2話 仮面の下に隠した五年前の悲劇②
左頬の痛みで目が覚めた時、身体はうまく動かなかったが、目だけは開けることができた。
次第に意識が覚醒して、母が僕を覗き込んでいるのが分かる
——なぜ、僕は部屋で寝ているんだ?
次々に蘇ってくる記憶が、僕の心を切り裂いていく。
小瓶を振り上げた令嬢の歪んだ顔。
ヴィヴァーチェ王女殿下の、耳をつんざく叫び声。
顔面が引き裂かれそうな痛み。
溶けそうなほどの、強烈な熱感。
そして、恐怖が蘇る——
頭が混乱し、逃げ出そうとするが、母が抱きついて止めてきた。
「大丈夫、大丈夫だから」
母は泣きながら繰り返す。
——何が、大丈夫なんだ?
揉み合っているうちに、誰かが僕に何かを飲ませ、口に布を噛ませた。
次第に力が抜けて倒れ込んでしまい、ベッドに連れ戻される。
ようやく、母以外にもハンス医術師とランゲル医術師が側に控えているのが分かった。
ハンス医術師が「診察いたします」と言って脈を測り、全身を触診した。
「患部……以外は、問題ありません」
患部以外は……?
続けてランゲル医術師が説明した。
「頭の感覚を少し鈍らせる薬を飲ませました。
ですが……今、我々にできることは、痛み止めと頬の化膿止めの薬を処方するしかございません……」
母のすすり泣く声が聞こえたが、他人事のように感じていた。
「念のため、毒流しの薬草茶を飲みましょう。しかし、それが効果を出すかは、神に祈るほかありません——」
その日から僕は、起きては恐怖で暴れた。母が「ここは安全よ。あなたを害するものはないわ」と抱きしめてくれる日々が続いた。
あの日以降、無理に薬を飲まされることはなかったが、薬草茶をよく飲まされた。
さらに一週間が過ぎた頃、父から事件の真相を聞かされた。
ベッドに座ったまま、僕は父の話を聞いたが、頬の痛みで目眩がしていた。
小瓶を振り上げたのはメセティ・ホキシドという男爵家の令嬢だった。
男爵令嬢の婚約者である子爵家子息、アルセン・ミズーラは、「堅苦しい貴族の慣習など知らないわ」と笑い飛ばすヴィヴァーチェ王女殿下に心酔し、当主に黙って家財を差し出した。
そしてアルセンは、メセティの実家でもある男爵家にも押し入り、「婿入りする家だからいいだろう」と、店の権利書やメセティの母親の宝石まで奪うように持ち去ってしまった。
どうやら、王女殿下の口車に乗せられていたらしい。
子爵家も男爵家も家財をすべて失い、王家相手に打つ手立てを持たぬまま、たちまち両家は没落してしまった。
全てを失ってようやく、自分は金づるだったと気がついたアルセンは、薬を飲んで死のうとしたが死にきれず、廃人同様になり身体を引きずりながら街を彷徨っているという。
男爵令嬢の境遇に同情した。
だが、あの歪んだ顔は、今思い出しても恐怖が拭えない。
そして父は、苦しそうに言葉を続けた。
「リソルートが浴びた薬品だが……」
父は俯き肩を震わせた。だが、次の言葉が続かない。
その姿に、僕はまだ覚悟ができなかった。




