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王都遺品整理局タキウス・サイデルの憂鬱  作者: 高遠雪斎
第一部 嘘をつく遺品

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8/14

傷の形

「傷です、という報告では、どこにあるのか分かりません」

青い髪の研究者は、タキウスが描いた図を見て最初にそう言った。

「ここだ。内側の、細いところ」

「この図のどこにも『内側』は定義されていません」

「物を見れば分かるだろ」

「物を見る前に図が要るから、呼ばれたんです」

ノエル・セレインは眼鏡の位置を直した。王都学院から派遣された魔術研究者で、手には折り目のついた薄い方眼紙を持っている。局へ来る道すがらも書き物をしていたらしく、指先に墨が付いていた。

問題の品は、亡くなった時計職人の荷から出た古い小型の術具だった。円盤の縁に細い目盛りがあり、中心には灯りを閉じ込めたような透明層がある。製造時の動作や使用目的を示す記録がなく、危険性を判定できないため、一般の整理業者から局へ移された。

エレナは朝から封印前の鑑定を進めていた。表面に破損はない。問題は、透明層を横から観察したときだけ現れる、線のような段差だった。

「普通の修理痕とは違うように見える」

タキウスが言い換えると、ノエルはようやく頷いた。

「それなら検討できます。ただ、普通の修理を何と比較しました?」

「修理工房の帳面だ」

「種類は?」

「同型の術具が載っている」

「帳面を見せてください」

彼女は椅子を引き寄せた。濃紺の衣服は歩くと片側の裾だけが揺れ、腰には細長い筆箱がついている。筆箱の金具を開ける音がやけに大きい。

エレナは封印具と品の間へ指を入れないように、小さな台を動かした。

「学院に依頼したのは、術式の構造に関する知見です。局の保管品ですから、許可なく実験はできません」

「承知しています。破壊検査はしません」

「破壊しない実験も、先に目的を」

ノエルは一瞬だけ唇を尖らせ、方眼紙の上に調査項目を書き始めた。

タキウスはその横で、品の来歴を調べる。受領票では円盤一つと交換用の台座が一組になっているが、故人の仕事帳には製造したという記載がなかった。前所有者の名もなく、同じ工房の道具に付いていた番号だけがある。

「この工房は、修理のとき何を残す?」

彼が問うと、遺品整理業者は控えを広げた。

「部材を交換したら、古い方の番号も並べて書く決まりだったようです。ご家族が出してくださった帳面です」

「円盤の番号は?」

「あります。ただ、交換記録はありません」

受入時の外観記録にも、その番号は写されていた。だが、交換記録がないという事実は、修理されていないことの証明にはならない。故人自身が作業した可能性もある。

「部材を替えずに内部だけ触ったら、記録は残る?」

「本人なら、残さない日もあったでしょうね」

タキウスはそれを余白に記した。

午後、ノエルは局の比較資料から同型の術具を二つ借りてきた。一つは長く使用して層にくもりが出た品。もう一つは公的な修理歴のある品だ。どちらも現物を損なわない条件で観察が認められた。

「ここが、自然な摩耗です」

ノエルは透過光を変え、くもりの広がりを示した。透明層の中で、線は一方向に薄くなる。

「こちらが通常修復。接いだ境目は表面に近いところから始まる」

タキウスは目を細めた。言われれば違いは分かるが、普通の目では半分ほどしか追えない。

「今回のは?」

「表面に出ていない。内部の二つの層だけ、位置が半目盛りずれています」

「誰かが削った?」

「削ったかどうかも、まだ言えません。製造時からの個体差かもしれない」

エレナが状態図を差し出した。彼女が午前中に書いた線と、ノエルが描いた線が並ぶ。相違は段差の始点の位置だった。ノエルは自分の図をいったん伏せて、エレナの記録へ顔を近づけた。

「この角度、どうやって固定したんですか」

「台座の欠けに合わせました。実際に見た位置を再現するためです」

「その固定具の形を、図に追記してもらえますか」

「当然です」

タキウスは二人のやり取りを聞きながら、朝に自分が書いた「内側の細いところ」をこっそり消した。

ノエルは工房の製造見本図を確かめ、段差を比べた。

タキウスは比較品の修理伝票を時間の順に並べた。修理歴のある品は、出庫前に「表面層の縁を整えた」と明記されている。今回の品には同じ記載がない。ただし記載がないだけでは、作業しなかったことの証拠にならない。そこはタキウスが先に言った。

「分かっています」とノエルは返した。「だから、伝票だけでは終わらせません」

彼女は持参した方眼紙の隅へ日付を書き、比較品の図を複写した。筆が速く、机の上から押さえる指が外れると紙がすぐずれる。タキウスが端を指で押さえると、一度だけ礼を言った。

昼食どきの鐘が鳴ったが、ノエルは鞄から乾いた菓子を出して噛み始めた。午前中に学院で別の研究報告を仕上げたばかりだという。局の不明品より、彼女の本業の締切の方が先に決まっているらしい。製造の誤差なら、目盛りの刻みと層の始点も一緒にずれるはずだが、今回は目盛りと外枠が揃っている。内部の層だけが違っていた。

「人が手を入れた可能性があります」

「可能性だけ?」

「今ある比較では、自然摩耗でも通常の修繕でも説明しにくい。ですが、目的は分からない」

ノエルは持参した紙へ赤い印を付けた。色が濃すぎたようで、隣の用紙へ墨が抜けた。慌てて裏返しにする。

「どういう術式ならここへ触れられる?」

「詳しく調べれば候補は挙げられます。今日ここで答えたら、ただの思いつきです」

タキウスは思いつきと言われ、少し耳が痛くなった。

鑑定室を出る前に、エレナは保管区分を再検討した。外見に破損はないが、内部の位置ずれは未判定。通常返還はまだ認めず、危険性不明の品として暫定封印を続ける。期限と再検査の条件は局の保管責任者に上げることになった。

「封じたら、これでもう調査は終わりですか」

ノエルが尋ねる。

「終わりません。安全に調べる条件が決まっただけです」

「学院の資料を確認してきます。層の位置を変える旧い手法があったかもしれない」

エレナが頷くと、ノエルは満足そうに筆箱を閉めた。だが、それで帰ろうとはしない。タキウスの作った来歴票を、まだ読んでいた。

「この番号の前所有者が分かったら、知らせてください」

「専門家として必要なのか?」

「分からないまま比較すると、使用時間まで違うかもしれないでしょう。あなたの帳簿が要ります」

学院の研究室では、人間がどの程度使った品かを記録する時間が足りないのだという。

「学院の保管標本は、だいたい使用歴がきれいなんです。壊れるまで使った道具を、元の持ち主の生活ごと集められるわけじゃないから」

「それで局の記録か」

「それで局の記録です。勝手に持ち出せないのは面倒ですけど」

彼女はエレナの方を見ると、慌てて付け加えた。

「規則が必要なのは分かります」

「必要だと分かっているなら、守っていただければ結構です」

「もちろん」彼女は帰りの馬車の時刻を気にし、途中で話を切り上げた。

「次は『傷』じゃなくて『二層間の位置ずれ』と書いてください」

「それじゃ長い」

「正確です」

タキウスは彼女が去ったあと、記録を見直した。欄外の「不気味な線」を二重線で消し、代わりに「内部二層間の段差。原因未確定」と書く。

図の出来はまだ悪かった。消し跡で紙が薄くなっている。次に持ってくるときは、新しい紙にしよう。


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