第6話:一匹狼と人気者、元カノを撃退する
「アンタ……別れたくせに、いつまで粘着しとんねん」
敢えて周囲に聞こえる声で黒川は言う。
その策は上手くいき、数人の生徒が足を止めた。
視線を確認すると、香織の表情が少しばかり歪む。
「ダル」と心底面倒臭そうな声が漏れ出た時には既に余所行きの笑顔が貼り付けられていた。
──陽キャの対応力ってやつか。
これほどの技術がなければ、別れた次の日に別の男と付き合うことはできないだろう。
「変なこと言わないでくださいよぉ」
「え、えぇ……?」
黒川が戸惑うのも無理もない。
香織は一瞬で態度を変えることができる天才だ。
俺が香織と別れる寸前、同じようなことで驚いたことがある。
◆
「明日から一緒に登校するのやめよ」
その日の香織は、どこか重い空気を醸し出していた。
昨日までは「みなくん大好き♡」「みなくんと付き合えて、私本当に幸せ!」と愛を伝えてくれたのが嘘みたいだ。
──元気が、ない……?
目の下の隈が気になったが、俺が反応するよりも先に走り去ってしまった。
「ちょ、ちょっと待って!」
追いかけていれば何か変わったかもしれない。
何となく別れを告げられそうな気がして、足が竦んでしまった。
次の日学校で会った時には目の下の隈が消え、いつも通りの元気な香織に元通りだった。
「おはよ!」
「お、おはよ……」
「今日も授業頑張ろ!」
「うん……」
明るく声をかけてくれるが、曖昧な反応しかできない。
それくらい、俺はショックで頭が回らずにいた。
「もう少しで授業始まるから行くね!」
そう言って走り去る姿を呆然と眺める。
スカートを何度が折ってあるのだろう。半分顕になった太ももが他の男子に見られて、胸の周りがモヤモヤした。
入学当初から、香織は中学生とは思えないくらい大人びていた。
先生にバレない程度のメイク。
ハーフアップで揺れる髪。
普段は真面目な顔をしているのに、時々見せる子供っぽい笑顔のギャップ。
何をしていても映える。
「水瀬だっけ? 意外と柳井さんと続いているよな」
「早く別れてほしいよな。そしたら俺たちにもチャンスが──」
わざと俺に聞こえるように言っているのが、尚更タチが悪い。
普段告白を受ける側の香織が、中学校で初めて告白した相手が俺のせいで、散々羨望の眼差しを向けられた。
優越感に満たされていたのは最初だけで、すぐに苦痛でしかなくなった。
時期に『香織が唯一告白をした』なんてことが皮肉のようにしか思えなくなる。
昼休み、人目を避けようと空き教室の辺りをウロウロしていると、どこからか声が聞こえた。
香織と……その親友の声だ。
教室では楽しそうに会話する彼女たちだったが、今はそんな雰囲気は全くなかった。
「どうして水瀬とまだ別れないの?」
「そ、それは……」
「彼のことを『中の下』って最初に笑ったのは香織じゃん。それなのにどうして……」
「そうだよ。罰ゲームで告白したのに、五ヶ月も付き合う意味なんてないでしょ」
「香織は顔と胸しか見てないクズ男と付き合っている方がよっぽどいいよ」
「告白されたら断れない香織に、水瀬みたいな一途な男は似合わないし」
どうしてだろう──話を聞いてしまっただけなのに、胸を何度も殴られているように痛む。
これ以上聞きたくないのに、耳がいうことを聞いてくれない。
「じゃ、私たちは先に行くから。香織と友達だなんて思われたくないから、時間を空けて出てきてね」
「じゃあね、尻軽女さん」
教室から香織の親友《《だと思っていた》》二人が愉しそうに笑いながら出てくる。
すれ違う隙に小さく舌打ちを飛ばされるが、それは少しも俺に届かない。
咽び泣く香織の声が壁越しに聞こえてきて、釣られるように俺の喉が痙攣した。
声は出ない。出せない。
嗚咽を必死に抑え込みながら、おぼつかない足でその場を逃げるようにして去った。
「嘘だ……嘘だよな……?」
誰も答えなんて教えてくれない。
真実を知っているのはあの場にいた俺たちだけ。
打ち付けられた現実から目を逸らそうとするも無理だ。
二日後、俺は「別れよう」の一言で全てを終わらせようとした。
罰ゲームで告白をしてきた香織には、最後に言いたいことがあるようで、冷たい瞳のまま淡々と言ってのけた。
「付き合うならアナタみたいな人じゃなくて、高身長イケメンがよかった」
──これでいいんだ。
「何の未練もなく忘れられる」
慰めで言ったつもりが、なぜか涙が止まらない。
香織からの愛は嘘だった。
だったら俺は──?
目の前の香織は、通話越しに愛を語ってくれた彼女とはもう別人なんだ。
大事な人が死んだように、俺が知っている香織はもう死んだのだと、喪失感で数日間学校に行けなくなった。
◆
「変なこと? 別れた次の日に別の男と付き合ったんやろ」
周囲がざわつく。
香織の笑顔が固まった。
「どうしてそれを──?」
「考えたらわかるわ。アンタは廊下ですれ違う度に、違う男と仲良さそうにしてるやん」
「それはあっちから話しかけてきたからで……」
「ってことは、迷惑だから話しかけんといてほしいってこと?」
「違う!」
「だったら何よ」
「……」
ぐうの音も出ずに、香織は黒川を睨んだ。
口論では勝てないと悟ったのだろう。しかし、睨み合いも黒川は──
「何で睨むん?」
そう言いつつも、黒川は鋭い眼光を飛ばしていた。
それには香織どころか、周りに集まっていた野次ですら思わず一歩引いていた。
「ウチは人を見下して笑ってるヤツは大嫌いや」
「私はみなくんのことを見下してなんか……」
香織が震える声を絞り出して言うと、隣で黙り込んでいた波瑠がようやく口を開いた。
胸の前で腕を組み、呆れたように「はぁ……」と小さくため息をつく。
「罰ゲームで告白しておいて、見下してないわけがないじゃないですか」
「は……?」
「何ですか、これを知っていることに驚きましたか?」
「私は……罰ゲームで告白なんてしてない」
「そうですか。では、これは何ですか」
波瑠はスマホの画面を香織に向ける。
途端に、香織の顔が青ざめた。この世の終わりを見たかのような、そんな表情だ。
「……どこで」
「あなたの友達は口が軽いですね。半年前からずっと残っていました」
「……違うの。本当は、ちゃんと好きに──」
「『本当は』がなんやの」
黒川の声が一段低くなる。
「アンタが水瀬くんにしたことは変わらんやろ。罰ゲームで告白して、ずっと騙して、別れた次の日に別の男と付き合った。その事実は消えへん。『本当は』なんて言葉で上書きできるもんやない」
食堂が静まり返っていた。
誰も何も言えなかった。
「そうですね」
波瑠が静かに口を開く。
「どんな事情があったとしても、柳生さんがした行為の責任は消えません。水瀬くんがどのような思いになったか、考えたことはありますか?」
香織の唇が震える。
「それは──」
「覚えていないなら、それが答えだと思います」
波瑠は笑顔のまま言い切った。
その笑顔が怒鳴るよりも残酷だった。
香織は何も言わなかった。
笑顔を作ることもなく、踵を返して食堂を出て行った。
その背中を、誰も呼び止めなかった。




