世界が違えど、先立つものは必要
「――というわけだから、ハルト! 我らが修羅道場は今、深刻な『資金不足』なのよ!」
道場の広間で、妖精のポルがすっからかんになった突角熊の懸賞金が入っていた袋を逆さにしながら、悲痛な声を上げた。
道場の主である陣春人は、腕を組んでフムと鼻を鳴らす。
それもそのはずだった。フランソワとオリバーに加え、大食らいの猪の獣人バファローが三番目の弟子として加わったのだ。バファローの食べる量は並の人間の数倍。春人が作る特製の『ちゃんこ鍋』の消費スピードは、当初の予想を遥かに超えていた。いくら魔獣の骨や肉を春人がアルディアの近辺からタダで調達してくるとはいえ、調味料や最低限の野菜、水を買うための資金が底を突きかけていたのである。
「ハルトの強さと指導は超一流だけど、経営能力は壊滅的ね! このままだと、明日からちゃんこ鍋の具材がそこらの雑草になっちゃうわよ!」
「師匠、申し訳ありません……僕のせいで……」
バファローが巨体をこれ以上ないほど小さく縮こまらせ、耳を垂らして消え入りそうな声を出す。
「気にするな、バファロー。弟子に腹一杯の飯を食わせるのが師匠の役目だ。……さて、どうしたものか。どこかで大物でも狩ってくるか?」
春人が平然と、その辺のドラゴンでも撲殺して売ればいいというような口調で呟いた。その常識外れな発言に、ポルは慌てて小さな手を横に振る。
「ダメダメ! あんたが下手に街の外で大暴れしたら、またギルドが天変地異と勘違いして大騒ぎになるわ! ……でも、ちょうどいい話があるのよ」
ポルは不敵な笑みを浮かべ、一枚の羊皮紙を机に広げた。
「今度、この街の領主様の館で『新春武術大会』が開催されるの。腕自慢の冒険者や傭兵が集まるお祭りよ。なんと、優勝賞金は金貨五十枚! これだけあれば、あのバファローが一年間大食いしてもお釣りが来るわ!」
「金貨五十枚か。よし、私がサクッと出て稼いでこよう」
春人が即座に立ち上がろうとした。その瞬間、ポル、フランソワ、オリバーの三人が同時に叫んだ。
「「「絶対にダメ(です)!!!」」」
「なぜだ?」
「なぜだ、じゃないわよ!」
ポルが春人の鼻先に飛びつき、激しい身振り手振りで制止する。
「あんたの『正拳突き』は大型の魔物の胴体に風穴を開けるのよ!? そんな化け物が人間の大会に出たら、領主の館ごと参加者が消し飛んじゃうわ! 大会じゃなくて大虐殺よ!」
「……加減はするつもりだが」
「あんたの加減は、この世界の『即死』なの!」
やれやれ、と春人が肩を落とした時、ポルが腰に手を当てて名案を思いついたように胸を張った。
「そこで提案よ! ハルトが出場する代わりに、弟子たちを出場させたらどう?」
「弟子たちを?」
「そう! フランソワもオリバーも、バファローだって数日前の大騒ぎで、もうそこらの冒険者じゃ相手にならないくらい強くなってるわ。修羅道場の『格闘技』がどれだけ凄いか、領主様や街の連中にお披露目する絶好のチャンスじゃない!」
その言葉を聞いた瞬間、大人しく控えていた弟子たちの目の色が変わった。
「私の……蛇拳と通背拳が、どこまで通用するか試せる、というわけね」
フランソワが、細く美しい自身の両手を見つめながら、好戦的な笑みを浮かべる。その目はすでに、獲物を狙う蛇のそれだった。
「僕の太極拳と合気道が、武器を持つ相手にどれだけ通用するか……師匠、僕に道場の看板を背負わせてください!」
オリバーも丸い耳をピンと立て、小さな身体から確かな闘気を放っている。
「僕も……僕も出ます! 師匠にいただいたこの身体が、どこまで耐えられるか、実家の父ちゃんや街の連中に見せてやりたいです!」
バファローが太い拳を握りしめ、地面が揺れるほどの気迫で一歩前に出た。
三人の並々ならぬやる気と、その成長ぶりに、春人はしばし沈黙した。彼らの実力なら、よほどのことがない限り不覚を取ることはない。何より、実戦こそが最高の修行である。
「……いいだろう。修羅道場の名に恥じぬ戦いをしてこい。ただし、相手は魔物ではない。殺すなよ」
「「「はい!!」」」
こうして、修羅道場の大会出場が決定した。
それからの数日間、道場ではさらに苛烈な大会直前の「特別なしごき」が幕を開けた。
フランソワは、刹那の一瞬で爆発的な速度と脱力を得るために空中に吊るされた革袋を鞭のようなしなりを乗せてひたすらに叩き。
オリバーは、重心を一切上下させず、腰の回転だけで前後左右に素早く移動する膝行を膝の皮が剥けるまで続け。
バファローは、春人とのスパーリングで新たに体得したドロップキックなどの空中技を、跳躍の高さ、体のひねり、着地の姿勢に至るまで細かくフォームを確認して調整する。
弟子たちの悲鳴とポルの治癒魔法の光が昼夜問わず交錯することとなったのは言うまでもない。
そして数日後。大会当日。
領主の館の広大な中庭に設置された特設闘技舞台の周囲は、割れんばかりの熱気に包まれていた。
会場には、各地から集まった名だたる参加者たちの姿が出揃っていた。全身をゴツゴツとした全身鎧で固めたベテラン重戦士、妖しく光る魔導杖を携えた高慢な魔術師、二振りのシャムシールを腰に帯びた凄腕の暗殺者、そして大柄な亜人の傭兵たち――。
誰もが血生臭い戦場を生き抜いてきた猛者であり、放つ威圧感は並の者を気絶させるに十分だった。
その猛者たちの視線が、一際異質な一団へと注がれる。
武器を一切持たず、白い清潔な道着を身に纏い、静かに佇む三人――フランソワ、オリバー、バファロー。そして、その背後で岩のように腕を組む黒髪の男、陣春人。
「おい、あいつらを見ろよ……」
「武器も持たずに何しに来たんだ?」
「あのデカい猪の獣人、数日前に酒場で大鎚を素肌で受け止めたっていう……」
ざわざわと不穏にざわめく参加者たちや観客の中、修羅道場の初めての「表舞台」の幕が、静かに上がろうとしていた。




