第1話:隣の席の一匹狼と友達になった
『私の機嫌はお金でしか買えないってまだ気づかないの?』
俺の財布しか見ていなかった、外面だけがいい一人目。
『付き合うならアナタみたいな人じゃなくて、高身長イケメンがよかった』
陰で俺のスペックを『中の下』と採点し、友達との罰ゲームで告白してきた残酷な嘘つきな二人目。
『ゴメンね。私、前から違う人と付き合ってるから』
散々ドタキャンをしてきた挙句、最後に堂々と浮気宣言をした悪魔の三人目。
目を瞑ると、苦い思い出が溢れてくる。
まただ。
と思い、息を吸う。胸がきゅっと痛む。
クズ女共との別れで俺の心はズタズタに引き裂かれていた。
──女の笑顔には、必ず裏がある。
トラウマと共に脳に刷り込まれた俺は、女子の顔を見るだけで動悸がし、まともに話せなくなった。
周囲の男子からは「あいつ、女にフラれすぎて壊れた」と散々嗤われた。
高校に入学して半年経った今でも、弁当を一緒に食べる人はいないまま。
「はあ……」
ふと、窓に目を向けた。
水滴が不規則な線を作って垂れる。
半透明に映る俺は惨めなものだった。
目の下の隈、ボサボサの髪、不健康そうな顔、落ちない汚れでも見ているようだ。
「はあ……」
「チッ」
隣の女子が舌打ちをする。不快そうに。
わざと聞こえるようにしていたのだろう。俺が横目に見ると、すぐに目が合った。
名前はたしか……
「アンタ、いつもため息ばっかつくのやめてくれへん? ほんま不快やねん」
「ご、ごめんなさい」
「目ぇ逸らして言っても誠意は感じられんわ」
「ごめんなさい…………」
「ほんまダルいわ」
そう吐き捨てて、黒川は机に肘をついて気怠げに髪をかき上げた。
教室を出て行くのかと思いきや、気まぐれに俺を観察するように睨みつけてくる。
「アンタ、いっつも周りの顔色伺ってビクビクして……ほんまダルいわ」
「そんなことは……」
「鬱陶しいねん。嫌なら嫌、ムカつくならムカつくって言えばええやん。ウチは自分が嫌いな奴には嫌いって言うし、自分がここにいたいからおる。他人の基準で生きてて楽しいん?」
黒川が言っていることは正しい。
だからって彼女の言葉を鵜呑みにして、思ったことをそのまま言うだけじゃダメだ。今以上に酷い扱いを受けることが、目に見えてわかる。
怖ぇ……
黒川も、クラスの奴らも。
彼女は出会った時からこんな調子だ。
『ウチがこんなネクラの隣とか、入学早々ついてないわー』
『なんで睨むん? 思っとることあんなら、はっきり言えや』
『今ウチの寝顔見てたやろ。ほんま殺したる……ッ!』
言葉の棘は日が経つごとに鋭くなっている。
そんなこともあってか、黒川に関わる人は次第に減った。
俺と同類でボッチ──いや、彼女の名誉のためにも孤高ということにしておこう。
とにかく黒川には話す人がいない。
なので、隣の席でオドオドしている俺が標的にされたってわけだ。
「くそぅ」
俺が陽キャだったら、「おいおい可愛いお顔にシワが寄ってるぜ」とでも言っていたのだろうか。
……黒川が可愛い?
百歩譲っても、天変地異が起きても、それだけはありえない。
可愛いどころか、怒っている顔は鬼のようだ。
「はぁ……どうして俺が、鬼の隣なんだ……」
「鬼で悪かったな」
「ヒッ! 黒川、さん……ッ?」
肩を思いっきり握られる。今にもミシミシと不謹慎な音が聞こえてきそうだ。
そんなことより……聞かれた。
咄嗟に視線を逸らしたが、獲物を前にした虎のような圧がヒシヒシと伝わってくる。
「アンタ、頑張ればちゃんと言えるやん」
「え、それってどういう……」
「そのままの意味や。面と向かってじゃないけど、思ってることをちゃんと言えたやん?」
適当に言うと、黒川は授業の準備に取り掛かる。
絶対に怒られると思った。
恐る恐る隣に目を向けると、彼女は焦りを感じさせる表情を浮かべていた。
黒川は前を向いたまま、ノートの端に何か書いている。
気になって覗き込もうとした瞬間、彼女がさっとノートを腕で隠した。
──なんだ。お前もそんな顔をするのか。
黒川は俺が進むべき道を示してくれた──そんな気がした。
悩みが消えたわけではないが、気持ちが軽くなってつい口元が緩む。
黒川は案外良い奴なのかもしれない。
稀有な銀髪が、今日は綺麗に見えた。
黙っていればいいのに──ふん、と鼻で笑っておく。
「ニマニマした顔でこっち見んな。目ん玉潰すぞ」
前言撤回だ。
黒川は良い奴なんかじゃなくて、口の悪い一匹狼だった。
群れを成さずして最強なところには憧れるが、金輪際関わりたくない相手だ。
黒川は怖い──それは簡単には覆らないだろう。
◇
放課後。
部活に加入していない俺は、すぐさま帰る準備をした。
今日は好きなラノベの発売日だ。
この時のことだけを希望に、黒川からの理不尽な怒りにも耐えられた。
さあ、今こそ『学校』という名の檻から抜け出す時!
なーんて、鬼は簡単に俺を見逃してくれない。
「待って」
「無理。大事な用事があるから」
「は、ダルッ。どうせ帰っても暇やろ……」
ここで黒川を無視して余計なトラブルを起こせば、楽しみにしていた読書時間が台無しになる。
ここは最速で彼女の用件を済ませ、平穏に脱出するのが最善手だ。
「……わかった」
黒川と共に教室から人がいなくなるのを待つ。
部活動や委員会、友人と寄り道……どれも俺とは遠い縁の存在だ。
こっそりと羨望の眼差しを向けていると、隣から「チッ」っと舌打ちが聞こえた。
考える間もなく、それは黒川のだとわかる。
一体何が気に食わないと言うんだ。
お前は何も知らないくせに。
──あぁ、もう限界だ。
これ以上、俺の心を土足で踏み荒らされてたまるか。
「そんなに羨ましがるなら、努力したらええやん」
「努力ではどうにもならないから困ってんだよ! いつも散々俺を見下して……どうせ心の中で嗤ってんだろ」
「ちゃ、ちゃうわ! 思ってることあんのに、行動に起こさんところがムカついただけやで」
「黙れよ」
「は?」
「黙れ黙れ黙れッ──なんでいつも俺に構ってくるんだよ! そんなに嫌いなら関わらなければいいだろ」
やっと言えた。
半年間言いたくても勇気が出なかった。
そんな惨めな俺と、たった今別れることができた。
めでたいことじゃないか。
これでようやく彼女を克服できる──そのはずだった。高揚は一瞬にして消えてなくなる。
「 ウ、ウチは別に……アンタのことが、そこまで嫌いとか、そういうわけじゃ……あ、いや、違うくはないけど……! な、なんでそんな怒るんよ……っ!」
「お前がウザイからに決まってるだろ」
「そんな……ウチはアンタのことを友達と思ってた…………」
トゲトゲしていたはずの彼女は、今や完全にただの動揺した女の子でしかなかった。
何か言おうと試みるも、タイミング悪く廊下を誰かが走り抜けて行く。
途端に、頭が真っ白になった。
あれ……なんて言おうとしてたんだっけ。
戸惑いながらも視線を上げると、彼女は震えて泣いていた。怯えるように、ただ小刻みに。
これじゃ俺が加害者みたいじゃねぇかよ。
「な、泣くなよ」
「別に泣いてないし!」
「じゃあ……なんで涙を流してんだよ」
「それは誰もウチのことをわかってくれんからで──、」
言いながら、黒川の声が更に震える。
俯いた拍子に、彼女のノートから切れ端が一枚、床に舞い落ちた。
黒川が咄嗟に屈もうとする。
それより一瞬早く、俺は紙切れを拾い上げた。
目に入った文字は、たった一行だった。
『やってしまった。嫌われたらどうしよう』
「──っ、見んな!」
真っ赤な顔で紙を引ったくる黒川の目から、大粒の涙がポロポロと床に落ちた。
──違う。
俺の脳裏に、かつて俺を奈落に突き落とした女たちの顔が、最悪なタイミングでフラッシュバックする。
俺の財布を見ていた一人目の、あの計算高い笑顔。
罰ゲームで告白してきた二人目の、周囲を伺うような薄汚い笑顔。
浮気をのたまわった三人目の、冷徹な笑顔。
あいつらの顔には、いつも裏があった。
自分を守り、俺を消費するための、歪んだ笑顔の仮面があった。
だけど、今の黒川の顔は──違う。
向けられたのは鬼の形相でも、獲物を狙う虎の目でもなかった。
ただ、自分の言葉が相手を傷つけてしまったことに怯え、拒絶されることを恐れている、迷子の子どものような顔だった。
「……あぁ、クソッ」
もうわからない。
女は全員俺の敵で、笑顔の裏には悪意があるんじゃなかったのかよ。
こんなボロボロに泣かれたら、俺のトラウマが、警戒心が、全部狂っちまう。
考えるよりも先に、体が動き出していた。
気づけば俺は、震える彼女の肩に手を置いて、口を開いていた。
「わ、わかった。わかったから、もう泣くなって」
「アンタにはなんもわからんわ……!」
じゃあどうしろってんだよ。
自分の手が震える。
やはり女は苦手だ。
それなのに手を離すことはなかった。
決して下心が目覚めたわけではない。
考えるよりも先に、俺の口は開いていた。
「友達になろう」
ずっと嫌っていたはずなのに、その言葉はやけにすんなりと出た。
情に流されたとか、そんなんじゃない。
俺と同じで、黒川も孤高。
なんだか自分を見ているようで腹が立っただけだ。
「いい、の……?」
黒川の潤んだ瞳が、目に焼き付いて離れない。
彼女が傷ついたところで、俺には関係ないはず。
──と、一人で納得した時、
「──ありがとっ」
「えっ? は──ッ」
呆然と立ち尽くす俺は黒川に抱き寄せられる。
その拍子に、柔らかい感触が頭を埋めた。
顔が見えないせいで意図はわからない。
意味不明すぎて考えることもままならない。
時計の分針が動く音が、やけに大きく耳に響いた。
「ありがと……ありがと……ッ」
涙ぐんだ声で言われてしまっては抵抗することもできない。
ただ、黒川の気が済むまで体を貸す。それだけが、俺にできることだ。
胸を締め付けるような甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
たった数秒の出来事だった。それなのに、一生のように長い時間が流れる。
「ごめん、息苦しかったよね。──私、水瀬くんと友達になれて嬉しかったよ」
「お、俺も……」
「……えへへ。じゃあね」
緩んだ口元を袖で隠す黒川は、そうはにかんで早足で去っていった。
最後の一瞬だけ、関西弁が消えていた。
そうやって、違うことを考えて気を紛らわすことしかできない。
「んんん〜〜〜〜〜ッ!」
俺の呻き声は、放課後の喧騒にいとも簡単にかき消されてしまった。
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