第3話:元カノ撃退と、一匹狼の長い夜
「アンタ誰なん? 水瀬くん困ってるやん」
威嚇オーラ全開で黒川は睨みつける。
隣にいる俺ですら恐ろしく感じた。
それなのに彼女──中野天音は、中学三年生と年下でありながらも怯んだ様子を全く見せない。
「これは私たちの問題なの。部外者は黙ってて」
「部外者ァ?」
「うるさっ。眉間にシワよっててブスすぎ」
鼻で笑いながら天音は挑発する。
耐えてくれと願うが、その思いは儚く散ってゆく。
プッチーンッ。
と、聞こえていないはずの音が聞こえた気がした。
黒川は拳を強く握り締め、今すぐにでも天音に殴りかかりそう。
「黒川、堪えろ」
「へー黒川って言うんだ。名前と髪色合ってなさすぎ」
「……ッ!!!」
マズイ。
背中を見えない何かが撫でるように、寒気が押し寄せてきた。
こんな黒川は見たことがない。
無意識か故意かは知らないが、白目をむいたままその場で静止した。
スーッ、ハーッと、大袈裟な深呼吸が空気を更に悪くする。
「そ、そうだ……そのまま……」
「二人ってそんなに仲良くないの?」
「アァ?」
「なんとなく? 二人の間に壁を感じるなーって。私の方が水瀬と仲良いよ」
「ウチの方が仲良いわ」
俺が天音と仲が良い?
そんなの、こっちから願い下げ。
昔のように彼女の財布のような扱いをされるのは、もう御免だ。
「ウチらは友達や。誰か知らんけど、アンタみたいにデリカシーない奴はモテんで」
「キャー、睨まないでー」
「ふざけんなや」
「水瀬は口が悪い人が嫌いなんだよ」
「は──」
付き合っていた頃、そんなことを言った気がする。
だが、それは廊下ですれ違った女子が、クラスの影が薄い子を貶すことを言っていたからで──
とにかく早く弁解しないと……
「今の、ほんまなん?」
俺が口を開くよりも先に、心底軽蔑したような声色で聞いてきた。
恐怖で、「ハイッ」と言ってしまった。
本音じゃないのに……でも、今から言い直したら、尚更怪しまれる。
「──きなり現れて……」
「なになに? 銀髪先輩の声小さくて聞き取りにくーい」
「いきなり現れてなにがしたいん? んで、アンタは水瀬くんのなんなん」
「私は水瀬の元カノ。銀髪先輩がしたこともないことを、たっくさんしてるんだからね」
「これも、ほんまなん……?」
「…………ハイ」
「最悪や」
それを最後に、黒川は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまう。
意味がわからない。
元カノがいたとしても、俺たちはただの友達だ。
どうして黒川が傷つくんだよ。
「はー、泣いちゃったー」
面倒そうに天音はため息をつく。
原因は自分にあるのに、他人が悪いと思ってそうな態度……あの頃と何も変わっていない。
ふと、俺がプレゼントしたネックレスが襟元からこぼれる。
途端に、天音からの愛を得るためになけなしのお小遣いを全て注ぎ込んでいた、惨めな自分の姿がフラッシュバックした。
──こんなことで得られる愛は偽物だと知っておきながら、彼女からの優しいハグ、脳が溶けそうになるキスを求めていたバカな自分の姿が。
「謝れ」
「もしかしてこの女の味方をするの? 水瀬は口の悪い女が嫌って言ってたじゃん」
「口が悪い女じゃない。平然と人をバカにして貶す女が嫌いなんだ。例えるならそうだな──天音みたいな女が大っ嫌いだ」
胸を鉛のような重みが支配する。
言ってしまった──後悔はない。だが、自分が一番嫌いなことと同じことをしていることに吐き気が込み上げてくる。
「嘘」
「嘘じゃない。それに自分からフっておいて今更なんだってんだよ」
「それは……水瀬が私のことを好きだから、また付き合ってあげようかなって……」
俺がまだ天音のことを好き?
付き合ってあげようかな?
「ふざけんな」
「別にふざけてなんか──お互い幸せになれてハッピーじゃんか!」
「俺は天音と付き合ってもハッピーにはなれないし、もう微塵たりとも好きとは思ってない」
好きどころか嫌いだと言ったばかりじゃないか。
こうやって、自己中心的な考えた方も付き合っていた頃から変わっていない。
高価なピアス。
ブレスレット。
無駄に凝った装飾がされている衣服。
他の男に買ってもらった物を身に付けて、よりを戻しにくるなんて……喧嘩を売っているようにしか感じられない。
「俺の前から消えてくれ。で、もう二度とその顔を見せんな」
「ま、待って……! 少し考え直してよ」
「考えるまでもない」
「わ、わかった──また別の日に出直すから」
それのどこが「わかった」だ。
これ以上言うのは止めておこうと思っていたが、いいや……もうどうにでもなれ。
「言い忘れてた。俺は人のことを財布としか見ていない女が大嫌いだ」
「──ッ」
目をハッと見開いて、涙が膜を張る。押し出すようにして垂れるまで、そう時間はかからなかった。
泣き声を上げまいと、堪える表情は黒川に是非見てもらいたいところだが、俯いたままビクともしない。
天音は何も言わず走り去った。
ショートカットの黒髪が街頭に照らされながら輝くのを、俺は途中まで見て目を逸らす。
性格最悪な元カノのことよりも、友達の方が大事に決まっている。
「黒川……」
「水瀬くんはウチが嫌い……。水瀬くんは…………」
「俺が黒川のことを嫌いなわけあるか。なんなら言葉にできないくらい感謝している」
「嘘だ。だってさっき嫌いって……」
「あれは……天音の勘違いなんだ」
「え……?」
ようやく上げてくれた顔は、涙と鼻水で酷いことになっていた。
ハンカチを渡すと、ズビーッ! と鼻をかむ音が聞こえる。
容赦ないなと思わず苦笑が溢れてしまう。
黒川の様子が落ち着くのを確認すると、俺はあったことを一から話した。
天音とは中二の頃三ヶ月付き合っていたこと。
そこで人を貶して笑っているクラスメイトを見て、『平然と人をバカにして貶す女が嫌い』って言ったことを天音が勘違いしたこと。
付き合っていた時、俺の優しさを蔑ろにして、彼女は俺を財布としか見ていなかったこと等々。
「そっか」
小さく、暗い声だった。
憐れまれるのが嫌で、言うのはすごく辛かった。
言いながら、なんで俺ばかり酷い目にと、何度も考えた。
「水瀬くんは十分頑張っとる。隣の席のウチが一番知っとる。一人で居ることは辛いもんな。周りの目ばっか気にするのは疲れるもんな」
小さな手が頭をゆっくり撫でる。
自分の奥深くに触れられているようでくすぐったい。
なのに、撫でるリズムが懐かしくて、熱い何かが頬を伝った。
「子供扱いすんなよ。恥ずかしいだろ……」
「大丈夫や。周りには誰もおらん。ウチの胸でよかったら貸したる──泣いとく方が楽になるで」
そう言って黒川は簡単に胸を貸してくれた。
情けない声が響かないように強く抱きしめてくれたことを俺は絶対に忘れない──そんな気がした。
◇
水瀬くんと別れた後、ウチは自室でクッションを抱きながらぼんやりと今日のことを思い出していた。
「楽しかったな……」
一緒に話しながら放課後の道を歩いたこと、たこ焼き屋で馬鹿騒ぎしたこと──どれもウチにとっては初めての経験だ。
一目見ただけで興味を惹かれた『シークレット』のたこ焼きが、まさか苦手な激辛だとは思わなかったが。
舌が焼けるように痛かった。
あの刺激的な痛みよりも、水瀬くんに『あ〜ん』の仕返しをされたことが頭から離れない。
五感全てが狂うほどの緊張。
同じくらい耳の先が熱くて仕方がなかった。
そんなことより──
「付き合ってた子おったんや……」
「別にがっかりしとるとか、そんなんやないけど……」
──そうや。
ウチと水瀬はただの友達や。
それ以下でも、それ以上でもない。
深入りしすぎると嫌われるから厳禁だ。
それでもモヤモヤとよくわからない感情が、ぐるぐると体の中を行き来する。
鬱陶しいし、なんか嫌でクッションに顔を埋める。
『ウチの胸でよかったら貸したる──泣いとく方が楽になるで』
は?
はァ〜〜〜ッ???
ちょっと待て、ウチ水瀬くんとぎゅーしてしまったやん。
そんな……恋人でもないのに……えっちすぎる…………
「いや、あれはぎゅーちゃうわ。水瀬くんを元気になってもらいたくて……」
やからって胸を貸すのはおかしい。
それは痴女の考え方や。
『──ありがとっ』
そういえば昨日もぎゅーってして……
「最悪や」
絶対水瀬くんに変態やって思われたやん……!
無理無理、無理すぎるって。
ドッと冷や汗が込み上げてくる。
これで嫌われていたらどうしようと、泣きそうになりながらベッドに潜る。
ピコンッ♪ と、ウチの気持ちも考えずにスマホの画面が光った。
──もしかして水瀬くん!?
そもそも連絡先を交換していないのでそんなことはありえない。
『明日から三連休やけど、帰ってくる?』
お父さんからだった。
なんかムカついたのでブロック削除しておいた。
元気な祖父と祖母も一緒に住んでいるので、もし大事な用事があったらどちらかを通じて送ってくるはず。
「待って……明日から三連休って……」
ずっとこの気持ちのままおらんとあかんってこと!?
ほんまついてないわ。
行き場のない不安が怒りとなる。原因はお父さんにあるので、
「『今ムカついとるから連絡してくんな』っと、送信」
ブロック解除して、送るなり再びブロックしておく。
全部──ではないけど、水瀬くんのせいなんやからな……!
連絡先を持ってたら、三連休を嫌な気持ちのまま過ごさんでよかったのに。
枕に顔を埋めて息を止める。
「──ぷはっ! 決めたわ。次会ったら連絡先交換する」
「あとぎゅーについて弁解も」
小さく付け足して、長い長い夜を悶々と水瀬くんのことを考えて過ごした。




