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春色の雪  作者: 月島
第八章 梅雨の晴れ間を祈るように
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33 伝えたい事

 小雪(こゆき)が寝る支度を済ませて自室に戻ったところで、デスクに置いていたスマホが鳴った。

 画面を確認すると、桜一朗(おういちろう)からの電話だった。

 小雪(こゆき)はすぐに通話ボタンを押し、スマホを耳元に持ってくる。


「もしもし?」

『あ、小雪(こゆき)? えっと……』


 次の言葉を待つが、どうやら言葉に詰まってしまっているらしい。口ごもる声が聞こえるものの、次の会話に進まない。


「ゆっくりでいいよ」


 小雪(こゆき)が優しい声を心がけてそう伝えると、電話の向こうから安堵の溜息と「ありがと」の言葉が聞こえて来た。


『声、聞きたくて。色々あって、気持ちが落ち着かなくてさ』

「おばあさん、大丈夫だった?」

『今、手術中。心筋梗塞だって。……そんな兆候見えなかったけど、ほぼ確定って感じ。どうなるか分かんないけど……ばあちゃんがいなくなったらさ、俺、薫野(かおるの)に残れないや……』


 言葉尻が萎み、震える。ついで鼻を啜る音が聞こえて来たから、きっと泣いているのだろうと察しがついた。

 しかし、小雪(こゆき)は目をゆっくりと見開いて口を噤む。何と言えば良いのか分からない。


 ――行かないで欲しい。


 これは自分の我儘で。


 ――きっと他に方法がある。


 これは自分の願望で。


 ――大丈夫。離れても私はあなたが好き。


 これは子どもじみた、現実味の無い励ましで。


「そっか……」


 どの言葉も正しいとは思えず、小雪(こゆき)は小さな声を漏らした。


『……うん』


 桜一朗(おういちろう)の涙声が、近くで聞こえているように感じた。

 今すぐ抱きしめてあげたいのに、それができないもどかしさで胸が詰まりそうだ。


『前に、ロープウェイでさ、ずっと傍にいるって約束したよね。でも……』

「ううん、気にしなくていい。離れ離れになっても、私はあなたの事忘れないし、あなたに救われた事実は消えない。最後まで、傍に――」


 そこまで言って、小雪(こゆき)は自分の頬に涙が伝っていることに気づいた。


「……ごめん。最後とか、考えたくないや」


 彼に泣いていることが悟られないように、必死に明るい声を作る。


「とりあえず、桜一朗(おういちろう)のこと、抱きしめに行きたいな」


 零れる涙を拭いながら、小雪(こゆき)は笑顔で告げる。


「ねえ、いつ会えるかな?」


 桜一朗(おういちろう)からの返事を待つ。

 しかし、向こうの方で扉が開く音が聞こえてハッとした。


「手術、終わった?」

『……うん。お医者さんの話、聞いてくるよ。また連絡する』

「うん、待ってる」


 電話が切れる。「通話 3:18」の通知を見て、小雪(こゆき)はポロポロと涙を流した。


(そっかあ……もう、終わりなんだ)


 窓の外では雨が降っている。サーという空の泣き声が、耳に悲しいほど響いた。


(幸せって、こんなに簡単に崩れちゃうんだ)


 そんな絶望の後に浮かんだのは、彼が今まで見せてくれた笑顔だった。


 ――ありがとう。君が君のままでいてくれて。


 彼がくれた言葉が、昨日聞いた会話のように思い出された。


(そうだ……私も、桜一朗(おういちろう)に、そのままの自分でいて欲しい。どんな環境に行くことになっても、どんなに距離が離れても……今これから、自分がする選択を、私を理由に後悔して欲しくない。そのせいで、自分の性格や未来を暗くして欲しくない。だから――)


 小雪(こゆき)は涙を拭って、無理やり笑顔を作る。


(最後まで笑っていよう。もう泣かない)


 そう強く決意したのに、胸が酷く痛む。自分の弱さを痛感しながら、小雪(こゆき)はそれでも何とか笑っていた。


* * *


 翌日、小雪(こゆき)が学校に行くと、そこに桜一朗(おういちろう)の姿は無かった。

 小雪(こゆき)が来たのに気づいて、苑香(そのか)と可憐(かれん)が小雪(こゆき)の席に来てくれる。


「小雪(こゆき)ちゃん、おはよう」

「おはよー!」


 二人に挨拶され、小雪(こゆき)も明るい笑顔を作る。


「おはよう。昨日は楽しかったね」


 声も、顔も、いつもより明るいものをと意識した。

 しかし、二人は顔を見合わせると、心配そうに尋ねてくるのだ。


「小雪(こゆき)ちゃん、ちょっと無理してない?」

「いつもより辛そうだよ?」

「あ……」


 二人の顔を見ているうちに、無理やり作った笑顔がはがれていく。

 でもここで泣く訳にはいかないと思い、小雪(こゆき)は何とか堪えながら答える。


「ごめん……ちょっと、辛くて。でも、少ししたら落ち着くと思う。心、整理できたら……」


 二人を困らせたくない。そんな気持ちから強がった小雪(こゆき)だったが、彼女の強がりを見抜いた苑香(そのか)はすぐに彼女の手を握った。


「話聞くよ」

「私も聞く!」


 可憐(かれん)も小雪(こゆき)の手を握り、申し出てくれる。

 ここまで真剣に自分の事を考えてくれているのに、はねのけようだなんて小雪(こゆき)は思えなかった。


「うん……」


 目を潤ませながら、赤くなった顔で小さく頷く。


「ありがとう。助けて欲しい……」


 小雪(こゆき)の素直な答えを聞いて、二人は安堵した顔で頷いてくれた。


* * *


 テスト期間のため、半日で終わった日の放課後。三人は旧校舎に向かった。

 つい先日、五人で勉強をした教室に入る。

 窓際の席に座って、小雪(こゆき)はポツポツと語り始めた。


「桜一朗(おういちろう)のおばあさんが、心筋梗塞で倒れちゃったみたいで」


 十三時。まだ明るい陽射しが、小雪(こゆき)の銀髪を照らす。

 重たい話だと分かっていたが、苑香(そのか)も可憐(かれん)も、彼女の向かい側に座って静かに聞いていた。


「おばあさんと二人暮らしだから、もしおばあさんに何かあったら……薫野(かおるの)に残れないんだって。だから、離れ離れになるって、昨日聞いて」


 はらはらと涙が零れ落ちていく。

 喉が詰まりそうになりながらも、小雪(こゆき)は自分の気持ちを空気に乗せていった。


「でも、それは仕方のない事だから。これから、桜一朗(おういちろう)がしていく選択……どこで生きるかっていう選択を、私を理由に後悔して欲しくないんだ。だから、最後まで笑っていようって決めたのに……できなかったよ」


 そのまま、小雪(こゆき)は静かに涙を頬に伝わせていった。

 彼女の様子を見て、苑香(そのか)は優しい声で尋ねるのだ。


「小雪(こゆき)ちゃんの、本当の気持ちは?」


 そう言って、手をそっと握られる。


「本当は、どうしたいの?」


 小雪(こゆき)が顔を上げると、苑香(そのか)が優しく微笑んでいたのだ。まるで、姉が妹に見せるような笑顔だった。慈愛に満ちた、そんな笑顔。


「私……ほんとは、離れ離れになりたくない」


 彼女の笑顔のお陰で、ずっと我慢していた本音が口から出てくれた。


「行かないでって言いたいし、一緒にいてって言いたい。でも、それを言ったら困らせちゃう……」


 泣きながら零す彼女を見て、苑香(そのか)は落ち着いた声で続けるのだ。


「困らせるかもしれないけど、言った方がいいよ。今のままだと、小雪(こゆき)ちゃんは自分の選択を後悔する。春馬(はるま)君とのことを、笑顔で思い出せなくなっちゃうと思う」

「……そんなの、嫌だ。でも……」

「大丈夫。言いたいことを伝え合ってからの方が、春馬(はるま)君も後悔しない選択ができると思う」


 苑香(そのか)はそう言うと、空いた手で自分の胸を撫でて、穏やかに彼女に伝えた。


「私ね、昔からずっと好きな人がいたんだ。中学時代に、うちの神社に熱心に通ってた、心の綺麗な男の子。この前、その子は友部(ともべ)君だったんじゃないかなって気づいた。でも、ずっと『自分の想いを伝えるべきか』を迷ってたんだ」

「そうなの……?」

「うん。関係が壊れないかとか、相手は覚えてないかもとか、色んな不安があったから。でも……今、決めた」


 苑香(そのか)は小雪(こゆき)のことを見つめて、明るい笑顔で告げる。


「私、友部(ともべ)君に告白する」


 苑香(そのか)の言葉に、小雪(こゆき)は目を見開いた。隣の可憐(かれん)もだ。

 驚いた顔の二人を見て、苑香(そのか)はニコリと笑う。


「私も頑張って伝えてみる。だから、小雪(こゆき)ちゃんも一緒に頑張ろう。一人じゃなくて、二人なら頑張れる事もあると思うんだ」

「ちょっとちょっと! 二人じゃなくて三人だから!」


 可憐(かれん)が慌てた顔で割って入り、ニカっと笑って小雪(こゆき)を見た。


「私も、バスケの全国大会で結果出せるように頑張る! うちの高校、三年ぶりの出場らしいから、超緊張してるけど……二人が頑張るなら、私だって負けてらんない!」

「苑香(そのか)ちゃん、可憐(かれん)ちゃん……」


 小雪(こゆき)は涙を拭い、今度は心からの笑顔で微笑むことができた。


「ありがとう……!」


 桜一朗(おういちろう)と出会えたからこそ巡り合えた、大切な友達。

 彼がいなかったら、小雪(こゆき)はきっと独りぼっちだった。

 彼がいたから、繋がれた人や物が沢山あるのだ。

 だから、まだ……もう少しだけ、彼と繋がったままでいたかった。

 たとえそれが、我儘だったとしても――。


(もう一回……桜一朗(おういちろう)と、ちゃんと話をしてみるんだ)


 小雪(こゆき)は涙を拭って、そう覚悟を決めたのだった。


* * *


 その日の午後、桜一朗(おういちろう)は入院用の荷物を持って、祖母の病室へと足を運んでいた。

 病室のドアを開けるなり、祖母がこちらを見て微笑んでくれる。


「おうちゃん、ありがとね」

「ううん、平気」


 その笑顔に元気がない事、それに気づかないふりをして、桜一朗(おういちろう)は彼女の傍の椅子に座った。


「手術、上手くいってよかった。これ、入院用の荷物ね」

「ありがとう。……ごめんね」

「謝ることないでしょ。仕方ないよ」


 いつものように朗らかな笑顔を作り、桜一朗(おういちろう)は首を振った。


「花菜(かな)ちゃんが、しばらくうちに来ないかって言ってくれてる」

「そうなの。じゃあ、お姉ちゃんの家に行くの?」

「……父さんも、帰ってこいって言ってる」

「……そう」


 祖母の表情が蔭った。

 あんな親のいるところに行って欲しくないのだと……そんな気持ちが、滲んで見える。


「おうちゃんが決めていいのよ。あなたの人生なんだから」


 祖母が真剣にそう言うのを見て、桜一朗(おういちろう)は小さく頷いた。


「……うん」


 どちらの選択肢も、桜一朗(おういちろう)が望んだものではない。

 でも、どちらかしか選べないのだ。

 一人で生活すること……それを、家族はきっと許してくれないだろうから。


「ちょっと一人で考えてみる。今日は帰るね」


 桜一朗(おういちろう)が笑顔でそう告げて、立ち上がったその時だ。

 ガラリ、と病室のドアが開いた。

 振り返るとそこにいたのは――桜一朗(おういちろう)の両親だったのだ。


「父さん、母さん……なんでここに」


 桜一朗(おういちろう)が尋ねると、二人は気まずそうに目を逸らし……やがて、父の方が口を開く。


「遅くなってすまなかった」

「え……?」

「取り返しがつかなくなる前に、話さなければいけない事がある」


 父の顔は真剣だった。何か企んでる、なんて考える余地すらない。


「言ってごらん」


 祖母にもそれが伝わったのだろう。威厳のある顔で、そう頷いていた。


「ただし、適当な事を言ったら叩き出すよ」

「それでいいよ。桜一朗(おういちろう)も聞いてくれ」


 父の真剣な顔を見て、桜一朗(おういちろう)は戸惑いつつも、頷くしかなかった。

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