第5話:元カノと人気者と一匹狼
「みなくん、その醤油取ってー」
斜め前に座るのは、見下すような視線を向けてくる二番目の元カノ──柳生香織。
俺の隣には黒川。机を挟んで元カノと全校生徒の人気者である波瑠。
傍から見たら天国、俺からしてみれば地獄でしかない修羅場。
──どうしてこんな目に?
平穏の歯車が狂ったのは、昼休みが始まってすぐのことだった。
◇
授業が終わり、鞄の中を漁る。
──ない。
そう思うのと同時に、弁当箱は家の机に置いたままだということに気がつく。
「弁当忘れたんやったら一緒に学食行かん?」
「いいよ。俺も誘おうと思ってたから」
学食……外から様子を見たことはあるが、入ったことはなかったので少し楽しみだ。
弁当を持ってこない黒川は毎日利用しているらしい。
それならオススメも知っているに違いない。
授業で疲弊していた体が元気を取り戻す。
「はよ行こや」
手を引かれ、小走りで学食へ向かう。
「おい、黒川が誰かと一緒にいるぞ」
「しかも男子だ……クソッ」
「どうせパシリだろ」
一際目立つ銀髪と、女子も憧れる完璧なスタイル。
黒川が怖くて話しかける人はいなかったが、裏では人気を集めているらしい。
「周りの声なんて気にせんでええ。ウチのことだけ見とき」
「……わかった」
先を歩く俺よりも小さいはずの背中が、なぜか大きくて逞しく見えた。
ふと、ブレザーの背中に、薄らと跡が浮かび上がっていることに気づく。それが下着の跡だと理解するまで、あまり時間はかからなかった。
──見なかったことにしよう。
高鳴る胸の音が聞かれないように、俺は少しだけ歩く速度を遅くした。
食堂は想像以上に多くの生徒で賑わっていた。
空いている席は残り僅か。黒川オススメの親子丼買って、すぐに席を確保することができた。
四人がけの机に並んで座る。
目の前に知らない人が座るのは嫌だな──そう思っていると、目の前の椅子が引かれた。
「ここ、お邪魔しますね」
にこっと、人懐っこい笑みを向けてきた彼女は、誰もが憧れる人気者──波瑠だった。
その手には豚骨ラーメン。
小柄な体格からは考えられないが、波瑠は昔からよく食べる女の子だ。
「黒川さん、どうかしましたか?」
睨んで威嚇する黒川に向かって、波瑠は怯むことなく聞く。
顎に人差し指を当てて首を傾げるのは昔からの癖で、その様子を見て目を奪われなかった男子はいなかった。
「別に……他にも席はあるのに、何でこっち来たんかなって思っただけや」
「彼とお話がしたかったのです。邪魔でしたか?」
「邪魔」
「まあ、あまり牙を向くのはやめてください。同じ学校に入学したので、せっかくなら仲良くしませんか?」
「やだ」
「悲しいです」
二人のやりとりを見ていると、黒川の俺への対応がどれだけマシかわかる。
『私はあなたと話したくないです』というオーラが滲み──いや、隠すことなく溢れ出ていた。
空気は最悪だ。
波瑠はこうなることを見越して、割り込んできたに違いない。
そんな時、もう一つの声が増える。
「ラッキー。ここの席座るねー」
ふと、波瑠の表情が曇る。
それも束の間。すぐにいつも通りの笑顔が戻った。
「どうぞ。奇遇ですね柳生さんも豚骨ラーメンですか」
「安くてこのボリュームは最高だよねー」
「はい。そうですね!」
話がひと段落つくと、彼女はラーメンを一口啜る。
視線が俺の方を向いて止まった。
途端に、彼女は咽せる。
「誰かと思ったらみなくんやん」
『みなくん』……それは二人目の元カノ、香織がつけたあだ名だ。
当時付き合っていた頃はお気に入りだったが、今となっては悲しい思い出を掘り返されるだけなので嫌だ。
「みなくん友達できたんや。しかも女子の。いがーい!」
香織は見下すような卑劣な笑みを向けてくる。
昔からそうだった。
俺のことを『中の下』と勝手に決めつけてきた上に、罰ゲームで告白してきた残酷な女だ。
半年もの間騙されていた訳だが、俺の知らないところで散々ネットに書き込まれていて、気づいた時には俺の居場所がなくなっていた。
「無視せんといてよー。半年も付き合った仲やろー?」
バンッと、隣で鈍い音が響く。
あまりにも大きい音だったので、周りにいた人も「何があった?」と好奇の目を向けている。
──まさか。
と、気づいた時には遅かった。原因は香織ではなく、俺の方にあった。
「元カノ、一人じゃなくて二人やったん? 何も教えてもらってないんやけど」
「黒川さん、彼の元カノは三人ですよ」
「三人ッ!?」
波瑠がいらないことを言ったせいで、黒川の機嫌がさらに悪くなってしまった。
目の下をピクピク痙攣させ、「元カノが……三人?」と呟くように苛立った声が俺の耳を通り抜けていく。
二人きりになったら覚悟しておけよと、波瑠に目で合図しておいた。
「みなくん、その醤油取ってー」
「自分で取ったらいいじゃないですか。というか、あなたの方が近いですし」
「あなたには関係ないじゃん。これは私とみなくんのこと。部外者は黙ってて」
香織も天音と似たようなことを言っている。
一番の被害者の俺を差し置いて、勝手に話を進めようとするところが本当にムカつく。
「私が部外者……ですか」
自分ではアルカイックスマイルを貼り付けているつもりだろうが、滲み出る怒りのオーラが俺にはわかった。
彼女は同学年でありながらも、全校生徒に慕われている。
部活のバレーでは、低身長でありながら大活躍したとか。
そんな波瑠に引けを取らずに思ったことをそのまま言えるのは、彼女に依存してしまった男が何人も香織の裏にいるからだ。
「二人とも水瀬くんと昔から知り合いなん?」
「そうですね。この性格が破綻している元カノさんは知りませんが、私は物心がついた時から一緒にいます」
「そう……」
黒川の声が小さくなる。
関係が長いから良いなんてことは少しもない。
香織と黒川、その二人のうち一人を選ぶとするなら、俺は躊躇なく黒川を選ぶだろう。
「アンタ……別れたくせに、いつまで粘着しとんねん」
黒川の声のトーンがドスを利かせたように一段下がった。
──あ、これはマズい。
俺は知っている。このトーンになった黒川が、次に何をしでかすのかを。




