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王都遺品整理局タキウス・サイデルの憂鬱  作者: 高遠雪斎
第一部 嘘をつく遺品

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9/14

雨の降らなかった夜

雨の降った記録がない夜に、時計は雨の音を覚えていた。

それも、誰かが一度だけ使った時計だった。

タキウスは受入票を裏返した。亡くなった夜警の遺品について、公務品と私物の区分を確かめるよう依頼が来ている。新品の懐中時計が彼の制服の内ポケットから回収され、遺族は本人のものとして引き取りたいという。

「新品と言っても、傷はある」

エレナが目盛りを見た。蓋の縁には細い擦れが二本あり、留め具には黒い粉が残っている。

「支給からどれくらい経っていますか」

「その晩が最初の当直だ」

「それを何で確かめました?」

「今から確かめる」

受入票を出した夜警組織の担当者は、正確だった。支給日はもともと定期更新日として決まっていた。旧型の時計を回収し、未使用在庫から新型を一つずつ支給する。亡くなった夜警も同じ手順で受け取っている。

支給簿、旧時計の回収簿、在庫票。三種類の記録が同じ番号を示した。亡くなる直前だけ特別に新品を渡されたのではない。

「それでも途中で交換したかもしれません」とエレナは言う。

「その可能性を潰せるか、夜警側に聞こう」

時計を受け取ってから死亡するまでの間、亡くなった男は持ち場を替えていない。支給後の巡回開始を示す確認票にも、時計番号がある。夜半に倒れ、翌朝早く発見された。発見時の品目録に番号の一致が記されている。

タキウスが気にしたのは、時計の時刻ではなかった。蓋を閉じても、指先にかすかな冷えが残るというエレナの状態報告だった。一般の時計にはない感覚の痕跡があるため、局で限定的な残響確認をすることになった。

読取前の状態を記録し、エレナが立ち会う。タキウスは机の上に手を置き、時計へ意識を合わせた。

細かく叩く音が耳に満ちた。

肩の辺りが冷たくなる。靴底の下に硬いものがあり、次の瞬間に足が滑った。石の上に水が広がっている気配。どこかで男が声を張り上げる。

「東門を閉めろ!」

遠くから一つ、近くから二つ。警鐘の鳴り方が違った。声の後が欠け、音だけが短く重なる。そこまでで、タキウスは指を離した。

「雨に聞こえた」

「感覚欄へは?」

「細かい連続音。肩の冷え。足元の滑り。誰かの声」

エレナは記録紙を手渡した。「雨」「東門の閉鎖」は別欄に置く。

夜警の詰所には、当直簿と鐘番の記録があった。死亡した男の巡回時刻には、東門は閉じていない。門衛は交代し、物資搬入の検印も残っている。死者の巡回と同じ時間帯、鐘番が非常用の合図を鳴らした記録もなかった。

ただ、あの音は非常鐘とは限らない。近い鐘が二つ重なる時間は、夜の交代合図にもある。

「あなたが拾った鐘の音で、あの晩だと分かるのか」

詰所の古参の男が聞いた。

「時計があの晩しか使われていないことを、先に確かめています。鐘は補助です」

「なるほど。でも、あの晩に雨が降ったとは思わんよ」

門衛の一人は、その晩に屋外の見張り台で灯火を入れ替えた。紙の覆いを使った灯火は濡れると駄目になるが、濡れた記録はない。市場の屋根を管理する商人は、朝に板を拭く必要がなかったと証言した。商人の帳面にも、雨で荷が遅れた記載がない。

「つまり雨はなかった」と夜警の男が言う。

「大通りではなかったという話です。水を使った場所がないかも調べます」

タキウスは巡回経路を歩いた。

出る前に、夜警の上役は地図へ巡回区間を赤線で引いた。倒れていた場所は巡回の途中であり、東門へ着く前の路地だった。夜警が何時にどの角を曲がったかは細かく残っていないが、持ち場の交代記録なら確認できる。

「道の途中で誰かに会ったのか、までは書きません」と上役は言う。

「そこも推定しません。時刻の上限と下限が欲しいんです」

「変わった調べ方だな」

「帰る先を決めるための調査ですから」

上役はようやく、机の上の記録をこちらへ向けた。昼の通りは荷車と子どもで混んでいる。東門へ向かう横道には染物の桶が並び、住人が余った水を路面へ流すこともあるという。道の一角は古い石畳で、溝が浅かった。

水をこぼせば、足元だけ濡れる。

それで冷えや滑りは説明できるかもしれない。

タキウスは染物屋で水の流し方を聞いた。主人は朝に桶を空けると言い、働き手は閉店後にも道具を洗うと言う。矛盾ではない。二人が違う仕事をしているだけだった。

「その夜は?」

「俺は家にいたよ」と主人。

「わたしは残っていたけど、いつもの片付けをしただけ」と働き手。

片付けに使う水量は、靴底を滑らせるには十分かもしれない。だが、その晩に死者がここを通ったかどうかは、誰も見ていなかった。

近くの菓子屋には閉店の記録が残る。帳場の紙は夜警が倒れたとされる時刻より前に締められていた。菓子屋が店を閉じた後の音は、帳簿から分からない。タキウスはその空白を、勝手に雨の時間へ置き換えないようにした。だが、細かい連続音は? 頭上からの雨かもしれないし、板屋根に落ちる別の水かもしれない。ひとつ説明が見つかれば、全部説明できるとは限らなかった。

タキウスが門番に尋ねた。

「東門を閉めろ、と誰かが叫ぶことは?」

「仕事ではありますよ。閉門時刻にも、点検にも。けど、記録にない時間帯には覚えがないね」

「声の主が門番だとは限らない」

「でしょうね」

話はそこで止まった。

門番は当直簿の余白を指し、別の夜の記載を見せた。閉門時刻とは無関係な訓練で「門を閉めろ」と号令を使った記録がある。声だけで本当の門閉鎖を示せないのは、そのためでもある。

「これが同じ日のものなら、早かったのに」

「違う日ですからね」と門番が言った。

タキウスは日付を確かめ、帳面を返した。別の日の都合のいい記録を持ってきても、時計の謎が解けるわけではなかった。

局へ戻ると、エレナが支給時の時計箱を見ていた。外箱には、定期更新の印が押されている。番号も受入票と一致する。

「どこまで分かりました」

「時計が初めて使用された夜は確かめられた。そこで拾った感覚の意味は、まだ分からない」

「返還先は?」

「支給品だから、公務品か私物かの取扱いを確認中だ。遺族へは理由を説明する」

返せば話が終わるわけではない。残響に加工があるかどうかも、現時点では言えない。エレナは蓋の縁の細い擦れを拡大図に描いた。

「この傷、支給前からあったかもしれません」

「前の検品図は?」

「あります。そこにはないように見えます。ただ、描き方が粗くて」

「新しい傷なら修理かもしれない」

「だから、修理票を照会します」

タキウスは時計の近くに手を伸ばしかけ、やめた。さっき一度読んだだけで、あの冷たさは少し薄くなったように感じる。二度目を行う理由はない。

夜警の遺族へ出す説明には、確認済みの所持と勤務の記録、品の保全理由だけを書いた。「雨の降った夜」とも「門を閉める命令」とも書かない。誰の経験が残っているかさえ、まだ決め切れない。

記録を閉じる頃には、窓の外が暗くなっていた。雨は降っていない。タキウスは窓枠を指で押し、下の石畳を見た。日が落ちても、道の色が変わらない。

その夜の時計も、こんな景色を見たのだろうか。

いや、時計は景色を見ない。考え直して、タキウスは検品図を手元へ戻した。今必要なのは、時計の持ち主がその晩にどこにいたかを確かめることだった。


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