第2話:一匹狼と初めての放課後、楽しい時間は長く続かない
「水瀬くんこれ見てや。かつお節が生き物みたいに動いとる!」
黒川は出来立てのたこ焼きを眺めて、珍しいものを見たようにはしゃいでいる。
学校帰り──他にも生徒が居るかと思ったが、マイナーな店ということもあって、周りには仕事終わりのサラリーマンが和気藹々と酒を交わしていた。
昨日友達になったばかりの黒川は、今までに類を見ないくらい様子がバグっていた。
◇
四限目は眠たい化学基礎の授業だ。
予習済みなので適当に聞き流していた。
朝から隣の席の黒川がおかしい。その謎について考え耽ていたとき、
「この問題を──黒川答えてみろ。……黒川?」
「黒川。当てられてるよ」
「ひゃいっ」
びくっと肩を震わせて、思いっきり席を立った。
珍しい。
これで四回目。いつもならトゲのある受け答えをしている彼女だが、今日は何か別のことで頭がいっぱいのように見える。
「もういい。じゃあペアの水瀬が応えろ」
えッ!?
他のことを考えていたのは、黒川だけではなかったようだ。
ええい、もうヤケクソ──
「…………び、Bのメスシリンダーです」
「正解だ。二人とも授業に集中しろ」
最後にため息混じりに言われた。
俺は「はい」と答え、黒川は無言のままノートの端に書き込んでいる。
熱心だな。と感心したのも束の間──
書いていた所を破って、丸めた物が頭に投げられる。
「いてっ」
大して痛くなかったが、つい反射的にそう声を漏らしてしまう。
紙を開くとガタガタの文字が書かれていた。
えっと……なにこれ。汚ッ!
『今日の放課後遊ばん?』
遊ぶ?
俺と黒川が……何で?
その答えは考えるまでもなかった。
昨日友達になったばかりだ。友達なら遊びに行ってもおかしくない──おかしくない、が……。
隣に視線を向けてみるとダメ? と、言わんばかりに首を傾げる黒川と目が合う。
久しぶりに誰かと遊ぶ。
その響きだけで胸が高鳴る。
何度夢に見ただろうか。
ゲーセンで散財し、一人なら絶対に行かない店に入って……うん、考えるだけで最高だ。
でもな……
「うッ」
いつもの睨んでいるのとは違って、若干うるうるした瞳が俺の良心を容赦なく傷つける。
二人でいるところを誰かに見られるのが嫌だ。
そんな個人的な考えのせいで、黒川を悲しませてしまっていいのだろうか……
駄目だな。
「(い・い・よ)」
口パクでそう伝えると、黒川は顔を背けてしまう。
両頬を手のひらで覆い隠す。
指の隙間から口元に小さなくぼみができているのが見えた。
──そんな顔、反則だろ。
咄嗟に視線が外れる。
逃げ場を探すように俺の目が泳いだ先で、教科担任が死んだ目をしてこっちを見ていた。
◇
「水瀬くんもっとシャキシャキ歩きや。店閉まってまうやろ!」
「ちょっとは落ち着いてよ……てかまだ行く店決めてないし」
「言われてみればそうやな。どこ行く! どこ行きたい?」
黒川は弾んだ声で聞いてくる。
そんなにはしゃぐなよ……言いかけて飲み込む。
表向きには出していないが、思いの外俺の心も浮ついているのでどっちもどっちだ。
「あのカフェ、なんか雰囲気ええやん」
「肉のいい香りがせえへん?」
「ファミレスも行ってみたいな……って、何ニヤニヤしとんよ! キモイわ!」
と、俺が反応する暇もくれない。
今まで散々我慢してきた感情が溢れ出ている姿を見ていたら、意識せずとも口元が緩む。
そんな反応を一番近くで見ていたら、友達の俺も嬉しくなってきた。
今までの罵詈雑言の嵐が嘘のように思えてくる。
ずっと黙っていると、「水瀬くんは何がいいん。お腹すいたから早よ決めよや」と催促されてしまった。
そうだな、俺が行きたい店は──
「たこ焼き屋とかどう?」
理由は単純。
目の前にあったのと、黒川の関西弁が頭の中で重なったから。
「なかなかええセンスしてるやん。それにしよ。ウチの舌が完全にそれを求めとるわ」
「じゃあ行こっか」
提案が採用されたことが嬉しくて、誰かと放課後の道を歩いているのが楽して……
──なんか泣きそう。
鼻の奥がツンと痛くなるのを感じながら、数歩先を行く女の子の背中を眺める。
「ありがとな」
元カノたちに植え付けられたトラウマも、対人恐怖症も、今は全部遠くに感じた。
『私の機嫌はお金でしか買えないってまだ気づかないの?』
一人目の元カノはそう言った。
あの時は幸せだと錯覚していた時間も、今と比べたら足元にも及ばない。
本音をあけすけに話す黒川が聞いたら、絶対に怒るだろうな。
「えッ!!」
黒川の足が止まり、その後ろを歩いていた俺は気づくことなくぶつかる。
教室で投げられた丸まった紙とは違ってこれは痛い。彼女の頭が俺の胸板に直撃した。
良くも悪くも恋愛経験豊富なこともあって、黒川が転ける前に肩を支える。
顔が近い。
綺麗な涙袋。
丸く膨らんだ唇。
薄化粧がよく似合っている。
「だ、大丈夫か?」
「ウチは大丈夫だけど……水瀬くん、なんで泣いてんの……?」
泣いてる?
俺が?
「目にゴミが入った」
「ほんま?」
「うん。これぐらいの大きいの」
「でかっ! それは涙も出るわ」
指を大きく開きながら誤魔化す。
俺が知られたくないのを察したのか、それともアホなだけなのか……
何にせよ助けられたことに変わりない。せっかく遊んでいるのに、葬式のような空気にはしたくなかった。
たこ焼き屋ののれんをくぐると、ソースと鰹節の香りが生温い風と共に顔に打ちつける。
汗をかきそうだが、自然と不快感は感じない。
まだ日暮前だというのに、先に居たサラリーマン達が幸せそうにたこ焼きを頬張っている。
「いらっしゃいませーッ」
頭にタオルを巻いた大将が通る声で迎えるくれる。
筋肉が浮かび上がった腕、焼けた肌……この人、すごい。
俺の勘が言っている。この店のたこ焼きは絶対に美味い。
メニュー表を吟味した結果、俺は『普通』と『チーズ明太子』。黒川は『チーズ』と『シークレット』を注文した。
シークレットってなんだよ。
気になったことには同意するが、頼むほどの勇気はなかった。
「めっちゃ楽しみなんウチだけ?」
「俺も楽しみ。特に──」
「「シークレット」」
ハモった。
「わかってるやん」「そっちこそ」
なんだかおかしくて、向かい合う彼女と一緒に肩を揺らして笑う。
おかげで出来立てのたこ焼きがくるまでが一瞬だった。
「水瀬くんこれ見てや。かつお節が生き物みたいに動いとる!」
そんなに珍しいことではないだろ。
「こっち見て。コップが冷たすぎて水滴ついてる」
「そんな珍しいことやないやろ」
「ふっ」
「え、えええ!? なんで笑うん。ウチ変なこと言っとった?」
「別に──。それより熱いうちに食べよ」
むすぅと、唇を尖らせてジト目を向けながら、俺を真似て合掌した。
「「いただきます」」
外はカリッ、中はジュワァだ。家では再現できない店だけの食感。
ホロホロと熱い中身は、タコの代わりに明太子とチーズが入っている。
明太子の辛さとチーズの甘みが絶妙なバランスだった。
「うま」
もう一個、またもう一個と、箸を握る手が止まらない。
半分くらい平らげたところで、初めて黒川の方へ目を向けた。
俺にあった勢いは彼女にはなく、ゆっくり、入念に「ふー、ふー」と冷ましていた。
睨む瞳も、口調も強い黒川が初めて見せた弱点……。ははーんさては、
「猫舌?」
「うるさい! ウチはちゃんと味わいたいんや」
そのためには熱いと無理、と。
「もう熱くないでしょ」
「ほんま? 違ったら殺すで」
「いやなんで!?」
昨日ぶりの罵倒が何故か懐かしい。
しみじみと自分の成長を噛み締めていると、死にかけの声が耳に届く。
「み、水ぅ……とって……」
熱かったようだ。
随分と長い時間冷ましていたので大丈夫と思ったのだが……
どうやら俺は殺されるらしい。自衛に徹しよう。
「ぷはっ。ま、まだ辛いよぉぉぉ」
辛い? 熱いじゃなくて?
もしや──と思い、厨房でこっちを見ていた大将に目を向ける。
ニヤリと笑うその手には赤い瓶が。でかでかと『タバスコ』と書かれていた。
──ああ、そういうこと。
『シークレット』の中身を理解するのと同時に、非常に申し訳ないことをしたなと後悔が込み上げてくる。
辛いものは大好きだが、苦手な人にとっては地獄だろう。
「ウチこれ食べれんわ」
「でも残すのは悪いし──ンッ」
「じゃあ水瀬くんが全部食べればいいやん!」
不意打ちのようにたこ焼きを口に放り込まれる。
咀嚼するごとに広がるのは、突き抜けるように強い酸味。
ブワッと、一瞬で身体中が熱を帯びる。
タバスコは余裕で耐えられる辛さだった。熱々じゃないので、咽せることもなかった。
「こ、これって……」
二つ、三つと、たこ焼き攻撃は止まない。
途中から楽しくなってきたのか、黒川には余裕さが滲み出る。
「はい、あ〜ん♡ 男の子はこれが嬉しいんやろ? う、ウチはあんまわからんけど……」
「あーん」
隙を突いて、黒川のたこ焼きを彼女の口に放り込む。
「仕返しだ」
「ん!? んんん〜〜〜〜〜ッ!」
大将と会社帰りのサラリーマンに見守られながら、黒川はタバスコという名の死神に狩られた。
◇
「ほんっま信じられんわ」
コンビニのソフトクリームを両手に従えて公園のベンチでため息をつく黒川。
俺は正座で見上げる。
「ごめんなさい。反省してます」
「ふ〜ん? ちゃんと目を見て言えたやん──じゃなくて! ウチが辛いの苦手って知って食べさせたでしょ……」
「はい」
「なんよ、意外と素直やん。今回はアイス奢ってくれたから許すけど次はないで」
「はい」
「何よ。いきなりそんな真面目な顔して……」
もごもごとくぐもっていたので聞き取れなかった。
本当に悪いことをしたと思う。
今回ばかりは罵倒されても文句は言えない。
「えいっ」
ぺち。
痛くないデコピンが一発。
「早く次行こや。まだ明るいから時間はあるやろ」
黒川は茶目っ気のある笑みを浮かべて、俺の手を引いた。
──こんなに楽しいのを知ってしまったら、手放すのが怖くて堪らないよ……
今の彼女なら、クラスで一匹狼のように孤高になることはないんだろうな。
嬉しいはずなのに、チクリと胸の奥が痛んだ。
「これはこれは──誰かと思えば元カレ先輩じゃないですか〜」
小悪魔を連想させるこの声は──
この楽しい時間が崩れるの予感がして、目の前が真っ暗になった。




