毒蛇に睨まれた巨岩
「我がアルディア領の猛き戦士たちよ! この日この時、この新春武術大会にて己が武を示し、優勝の栄誉をつかみ取るがいい!」
特設された貴賓席から、絢爛豪華な衣装を纏った領主が傲然と開会を宣言した。その瞬間、会場を埋め尽くした観客たちから割れんばかりの歓声が巻き起こる。
しかし、領主の満足げな視線は、出場者たちが並ぶ一角でピタリと止まった。
そこには、剣も槍も杖すらも持たず、ただ白い道着に身を包んで静かに佇む妙な一団がいた。陣春人を筆頭とする、修羅道場の面々である。
(フン、武器も防具も持たぬ愚か者どもめ。領主の館で行われる神聖な大会を、ただの物乞いの売名行為と勘違いしているのか?)
領主は不快げに眉をひそめ、怪訝そのものの冷たい視線を春人たちへ投げかけた。だが、春人はそんな視線などそよ風ほどにも気に留めず、腕を組んで目を閉じている。
「さあ! 待ちに待った一回戦第一試合が始まるぞ! 出場選手は中央の舞台へ上がれィ!」
拡声の魔法具を手にした司会進行役の男が、びゅうびゅうと声を張り上げた。
「まずは東側からの入場だぁ! かつて高名な騎士団に所属し、その圧倒的な力で戦場を血で染めた鉄壁の重戦士! 出る戦いすべてで敵を挽肉にしてきた、全身鎧の破壊者――バルトロぉぉぉ!!」
ドス、ドス、と地響きを立てて舞台に上がったのは、文字通り頭から爪先まで重厚な鉄の鎧で固めた巨漢だった。手には身の丈ほどもある大剣を引っ提げている。観客は大盛り上がりだ。
「対する西側……えー、何だこれ。登録名は……修羅道場の、フランソワ? 武器の所持は無し! 防具も無し! ……おいおい、お嬢ちゃん。ここは子供のかけっこの場じゃねえんだ、命が惜しけりゃさっさと実家に帰りな!」
司会のぞんざいな紹介とあからさまな嘲笑に、観客席からも「おいおい、エルフのねーちゃんが裸同然で何しに来た!」「一撃でミンチだぞ!」と下品なヤジが飛ぶ。
だが、悠然と舞台に立ったフランソワは、ヤジなど意に介さず、ただ静かに細く美しい自身の両手を見つめて、呼吸を整えていた。その佇まいは、恐ろしいほどに冷徹だった。
そして、舞台にて両雄が対峙する。体格差は言うまでもなく、装備面でも遥かに劣勢。観客の誰もがバルトロの勝利を信じて疑わない。
「それでは――始めいッ!!」
合図の銅鑼が鳴り響くと同時に、騎士崩れのバルトロが下道な笑みを浮かべて大剣を振り上げた。
「死ねや、小娘がぁぁぁ!!」
鉄の塊が風を切り裂き、フランソワの脳天へ向かって猛然と振り下ろされる。誰もが、エルフの美女が無惨に叩き潰される未来を想像した。
しかし。
フランソワの身体が、まるで骨がないかのように不自然にしなった。
大剣の軌道を紙一重でかわした彼女の身体が、一瞬でバルトロの懐へと滑り込む。
「はっ!」
フランソワの細い右腕が、鞭のようにしなってバルトロの分厚い胸甲へと叩きつけられた。――通背拳。
激しい金属音が響いたが、鉄の鎧には傷一つついていない。バルトロは「効かねえよ!」と笑おうとした。
だが、その瞬間、バルトロの全身を強烈な衝撃が突き抜けた。
通背拳によって放たれた爆発的な衝撃波は、硬質な鉄の鎧を完全に透過し、バルトロの肉体内部、そして神経へと直接叩き込まれたのだ。
「が、は……っ!?」
衝撃でバルトロの全身の筋肉が完全に硬直する。一歩も動けなくなった鉄の巨漢の目の前で、フランソワの美しい手の形状が、酷薄な『蛇の顎』へと変化した。
「終わりよ」
シュッ、と鋭い呼気と共に、彼女の指先が目にも留まらぬ速度で突き出される。――蛇拳。
その狙いは、分厚い装甲ではない。首のガードと胸甲のわずかな隙間、鉄のプレートが噛み合う「関節の継ぎ目」だった。
フランソワの指先は、狂いなくその鎧の隙間をすり抜け、バルトロの頸動脈の急所へ、目釘を打ち込むかの如く正確に突き刺さった。
「カハッ、あ……」
大剣が手からこぼれ落ち、床に甲高い音を立てて転がる。
次の瞬間、バルトロの巨体は、糸が切れた人形のように前へ倒れ込み、激しい金属音と共に舞台へと沈んだ。完全に気絶している。
試合開始から、わずか数秒。文字通りの一瞬の決着だった。
「…………え?」
司会進行役の手から、魔法具がポロリと滑り落ちる。
武器と防具、魔法こそが武の象徴であり、常識である異世界においてありえざることが起きている。
さっきまで騒ぎ立てていた観客たちも、ヤジを飛ばしていた冒険者たちも、貴賓席でふんぞり返っていた領主も、全員が言葉を失って固まっていた。
武器も持たないエルフの娘が、鉄壁の重装騎士を、ただの素手で、触れた瞬間に沈めたのだ。
「な、何が起きたんだ……!?」
「今、魔法を使ったか!? いや、魔力の気配なんてなかったぞ!」
「あの噂は本当だったんだ! あいつ、本当に素手で全身鎧の奴を倒しやがった……!」
静寂のあと、波が広がるようにして、会場全体に凄まじい驚愕のどよめきと戦慄が沸き起こった。
ざわざわと恐怖に震える周囲を他所に、フランソワは静かに構えを解くと、春人の方を振り返り、綺麗に一礼した。
その瞳に充足感はあれど、慢心はなかった。自身の拳が春人という頂きには、まだ程遠いと自覚していた。
それでも、修羅道場の「拳」が、異世界の常識を粉砕した確かな瞬間だった。




