35 恋よりも君の笑顔の方が
桔梗に連れられて、小雪は蒔苗道場近くのコンビニにやってきた。
夏の夕暮れ。コンビニの外。彼が差し出してくれた半分こするチューブのアイスを受け取る。
「それでも食べて落ち着いたら、話を聞かせてくれ」
「お金……」
「後で半額くれればいい。そうでもしないと君はずっと気に病むって知ってるからな」
「……ありがとう」
小雪はホワイトサワー味のアイスを一口吸う。桔梗がこんなに爽やかな味のアイスを食べているなんて、少し意外だった。
「桔梗君は、コーヒー味の方が好きだと思ってた」
「道場帰りはこっちの方が好きなんだ。夏に炭酸を飲みたくなるのと同じだ」
「そっか……なんか分かるかも」
「なら、よかった」
そう言ったきり、二人の間に沈黙が訪れる。
桔梗は敢えて話を催促してこなかったし、小雪の方も言葉にしてしまうことで先ほどの事を現実にしてしまうのが怖かったのだ。
「……ごめん、話すの辛いや」
小雪が呟くと、桔梗は涼し気な表情のまま尋ねる。
「僕じゃなくて、春馬が相手だったら話してくれたのか?」
「……ううん。桜一朗には余計に話せないよ」
「あいつと何かあったんだな」
「うん。ちょっと……」
ここまで言って何も話せないのはどうなのだろう。そう思い、小雪は小さな声で伝える。
「別れることになっちゃった。桜一朗、家庭の都合で薫野から引っ越すんだって」
言葉にして空気に乗せてしまったが最後、先ほどの事が現実味を帯びてしまい、また涙が出て来た。
「私が辛くならないように、『俺の事は忘れて、他の誰かと幸せになるの。君には友達もいるし、君を好いてくれる人もいるから大丈夫』って言われたんだ。桜一朗なら、私がそんな事望まないって分かってたと思うんだけどな。その上でそう言うって事は……もう別れたいって思ってたのかな」
自嘲気味に笑って、小雪は涙を拭う。
「私が桜一朗の事、忘れられるはずないのにね……」
彼女が笑顔を作りながら泣くのを見て、桔梗は眉を顰めながら吐き捨てる。
「あいつの事、一発でいいから殴ってやりたいよ」
彼の口からそんな言葉が出るとは意外で、小雪は目を丸くした。
驚いた彼女の顔を見ても尚、桔梗はしかめ面で続ける。
「先生から『空手で人を傷つけてはいけない』と教わってなければ、再起不能になるまでボコボコにしてやりたいところだが……」
小雪の脳裏に、初対面の時に彼を殴ってしまった事がフラッシュバックする。
あの事を蒔苗先生に知られたら大目玉だ。怒られるだけじゃ済まないだろう。まだ道場に通っている桔梗に同じ事をさせる訳にはいかない。
「そ、そんな事しちゃ駄目だよ」
「分かってる。教えに背く訳にはいかないからな。やらないよ」
「よかった……」
「ああ。だが、さっきの話を聞く限りだと……あいつ、僕が君を幸せにしてくれるとでも思ってるのか? 馬鹿にされたものだな」
桔梗は眉間に皺を寄せながら、アイスを一気に吸い込んだ。
物凄く苛立っている彼を目の当たりにし、小雪はすっかり戸惑ってしまう。
「馬鹿にはしてないと思うけど……」
「いや、してる。僕は君の想いを無視して強引に迫るような真似しない。君が春馬を好きでいるのに、無理やり自分の物にしようだなんてする訳ないだろう」
桔梗は空になったアイスのチューブをぎゅっと握りしめて、小雪の方を真剣に見つめる。
「僕は自分の恋が叶うより、君が笑顔になってくれた方が嬉しい。失恋がどんなに苦しくても、君が幸せでいてくれるなら甘んじて受け入れるつもりだ。だから……自分の気持ちに正直でいて欲しい」
桔梗はそう言った後、ふっと表情を緩める。
「何だその顔。また泣いてるのか」
彼の言う通り、小雪は眉を下げながら目を潤ませていた。
「一原さんって、案外泣き虫なんだな」
「うん……そうみたい。二年生になってから、泣いてばっかりなんだ」
「春馬と出会ったお陰で、泣くのを我慢しなくてよくなったのか?」
「そうかも。桜一朗は、私が泣いてるといつも『そのままの君で大丈夫』って笑ってくれて……」
小雪は涙を拭って、ふわりと微笑んだ。
「私、まだ桜一朗の事が好きなんだ。あはは、諦めたくないなあ……」
「そう思うなら、そう思ってればいい」
「うん。ありがとう」
小雪の表情が晴れたのを見て、桔梗は安堵して微笑んだ後、思案顔になる。
(一度、春馬と話してみてもいいかもしれない。臆病になっているあいつの事を、背中を叩いてでも前を向かせてやれないだろうか。ついでに、僕を馬鹿にした文句の一つでも言ってやる)
アイスを食べる小雪を横目に、桔梗は密かにそう決めたのだった。
* * *
翌日の放課後、二年二組の教室で友部が先生から封筒を手渡されていた。
「友部、この手紙、春馬に渡してくれるか?」
「あーはい! いいですよ。あれ、あいつの家ってどこだっけ……メッセージで聞けばいいか。うん、大丈夫です!」
友部はしっかりと頷いて、自分の席に戻りスマホを操作する。
その様子を、小雪は可憐の席で友達二人と話しながら見つめていた。
「小雪ちゃん、行かなくて平気?」
可憐が尋ねる。
「友部、これから春馬君の家に行くみたいだけど」
「あ……うん。まだ少し、自分の気持ちを整理できてないから」
小雪は目を伏せながら笑う。
少し前向きになれたとはいえ、まだあんな事があってから数日だ。流石に、堂々と会いに行くのは気まずい。次、改めて振られたら、立ち直る自信も無かった。
そういう理由もあり、小雪は「それより、明日から期末テストだね」と話を変える。
「可憐ちゃん、テスト前の課題終わった?」
「バッチリだよー! 死ぬ気で終わらせたから。ね、そのちゃん?」
「ふふ、泣きながら頑張ってたよね」
三人で談笑しているうちに、友部が教室から出ていく。
友部は桜一朗から送られてきた地図を確認しながら、急ぎ足で歩いて行った。
そんな彼を呼び止める男子生徒がいた。
「君、待ってくれ」
「ん?」
友部は振り返り目を丸くした。
そこにいたのが、体育祭の時に桜一朗と揉めていた竹花桔梗だったからだ。
「君、春馬と揉めてた……」
「ああ、体育祭の時の事か。たしかにそうだったな。僕は竹花桔梗。二年一組だ」
「竹花君って言うんだ。俺は友部凪。俺に何か用?」
警戒しつつもフラットに尋ねてくれた友部に対して、竹花は落ち着いた顔で質問する。
「君、春馬と仲がいいよな」
「あー、うん。友達だよ。えっと、それがどうかした?」
「一原さんのことで、春馬に用があるんだ。もしよければ、僕をあいつと会わせてくれないか?」
「え……」
友部は目を見開き、固まる。
桔梗の狙いが分からなかったのだ。まさか、春馬から一原さんを奪うつもりなのだろうか、と……そんな嫌な予感が胸を占める。
「どういう用事? もしかして、一原さんと春馬の事、邪魔しようとしてるとか……?」
恐る恐る尋ねる。すると、桔梗は真剣な顔で「違う」と言うのだ。
「その逆だよ。僕は一原さんから逃げようとするあいつの目を覚まさせてやりたいんだ」
「逃げるって……何、春馬と一原さん、喧嘩でもしたの?」
「あいつに会わせてくれたら説明する。頼む、僕をあいつと会わせて欲しい」
桔梗の目は真剣で、嘘なんて吐いているように見えなかった。
友部は不安げな顔のまま、でもしっかりと頷く。
「分かった。俺、今から春馬の家に行くんだ。一緒に来なよ」
「ありがとう」
友部は桔梗を連れて、歩き出す。
道中、何を話せばいいのか分からず口ごもっていると、桔梗が静かに口を開いた。
「春馬は、家庭環境が複雑なんだろう」
「あ、ああ……うん。そうみたいだね」
「それが理由で引っ越しをせざるを得なくなっている。そういう事情は知ってたか」
「え、引っ越し?」
学校の校門を少し歩いたところで、友部が驚きのあまり足を止めた。
「おばあさんが倒れたとしか聞いてなくて……あいつ、薫野からいなくなっちゃうの?」
「一原さんはそう言っていた」
「そんな……」
友部はショックを受けた顔で俯く。
「せっかく仲良くなれたのに……あいつがいなくなっちゃうの、俺は嫌だよ」
震える声でそう言う友部の事を、桔梗は静かに見つめている。
桔梗が何も言わないのをいいことに、友部は現実味のない希望を重ねた。
「何か方法とかないのかな? あいつが、薫野に残れる方法……探せば、きっとあるんじゃないかな? なあ、どう思う?」
友部は目を潤ませながら、笑顔を作って尋ねる。しかし、すぐに心が限界になって、友部は再び俯いていった。
「……現実的じゃないかなあ。他に方法があるなら、引っ越そうなんてならないはずだもんな……」
目から涙が零れ落ちて、アスファルトに跡を作っていった。
「春馬と修学旅行に行きたかったなあ……」
静かに泣く友部を見て、桔梗は真剣な声で告げる。
「その思い、春馬に伝えるべきだと思う」
「……伝えたって、困らせちゃうから」
「僕は、あいつに薫野から引っ越す以外の方法があると考えてるんだ。その鍵は……あいつ自身の気持ちだ」
桔梗の言葉を聞いて、友部は顔を上げる。
「春馬の気持ち……?」
「ああ。僕は、あいつに『そう簡単に諦めるな』と言いたくて、君に着いてきた」
桔梗は迷いのない瞳で友部を見つめ、言い切る。
「あいつの人生を切り開くのはあいつ自身だ。君も、一緒にそう伝えてくれないか?」
桔梗の言葉を聞いて、友部は目を見開き……やがて、真剣な顔で頷いたのだった。




