報われぬ防人と巡り合わせ
「ねえねえ、また手紙が来たよ! 今度は隣町の商会から『街道を塞ぐオークの群れを素手で叩き潰してくれ』だって!」
すっかり資金が潤った修羅道場の広間で、妖精のポルが大量の羊皮紙を抱えながら、嬉しい悲鳴を上げていた。
新春武術大会での弟子達の圧倒的な活躍、そして常識外れの同門対決となった決勝戦。あの凄まじい「格闘技」の衝撃は、アルディア領だけに留まらず、観戦していた近隣の領主や大商人たちの間へ瞬く間に広がっていた。
武器も魔法も使わず、ただ素手で全身鎧を昏倒させ、矢の雨を往なす。その「底の知れない異質の技」に目をつけた者たちから、魔物退治や山賊討伐の依頼が、殺到するようになっていたのである。
「ハルト、どうするの? これ、全部受けてたらちゃんこ鍋を食べる暇もなくなっちゃうわよ」
「フム……ちょうどいい。道場の中に引きこもってばかりでは、実戦の勘が鈍る。これは良い『遠征』の機会だ。全員、荷物をまとめろ。依頼の街へ出向くぞ」
陣春人が腕を組んでそう宣言すると、フランソワ、オリバー、バファローの三人は、引き締まった表情で「はい、師匠!」と力強く応じた。
こうして修羅道場の一行は、依頼の一つを片付けるべく、アルディア領を離れて近隣の要衝の街へと遠征に向かうこととなった。
――数日後。遠征先となった、魔王軍が侵攻するのではとの噂が流れている新興の街の兵舎。
そこでは、甲冑を身に纏った一人の人間の青年兵士が、上司である防衛隊長から激しい怒声を浴びせられていた。
「いい加減にしろ、ボリス! 規則、規則と判で押したように繰り返しやがって! 融通の利かん無能め! 領主様の親族が密輸の疑いがあるからと、なぜ馬車を律儀に止めて検査などした!?」
「防衛隊の規則第三条、及び街の防犯令に則ったまでです、隊長。いかなる身分であれ、不審な荷の検閲を免れる特権は存在しません。私は、兵士としての職務を忠実に全遂しただけです」
ボリス・ボルコフは、寸分の乱れもない直立不動の姿勢で、生真面目そのものの声を返した。その瞳には一点の曇りもない。
だが、その徹底した生真面目さと融通の利かなさこそが、汚職と事なかれ主義に染まった上司にとって、この上なく煙たい存在だった。
「黙れ! お前のような使えん頑固者は、我が防衛隊には必要ない! 今日限りでお前は解雇だ! さっさとその甲冑を脱いで、この街から出て行けッ!」
隊長は書き殴った解雇通告書をボリスの胸に叩きつけると、不快げに背を向けて兵舎の奥へと消えていった。
残されたボリスは、手渡された紙切れを見つめながら、ただ一人佇んでいた。
幼い頃から兵士に憧れ、国を、街を、人々を守るために、いかなる規則も忠実に守り、誰よりも必死に鍛錬を積んできた。それなのに、その生真面目さが災いして疎まれ、今まさにすべてを失ってしまった。
「……私は、間違ったことはしていないはずだ。だが……これからどうすればいい……」
頼るべき身寄りもなく、明日からの食い扶持すら失い、兵舎を出た後、暫く途方に暮れて街角で立ち尽くすボリス。
そこへ、どす、どす、と地響きを立てて歩く奇妙な一団が通りかかった。白い清潔な道着を着た美しきエルフ、鼠耳のホビット、巨漢の猪の獣人。そして、その中心で圧倒的な存在感を放つ黒髪の男――春人だった。
「ハルト、この辺りの地理はさっぱりね。依頼のあった『凶悪な魔獣が巣食う渓谷』までの道が、どの地図を見ても載ってないわよ」
「現地に詳しい案内役を探すしかないな」
ポルと春人の会話が、兵士として、群衆の些細な噂話や魔物、不審者の目撃情報を聞き逃さない習慣が体に残っていたボリスの耳に滑り込んだ。
ボリスは思わず、その一団の前へと歩み出た。
「失礼します。……もし、この街の周辺にある渓谷への道をお探しでしたら、私に案内を任せていただけないでしょうか。私は元防衛隊員のボリス・ボルコフ。この街の周辺の地理、魔物の生態、すべての巡回ルートを完璧に暗記しています」
ボリスは、解雇されたばかりとは思えないほど丁寧な敬礼をした。そして、春人達に生真面目かつ理路整然と自己紹介をして、案内役を買って出た。
春人はその男の佇まい、一切の揺らぎのない真っ直ぐな立ち姿を見つめ、フムと短く鼻を鳴らした。
「元兵士か。これは幸先が良い、是非とも案内を頼みたい。私は陣春人、修羅道場の主だ。よろしく頼む」
「こちらこそ。解雇されたとはいえ、街の安全のためであれば力を尽くしたいのです」
こうして、ボリスを案内役に迎えた修羅道場の遠征討伐が始まった。
しかし、ボリスが目撃することになったのは、彼のこれまでの「武」の常識を、木端微塵に破壊する狂気の光景だった。
「ガァァァッ!!」
渓谷に現れたのは、通常の防衛隊であれば一個小隊が全滅を覚悟して挑む程の難敵、『凶牙狼』の群れだった。
通常の狼を超える体躯、ただの剣や槍では傷を付けることが困難な毛皮、鉄の鎧や盾を容易く切り裂く爪と牙。何よりも、ボスを頂点とした統率された群体としての動き。
ボリスが咄嗟に身構え、「危険です、一度退避を!」と叫ぼうとした、次の瞬間。
「はっ!」
一番弟子のフランソワが、目にも留まらぬしなやかな動きで魔獣の懐に滑り込み、その硬質な毛皮の上から通背拳の衝撃を透過させて一撃で内臓を損傷させ、魔獣は苦しみ悶えて血反吐を吐いた。
さらに、迫る魔獣の突進を、オリバーが衣服を撫でるような流麗な円運動で完全に往なし、合気の理でそのまま渓谷の壁面へと投げ飛ばしていく。
仕上げとばかりに、バファローが大地を爆発させる摺り足で突進し、質量爆発の張り手で残りの魔獣達を吹き飛ばした。
「な……何なんだ、この人たちは……!? 武器も魔法も無しに、防衛隊の精鋭すら手こずる魔獣を、ただの素手で……!?」
ボリスは驚愕のあまり、顎が外れそうなほど口を開き、目を見開いて固まっていた。
だが、真の衝撃はそこからだった。
地の底から響くような咆哮と共に、渓谷の奥から、巨大なボス個体が姿を現したのだ。弟子たちが構えを取ろうとしたその時、春人がすっと一歩、前に出た。
「下がっていろ。こいつは私がやる」
春人は、突進してくる一際巨大な魔獣の正面に、ただ無造作に、自然体で立った。
そして、ただ一歩を踏み出し、無駄の全くない、極限まで練り上げられた『正拳突き』を一閃。
ズウゥゥゥゥンッ!!!
爆音と共に、渓谷全体に凄まじい風圧の衝撃波が吹き荒れた。
次の瞬間、ボリスの目の前で、巨大な魔獣の胴体にぽっかりと、向こう側の景色が見えるほどの綺麗な「風穴」が開き、魔獣は悲鳴を上げることすら許されずに絶命した。
「……あ、あり得ない。こんな……こんなことが……」
ボリスは恐怖と、それを遥かに上回る圧倒的な「武」の頂への憧憬で、身体の震えが止まらなかった。これほどまでに真っ直ぐで、純粋で、理不尽なまでに強靭な「拳」が、この世に存在するのか。
呆然と立ち尽くすボリスの前に、春人が歩み寄り、その瞳をじっと見つめた。
「ボリスと言ったな。お前の立ち姿、そして案内中の無駄のない規律正しい行動、見事だった。お前の持つその『生真面目さ』は、妥協を許さぬ我が修羅道場の鍛錬に耐えうる、最高の素質だ。……どうだ、ボリス。私の道場に来ないか? お前に、兵士に必要な実戦の技を授けてやる」
春人は無造作に、しかし圧倒的な熱意を伴って、ボリスへと勧誘の手を差し伸べた。
規則を守ったことで全てを失った自分に、その「生真面目さ」こそが最高の素質だと、目の前の超人が認めてくれたのだ。
ボリスの胸の奥で、冷え切っていた防人の魂が、ゴウゴウと熱い炎を上げて燃え上がった。
「……よろしくお願いします、ハルト師匠! このボリス、どの様な過酷な鍛錬であろうと、完遂して見せます!」
ボリスは、かつて兵舎の前で見せた以上の、寸分の乱れもない完璧な敬礼を春人に捧げ、その手を強く握り返した。
修羅道場に四人目の弟子がここに加わった。




