33 伝えたい事
小雪が寝る支度を済ませて自室に戻ったところで、デスクに置いていたスマホが鳴った。
画面を確認すると、桜一朗からの電話だった。
小雪はすぐに通話ボタンを押し、スマホを耳元に持ってくる。
「もしもし?」
『あ、小雪? えっと……』
次の言葉を待つが、どうやら言葉に詰まってしまっているらしい。口ごもる声が聞こえるものの、次の会話に進まない。
「ゆっくりでいいよ」
小雪が優しい声を心がけてそう伝えると、電話の向こうから安堵の溜息と「ありがと」の言葉が聞こえて来た。
『声、聞きたくて。色々あって、気持ちが落ち着かなくてさ』
「おばあさん、大丈夫だった?」
『今、手術中。心筋梗塞だって。……そんな兆候見えなかったけど、ほぼ確定って感じ。どうなるか分かんないけど……ばあちゃんがいなくなったらさ、俺、薫野に残れないや……』
言葉尻が萎み、震える。ついで鼻を啜る音が聞こえて来たから、きっと泣いているのだろうと察しがついた。
しかし、小雪は目をゆっくりと見開いて口を噤む。何と言えば良いのか分からない。
――行かないで欲しい。
これは自分の我儘で。
――きっと他に方法がある。
これは自分の願望で。
――大丈夫。離れても私はあなたが好き。
これは子どもじみた、現実味の無い励ましで。
「そっか……」
どの言葉も正しいとは思えず、小雪は小さな声を漏らした。
『……うん』
桜一朗の涙声が、近くで聞こえているように感じた。
今すぐ抱きしめてあげたいのに、それができないもどかしさで胸が詰まりそうだ。
『前に、ロープウェイでさ、ずっと傍にいるって約束したよね。でも……』
「ううん、気にしなくていい。離れ離れになっても、私はあなたの事忘れないし、あなたに救われた事実は消えない。最後まで、傍に――」
そこまで言って、小雪は自分の頬に涙が伝っていることに気づいた。
「……ごめん。最後とか、考えたくないや」
彼に泣いていることが悟られないように、必死に明るい声を作る。
「とりあえず、桜一朗のこと、抱きしめに行きたいな」
零れる涙を拭いながら、小雪は笑顔で告げる。
「ねえ、いつ会えるかな?」
桜一朗からの返事を待つ。
しかし、向こうの方で扉が開く音が聞こえてハッとした。
「手術、終わった?」
『……うん。お医者さんの話、聞いてくるよ。また連絡する』
「うん、待ってる」
電話が切れる。「通話 3:18」の通知を見て、小雪はポロポロと涙を流した。
(そっかあ……もう、終わりなんだ)
窓の外では雨が降っている。サーという空の泣き声が、耳に悲しいほど響いた。
(幸せって、こんなに簡単に崩れちゃうんだ)
そんな絶望の後に浮かんだのは、彼が今まで見せてくれた笑顔だった。
――ありがとう。君が君のままでいてくれて。
彼がくれた言葉が、昨日聞いた会話のように思い出された。
(そうだ……私も、桜一朗に、そのままの自分でいて欲しい。どんな環境に行くことになっても、どんなに距離が離れても……今これから、自分がする選択を、私を理由に後悔して欲しくない。そのせいで、自分の性格や未来を暗くして欲しくない。だから――)
小雪は涙を拭って、無理やり笑顔を作る。
(最後まで笑っていよう。もう泣かない)
そう強く決意したのに、胸が酷く痛む。自分の弱さを痛感しながら、小雪はそれでも何とか笑っていた。
* * *
翌日、小雪が学校に行くと、そこに桜一朗の姿は無かった。
小雪が来たのに気づいて、苑香と可憐が小雪の席に来てくれる。
「小雪ちゃん、おはよう」
「おはよー!」
二人に挨拶され、小雪も明るい笑顔を作る。
「おはよう。昨日は楽しかったね」
声も、顔も、いつもより明るいものをと意識した。
しかし、二人は顔を見合わせると、心配そうに尋ねてくるのだ。
「小雪ちゃん、ちょっと無理してない?」
「いつもより辛そうだよ?」
「あ……」
二人の顔を見ているうちに、無理やり作った笑顔がはがれていく。
でもここで泣く訳にはいかないと思い、小雪は何とか堪えながら答える。
「ごめん……ちょっと、辛くて。でも、少ししたら落ち着くと思う。心、整理できたら……」
二人を困らせたくない。そんな気持ちから強がった小雪だったが、彼女の強がりを見抜いた苑香はすぐに彼女の手を握った。
「話聞くよ」
「私も聞く!」
可憐も小雪の手を握り、申し出てくれる。
ここまで真剣に自分の事を考えてくれているのに、はねのけようだなんて小雪は思えなかった。
「うん……」
目を潤ませながら、赤くなった顔で小さく頷く。
「ありがとう。助けて欲しい……」
小雪の素直な答えを聞いて、二人は安堵した顔で頷いてくれた。
* * *
テスト期間のため、半日で終わった日の放課後。三人は旧校舎に向かった。
つい先日、五人で勉強をした教室に入る。
窓際の席に座って、小雪はポツポツと語り始めた。
「桜一朗のおばあさんが、心筋梗塞で倒れちゃったみたいで」
十三時。まだ明るい陽射しが、小雪の銀髪を照らす。
重たい話だと分かっていたが、苑香も可憐も、彼女の向かい側に座って静かに聞いていた。
「おばあさんと二人暮らしだから、もしおばあさんに何かあったら……薫野に残れないんだって。だから、離れ離れになるって、昨日聞いて」
はらはらと涙が零れ落ちていく。
喉が詰まりそうになりながらも、小雪は自分の気持ちを空気に乗せていった。
「でも、それは仕方のない事だから。これから、桜一朗がしていく選択……どこで生きるかっていう選択を、私を理由に後悔して欲しくないんだ。だから、最後まで笑っていようって決めたのに……できなかったよ」
そのまま、小雪は静かに涙を頬に伝わせていった。
彼女の様子を見て、苑香は優しい声で尋ねるのだ。
「小雪ちゃんの、本当の気持ちは?」
そう言って、手をそっと握られる。
「本当は、どうしたいの?」
小雪が顔を上げると、苑香が優しく微笑んでいたのだ。まるで、姉が妹に見せるような笑顔だった。慈愛に満ちた、そんな笑顔。
「私……ほんとは、離れ離れになりたくない」
彼女の笑顔のお陰で、ずっと我慢していた本音が口から出てくれた。
「行かないでって言いたいし、一緒にいてって言いたい。でも、それを言ったら困らせちゃう……」
泣きながら零す彼女を見て、苑香は落ち着いた声で続けるのだ。
「困らせるかもしれないけど、言った方がいいよ。今のままだと、小雪ちゃんは自分の選択を後悔する。春馬君とのことを、笑顔で思い出せなくなっちゃうと思う」
「……そんなの、嫌だ。でも……」
「大丈夫。言いたいことを伝え合ってからの方が、春馬君も後悔しない選択ができると思う」
苑香はそう言うと、空いた手で自分の胸を撫でて、穏やかに彼女に伝えた。
「私ね、昔からずっと好きな人がいたんだ。中学時代に、うちの神社に熱心に通ってた、心の綺麗な男の子。この前、その子は友部君だったんじゃないかなって気づいた。でも、ずっと『自分の想いを伝えるべきか』を迷ってたんだ」
「そうなの……?」
「うん。関係が壊れないかとか、相手は覚えてないかもとか、色んな不安があったから。でも……今、決めた」
苑香は小雪のことを見つめて、明るい笑顔で告げる。
「私、友部君に告白する」
苑香の言葉に、小雪は目を見開いた。隣の可憐もだ。
驚いた顔の二人を見て、苑香はニコリと笑う。
「私も頑張って伝えてみる。だから、小雪ちゃんも一緒に頑張ろう。一人じゃなくて、二人なら頑張れる事もあると思うんだ」
「ちょっとちょっと! 二人じゃなくて三人だから!」
可憐が慌てた顔で割って入り、ニカっと笑って小雪を見た。
「私も、バスケの全国大会で結果出せるように頑張る! うちの高校、三年ぶりの出場らしいから、超緊張してるけど……二人が頑張るなら、私だって負けてらんない!」
「苑香ちゃん、可憐ちゃん……」
小雪は涙を拭い、今度は心からの笑顔で微笑むことができた。
「ありがとう……!」
桜一朗と出会えたからこそ巡り合えた、大切な友達。
彼がいなかったら、小雪はきっと独りぼっちだった。
彼がいたから、繋がれた人や物が沢山あるのだ。
だから、まだ……もう少しだけ、彼と繋がったままでいたかった。
たとえそれが、我儘だったとしても――。
(もう一回……桜一朗と、ちゃんと話をしてみるんだ)
小雪は涙を拭って、そう覚悟を決めたのだった。
* * *
その日の午後、桜一朗は入院用の荷物を持って、祖母の病室へと足を運んでいた。
病室のドアを開けるなり、祖母がこちらを見て微笑んでくれる。
「おうちゃん、ありがとね」
「ううん、平気」
その笑顔に元気がない事、それに気づかないふりをして、桜一朗は彼女の傍の椅子に座った。
「手術、上手くいってよかった。これ、入院用の荷物ね」
「ありがとう。……ごめんね」
「謝ることないでしょ。仕方ないよ」
いつものように朗らかな笑顔を作り、桜一朗は首を振った。
「花菜ちゃんが、しばらくうちに来ないかって言ってくれてる」
「そうなの。じゃあ、お姉ちゃんの家に行くの?」
「……父さんも、帰ってこいって言ってる」
「……そう」
祖母の表情が蔭った。
あんな親のいるところに行って欲しくないのだと……そんな気持ちが、滲んで見える。
「おうちゃんが決めていいのよ。あなたの人生なんだから」
祖母が真剣にそう言うのを見て、桜一朗は小さく頷いた。
「……うん」
どちらの選択肢も、桜一朗が望んだものではない。
でも、どちらかしか選べないのだ。
一人で生活すること……それを、家族はきっと許してくれないだろうから。
「ちょっと一人で考えてみる。今日は帰るね」
桜一朗が笑顔でそう告げて、立ち上がったその時だ。
ガラリ、と病室のドアが開いた。
振り返るとそこにいたのは――桜一朗の両親だったのだ。
「父さん、母さん……なんでここに」
桜一朗が尋ねると、二人は気まずそうに目を逸らし……やがて、父の方が口を開く。
「遅くなってすまなかった」
「え……?」
「取り返しがつかなくなる前に、話さなければいけない事がある」
父の顔は真剣だった。何か企んでる、なんて考える余地すらない。
「言ってごらん」
祖母にもそれが伝わったのだろう。威厳のある顔で、そう頷いていた。
「ただし、適当な事を言ったら叩き出すよ」
「それでいいよ。桜一朗も聞いてくれ」
父の真剣な顔を見て、桜一朗は戸惑いつつも、頷くしかなかった。




