんな価値があるって言うのさ!」


 桜一朗(おういちろう)が吐き捨てるのを見て、友部(ともべ)は体を竦めながらも引き下がる事はしなかった。


「そう言うって事は、やっぱり引っ越しに納得してないんじゃん! 自分の人生を自分の力で生きることの何が悪いんだよ! 何もかも諦めて流されるままに生きたとして、本当に『生きてる』って言えんの!?」


 友部(ともべ)が涙と唾を出しながらそう訴えるのを見て、桜一朗(おういちろう)は目を見開いた後、悲し気な顔で呟く。


「俺にとって『生きる』っていうのはさ、『諦める』って事なんだ」


 自嘲気味に笑って、涙を堪えて、震える声で続ける。


「そういう世界で生きてきたんだよ、俺は」


 桜一朗(おういちろう)の苦しそうな顔を見て、友部(ともべ)も目を潤ませながら口を噤む。

 二人の間に沈黙が訪れる。今度はそれを桔梗(ききょう)が破った。


「一原(いちはら)さんには『そのままの君で大丈夫』と言った癖に、自分は『そのままの自分』でいようとしないんだな」


 桔梗(ききょう)は立ち上がり、桜一朗(おういちろう)の目の前まで行って、彼の胸倉を掴んだ。

 唐突な事で、友部(ともべ)も桜一朗(おういちろう)も息を飲む。


「お、おい! 竹花(たけはな)君!?」

「お前は、自分に与えられた幸せから逃げてるだけだ!」


 竹花(たけはな)が怒鳴る。


「一原(いちはら)さんからの好意にも、友部(ともべ)君のような友達からも、高い能力からも才能からも……全部、他人に嫌われるのが怖いからって逃げてるんだよ、お前は! 周囲の反応に怯えて、本当に大切な人の笑顔すら守れていない……お前、本当にそれでいいのか!? 今のまま、死ぬまで何一つ忘れることなく生きて、生きて、生き続けたとしても最後に後悔するだけだ! いい加減自分の人生の舵を取る勇気を持て! 馬鹿が!!」


 桔梗(ききょう)の言葉を聞いて、桜一朗(おういちろう)は目を見開いたまま固まる。

 桔梗(ききょう)はゆっくりと胸倉を掴む手を緩め、深く溜息を吐く。


「君が前を向かなきゃ、一原(いちはら)さんは幸せになれないんだ。僕じゃ駄目なんだよ。君じゃなきゃ駄目なんだ。こんな事、二度と言わせるな」


 そう言って、力なく笑う、目にうっすらと涙が浮かんでいた。


「頼むから……僕と君の大切な人を、傷つけるのはもうやめてくれ。どうか彼女を、幸せにしてやって欲しい。君にしかできないんだ。頼むよ……」


 俯いてしまった桔梗(ききょう)の顔は、桜一朗(おういちろう)からは見えない。しかし、僅かに震えている声から、今にも泣きだしそうな事ぐらいは想像がついた。

 自分の選択を喜ぶ人もいれば、悲しむ人もいる。少なくとも、この場にいる人間は誰も喜んでいない。桜一朗(おういちろう)はそれに気づき、小さく呟く。


「何かを選択しても、全員を喜ばせるなんて不可能なんだな」


 頬を、一筋涙が伝っていった。


「取捨選択をするしかないんだ。誰を喜ばせて、誰を悲しませるか」


 そう言って、桜一朗(おういちろう)は泣きながら、伏し目がちに笑う。


「それぐらい、自分で決めてもいいよね……?」


 やっと、彼が自分の気持ちに正直になってくれた――友部(ともべ)はそれに繰り返し頷き、桜一朗(おういちろう)の肩を掴んで真剣に告げる。


「いいんだよ、それで。だって、お前の人生じゃん!」


 友部(ともべ)は泣き笑いになりながら、続けた。


「お前が正直に選んだ事なら、俺、全力で応援したいなあ」


 友達の笑顔を見ているうちに、桜一朗(おういちろう)の涙が止まらなくなっていく。

 でも、心は先ほどよりもずっと晴れやかだった。

 桜一朗(おういちろう)は微笑みながら口を開く。

「ありがとう、二人とも……」


 彼を覆っていた闇が、僅かに晴れたこと。

 小雪(こゆき)の力になれたかもしれないこと。

 ひいては、自分の恋をいよいよ諦めなくてはならなくなったこと。

 それでも、桜一朗(おういちろう)と小雪(こゆき)が幸せになれるなら、それでもいいかと思えてしまうこと。いや、正確には、そう思いたいこと。

 桔梗(ききょう)は色々な葛藤を飲み込んで、静かに目元を和らげたのだった。


* * *


 その後、プリントを渡した友部(ともべ)は桔梗(ききょう)と共に春馬(はるま)家を出た。

 薫野西(かおるのにし)駅方面に歩いて行こうとして、彼が反対方向に向かおうとしている事に気づく。


「竹花(たけはな)君、東方面?」

「ああ、君は西方面か?」

「うん。そっか、逆方向なんだ」


 友部(ともべ)は頭を掻きつつ、小さく笑って桔梗(ききょう)の方を見た。


「君って、思ったより熱い人なんだね」

「熱い人?」

「うん。春馬(はるま)と揉めてるのを見てた時は、もっと冷たい人かと思ってたんだ。あいつ、ちょっと心が過敏みたいでさ、君みたいな人と関わるのは苦しいから、会いたがってなかったんだろうなって思ってた。でもきっと違うな」


 友部(ともべ)は頭の後ろで手を組み、ニカっと笑う。


「君が春馬(はるま)の事をよく見てるから、痛いところを突かれるのが嫌だったんだろうね」


 友部(ともべ)の言葉を聞き、桔梗(ききょう)は涼し気な顔で尋ねる。


「あいつの友達である君としては、僕の存在は迷惑じゃないのか?」

「全然。春馬(はるま)には、君ぐらいハッキリ言ってくれる友達も必要だと思うな。今日も、あいつ君のお陰で前を向けたと思うんだ。だからさ、今度三人でどっかに遊びに行ったりしよ!」

「えらく急だな。春馬(はるま)はきっと嫌がるぞ」


 そう言いつつ、桔梗(ききょう)の顔は穏やかだった。


「でも、たまにはそういうのも悪くないかもな」


 桔梗(ききょう)が笑ってくれたのを見て、友部(ともべ)も嬉しそうに笑って頷いた。


「でしょ! じゃあ、春馬(はるま)の事が落ち着いたら誘う! またね!」


 友部(ともべ)は元気に手を振り、走って帰っていく。


 今までは大切な小雪(こゆき)との約束を胸に生きていたが、恋だけではなくて、友達というのも悪くないかもしれない。春馬(はるま)とも、友達として笑い合う事ができたら案外楽しいだろうし、そうやって彼と笑い合えたら、自分も本当の意味で前を向けるかもしれない……桔梗(ききょう)はそんな事を考えて微笑みながら、帰路を歩き出したのだった。


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