3話 仮面の下に隠した五年前の悲劇③ モデラート・レアソル大公家当主視点 リソルートの父親
後半でリソルート視点に戻ります。
息子のリソルートは、言葉を発することなく、私の話を聞いていた。
「リソルート、お前が浴びた薬品は……『最後の魔女』ラメンタが作った毒薬だった。私も調査の者と向かったが、すでに……死んでいた」
リソルートの反応は……ない。
果たして私は、落ち着いて話せているだろうか。
「住んでいた古小屋には、腐ったリンゴとカビの生えたパンしかなく、解毒剤や薬草らしきものは何も……何も、残っていなかった。医術師たちの話では、頬の傷はどこまで治るか、分からないらしい。
……すまない。無力な父で、すまない」
情けなさと怒りで、頭が狂いそうだ。
今すぐ、元凶をこの手で——
だが、リソルートは何も発しようとしない。
「こんなことって……もう、神に祈るしか……」
妻の嗚咽が漏れる。
息子の気持ちを思うと、私たちには、何の言葉が見つからなかった。
「……神なんて、最初からいなかったんだ」
リソルートの突き刺さるような声が、この部屋の空気をさらに冷たくした。
それは、この国土を築き、礎となった大いなる地創神を侮辱する言葉でもあった。
◇◇◇
リソルート視点
あれからハンス医術師は、毎日診察に訪れ、痛み止めや塗り薬を変えながら経過を見ているようだった。
——こんなバケモノの顔、放っておいてくれてもいいのに……
傷が口元まで及んだせいで、まともに口を閉じることができず、好物のとうもろこしのスープも口元からこぼれてしまう。
スープすらまともに飲めないのかと情けなく思っていると、母がスープ皿を両手で持ち上げ、口をつけて豪快に飲み干した。
「さすがは大公家の料理人ね。口の周りまで美味しく感じるわ」
皿を置いた母の口元は、まるで黄色い髭のように見えて、おかしかった。
事件から三週間を過ぎた頃には、左頬の傷はかさぶた状になってきた。
事件のあと、婚約者からお見舞いに伺いたいと手紙が届いていた。
だが、こんな顔を見せるわけにもいかず、「日を改めて」と返事をしただけだった。
しかし、いつまでもこの顔を隠すことはできない。
そして今日、婚約者とその父親が見舞いに来ることになった。
令嬢が見るには、耐えがたい顔だ。
きっと拒絶するだろう。
でも十年以上婚約した仲だ。少しは労いの言葉をくれるだろうか……
応接室で待っていると、執事長が神妙な面持ちで、クロッカス侯爵の来訪を告げた。
婚約者のドルチェ・クロッカス侯爵家令嬢と、その父親であるクロッカス侯爵が入ってきた。
婚約者に拒絶される覚悟と、わずかな期待が交差する。
ドルチェ嬢は応接室に入るなり、口を開いた。
「リソルート様、お顔の怪我はどうなんですの? まさか、大したことはございませんよね?」
心が一瞬で凍りついた。
「ははっ……気になるか? だったら見ればいい……」
顔のガーゼをゆっくり剥がした。
僕は一体、何を待ち望んでいるんだろう。
左目は垂れ下がり、頬はかさぶたとケロイド状になり、口元はえぐれて、まともに閉じられない。
ゆっくり顔を上げると、ドルチェ嬢は令嬢とは思えぬ叫び声をあげた。
「バケモノよ! こんなの、人間じゃないわ! いくら次期大公夫人になれても、こんなバケモノと一緒に暮らすなんて嫌よ! 死んでも嫌よ」
そう言って、ドルチェ嬢は気が狂ったように応接室を飛び出した。
もはや、僕は人間ではないようだ。
死んでも嫌がられるような顔なんだ——
クロッカス侯爵は、娘の無礼をひたすら謝り、逃げるように去っていった。
僕は、ドルチェ嬢が出ていった扉を、じっと見ていた。
——さようなら、元婚約者。
そして、僕の初恋の人。
分かっていたはずだ。
こんなバケモノのような顔で、婚姻を望むことなど到底できない。
ましてや、後継者なんて……
「父上、レアソル家を私の代で終わらせることになり、不甲斐ない息子で申し訳ございません。遅くなりましたが、執事長から第一騎士団へ退団届を送りました」
父は一瞬黙ったが、あっけらかんと言ってのけた。
「グランディオール王国の大公家? そんなものは大したことないさ。いろいろ片付いたら、レグルス帝国に落ち着くのもいい。マエステラ、君はどうだい?」
「それはいいわね。リソルートが来たら、お兄様も喜ぶわ」
「では、母上……私と一緒に逝ってくれますか?」
なぜか、口からついて出た。
僕は、自分が何を言ったのか分からなくなった。
母は一瞬、大きく目を見開いた後、やつれた顔でふっと微笑んだ。
「ふふっ。そうね。あなたがそう望むなら、それも悪くないわね」
あぁ……
そんなことを母に言わせるとは、僕は何て愚かで、最低なバケモノなんだ。
◇
ある日の夜中、顔面の痛みで眠れなかった。
何か、空気がおかしい。
違和感を探ろうとした瞬間、雄叫びが聞こえた。
僕は剣を手に取り、わずかな蠟燭の灯りで侵入者を確かめるた。
そこには、第一騎士団長のプレスト団長と、同じ第一騎士団員であり、幼馴染で盟友のタキトスだった。
あぁ、バケモノのような団員がいては困るから……
最期にこの二人と、思いっきり剣を交えるのもいいだろ。
トドメの一撃を叩き込もうとした、その時だった。
「ああーちょっと待て! 待て!」
プレスト団長の焦る声がした。
「なんだよ、リソルート。お前、剣の腕、衰えてないじゃん。やっぱり、お前の本気、すげーよ」
よく見ると、タキトスもプレスト団長も座り込んで息を切らしていた。
プレスト騎士団長が「おかしなもの出すな」と、僕の退団届を投げつけてきた。
「……このような顔では、騎士の務めは果たせません。今でも、あの日の恐怖に怯え、涙を流すような弱い男に、剣を握る資格などありません。どうか、もう……僕を、見逃してください」
プレスト団長は、まるで子どもの戯言だとでも言うような顔をしていた。
「馬鹿野郎! 顔で剣筋は決まるのか? 辛い目に遭った仲間に『泣くな! 情けない』と罵るのか? 違うだろ……」
悲しみを帯びたプレスト団長の目に、僕は驚きを隠せなかった。
今まで、プレスト団長のこんな表情を見たことがなかった。
「剣筋は毎日の鍛錬だ。辛い目に遭ったヤツには寄り添うんだ」
プレスト団長から目が離せない。
「それが騎士だろ」
プレスト団長は僕に一歩近づき、醜い左頬を優しく撫でた。
「怖くて、辛くて泣くのは当たり前だ。それはお前の心の盾だ。怖さを知っている騎士は誰よりも強い。弱さを知っている者は誰よりも優しくできる。……お前はそういう騎士だ」
プレスト団長の言葉が僕の心に沁みた。
そして、その言葉に揺らいだ。
「僕に……第一騎士団に戻る資格はありますか?」
「あったり前だろう! みんなお前を待っているんだ。本当なら、騎士団全員で乗り込むつもりだったんだ」
タキトスは、泣きながら笑っていた。
「婚約も解消されました。……バケモノとは死んでも嫌だそうです」
「そんな女、こっちから願い下げだ。何なら、俺と婚姻するか?」
タキトスは僕の右手を取り、プロポーズの真似をして、おどけてみせた。
すると、そばで見守っていた母が、涙を流しながら言った。
「もう少し、あなたの顔を見ていたくなったの。あなたは私の大事な息子だから……」
父の目尻にも温かい光が浮かんでいた。
やはり、僕に神なんていなかった。
いたのは、両親と仲間だった——




