あなたが知っていた日々 王国歴1662年~1658年
王国歴1662年 聖燭の月
年の締めを、娘の寝顔の横で書いている。今年、私は肩書と娘を得た。目方は、娘のほうがずっと重い。渡り方の外套はまだ体に馴染まず、袖を通すたびに他人の服のような気がするが、リノは初日から、私の腕にすっかり馴染んでいる。セナいわく、あなたが緊張しないからよ、とのことである。七つの民を前にしても震えなかった手が、この冬は、湯の熱さを確かめるのに震えている。妙な一年だった。良い一年だった、と書き直しておく。
王国歴1662年 刈入れの月
リノ、生まれる。女の子である。今度は家にいた。いた、というだけで、役に立った覚えはない。湯を沸かせと言われて沸かしすぎ、産婆どのに廊下へ出され、廊下で盥を抱えて立っていた。七つの民と渡り合う男が、と留守方の姉さんたちには散々笑われたが、あちらは仕事で、こちらは生涯である。震えて当然だ。夕方、産声がして、それからしばらくして、セナが名を決めた。女の子ならセナが、男の子なら私が、という約束だったのである。リノ。呼んでみたら、当人はあくびで返した。帳面を新しくおろして、最初の頁にこの日を書いた。この帳面だけは、生涯、濡らさない。
王国歴1662年 実りの月
渡り方として、初めての川筋の巡り。差配は、川筋の長のノーラ・ウィ・サルデン・ターレ殿である。初めてお会いした。若くして旅団に入ってすぐにターレの名を与えられ、長になった才人である。小柄な、白髪の、歩くのが軍馬なみに速い方で、挨拶もそこそこに、私の荷と帳面を検められた。油布よし、綴じよし、と言ってから、顔を上げて、泳ぎは、と訊かれた。人並みです、と答えたら、なら結構、渡り方は川に落ちる仕事よ、と真顔で言われた。推挙の礼を述べたら、礼は仕事で返しなさい、それも三十年かけて、と返された。道中で教わったことを、忘れないうちに書いておく。村に入ったら、まず茶を受けること。断るのは、村の時間を断ることだから。妹御の言葉は、言い淀みも言い直しも、そのまま書くこと。こちらの言葉に直したものは、もう思い出しではないから。そして、帳面の角は丸くしておくこと。訳を訊いたら、川端で出し入れするのだから角が立っていたら傷むでしょう、と当たり前の顔で言われた。長年川を歩いてきた人の当たり前は、ひとつ残らず金である。夜、宿で自分の帳面の角を、こっそり丸く切った。
王国歴1662年 日盛りの月
辞令が出た。綴り方より渡り方へ。幕の中でクローネ殿が読み上げた理由は、三つだった。七つの民への応対に、これまで一度の粗相もないこと。『七つの隣人』が、あちらの側にも届いていること。そして、川辺の民との、長い縁。三つ目のところで、クローネ殿は少し笑った。旅団が銭で買えないものを、あなたは七つのときから持っている、と。書庫を離れることに、未練がないと言えば嘘になる。私は机と紙の人間で、これからは道と人の人間にならねばならない。幕を出るとき、綴り方の親方が待っていて、一言だけくれた。筆を旅に出すだけだ。机は、いつでもある。この言葉は生涯ぶんの荷物に入れておく。あとで人づてに聞いたことも書いておく。この話を渡り方の内で推したのは、川筋の長のノーラ殿だそうである。まだ、お会いしたこともない方なのに、である。
王国歴1662年 花冠の月
渡り方に移らないか、という話がある。あなたに打ち明けてから、慌てて付け足した。どちらを選ぶかは、言わないでくれ。あなたはうなずいて、言わない、と約束し、それから涼しい顔で付け足した。でも、どちらを選んでも、あなたはわたしの川に来るわ。ずるい言い方である。書庫に残っても使節の供で川に来る。渡り方に移れば仕事で川に来る。どちらでも当たりなのだから、あれは思い出しですらない。帰りの船で、気がついたら決めていた。断る理由を探すために来て、決める後押しをもらって帰る。村参りというのは、だいたいいつも、そういうものである。
王国歴1661年 白霜の月
母より文。嫁の顔を見せに戻れ、とある。結婚から一年、たしかに戻っていなかった。セナと二人、生まれた川港の町へ。母はセナの手を取って、この人の帳面の癖は父親譲りだから諦めなさい、と言い、セナは、もう諦めています、と即答した。二人が台所で笑っている間、私は一人で川辺に出た。七つの私が、あなたに帽子を飛ばされた、あの岸である。対岸の霞の向こうに、あなたの村の桟橋の灯が、ぽつりと見えた。二十二年前、ここで泣いた子供は、いま女房を連れてここに立っている。それをあなたは、あのときもう知っていた。夕餉に戻ったら、セナに、どこへ行っていたの、と訊かれた。始まった場所、と答えたら、それ以上は訊かれなかった。
王国歴1661年 実りの月
峠の祠を三つ、直して回った。今年から石積みの差配が私に回ってきたのである。供の新入りが、入団したての私とそっくり同じ顔で訊いた。これは、何のための石積みですか。意味も知らずに積んでいた昔の自分に代わって、答えた。誰かの町の門を、いつか、あの方たちのために開けておく仕事だ。新入りは分かったような分からないような顔で、それでも最後のひとつを積み終えたとき、誰に言われもせず、祠に小さく頭を下げた。見どころがある。昔の私より、だいぶ早い。
王国歴1661年 青葉の月
街道の宿で、おかしな晩を過ごした。宿の娘が、夕餉のあと、泊まり客に本を読んで聞かせるのである。その本が『七つの隣人』だった。娘は雷冠の民のくだりを、節をつけて読んだ。ヴェルフェンの名を三度、違う読み方で読んだ。囲炉裏の端で、私は三度、口を開きかけて、三度やめた。名乗るのは違う気がしたのである。あの本はもう、書いた者の手を離れて、読む者の節で歌われている。それでいい。朝立ちのとき、娘が言った。お客さん、ずいぶん聞き上手ね。聞き上手なのではない。あなたが読み上手なのだ、と言いかけて、これもやめた。代わりに帳面へ書いておく。
王国歴1660年 聖燭の月
祝言。冬営地の広場で、母隊の全員が証人という、旅団の流儀である。二人並んで旅団の台帳に名を書き、クローネ殿が判を捺して、それで終わり。あとは宴だった。轍方は車輪を飾りに立て、拾い方はどこで覚えたのか祝いの唄を七つの土地の節で歌い、綴り方の親方は上等の紙を一束、留守方の姉さんたちは、うちのセナを取るのだから覚悟なさいと私を囲んだ。覚悟はしている。台帳の私たちの行の下に、クローネ殿がひとこと添えたのを、あとで盗み見た。両名、旅と留守を違えず。旅団の祝いの言葉は、帳面の上でも旅団流である。
王国歴1660年 刈入れの月
祝言の前に、あなたに報せておきたくて、村へ行った。桟橋に上がるなり、あなたは言った。おめでとう。あんまり自然に言うものだから、こちらが拍子抜けした。すると、あなたは白状した。この、おめでとう、はね、二十一年、取っておいたの。七つのあなたに会った日から、言う日を知っていたから、何度も言いそうになって、そのたびにのみ込んだのよ、と。それから、水草を撚った細い組み紐をくれた。セナに、川の結びである。帰って渡したら、セナはそれを左の手首に結んで、祝言の日も、外さなかった。会ったこともない二人が、紐一本で、もう知り合いなのだった。
王国歴1660年 日盛りの月
白状する。求婚は、費えの帳面でした。毎月、私の帳面を検めるのはセナである。今月の締めの行の下に、一行足した。生涯の費え、共に検めてもらえまいか。返ってきた帳面には、いつもの検め印の横に、朱で一言。承認。ただし、生涯分の帳尻はわたしが見ます、とあった。留守方に嫁をもらうというのは、こういうことである。その晩、石蔵の裏で会って、初めて帳面越しでない返事をもらった。中身は書かない。帳面には棚が三つ要ると、いつか偉い学者が言うだろうが、これは、どの棚にも載せない。
王国歴1659年 白霜の月
村参り。セナのことを話すつもりはなかったのに、気づけば半刻、話していた。はっと我に返って、頼んだ。この先どうなるか、言わないでくれ。うまくいくかどうかも、聞きたくない。自分で選ぶ楽しみを、取らないでほしい。あなたはしばらく黙って、それから、妙に嬉しそうに言った。いい言葉ね、それ。もらっていい? 何に使うのかと訊いたら、いつか使うの、とだけ答えた。帰りの船で考えた。あなたに何かをあげられたのは、もしかすると、初めてかもしれない。焼き菓子は勘定に入れないとして、である。
王国歴1658年 聖燭の月
冬営地。秋の長雨でやられた帳面を、だましだまし使っていたら、石蔵で若い留守方に取り上げられた。黴が来ています、これは病人です、と言う。それから三日、その人は私の帳面を、砂と当て布と重石で、頁の波ひとつ残さず生き返らせた。旅団生まれの、石蔵の主のような人で、名をセナという。礼を言ったら、礼はいいから荷の包み方を直せと言われ、油布の巻き方を仕込まれた。以来、なぜだか石蔵に用が増えた。人の帳面の傷みを見つけては、預かって持って行くのである。今日も二冊、届けてきた。書庫の連中に、おまえはいつから帳面の医者の取り次ぎになったのだと笑われたが、放っておく。
王国歴1658年 芽吹きの月
年の初めの村参り。あなたは二十半ばの姿で、今年の私の運勢を、と冗談を言ったら、真顔で考えるふりをして、ひとつだけくれた。今年の秋の雨は、悪くない雨よ。雨に良し悪しがあるものかと笑ったら、あなたは、あるのよ、と言って、それきり教えてくれなかった。長雨に難儀した刈入れどきには、あなたの目もたまには外れると思ったものである。何が悪くなかったのかは、年の暮れになってから、ゆっくり分かった。あなたの言うことは、いつも当たる。ただ、当たり方が、こちらの思う向きと違うだけである。




