修羅道場、開設
異世界の怪物を素手で消し飛ばした白衣の男を前に、手のひらサイズの妖精は空中で激しく羽ばたきながら、なおも混乱の中にあった。
そんな見るからに動揺していて、尚且つ地球では見かけることの無い妖精を目の当たりにしていても、春人は冷静に妖精の質問に対して返答を口にした。
「私は陣春人。しがない格闘技の道場主だ」
「じ、じん、はると……? 格闘技って何!? 道場って何!? そもそもあなた、本当に人間なのぉ!?」
妖精の混乱は更に増していった。
「ただの人間だ。それより、お前は?」
不意な質問だったが、春人の冷静さに当てられて妖精の方も少し落ち着きを取り戻していった。
「あ、私はポル! 森の妖精だよ! さっきは助けてくれてありがとう。でも……本当になんなのその力……」
「これは鍛え上げられた肉体と、研鑽を重ねた技術を用いた、己の五体のみを武器とする格闘技の技だ」
慄くポルだったが、春人が魔法も特別な存在からの加護すら持たない正真正銘の「生身」であると知ると、さらに目を丸くした。
「あなた一体、何処の国から来たの? そんなトンデモナイ技を使う人間が居たらすぐに噂が広まりそうな者だけど……」
ポルは見たことも聞いたこともない技を使う春人を不思議そうに見つめる。
「私はこの世界の住人ではない。女神とやらの誘いを受けて異世界からやってきた 」
春人は嘘偽り無く、真っ直ぐにポルを見つめて言った。
「異世界? ああ、そう言えば女神様の加護を受けた人間達が何人か色んな国の王宮なんかに突然現れたって、噂で聞いた様な……」
「そうなのか、加護とやらは断ったんだが、今にして思えば街の場所くらいは聞いてから来るべきだったな、まさかいきなり右も左もわからない森の中からとはな。 浅慮が過ぎた、自省しなければな」
己の行いを思い返した春人は、眉を顰めて途方に暮れている。
「もしかして、あなた今困ってる?」
「ああ、そうだな。 せめて街道か川でも見つかれば、人里が近くにあるんだろうが……」
身寄りもなくこの森で暮らしていたポルは、目の前で頭を捻る常識を超越したこの男に興味と、それ以上の恩義を感じている。
「これも何かの縁だし、私がこの世界を案内してあげる!」
そう言って、鼻高々に案内役を買って出たのだった。
「本当か? それは助かる、是非ともお願いする」
渡りに船とばかりに、春人は申し訳なさそうにしつつも嬉しそうに微笑む。
「よーし! じゃあ、まずは近くの街に向かいましょうか! 付いてきて!」
ポルは羽を羽ばたかせて、森の出口とその先にある都市に向かって飛び始めた。その後ろを春人が静かに付いていく。
ポルの先導で森を抜け、数時間の歩程を経て、二人は異世界最初の都市『アルディア』へと到着した。
高くそびえ立つ石造りの城壁、行き交う馬車、そして中世ヨーロッパを思わせる活気あふれる街並み。ポルは春人の肩にちょこんと飛び乗ると、得意げに解説を始める。
「ここは国境沿いの交易都市なんだよ。いろんな種族の冒険者や商人が集まる、この辺りで一番大きな街なんだから!」
物珍しそうに周囲の露店や行き交うさまざまな外見の人々を眺めていた春人だったが、ふと、その歩みを止めた。
ぐぅぅぅぅ……。
春人の強靭な腹の底から、獣の咆哮のような凄まじい地鳴りが響く。生まれながらの超人体質は、その維持に常人の数倍のカロリーを必要とするのだ。
「うおっ!? な、何ごとおっ!?」
肩に乗るポルが身を震わしながら周囲を見渡す。
「腹が減った。そういえば転移してから何も食っていない」
「あ、なーんだ、びっくりしたぁ。じゃあそこの露店で何か買おうよ!」
「……待て。私はこの世界の金を持っていない」
「ええええええっ!? 無一文なのぉ!?」
頭を抱えて肩の上ををのたうち回るポル。しかし、すぐに何かを思い出したようにポンと手を叩いた。
「そうだ、ハルト! 私についてきて!」
ポルに案内されてやってきたのは、荒くれ者たちがひしめく『冒険者ギルド』の重厚な建物だった。見慣れぬ来訪者に視線の集まる中、受付へと一直線に向かったポルは、小さな身体で受付のカウンターに大きな布包みをドサリと置いた。
「受付のお姉さん! 討伐証明部位の買い取りをお願い!」
ギルドの受付嬢が怪訝な顔でその布を開いた瞬間、息を呑んだ。中に入っていたのは、先ほど春人が粉砕した巨獣――『突角熊』の、粉砕されずに辛うじて残った角の破片と不浄な毛皮の一部だった。ポルがハルトの戦いの後、こっそりと剥ぎ取っていたのだ。
「こ、これは……近隣の集落を脅かしていた賞金首の『突角熊』!? あなたたちが倒したのですか!?」
「まあね! このハルトがスパパーンってやっちゃったの!」
ポルが少し誇張を交えて胸を張る。ギルド内がにわかに騒然とする中、確かな証拠を前に、即座に高額な懸賞金が金貨の袋として支払われた。
「やったねハルト! これで大金持ちだよ!」
「いや、大部分はポルのおかげだ。早速、食事にしよう、是非奢らせてくれ」
「やったー!」
二人はそのままギルドに併設された食堂へと駆け込んだ。
運ばれてくる山盛りの肉料理、大皿のシチュー、巨大な黒パン。春人はそれらを猛烈な勢いで胃袋へと収めていく。その凄まじい食べっぷりに、周囲の冒険者たちだけでなく、横で器用に木の実をかじるポルも呆気にとられていた。
一息つき、空腹を満たした春人は、ジョッキの水を飲み干して切り出した。
「それでポル、これからのことだが」
「うん、ハルトはどうするの? 冒険者になる?」
「いや。女神からの要望は魔王の討伐だったが、都市の人々を見て改めて思った。俺はやはり、武を志す者を育てたい。この世界でも道場を開ければいいのだが……」
「ええっ!? 武器も魔法も使わないおかしな部屋を作るの!?」
「おかしな部屋ではない。五体を鍛え、技を研鑽する場所だ。そのためには、まず拠点が必要だな」
春人の固い決意を見たポルは、うーん、と少し考え込んだ後、ニヤリと笑った。
「それなら、いい物件を知ってるよ。安いけど、ハルトにぴったりの場所!」
冒険者ギルドを後にしてポルの案内で向かったのは、都市の喧騒から大きく離れた、西側の壁の外れにある場所だった。
そこにぽつんと佇んでいたのは、長年放置され、屋根は崩れ落ち、壁の木材も腐りかけた、文字通りの広大な『廃屋』だった。
「ここなら、さっきの褒賞金の余りで土地ごと格安で買い取れるよ! 誰も寄り付かない場所だし、どれだけ暴れても文句は言われないでしょ?」
「なるほど。悪くない」
春人は満足げに頷くと、金貨の袋を引っ提げてすぐに再びポルの案内で地主との交渉へ向かい、その日のうちに廃屋を購入した。
「最低限、雨風を凌げて、鍛錬にも耐えられる様にしなければな」
翌日から、春人による凄まじい修繕作業が始まった。
春人は道具も使わず、素手で巨大な丸太を軽々と持ち上げて柱を挿げ替え、手刀で木材を正確に切り裂いて床板を敷き詰めていく。ポルが驚愕するほどの驚異的な速度でリフォームが行われ、わずか数日で、埃っぽかった崩壊寸前の廃屋は、見違えるほど頑強な木造の建造物へと生まれ変わった。
磨き上げられた広い板の間の正面に、春人は自身ので筆を取り『修羅道場』と書いた木札を掲げた。
剣と魔法の世界の片隅に、突如として誕生した異質な武の鍛錬場。
看板を掲げた陣春人は、静かに腕を組み、精神統一しながら、まだ見ぬ門下生たちの到来を待つ。
そして、その時は意外にも早く訪れた。




