1話 仮面の下に隠した五年前の悲劇①
初めまして。長編ですが、最後までお付き合いいただくと嬉しいです。
「私に『バケモノ』が用意したドレスを着ろというの!」
その声は、僕の婚約者——ヴィヴァーチェ・グランディオール王女殿下だった。
新年の儀まで、あと三週間。
僕は王女が参列に着るドレスを届けるために王城へ登城していた。
冬にしては明るく晴れた、穏やかな日だった。
だが、その静けさを切り裂くかのような声が響いた。
王女殿下は侍女にドレスの箱を開けさせると、中を見ることもなく、「噴水にでも捨ててちょうだい」と嫌悪に満ちた声で命じた。
「王女である私が、同じバケモノに成り下がれとは恐ろしいわ」
侍女は僕の方を見るなり申し訳なさそうな顔をし、ドレスをそっと噴水に落とし入れた。
もう何度目になるのか。
王女殿下を僕と同じバケモノに貶めるつもりはない。
ただ婚約者として、礼儀を尽くしているだけだ。
僕は職人たちに仕立ててもらったドレスを、噴水からすくい上げた。
真冬の水は僕の心を抉るように冷たく、紫色のタイトなドレスは水を含んで黒く見えた。
まるで僕の心を写し出したようだ。
「失礼いたします」
濡れたドレスを抱えて辞したが、当の本人はこちらを見向きもせず、隣の男性に垂れかかっていた。
確かワイン製造で有名な侯爵家の子息か。
また王女殿下のお気に入りが変わったようだ。
侯爵子息は僕に勝ったと思っているのか、蔑むような眼差しを向けた。
僕が大公家の子息リソルート・レアソルであろうと、お構いなしといったところだろう。
僕は王女殿下に、一切の感情もないのだから、勝ちも負けもない。
三週間後の新年の儀も、僕は王女殿下の婚約者として参列することはない。
王城の外の警備にあたるだけだ。
まっすぐレアソル城に帰る気になれず、御者に頼んで回り道をしてもらった。
だが、外の景色を見る気にもなれず、馬車のカーテンは引いたままにした。
王都の人々は皆、新年の儀に合わせて今年こそは何らかの恩赦か、減税が出るのではないかと期待をしていた。
数年前から恩赦が二、三件出るだけで、民衆はその度に落ち込んだ。
城に戻り、控えていた侍女に濡れたドレスを渡した。
「すまない。このドレスお願いできるかな」
侍女は悲しみを押し込めた表情で「かしこまりました」とドレスを受け取った。
優秀な侍女たちのことだ。綺麗に保管しておいてくれるだろう。
使われていない部屋には、こうして誰にも身につけられることなく、ドレスや宝飾品がいくつも眠っている。
僕の部屋には、軽くつまめるものが用意されていた。
何も食べる気になれなかったが、瑞々しい果実を一口食べてみる。
甘酸っぱさが口に広がったが、心の慰めにはならなかった。
仮面を外し、ソファに身を投げ出した。
天井を仰いで目を閉じる。
あぁ……身体が、重い——
婚約者である王女殿下の罵倒にも、おぞましいものを見る目にも、慣れたつもりだった。
しかし、そうではなかった——
僕自身ですら、鏡に映るこの顔が恐ろしく、悲鳴をあげそうになる。
勝手にあの時の光景が頭の中を巡りはじめる。
◇
五年前、僕は王女殿下の護衛騎士に選ばれた。
騎士として独り立ちできるようになり、当時長く婚約していた侯爵令嬢との婚姻まであと三ヶ月という頃だった。
当時の婚約者は、男性との距離が近いと噂の多い王女殿下の護衛につくことを、不安に思っていた。
「ただの任務だから。大丈夫。
王女の護衛の任を解かれたら、すぐに婚姻式をあげよう」
そう言ってなだめていた。
王女殿下の護衛は、各騎士団でローテーションを組まれていると既に周知されていた。
王女殿下のひどい気まぐれが、護衛を困難にさせる。
その事実を覆い隠すため、定期的に護衛を交代することになった。
かなり覚悟して護衛に挑んだが、王女殿下は僕に対して理不尽な要求をすることは、さほどなかった。
僕が大公家の子息だからだろうと考えていた。
僕が王女殿下の護衛騎士について五ヶ月ほど経ったある日。
唯一の公務である孤児の救済院へ慰問へ赴くことになり、僕も同行することになった。
民衆はまだ王女殿下の本来の姿は知らず、救済院には一目見ようと人だかりができていた。
この時ばかりはそれなりに王女らしく民衆に応え、手を振っていた。
だが、貼り付けた笑顔は安っぽかった。
慰問を終え、王女殿下が馬車へと向かう。その先にも手を振ろうと待つ民衆を騎士たちが制していた。
僕が王女殿下の斜め後ろに控えていたその時だった。
「ヴィヴァーチェ!」
王女殿下を呼び捨てにする若い女性の声が響いた。
反射的に声のする方へ振り向くと、一人の令嬢が小瓶を手に持ち、狙いを定めて液体を浴びせようとしていた。
僕は咄嗟に、王女殿下を自分のマントの中に庇へ込んだ。
他の護衛騎士に押さえられ、令嬢の狙いが外れた。
だが、小瓶の中の液体は僕の左頬にかかった。
令嬢は騎士たちに捕えられながら「お前のせいで!」「あの人を返して!」と泣き叫んでいた。
マントの中の王女殿下は震えていたが、怪我はないようだ。
安心したのも束の間——
激しい痛みと、焼けるような熱感が、僕の顔を襲う。
異変に気づいた王女殿下が、僕の顔を見て悲鳴をあげる。
その瞳には恐怖と涙が溢れ出ていた。
——そしてその後の記憶は、令嬢の歪んだ顔と悲鳴とともに暗闇に消えた。




