あなたが知っていた日々 王国歴1682年~1678年
王国歴1682年 聖燭の月
冬営地。朝から七長の寄り合いで、昼から帳面。長というのは、旅をする役だと思っていたが、実のところ帳面を締める役である。渡り方の一年ぶんの費えを読み上げ、轍方の親方と橇の修繕代で少々やり合い、夕方には声が嗄れた。ダグラ殿は今年も一言も発しないまま、最後に一度だけうなずいて、それで骨の折れる件がひとつ片づいた。ああいう芸当は私には一生できない。シルドの席は今年も空である。誰も座らない椅子を、それでも毎年きちんと拭いて置くのが、旅団のいいところだと思う。夜、灯りの下でこの手帳を開いたら、今年あなたの村に行けたのは五度だけだったと分かった。帳面のほうは締まったのに、こちらの勘定だけが合っていない。
王国歴1682年 実りの月
北まわりの聞き取りから戻る。行きは川船、帰りは峠越えで九日。峠の宿は評判どおりひどかった。寝台は短く、汁は薄く、亭主は無愛想。ただし窓だけは大きくて、夜中に目が覚めると、山の上に星がぎっしり詰まっていた。それで宿代の元は取れたことにする。同行の新入りは筆が速いのはいいが、何でも書く。私が湯漬けを二杯食べたことまで帳面に残っていた。消せと言ったら、記録は消さぬものだと教わりました、と言う。教えたのは私である。五十の坂を越えてから、峠の下りで膝が笑うようになった。これは帳面には書かせなかった。ここに書いておく。
王国歴1682年 青葉の月
村参り。あなたは十三、四の姿になって、桟橋の杭の上に危なっかしく立って待っていた。対岸の市に付き合わされて、飴を二本買わされた。店の婆さんが、いいお孫さんだね、と言った。あなたは声を立てて笑い、帰り道じゅう私をおじいさまと呼んだ。四十三年前、川辺で私の帽子を飛ばした老婆が、いまは私の孫を名乗っている。あなたの民と付き合うということを、これほど手短に言い当てる出来事もない。腹立ちまぎれに飴を一本取り上げたら、あなたはもう一本を先に食べ終えていた。どちらが年寄りか、分かったものではない。
王国歴1681年 白霜の月
冬営地の石蔵で、先代の荷箱をようやく開けた。ノーラ殿が遺した帳面は三十冊、どれも角が丸くなるまで使い込まれていた。夜、火のそばで一冊ずつ繰っていたら、三十年近く前の頁に、私がいた。ヴェンデルの新入り、筆は立つ。ただし桟橋から二度落ちた。二度目は帳面ごと落ちたので、乾かすのに三日かかった。覚えがある。あの日引き上げてくれた腕の主が、まさかこの帳面の主だとは、濡れ鼠の私は知らなかった。人の帳面に自分を見つけるというのは、妙なものである。私が新入りの湯漬けを書き留めるのを笑えない。ノーラ殿、あなたの帳面は、たしかに引き継ぎました。
王国歴1681年 刈入れの月
長になって初めての、正真正銘のしくじりを書いておく。中流の領主どののもとへ聞き取りの写しを届ける段で、村ごとの帳面の綴じ順を、旅団の流儀で並べ替えて渡した。あちらにはあちらの三十年の並びがあった。役人どのは静かに怒り、私は三日かけて綴じ直し、頭を下げに行った。帰りに村へ寄って一部始終を話すと、あなたは繕いものの手を止めずに言った。橋というのは、両方の岸から文句を言われるものよ。片方の岸からしか言われなくなったら、そちらに傾いているということ。私はこれを手帳の表紙の裏に書き写した。以来、傾いていないかどうか、文句の数で測ることにしている。
王国歴1681年 実りの月
川筋の巡りに、リノが付いた。差配の割り振りである。娘だからと外すのも、わざわざ付けるのも、どちらも旅団の流儀ではない。道中、あの子は私を長と呼び、私はあの子をヴェンデル団員と呼ぶ。帳面の上では他人である。夕餉になると、父さん、荷紐の結びをもう一回、に戻る。あなたの村に着くと、あなたは桟橋で、リノの外套を見て、目を細めた。ね、その色。言わなくてよかったでしょう。四年前、あの子に外套の色を教えなかった話である。リノは自分で選んだ色の肩を張って、思い出しのとおりでしたか、と訊き、あなたは、とおりよ、いちばん似合う色、と答えた。帰り道、リノが小さく言った。ユネさまの思い出しの中を歩くのは、変な気持ち。守られているみたいで、覗かれているみたいで。分かる、と答えた。その両方の中を、私は四十年余り歩いてきたのである。
王国歴1681年 日盛りの月
書くことがない。よい半月だったという意味である。膝は雨の前にだけ痛む。おかげで天気当てだけは巧くなった。
王国歴1681年 花冠の月
名を頂いてから初めての巡りで、上流の、行ったことのない村に寄った。桟橋に立った白髪の姉が、こちらが名乗るより先に、ターレ、待っていたわ、と言った。会ったことのない人である。訊けば、若いころに私を思い出したのだという。あなたが来る春を、庭の杏が咲く年だと覚えていた、杏はこのとおり咲いた、と。村に上がると、茶がもう三つ並んでいた。三つめは新入りの分だった。連れて来ることまで思い出されていた。夜、船の上でしばらく眠れなかった。怖かったのではない。行く先々の桟橋で、もう何十年も待たれていたのだと思うと、この名の重さが、ようやく肩に載ってきたのである。
王国歴1680年 聖燭の月
授名の年の暮れ。冬営地に、家族がそろった。セナは私の顔を見るなり、おかえりなさい、長どの、と芝居がかった辞儀をして、それから普段の顔に戻って、湯を出した。轍方見習いのテオは、削り上げた車軸受けを初めて親方に褒められたとかで、その現物を夕餉の卓に載せ、家族に回覧させた。木の輪を眺めて美味い飯が食えるかと言ったら、褒められた日くらい許してやれと母子に叱られた。リノは巡り先の話を三つ。ミレイア殿からは文が一通。授名のこと、聞きました。名をもらったのはあなたの帳面よ。名が増えても、字が増えぬように、とあった。相変わらず手厳しい。仕舞いに、セナが小さな帳面を寄こした。開くと、ユーリ・ロ・ヴェンデル・ターレ、と書く欄が頁いっぱいに引いてある。署名の稽古帳だそうである。この家に、私の側は一人もいない。
王国歴1680年 刈入れの月
旅団に戻ると、七長の同輩たちが祝いをしてくれた。ヴェルフ殿は山向こうの強い酒を持ち込み、ジーナ殿は蜂蜜の壺をくれ、カノレ殿は祝辞のなかで私の入団年を一年間違えた。楽しい晩だったが、白状すべきことがひとつある。書き付けに署名するたび、名が尻切れになるのである。ユーリ・ロ・ヴェンデル、と書いて筆を置きかけ、慌ててターレと足す。二十日経っても、まだ手が覚えない。四十八年名乗ってきた名に、四文字増えただけのことが、こんなに難しい。あなたはこの署名のしくじりも、とうに思い出して笑っていたのだろうか。訊きに行ったら、笑いながら、教えない、と言われた。つまり、そうなのである。
王国歴1680年 実りの月
授名の儀。この日のことは、長く書く。
場所はあなたの村の、水の上の神殿だった。五つの村から姉たちが集まり、桟橋は白髪でいっぱいになった。像の足元に膝をつくと、川の音が急に近くなった。名を言う役は、村の最年長の姉ではなく、あなただった。どうしてかと後で訊いたら、姉たちは笑って言った。この子が言うところを、この子がいちばんよく思い出しているから、と。あなたは十五、六の姿で、式のあいだだけは齢相応の顔をして、流れの神の遠い名から、ひとかけらを私にくれた。ユーリ・ロ・ヴェンデル・ターレ。水に映った自分が、少しだけ知らない男に見えた。
式が済むと、あなたはいつもの顔に戻って、私の袖を引いて言った。やっと呼べた。それだけだった。そのときは、式が済んだという意味だと思って聞き流した。
いまの手で、少しだけ足す。あなたは八つの年に、この日のことまで思い出していたはずである。桟橋で泣いた七つの子供が、いつかこの名を持つことを、あなたは四十一年、知りながら黙っていた。一度うっかり呼んでしまえば済む話を、あなたは一度も間違えなかった。やっと呼べた、の重さを、私は名を継いだ日にすら分かっていなかった。この本を書きながら、何度目かに、分かる。あなたの四十一年の我慢の上に、私の名前は載っている。
王国歴1680年 日盛りの月
母隊に呼び戻された。旅団長の幕に入ると、クローネ殿は前置きなしに言った。渡り方の長、ターレの席に、あなたを推す。私は即答できなかった。私は書庫と桟橋を行き来してきただけの書記である。ノーラ殿の後ろを歩いてきただけで、あの人の代わりが務まるとは思えない、と正直に言った。クローネ殿は黙って、文箱から五通の文を出した。川筋の五つの村から、この春のうちに届いたものだという。文言はそれぞれ違うが、言っていることは同じだった。次は、ユーリがいい。妹たちが、ずっと前からそう思い出している、と。旅団が選ぶ前に、川のほうで決まっていたのである。クローネ殿は笑って言った。旅団にできるのは、追認だけらしい。持ち帰って三日考えたが、考えても仕方のないことだった。向こうが思い出している以上、断れば、五つの村の思い出しが外れることになる。受けます、と返事をした帰り道、なぜだか先に、あなたの顔ではなくノーラ殿の帳面のことを考えていた。
王国歴1680年 青葉の月
ノーラ・ウィ・サルデン・ターレ殿、みまかる。長年、ターレの名を担った人である。床についてからも帳面だけは離さず、最後の頁には、聞き取りの続きの日付が書いてあった。行くつもりだったのである。報せの走った日、川筋の村々では、姉たちが夕方の流れに花を置いたという。葬りは冬営地の丘で、旅団のしきたりどおり質素にすませたが、翌朝、墓の上に、誰が運んだのか川の小石がひとつ載っていた。ここから川までは、歩いて二日ある。私は問わないことにした。あの人の三十冊の帳面は、私が預かる。読み終える前に、自分がどの席に座ることになるのか、このときはまだ知らずにいた。
王国歴1679年 白霜の月
冬営地。ノーラ殿の腰は、秋の冷えからこちら、いよいよ良くない。見舞いに行くと、寝床に半身を起こして帳面を繰っていて、私の顔を見るなり、春の巡りは全部あなたが行きなさい、と言った。今年の春のような代行ではなく、頭からしまいまで、という意味である。荷が重い、と言いかけたら、先に言われた。川の妹たちは、あなたが来ると思い出しているそうよ。私が行ったら、外れてしまうじゃないの。そう言って、この人は本当に愉快そうに笑うのである。三十年この名を担った人が、隠居の理由を妹たちの思い出しのせいにして笑う。かなわないと思った。せめて帳面の綴じ方だけは、あの人の流儀をそっくり真似ることに決めた。
王国歴1679年 実りの月
オルデ川、大水。書き留めておく。妹御の思い出しのとおり、東岸の古い堤が、夜半に切れた。水は思い出しのとおりの道を通って、思い出しのとおりの田を呑み、高台に移してあった蔵の下で止まった。村も、対岸の町も、人はひとりも流されなかった。蔵の移し替えが済んだのは、その七日前である。
夜明けに堤へ出た。若い代官どのは雨の中に立ちつくして、切れ口を長いこと見ていた。それから私に頭を下げて、帳面は、嘘をつきませんな、と言った。付け加えて、来年から聞き取りを月ごとに戻す、書式は旅団のものを写させてほしい、とも。私は三日、乾いた靴を履いていない。膝は限界である。それでも今夜だけは、湯漬けを三杯食べて、堂々と帳面に書かせるつもりである。
あなたの村の水辺で覚えたことが、よその川の村を守った。帰ったら、それだけ報告しようと思う。どうせ、知っているのだろうけれど。
王国歴1679年 花冠の月
ノーラ殿の名代で、オルデ川筋の聞き取りに行く。着いてみると、村が揉めていた。村の妹御がこの冬、大水を思い出した。東岸の堤が切れ、水が田を呑み、蔵まで届く。それをこの春、新任の代官どのが取り上げなかったのである。先の代官の代替わりのごたごたで、聞き取りの帳面が領の蔵から失せており、若い代官どのにしてみれば、証文もなしに蔵を動かせと言われても、ということらしい。腹は立ったが、道理のある渋り方ではあった。
それで私は、書記らしいことをした。いったん下がって、旅団の書庫から、この村の聞き取りの写しを三十年ぶん借り出してきたのである。ノーラ殿が毎年欠かさず綴じてきた、あの丸い角の帳面の写しである。代官どのの前に年の順に並べ、思い出しの言い当ての跡を、日付ごとに指で追ってもらった。二年後の川浚え、五年前の橋の落ちた日、十一年前の疫病の入り口。読み終えた代官どのは長いこと黙って、それから、蔵はどこへ移せばよいか、と訊いた。
帰りの船で考えた。私は何もしていない。紙を運んだだけである。ただ、三十年欠かさず書いた人と、書かれたものを捨てずに置いた書庫が、今日この村を守ったのだとすれば、書き写して生きてきた身には、これ以上の励みはない。
王国歴1678年 花冠の月
村参り。あなたは十七、八の姿で、私は四十六である。市を歩けば、こんどは親子と間違えられる。あなたはすまして、父はけちで飴も買ってくれない、と店の者に訴えた。買わされたのは言うまでもない。桟橋まで送ってくれた別れぎわ、あなたはふと空を見て言った。来年は、雨の多い年になるわ。帳面を濡らさないようにね。あなたの思い出しは村の周りのことばかりで、よその川のことなど知らないはずである。だからこれはただの天気の話だと、当時の私は聞き流した。当時の手帳には、たった一行、ユネ、雨の話。飴二本、とある。二本というところに、当時の私の関心のありかが知れて、恥ずかしい。
王国歴1678年 芽吹きの月
年明けの巡りは山越えから。峠の口の宿で騾馬を一頭借りた。ドマという名の、この世の急ぎという急ぎを軽蔑しきった騾馬である。登りは私が引き、下りは私が押した。どちらが借りられたのか分からない。三日目の晩は炭焼き小屋に泊めてもらい、汁と引き換えに、都の話をひとつした。爺さまは滝の魚の話を所望した。あの本は、こんな山の上まで登っていた。着いた先の村で年始の帳面を開いたら、去年の自分が最後の頁に書き残していた。来年のおまえへ。膝を過信するな。馬鹿にしながら、荷の半分を騾馬に載せ替えた。四十六にもなって、まだ知らない峠がある。旅団に入ってよかったと素直に思えるのは、だいたい、こういう晩である。




