肆拾捌
(え、ええっ!?)
一番驚いたのは清把だった。
罵倒され、詰られるのかと思っていたのにまさかキスをされるとは思わず、清把は驚き目を見開いたままだった。
瑣高はすぐに離れてくくっと笑った。
「あはははっ! さすが清把ちゃん。相変わらず斜め上の事を言うね。ふふっ」
流れていた涙も瑣高のキスで引っ込み、清把は呆然と瑣高を見た。
「っふふっ。……普通ならさ、ごめんなさい、許してとか言うはずなのにさ、嬉しかった、なんて言葉は出ないと思うんだよね。思ってても言わないものだと思うんだけど、っふ。でも言っちゃう所が清把ちゃんだよね」
「だ、だって、本当に嬉しかったんだもん! ……だって、それだけ私の事、想っててくれた、なんて……」
清把はしどろもどろとしながら言う。
「でも僕は清把ちゃんを恨んで死んだんだよ」
「うん。わかってる。私は瑣高君を殺したんだもんね。恨まれて当然だよ。でもね、私は、恨まれても憎まれても、それだけ強く私の事を想ってくれた事が嬉しいの。だって、感情を持たない様に生きてきた瑣高君が私には強い感情を持ってくれた。そんなの嬉しくないわけないじゃん」
清把は泣き腫らした顔で、瑣高に笑顔をみせた。
泣き腫らし、涙の跡も残って可愛いとは言えない顔なのに、瑣高にはその笑顔が堪らなく可愛らしくて全身が粟立つ様な感覚に襲われた。
今の瑣高は死人で、感覚など何も無いのに。
それなのにそんな感覚を呼び出す清把が愛しくて愛しくて堪らなかった。
「清把ちゃん」
瑣高は清把を抱きしめた。
「ひゃっ!?」
いきなり優しく名前を呼ばれて抱きしめられれば驚いて変な声も出る。
「清把に触るなっ!!」
その光景が絶対に許せない原田が二人に飛び掛かろうとしたが「うわっ!?」と声を出してすっ転んだ。べたんっ! と前のめりに倒れた原田をすかさず康太が取り押さえた。
「ちくしょっ、離せよ篠原さんっ!」
「黙れ、クズガキが」
康太は冷たく言い放つ。
瑣高は騒ぐ原田を冷たく一瞥し、清把に視線を戻す。
「清把ちゃん、よく聞いてね。母さん達も聞いてね」
瑣高は真顔になり、清把と凛子の方を順に向いた。清把は「うん」と頷き、凛子も「ええ」と頷いた。
「清把ちゃん。僕はね、死んでいるんだ」
清把は目を見開き、瑣高を見上げた。
瑣高は微笑を浮かべ、優しい目で清把を見ていた。随分と痩せてしまっているが、今の瑣高は自分が知っている瑣高だった。清把はゆっくりと顔を下げると瑣高の鎖骨あたりで視線が止まる。
そうだ。
招かれざる客のせいで有耶無耶になっていたが、瑣高は死んで棺の中に安置されていたのだ。
だが瑣高は今、起きて動いて喋っている。
おかしい。
死んだなら、死体は動かない。
死んだ、のか?
本当に?
里如が言った様に芝居じゃないのか?
でも瑣高は嘘なんて言わない。
でも瑣高だって嘘をつくかもしれない。
清把はまたゆっくり瑣高を見上げた。
そこには先程と同じ、優しい目をして微笑を浮かべる瑣高がいる。
「確かめて」
瑣高は清把の右手を取り、自分の首——頸動脈を触らせる。
「!!」
そして次は口元、最後に心臓。
「………………」
清把は何かを言おうとしたが、声にはならなかった。
(脈が、ない。呼吸も、ない。心臓も……鼓動が無い。私の手を握る手も……体温を感じない……)
ただただ信じられないという顔で瑣高を見る。
そして額を軽く瑣高の胸元に押し当て、縋りついた。
「…………鼓動、しないね」
清把は瑣高にだけ聞こえる声量で呟いた。
「うん」
瑣高も清把にだけ聞こえる声量で返す。
「やっぱり、私が……殺したんだね……」
「うん。そうだよ」
「そっ、か……」
「うん」
瑣高は縋りつく清把をそっと抱きしめた。
清把は瑣高が大事なものを守る様に、自分を抱きしめてくれた事が嬉しくて、でも哀しくて。
ごちゃ混ぜになった感情がまた溢れて泣いてしまわない様に、瑣高に縋りながら耐えていた。
それを見た原田がまた喚き出すので、康太が佳奈恵にチラリと視線を向け、佳奈恵は頷きバッグからハンカチを取り出し、喚き散らしている原田の口を手際よく塞いで巻いた。いわゆる猿轡だ。
原田は猿轡を外そうと全身をバタつかせるが、体格のいい康太に抑え込まれては、ただの無駄な足掻きにしかならない。
「…………僕はね、死にたくなかった。でも『死』自体は誰にでも来る。ただこんな村のために死にたくなかった。無為に生きるんじゃなく有為に生きたかった。でもそれを願い実行することは、僕にとっては『死』へ直行だ。生きたい生きたいと願ってただ死んだ様に生きるなら、この村のためになってしまう。じゃあ自分の幸せのために生きると決めれば、僕はすぐに死ぬ。嫌になるよねえ、本当に。……まあそんな葛藤をしながら思ったんだ。何で僕は、僕達だけがこんな思いをしなきゃならないのかってね。そして願った。僕は自由にいきたい、こんな村なんて無くなればいいってね。そうしたら叶ったんだ、その願いが。だから僕は今ここにいる」
瑣高はゆっくりと周りを見た。
凛子は穏やかな顔で、佳奈恵と康太は驚きながらもどこか納得した様な顔で、美夏子は痛ましさと恥いる顔で、里如は頭を抱えたまま蹲ったままで、原田息子は暴れる事は止めたが殺意のこもった目で瑣高を睨みつけ、原田父は部屋の隅でへたり込み、沢田はただじっと控えているだけだ。
清把は何も言わず、瑣高の腕の中でじっと何かに耐えている様だ。
「僕はね、気づいたんだ。生きている間は忌々しい呪いに囚われていても、死んだら自由だって、何をしてもいいんだってね。だから僕は僕の願いを叶えるために戻って来たんだ」
瑣高は自分に縋りつく清把を愛しげに眺めた。
「清把ちゃん。僕に顔を見せて?」
瑣高は清把の背中をとんとん、と優しく叩くが清把は小さく頭を振って嫌がった。
「清把ちゃん。お願い。僕は清把ちゃんの顔を見て答えを聞きたい」
そう言われてしまえば清把は顔を上げざるを得ない。清把は瑣高のお願いには逆らえないのだ。
清把はゆっくりと顔を上げて瑣高を見上げた。
まだ顔は浮腫んでいるが、泣き止んだ事でいくらか浮腫みは引いた様だが、少し拗ねた表情で瑣高に言った。
「……瑣高君は狡い」
そんな言い方されたら逆らえないじゃないかと、言外に言っている。
「ふふっ。今さらだろう?」
瑣高は清把の頭を撫でた。機嫌を直してね、という風に。
そんな二人のやり取りを見た佳奈恵がクスッと笑う。
「確かに汞ね」
「ああ。いつもの二人だな」
康太も苦笑しながら佳奈恵に同意した。
「あら、そうなのね」
凛子が意外だという風に言った。
「ええ、いつもあんな感じで戯れあってましたよ」
佳奈恵は微笑ましい顔で、在りし日を思い出している様だが、凛子は表情を曇らせる。
「そう。それなら壮絶な苦しみだったでしょうね、あの子は」
眉間に皺を寄せ、凛子はぼそりと呟いた。
清把は瑣高の着物を握ったまま、少し瑣高から離れた。このまま瑣高から手を離してしまったら、もう二度逢えない様な気がして不安だからだ。
瑣高は微笑してまた話し出す。
「……僕はね、願ったんだ。清把ちゃんが僕の事を強く望んだら現世に戻れる様にってね」
「え……?」
「清把ちゃんなら絶対に僕を望んでくれるってわかってはいたけど、まさかあんな言葉だとは思わなくてね……ふふっ。まあ、清把ちゃんらしいといえばらしいんだけど。くくっ」
瑣高はその時の事を思い出したのか、くすくすと笑い出す。
「え、ええっ!?」
清把はその時の事を思い出す。
(ええー、何言ったけ? そんな変な事言った!? ええーと……。腕、腕を棺で掴まれた時……)
「あ」
思い出したね、思いだしたよ!
私——
「まさか『馬鹿』が目覚めの言葉だなんて想像もしなかったよ。逢いたいとか、目を覚まして、とか、好き、とかそこら辺の言葉だと思ってたんだけど、まさか罵倒されるとはね。ふふっ」
「あ、え……と、そ、それは……」
清把は羞恥で一瞬にして身体が熱くなった。
何か言おうと考えている様だが、言葉が見つからない様だ。
「くくっ、いいよ。ちゃんと見てたからね。知ってる」
「見て……?」
清把はきょとんとした。
「そうだよ。僕は霊体でこの家にいたよ。だからさっき言った池ヶ谷や四辜の話は本当。直接本人達から聞いたからね」
瑣高はいい笑顔を見せた。
その二つの家はもう無いはずで、生き残りの者なんていないはずだ。
じゃあ誰に? と考えるが、深くは訊かないでおこうと思い、清把はそれ以上は言わなかった。
瑣高は笑みをすっと消し、清把をじっと見た。
(ああ、大事な話をするんだな)
その表情を見て清把はすぐに察した。
「清把ちゃん。僕はね、幸せになりたいんだ。感情を壊さず普通に生きて、人を好きになって、結婚して。できれば子供もいればいい。……そんな人並みの生活に憧れていた。でもその幸せは一人じゃ手に入らない。生きているうちは絶対にできない。でも、死んだら現世のしがらみには縛られない。自由なんだ。だから僕は今、それなり幸せだ。でも最高に幸せなわけじゃない。僕の望んだ願いは一人じゃ叶わない」
瑣高は自分の着物を掴んでいる清把の左手を優しく剥がして、手を取り、左手の甲に口づけた。
そして、今まで見た事がない程真摯な眼差しに、乞い願う表情で言った。
「——僕と一緒に逝来て欲しい」
その言葉を聞いた清把は、花が咲く様に美しく可愛らしい表情になり、零れ落ちた涙は朝露の様にキラキラと輝きとても綺麗だった。




