第33話 雛鳥星
緞帳が上がり、演劇がはじまってから五分が経過していた。
「見渡す限り広がる薄桃色。右足を前に進めれば桜の雨が頬を濡らし、左足を進めれば暖気を孕んだ柔らかな風が憂鬱を遥か遠くに運んでいく……あぁ、春って素晴らしいわ!」
五分間、舞台上で繰り広げられているのはアリシアの一人芝居。
しかし、正確にはひとりじゃない。
だって、春の精であるアリシアが生きる春の国には、当然、彼女の他にも生命を宿し、自我を宿した妖精がいる。
「もし、ちょうちょうさん? なにを探してるのかしら?」
妖精以外の生物だっている。
そんなめちゃくちゃなファンタジー設定で、おまけに序盤だから盛り上がりに欠けていて、さらには一人芝居が永遠に続くという、つかみとしては絶望的と思われる構成。
「あっ、アリさんの行列よ! いったい、なにを運んでいるのかしら?」
モノローグが必要だと瑠奈は言った。
その提案に、俺はそんなものは必要ないって強く言い返した。
だって雛鳥がいれば、モノローグなんてなくとも世界観を観客に伝えられるから。
観客の誰もが、固唾を呑んで雛鳥の一挙手一投足を見守ってる。
雛鳥が――アリシアが、春の国でのびのびと暮らす様子を見守ってる。
きっと観客にも見えているのだろう。
アリシアが目にする世界を、吹き抜けるあたたかな風を、春の国の長閑な雰囲気を……
『気のせいかもしれないけど、前よりも演技の腕が上がってないか?』
『へへ、お母さんに頼んで色々教えてもらったんだ』
『お母さんって……たしか演劇にトラウマがあるんだよな?』
『うん、最初は抵抗があったみたい。けどね、女優になりたいって伝えたら、あっさり受け入れてくれたんだ。変な話だよね』
『……いいや変なんかじゃないよ。俺にはお母さんの気持ちがわかる』
『え?』
『子供の成長がなにより嬉しいんだよ、親ってのは。……ありがとな雛鳥、俺のために無茶してくれて』
『……別に、せんぱいのためじゃないし。それにせんぱい、なんで親の気持ちがわかるの?』
『長年、小波のことばっか考えてるからかな。知らないうちに、父性愛的ななにかが培われたみたいだ』
『せんぱい、戯曲オタクでシスコンってちょっとキャラ濃すぎなんじゃない?』
……まったく、すごいやつだよお前は。
これだけ大勢の観衆の前でも普段通りに、いや、それ以上の完成度で舞うように演技して。
親に将来の展望を伝えるなんて、誰もが二の足を踏んでしまうであろうことを、演技力向上のために、勇気を振り絞って実行して。
「……あいたい。シュピレシアにあいたいわ。けど、わたしは夏の国には……」
さすがは俺の自慢のほしだ。
お前はいつだって、俺のなかで一番星だ。
「……だからって、このわだかまりを看過しろっていうの? この、熾火のように胸の内側で執拗に燻る感情を無碍にしろっていうの? ……そんなのいや。絶対、いやよ!」
序盤二幕。
その間は雛鳥の、無敵の時間。
観衆は徐々に物語の世界に没頭し、呼吸をすることさえも忘れ。
「シュピレシア……わたしの想い、あなたに届くかしら?」
舞台移動のために一時的に暗転すれば、会場の某所からすすり泣く声が聞こえてくる。
会場のボルテージが最高潮に達した第二幕。
しかし、物語はまだまだ序盤。
この物語の真骨頂はこれからだ。




