窮鼠、武を求める
異世界の都市『アルディア』の片隅、吹き溜まりのような裏路地には、常に淀んだ空気が満ちている。
オリバー・ポッターは、今日も冷たい石畳の上に転がされていた。
「おい、チビネズミ。そこに突っ立ってると邪魔なんだよ。ネズミの分際で冒険者の真似事か?」
浴びせられる下卑た嘲笑と、容赦なく脇腹を蹴り上げる分厚い革靴の感触。オリバーは泥水に塗れながら、ただじっと耐えるしかなかった。
彼は、非力な小人族であるホビットと、さらに蔑まれる鼠の獣人との間に生まれたハーフだった。
この異世界において、オリバーの様な生まれは絶対的な呪いだ。ホビットの小柄な体躯と、ネズミの脆弱な骨格。その二つを継いで生まれたオリバーには、剣を振るう筋力も、大気を震わせる魔力も一切存在しなかった。
そんな自分を変えるべく、一念発起して冒険者ギルドの門を叩いたものの、待っていたのは「荷物持ち」としての奴隷のような搾取と、気性の荒い前衛達の気まぐれな暴力だけ。
『ハーフのチビネズミに分ける報酬なんてねえよ』
『お前は、いざという時の盾の代わりに魔物の前に転がっていればいいんだ』
目的地に到着するまでの間は脆弱な腕力に不釣り合いな大量の荷物を運ばされ、実戦になれば真っ先に囮として見捨てられ、命からがら逃げ延びても、待っているのはさらなる冷遇。そんな毎日を送っている内に全身は治る暇のない生傷で覆われていった。
なぜ、自分はこんな身体で生まれてきてしまったのか。
どれだけこの五体を呪い、理不尽な世界に怒りを燃やしても、己の腕には何の力も宿らない。繰り返される鬱屈した日々は、オリバーの魂を確実に蝕んでいた。
そんなある日、泥を舐めるような日常に、奇妙な「噂」が混じり始める。
「おい、知ってるか? 西の外れにできた『修羅道場』って場所の話」
「ああ、武器も魔法も使わないとか吹聴している、おかしな部屋だろ? だけどよ、あの綺麗なお手々した新米のフランソワが、前衛用の鉄盾を素手でひしゃげさせたらしいぜ」
「バカ言え、エルフの腕力でそんなこと出来るわけねえだろ。その道場主の男ってのが、最近各地で増えてる加護持ちなんじゃないかって噂だ」
「成程な、確かに加護持ちだったら武器や魔法無しでも戦えるかもな。フランソワの話も何か仕掛けがあるんだろう」
「そりゃそうさ、でなけりゃ武器も魔法も使わないなんて正気の沙汰じゃねえ」
武器も、魔法も使わない、素手の武術。
冒険者ギルドの隅でその噂を聞いたとき、オリバーの胸に、消えかけの炭火のような鈍い感情が宿った。だが、すぐにそれを自嘲で打ち消す。
(……僕みたいな路地裏のネズミには、どうせ関係のない世界だ。力がない奴は何をやっても無駄なんだ)
諦観と妥協が心を支配していたその日の夕暮れ、オリバーはまたしても悪質な冒険者たちに絡まれていた。いつも通り、理不尽な因縁をつけられ、荷物と有金を奪われ、路地裏に追い詰められ、一方的な暴行が始まろうとした、その時。
「――力なき身を嘆くだけか。だが、その五体にはまだ使い道があるぞ、少年」
薄暗い路地裏に、冷徹だが、大地の底から響くような重厚な声が染み渡ってきた。
冒険者たちが驚いて振り返る。そこに立っていたのは、端が擦り切れた白い道着を纏った、岩山のように巨大な男――陣春人だった。
「あ? なんだお前、すっこんでろ!」
冒険者たちの一人が凄むが、春人は一瞥すらしない。その鋭い眼光は、泥まみれで蹲るオリバーの「骨格」だけをじっと見据えていた。
「ポルとフランソワから聞いていたが、実際に目にすると解る、そのホビットの柔軟な身のこなし、獣人特有の鋭敏な腱のバネ……。悪くない。いや、むしろ至高の『器』だ。少年、なぜそれほどの才能を肉体に宿しながら、ただ殴られるままに甘んじている」
「え……?」
オリバーは呆然と声を漏らした。生まれてこの方、己の肉体を「才能」などと呼んだ者は、ただの一人もいなかったからだ。
「おい、無視してんじゃねえぞ!」
痺れを切らした別の冒険者が、腰の長剣を抜き放ち、春人の脳門めがけて振り下ろした。
オリバーが悲鳴を上げようとした瞬間、春人は平然と、一歩前へ踏み出す。
激突。しかし、肉体と剣がぶつかる音はしなかった。
春人は迫る刃の軌道を、ただ掌で優しく「撫でる」ように受け流した。
次の瞬間、冒険者の体がまるで重力を失ったかのように宙を舞い、頭から石畳へと激しく叩きつけられた。何が起きたのかすらわからない。男は白目を剥いて気絶していた。
筋骨隆々な春人の体格からは想像できない、流れるような円の動き。力に対して力をぶつけず、相手の力をそのまま利用して崩す――太極拳、そして合気道の極意。
「ひっ、化け物め!」
残りの冒険者たちが恐怖に顔を歪め、気絶した仲間を引きずりながら一目散に逃げ去っていく。
静まり返った路地裏で、春人はゆっくりとオリバーの前に歩み寄り、その大きな手を差し伸べた。
「お前には、無駄な力は必要ない。お前に必要なのは、相手の力を自在に利用し、柔よく剛を制す『武』だ。――少年、こうして出会えたのも何かの縁だ。私の道場に来い。お前を修羅道場の弟子第二号として迎えたい。ああ、そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな」
その言葉は、鬱屈したオリバーの世界の底を、音を立ててぶち抜いた。
オリバーは歓喜と驚愕に打ち震え、涙を流しながら、差し出された春人の分厚い手を、震える手で、しかし決意を込めて握り締めた。
「……オリバー・ポッターです、師匠……っ!」
「そうか、ではオリバー、お前に力に頼らない合理と理合の道を示そう」
非力なるハーフの少年が、最強の「柔」の修羅へと至る地獄の門が、今、静かに開かれた。




