第4話 うらぶれた公園に転がるおほしさま
「それでおおかみせんぱい。話ってなんですか?」
と、俺が無害であると結論づけ、俺と拳三つぶんの距離を空けて少女がベンチに腰掛けてくれたのは、ファーストコンタクトから実に三分後の出来事だった。
呼称が〝おおかみせんぱい〟になってしまったが、まぁしゃーなしだ。取り合ってもらえただけで大金星としよう。
「これから演劇サークル部の一員としていっしょに夢を叶える仲間を探してるんだ。まぁ、今は部員がふたりだけで、そもそも部としても認められていない状態なんだけどね」
「いっしょに夢を叶える仲間……」
わずかだけど、少女の瞳に興味の色が宿る。
ここだ! ……と一気に畳みかける前にまずは確認。
「今さらなんだけど、さてはすでにどこかの演劇部に所属してたり演劇団に所属してたりするのかな? もしそうなら、そっちを辞めてこっちに来てほしいんだけど」
「傲慢な思考がまさしくおおかみさんですね……。わたしは、演劇部にも演劇団にも所属していないですよ。わたしなんかに演劇は不相応ですので」
「不相応?」
夜の小さな公演会で燦然と輝き、観客が涙を流すほどの鬼気迫る演技をした当人が、自分に演劇は不相応って言ってるのか?
はじめは謙遜かと思ったけど、寂しげな微笑を携える少女はみるみる委縮していって……
「だってそうじゃないですか。わたし、普段はこんなにも気弱なんです。自信がなくて、いつもおどおどしてて、そのせいで友達も少なくて。……そんなわたしが演劇なんてしていたら、みんな笑っちゃいます。笑うに決まっています」
自嘲するように微笑をたたえる少女は、そんな現実を受け入れているように見えた。
気弱で自信がない。おどおどしている。友達が少ない。
それが自分なんだって納得してる。
「たしかに演劇は好きです。けど、人付き合いがうまくできないです。だから、演劇部には入部しないつもりです。……わたしなんか、いても邪魔なだけだから」
なにか過去にあったのだろうか。
あるいは先天的にこの性格なのだろうか。
「……そうだな。邪魔だろうな」
まぁ、なんだっていいさ。
「うぅ、自覚はあるけど。……そういうストレートなところがおおかみせんぱいなんです」
「君みたいな眩しすぎるほしが紛れ込んだら、他の部員は霞んじゃうだろうからな」
「え?」
俺が、これからこの小さな希望を輝かせればいいだけの話なんだからさ。
「君は演劇に不相応なんかじゃないよ。少なくとも俺は君の演技に感動したし、もっと言えば今まで見たどの役者よりも輝いて見えた。ちなみに俺、結構はっきり言うタイプだから。これは忖度なしの本音だ」
少女は、ちょっと呆然として、少し俯いて、ちらりと顔を上げ。
胸の前で拳をきゅっと握りしめ、震える唇から掠れた声を絞り出す。
「……ほんと、ですか?」
「言ったろ。俺は思ったことをそのまま口に出す人間だ。嘘じゃなくないよ嘘じゃないよ」
「わ、わたしの演劇に……おおかみせんぱいは心を打たれたんですか?」
冗談めかして場を和ませようと思ったけど、いらない配慮だったか。
「あぁ、それはもう今でもあの光景を鮮明に思い出せるくらいにね」
うらぶれた公園で星のように瞬いていたちいさな光。
記憶の中にいる少女は、頭上に広がる銀河の海に負けないくらいに輝いてる。
「……ははは」
力なく笑う少女の瞳が、徐々に薄いしずくに覆われていく。
「そんなことを言われたのは初めてです。……へへ、うれしいなぁ」
あそこまで洗練された演技が、一朝一夕で習得できるとは思えない。
きっとこの子は、誰にも見えない場所で、この公園で。
何回も、あるいは何年も、練習を重ねていたのだろう。
この子の涙は努力が結実した証だ。たぶん。
「ずっと公園で練習してたの?」
とかなんとか不確定な憶測を既成事実として処理すると後々面倒そうだから、今の内に疑問を解消しておくことにする。
「はい。小学五年生の頃から」
「小五!?」
思った以上に歴史が深い。
「……少し長いお話をしてもいいですか?」
「構わないよ」
それだけ気を許しつつあるって証だし。
「幼い頃から両親がよくミュージカルに連れて行ってくれたんです。その影響でわたしは演劇に興味を持つようになりました。……まぁ、それは手を引いた後も栄光の残滓に縋ろうとするお母さんの悪あがきでしたがそれはともかく」
「え、そこをともかくしちゃうの?」
「はい。だって嫌じゃないですか、自分の母親を悪く言うだなんて」
うん、なんとなく察していたが、この子はすごくいい子だ。
悪の権化の藤沢さんとは水と油のような気がしなくもないが、それはともかく。
「お母さんは後進の飛ぶ鳥を落とす勢いに負けて演劇界で落伍した後に、一般企業に就職しました。夢を諦めて現実を見たんです」
「現実って残酷だなぁ……」
「わたしはお母さんが舞台で活躍している姿を見たことがありません。テレビ画面の中でしか、輝くお母さんの姿を見たことがありません。けど、その姿がすごい眩しくて、楽しそうで、胸がときめいて……」
恋い焦がれるように少女は半月を見つめる。
「幼いながらにわたしは舞台で輝くお母さんに、万雷の拍手を浴びる役者という職業に、憧れてしまったんです」
喜びに悲しみに憧憬に。
この瞳には様々な思いが込められているのだろう。
「それで、小五の頃から練習に励みはじめたと?」
「はい。お母さんには内緒で練習をはじめました。成長に伴って役者なんて夢は現実的じゃないし、気弱な自分に向いてないなって気づいたんですけど、それでも練習をやめられなくて。……へへ、おかしな話だよね。意味もなく練習するなんて」
演劇の技術、多少の難はあれども優しさと倫理感に研がれた人格。
理想的な子だ。
この子なら、間違いなく藤沢の期待にも応えられる。この子が欲しいという気持ちが、この子以外にありえないという確固たる決意に転じる。
「無駄じゃないよ。だってその努力が、これからたくさんの人を感動させるんだから」
彼女は月明かりを吸い込んだ瞳を一度俺に向け、けれどもすぐに下に逃がしてしまう。
「せんぱいはとても話しやすい人ですね。こんなにも誰かと話したのは初めてです」
「そろそろおおかみって第一印象も薄れてきた頃合いかな?」
「……まぁ、ちょっとだけ」
なら良しとしよう。ちょっとでも大きな進歩だ。
「……実を言えば、おおか……せんぱいの誘いを受けてもいいかなって思っています。せんぱい、話してみたらちょっと変わってるけどいい人だし」
「え?」
今この子、誘いを受けてもいいって言わなかったか?
「……けど、こわくもあります。わたしなんかが期待に応えられるのかなって」
少女がおもむろに顔をあげる。
「……せんぱい、わたしはおほしさまみたいに輝けますか?」
純然たる覚悟を宿した瞳が俺を射抜いた。
「わたしは……おほしさまみたいに輝きたい。こんなわたしだけど、誰かを笑顔にしたい。わたしの演技で、たくさんの人を感動させたい。……できると思いますか?」
はじめて前向きな姿勢を見せた彼女の瞳は覚悟に燃え上がり。
だけど、猫背になったちいさな身体は頼りなくて。
そんな矛盾した姿がありのままのこの子なんだなって、俺は対話を通して理解した。
「うん。できるよ」
演劇以外の場面では気弱な女の子。
こと演劇に限れば誰よりも輝ける女の子。
輝けるかどうかじゃない。
この子は、もう輝いている。
「君が一番星よりもきらっきらに輝いてるってことを、俺がみんなに証明してやる。だからおほしちゃん。俺の……いや、俺たちと、夢を叶えにいこう」
この子はまさしく無自覚に輝いている、一番星よりも眩しい光だ。
だけど、見えている世界が狭いからそのことに気づけていない。
だから、俺が世界を広げて、君は眩しいんだって証明する。
既に輝いてるんだって間接的に教える。
こういうのは、直接伝えるよりも本人が肌で実感する方が効果的だからさ。
「うん! ……ところで、そのおほしちゃんってなんですか?」
「即興でつけたあだ名だよ。まだ名前聞いてないからさ」
星型のヘアピンが特徴的ってだけじゃなく、本人が輝きたいと思っていたり、俺が彼女をほしのようだと思っていたりと、彼女はなにかとほしと縁が深いからおほしちゃんだ。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね」
ぽんと手を合わせると、少女はまっすぐ俺を見つめて口を開いた。
もう、瞳は俺から逃げようとしていなかった。
「風宮学園一年C組、雛鳥星です。雛祭りの雛に小鳥の鳥。星って名前は、おほしさまのほしの当て字です。今は不釣り合いだけど、いつかは名前に似合う人になりたいなって思っています」
「雛鳥星……」
ほしと縁が深いというか、もはや名前がほしだったのかこの子。
あと同じ高校の一年生だったんだな。
おい数分前の俺、演劇やってるかどうかよりもまず先に確認するのはこの情報だろ。ま、結果オーライだからなんでもいっか。
「あ、変な名前だって思ってる」
と、ジトっとした目で俺を見上げてくる少女から――雛鳥から、さっきまでの怯えた気配はまるで感じられない。
思うにこの子、気弱ではなく単に人見知りなだけではないだろうか。
「いや、いい名前だなって。君は金の雛鳥だし、俺のほしだし」
ま、なんにせよ警戒されなくなったのはいいことだ。
なにしろこれから同じ時間に同じ場所で過ごすことがデフォになるから、ずっと怯えられては困る。
演劇が個人ではできない種目である以上、絆という基盤は言わずもがな必須である。
「お、俺の、ほし……」
とかなんとか他ごとを考えていたために、つい歯が浮くようなことを言ってしまった。
雛鳥の顔がみるみる赤みを帯びていき、ついには耳まで真っ赤に染まってしまう。
……なんだろう。ひざびさにマトモな子と対話してる気がする。
「えぇと、そういう意味で言ったんじゃないからな? それで雛鳥。まだはっきり聞いてないけど、俺の演劇サークル部に入部してくれるってことでいいのか?」
性格上、狼狽したら尾を引くと思っていたが、意外なことに雛鳥の切り替えは早くて。
「うん。わたしは先輩のほしだから、いつまでも先輩を照らすよ」
これまでの弱々しい態度を一転、凛とした笑みを俺に向ける彼女は、体格も服装も変わっていないのに、何故だか妙に大人びて見えて……
「ありがとう。これからよろしくな」
「はい。よろしくお願いします、せんぱいっ」
これだから無自覚の天才は。……プロポーズされてるみたいでドギマギしちゃったよ。
こうして俺は、うらぶれた夜の公園で運命のおほしさまを拾った。
条件を満たしたから藤沢も仲間に加わるし、こりゃ早くも夢が叶ったようなもんだろ!
……な~んて。
一筋縄ではいかないのが人生の定石だってことは重々承知していますとも。




