第23話 再び輝きはじめる夢と潰えていなかった星々
「それで、いつからいたんだふたりは?」
小波がいなくなったところで、折り畳み椅子に腰かけてもらったふたりに問いかける。
「えっとねー、『お兄ちゃん?』『小波か?』の掛け合い辺りからかなぁ」
「最初からじゃん……。雛鳥も同じか?」
「うん。せんぱいがシスコンだってことがよくわかったよ」
「悪かったなシスコンで」
否定はしないよ。俺、小波のことを溺愛してるって自覚してるし。
あ、もちろん兄が妹に向ける兄妹愛の範疇でね?
「それですもも、俺の〝隠しごと〟も雛鳥に明かしたのか?」
「いいや、明かしてないよ。だってそれは、きーくんが覚悟を決めて、きーくんの口から告げるべきことだからね」
おちゃらけた気配など微塵も感じられない、真剣なまなざしが俺を射抜く。
軸なんてないように見えるけど、部内で誰よりも強い軸を持つのはたぶんすももだろう。
こいつは絶対に揺らがない。一度決めたことは、なにがあっても最後までやり通す。
腑抜けた表層は偽りのベールで、強情で本気で、強い自分を持つのが、俺の自慢の幼なじみ、青海すもも本来の姿。
「……そうだな」
だから、杖とも柱とも頼む存在なんだ。
「……よし、腹はくくった。雛鳥、今から俺、すごい最低な告白するけど聞いてくれるか?」
「うん、いいよ。せんぱいには、これまでさんざん助けてもらったからね。今度はわたしがせんぱいを助ける番だよ。さっ、どんとおいで!」
「いやぁ、したたかになったねぇ~」
すももの言う通りだ。
けど、成長して今に至ったわけじゃない。
きっかけさえあれば、雛鳥はいつでも気弱という短所を克服できたんだ。
「じゃ、話すな」
そして俺は語った。
小波が涙を流せないこと。中学の時に父親が家を出ていってしまったこと。
演劇コンクールに出場して、小波に涙を流させて、あいつに小波は普通の女の子だって証明することが、俺の真に成し遂げたいことであるということ。
「全部隠してたことが演劇に欠陥があった原因だって気づいたのに、それさえも伝えることを避けようとして……最低だよな俺って。だからさ雛鳥、こんな最低な奴のことはもう忘れろよ。この三日で気づいたはずだ。お前はもう、ひとりでも輝けるんだって」
「……はぁ、ほんとせんぱいって呆れちゃうくらいにお人好しなんだね」
「は?」
どこをどう解釈したらその結論に至るのかまるでわからないけど、どうやら雛鳥はまだ俺に失望しきっていないらしい。
「どうして最初からそう言わなかったの? 小波ちゃんのためだって」
「だってそれは俺の私情だろ? 妹を泣かせるために最高の演劇を作りたいんだ、なんて言う奴についていきたいと思う変わり者はいないだろ?」
「いいや、いるよ。少なくとも、ここにふたり」
決然たる表情で、芯のある声で、雛鳥は言い切ってみせる。
「……どうしてお前はそこまで」
「どうしてって、それはわたしがせんぱいのほしだからだよ?」
一度は、俺の元から遠ざかったほし。
片方のほしが潰え、もうほしを掴むことはできないと諦めていたけど、実はもう片方のほしは輝きを失っていなくて……
「あと、せんぱいはひとつ大きな見落としをしてるよ」
「見落とし?」
「うん。演劇の定義は、役者と観客がいること。けど、今までわたしは観客がいない世界で物語を演じてた。だからね、たとえ観客が小波ちゃんだけだとしても、それはわたしにとって、ものすっごく大きな前進なんだよ?」
変わらず、俺を照らしてくれていて。
「あと、せんぱいのしたことは全然最低なんかじゃないよ? むしろ目的が明確なのはいいことだし、厄介だなんて、わたしは少しも思わないよ? だから大丈夫だよ、せんぱい。わたしが絶対小波ちゃんを泣かせてみせる。せんぱいのほんとうの夢、わたしが叶えてみせるよ」
その輝きは、少し見ない間にさらに増していて。
「……俺さ、ひとりじゃなにもできないんだよ。努力しても所詮は凡人だから限界があってさ。脚本は書けないし、演技もできない。こんな志しだけは立派な俺だけど、それでも小波を感動させるって夢だけは諦めたくないんだ。涙を流せる普通の女の子だって俺が証明してやって、月並みの幸せを享受できる子になってほしいんだ」
だから、縋ってしまう。
「……雛鳥、俺の夢を叶えてくれ」
誰よりも強く光を放つ、俺のほしに。
「叶えてくれ、じゃないよ。せんぱいもいっしょに叶えるんだよ」
と、雛鳥は俺の手を両手で優しく包んで、満面の笑みを浮かべる。
「どんなに暗い夜でもいつかは終わる。そして太陽が昇るんだよ、せんぱい」
「雛鳥……」
それは、レ・ミゼラブルの作者であるユーゴーの残した至言。
どんな絶望的な状況にあっても、希望を捨ててはいけないという至言。
「夢以上に未来を創り出すものはない……なんてね。きーくんのまっすぐな姿はね、図らずも周りに勇気を与えてたんだよ」
「すもも……お前、いつの間にユーゴー履修したんだ?」
「レ・ミゼラブルくらい見ろって藤ちゃんに迫られたし、登校中は演劇の話しかしてこない演劇おバカさんがお隣に住んでたからね。環境が人格を形成するとはうまく言ったもんだぁね」
「そんな演劇の話ばっかしてたっけ俺?」
「うん、せんぱいの話は八割方演劇関連だよ」
マジかよ。雑談のレパートリー少なすぎだろ俺。
というか、それに付き合うとかお前ら付き合いよすぎだろ。
「シェイクスピアの四大悲劇だけかと思いきや、サイモンにゴーゴリにソフォクレスに。演劇と戯曲にまつわる知識量なら、せんぱいは余裕で校内首位だよね」
「どうかなぁ。案外、先輩とか藤沢のほうが豊富な知識を蓄えてそう」
とはいえ、興味がないのにここまで演劇と戯曲に没頭することは無理があるだろう。
今さらな自覚だけど、どうやら俺は演劇と戯曲をこよなく愛しているようだ。
道理で演劇コンクールの地区予選で優勝するって偽りの夢にも胸が昂っていたわけだ。
この夢もまた、偽りではなく、本物だったのだから。
☆ ★ ☆
最低な発言をする。
そう前置きしてはじまった彼の告白は、まったくもって最低なんかじゃなくて。
それどころか、これまでの悪い評価を良い方向に一転させてしまうほどの威力を兼ね備えていて……
「安心なさいな忸怩くん。ちゃんとここに三人目もいるわよ」
な~んて。彼を悪く評価したことなんて一度もないんだけど。
いつもまっすぐな彼。
土下座を惜しまず、週六日のアルバイトも苦と思わない無敵のバイタリティは、どうやら妹さんを強く想う気持ちから生み出されていたもののようだ。
「気まずいなぁ……」
彼が漏らした私の〝才能〟が必要だという言葉に嘘はないと思う。
けれども、彼が私の才能だけではなく、殻に隠れる忸怩ちゃんな私ともまっすぐ向き合ってくれていることはわかっていた。
わかっていたから、彼に恋をしてしまったわけだし。
にもかかわらず、こっぴどく拒絶してしまったのは、彼が前々からなにかを隠し続けていることに気づいていたからだ。
信頼する彼に隠しごとをされるのは、苦しくて、痛くて、耐えきれなくなってしまった。
ま、こうして私たちを想って隠しごとをしてたってわかったから、そのことに関してどうこう言うつもりはないんだけど。
忸怩くんも、もう充分に反省しているだろうし。
「……ふぅ」
勇気を出せ私。いつまで扉の裏側に隠れてるつもりよ。
青海さんから忸怩くんが緊急搬送されたと連絡をもらったとき、激しく動揺しつつも、私は忙しいからと嘘をついて電話を切った。そしてすぐ、タクシーを呼んで病院までやってきた。
どうしてそうしたのか、理由は私が一番理解してる。
「嘘つきと卑怯者同士、お似合いね」
彼を、私ひとりで独占したかったから。
雛鳥さんと青海さんに申し訳なく思う気持ちもある。
けれども、それでも――この恋だけは譲りたくなかった。二位に甘んじたくなかった。
深く息をつき、三人の来客が去って彼ひとりだけがいる部屋の扉に手をかける。
「……ほんと忸怩ちゃんだなぁ私って」
小刻みに震える手が、扉を開くことを妨げてくる。
恋する気持ちがこんなにも楽しくてこわいものだとは知らなかった。
あと一歩。されども一歩。
臆病者の私にとっては、その一歩を踏み出すことが、小説で受賞するよりも難しい。




