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汞が実家に帰って大体一ヶ月半ぐらい。

病気の治療なら実家よりも家の方が治療しやすいのに、汞は「実家で療養するよ」と言い、凛子さんが家まで迎えに来てあっさり帰ってしまった。今までいた息子がいなくなるのはとても寂しく、身体も心配だが本人が戻るというなら私はその考えを尊重するしかない。私は母親だと思っているけど、汞からしたらやはり叔母でしかないのかもしれない。淋しいけど仕方がない。

それに毎週汞に電話をしても出るのは凛子さん。

汞は一度も出ない。

メッセージなら返事はくれるが電話には絶対出ない。凛子さん曰く、弱っている自分の一部も見せたくないそうだ。汞らしいといえばらしいけど。

でも今回は絶対に引くわけにはいかない。

自分の為にも、汞と清把ちゃんの為にも。

私は携帯電話から凛子さんの番号にかける。

「はい。……佳奈恵ちゃん、瑣高さこうは相変わらずよ。ベッドで大人しく寝ているわ」

凛子は苦笑している様だ。

「そう。悪化してなくて良かった」

私は心底ほっとした。とはいえ、嘘の可能性もある。だからこそ絶対汞に会わなければならない。

「それなら会いに行ってもいいよね、凛子さん」

「……それはまだ、難しいかな……」

先程とはうって変わって、声のトーンが低くなる。言葉を濁してはいるが、明らかに私が行くのを拒否している。だけど私も引くわけにはいかないのよ。

「うん、凛子さんの気持ちもわかるし汞の気持ちもわかる。汞は弱みを見せたがらないもんね。でも、汞の友達も汞の心配をしてて、その子も汞に会いたがってる。体調がまた悪化する可能性もあるんだから、落ち着いている今しか会えないかもしれないじゃない。それに凛子さんも汞も、今でさえ会ってくれないなら、悪化したら絶対に会ってくれないじゃない」

「それは……」

図星をつかれた凛子さんは言い淀む。十年以上付き合っていればそれぐらいわかる。

「でも、待って。汞に友達がいたなんて初耳だわ。あの子が友達なんて作るはずはないわ。それは佳奈恵ちゃんも知ってるでしょ?」

凛子さんは話をすり替えてきたが、私は凛子さんの問いに答えた。

「勿論知ってるわ。でもその子の事、汞は大事にしてるわ。本人がどう思っているかはわからないけど、側から見たら大事に可愛がってたわよ」

「え……瑣高が、大事に、可愛いがる……?」

凛子さんは信じられないもの聞いて驚き、言葉が出ない様だ。そうでしょうとも。

「そう。その可愛いがられていた子がどうしても汞に会いたいって。その子、汞と会えなくなってから毎日ずっと心配してるの。その子を安心させてあげるためにも、その子と一緒に一度汞のお見舞いをしたいの。お願い、凛子さん」

私は凛子さんの情に訴える。

凛子さんは暫く黙っていたが「駄目よ」と答えた。

「それなら余計に駄目よ、佳奈恵ちゃん。瑣高が可愛がったというなら、瑣高が傷つく事になる。わかるでしょう、佳奈恵ちゃんなら」

「ええ。わかるわ。よくわかるわ。わかるからこそ、会わせてあげたい。それにその子には、汞のその事も話してあるの。あ、汞には内緒ね。だからその子は汞のそういう事情、自分もそうなる可能性がある事も承知の上で会いたいって言ってるの。だからお願い、凛子さん!」

「佳奈恵ちゃん……」

凛子さんはまた黙ってしまった。

すぐには答えられないのだろう。

またしばしの沈黙の後、凛子さんの声が聞こえた。

「ごめんなさい、佳奈恵ちゃん。やっぱり駄目。瑣高の事を考えたら会うべきじゃないわ」

凛子さんはキッパリと拒絶した。やっぱり思った通りの結果だった。

それならば最後の手を使うしかない。

「わかった。無理言ってごめんなさい、凛子さん。その子には私からは無理だったって伝える」

「ううん、こっちこそごめんね、佳奈恵ちゃん」

上辺だけは申し訳なさそうな気持ちが携帯電話から伝わる。凛子さんは汞の事に関してはとても神経質になるから、私としては予想通りの結果だなと思った。だけど。

「私は行けないけど、その子は一人で汞の元へ行くわ。だってその子、今汞の近くにいるんだから」

「えっ!? どういう事、佳奈恵ちゃん?」

「言った通りよ、凛子さん。その子ね、汞に会いたくてすぐ近くにいるのよ」

「え、近くって……」

凛子さんは動揺している様だ。

「その子、元々汞と——瑣高と初めて会ったのはそこなのよ。清把ちゃんから聞いたんだけどね」

「清把ちゃん?」

「そう。久桷清把くずみきよはちゃん。清把ちゃんのお母さんの実家が凛子さん家の近くなんだって」

「…………そう。その子、何処の家の子かしら」

凛子さんの声が、冷たくなった。私は小さく唾を飲む。そんな凛子さんの声は初めて聞いたし、妙な迫力を感じて少し緊張する。

流澤ながさわ。凛子さん家の隣らしいわよ」

「流澤の子? そう。そうなら…………ああ、じゃあきっと実夏子の子ね。…………そう。そうなの。…………いいわ、佳奈恵ちゃん。その子、家に入れるわ。……ごめん、また後でかけなおすわね」

「え、あ、凛……」

凛子さんは私の返事も待たずに電話を切った。

清把ちゃんの助言はびっくりするほど効果覿面だった。

「清把ちゃん、凄い。でも、凛子さんの方がちょっと」

怖かった。

凛子さんのあんな冷たい声なんて、今まで聞いた事がない。あのクズと別れる時だって、あんな冷えた声は聞いた事がない。まあクズにかける声も無かっただろうけど。

ともかく、凛子さんのあの様子なら清把ちゃんだけでも汞には会えるだろう。私も会いたかったけど、清把ちゃんから様子を聞けばいい。

携帯電話をテーブルに置いて時計を見た。十六時を少し過ぎていた。

「うーん。結構話してたなあ。夕飯の支度の前にお茶でも飲もう」

私は大きく伸びをして、キッチンへと向かった。


凛子は電話を切った。

ソファに座ったまま動けなかった。

頭の中がぐわんぐわんと痺れる様な感覚に襲われていた。

(瑣高が……流澤の娘と……? いつから……? 瑣高の時って佳奈恵ちゃんは言ってたっけ? なら、六年前……? 六年? 六年も瑣高は流澤の娘と……?) 

私ははあ、と大きな溜息を吐いた。

一体瑣高はどういうつもりで流澤の娘と付き合っていたのだろうか。

流澤の家が私達、祀賀偂しがさきの家に何をしたのかわかっているのに。しかも六年も付き合っていたらしいなんて。

今瑣高がこんな目にあっているのも全部流澤の——この村の奴等のせいなのにっ!!

あいつらは産まれる前から私達の人生を奪った。四辜よつみも殺された。私達は今もあいつらにじわじわと殺されているのに。

なのになんでなのっ、瑣高!?

私は俯き、両手で携帯電話をぎゅっと力を込めて握る。

(でも……待って。なんで流澤の娘がうちに近づくの?)

普通なら絶対うちには近寄らせないはずなのに。それに清把、なんて名前は聞いた事がない。

……ああ、実夏子の娘なら何も聞いていない可能性はあるわね。外に出た娘ならこの村の者であっても、深くは関わらせないのだろう。けど私からしたらこの村の血を引いていれば皆同罪だ。

(でももし流澤の娘が瑣高に好意を持っているなら、とてもいい事が起こるかもしれないわね。というか、もう起きてるのかしら? ああそうか、だから瑣高は。何が原因なのか話さなかったけどそういうことね。やだ、そうだとしたら凄く愉しいのだけど。ふふっ)

そう思ったら自然に嗤いが込み上げてきた。

「っふふ。やだもう、そう、そうなのね瑣高。それなら言えないわよねぇ。困った子。でも凄く愉しくなってきたわ、私。ちゃんとその子をおもてなししないとね。ふふっ、ふふふ」

私は一気に機嫌が上向き、握っていた携帯電話をテーブルに置き、ディスプレイに表示された時間を見てあらやだ、と呟く。

「ご飯の支度の前に瑣高と母さん達の様子、見に行かなきゃ」

私は玄関に向かい、サンダルを履いて三人のいる母屋へ軽やかになった足で向かった。

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