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九夏(きゅうか)の恋  作者: 水瀬 りお


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肆拾漆

死んだはずの瑣高が、目を開き、喋った。

そしてゆっくりと起き上がり、掴んだままの清把の左手の甲にキスをした。

「っ……!」

清把は思わず手を引っ込めようとしたが、手はびくともしなかった。

「酷いなあ、清把ちゃん。清把ちゃんが僕に文句を言うから頑張って起きたのに、逃げようとするなんて」

寝起きで少し掠れた様な声で喋り、瑣高は軽く首を傾げて物憂げに微笑した。

「あ……」

清把は目の前で物憂げに微笑する瑣高を見て、恐怖が止まらない。

確かに瑣高なのに、瑣高じゃない。

何が違うのかと言われてもよくわからない。

とにかく今までの瑣高とは違う。

本能的にそう感じるのだ。

だから離れたい。

大好きな瑣高のはずなのに、怖くて怖くて——少なくとも今はまだ近寄れない。

清把は泣きながら、なんとか腕を引き戻そうと頑張るが、腕は接着剤で固定されたがごとく動かない。

だが不意に瑣高の指から力が抜け、清把は腕を引き戻せたが、いきなり離されたので勢いあまって後によろけ尻餅をつきそうになったが咄嗟に佳奈恵が抱き止め、尻餅はつかずにすんだ。

「あっ、かっ、かなえさっ、あり、がとう」

「いいのよ清把ちゃん」

佳奈恵はぎゅっと清把を抱きしめ、棺の中で座っている息子——であるだろう者を警戒の目で見る。

「こんにちは、佳奈恵さん」

瑣高は微笑した。

「………………」

佳奈恵は清把を抱きしめながら、ジリジリと後に退がる。

そんな佳奈恵を物悲しげに見た後、瑣高はゆっくり全体を見回した。

「なんだか凄い面子だね」

瑣高は苦笑しながら言った。

「クズ親子は不法侵入よ。私、呼んだ覚えも家に入る許可も出してないもの。……お還り、瑣高」

凛子は柱から瑣高の側に寄った。あの地震は一瞬だけで今はなんともないが、あの地の底から突き上げられた感覚はとても不気味で恐ろしいものだった。

「そうなんだ。流石クズ親子だね。それよりちょっと肩をかしてくれる、母さん。まずはここから出たい」

「いいわよ」

凛子はさらに瑣高の棺にくっついた。

瑣高は凛子の肩に手を置いて棺から出たが、よろめいて後に倒れそうになったがすぐに前に重心をかけて踏ん張った。

「おっと。自分の身体なのに違和感を感じるなんてね。今まで身軽だったからかな」

凛子以外は皆、瑣高を警戒し、距離を取っている。

「うーん。そんなに警戒しなくてもいいんだけどね。まあ仕方ないか。なにせ死人が動いているんだからね」

瑣高は苦笑し、視線を清把に向けた。

清把はどきりとした。あの笑い方は瑣高だ、と。

そこだけ見るなら、確かに瑣高だ。瑣高なのだが、清把はまだ疑念が消えなかった。

そもそも死人が生き返るのだろうか。

それとも死んだと言ったが、本当は死んでいなかったのだろうか。だとしたら何の為にそんな事をしたのか。わからない。わからないなら見極めるため、ただ今は目の前の瑣高から目を逸らさない事にした。

場がしんと静まり返ったが、我に返ったのか里如が吠え出した。

「おい、一体何なんだ、これは! 棺? 死んだ? 誰が? だが死んだって言ってた奴が今起き上がって喋っている? んなわけねーだろっ!! 死んだ人間は生き返らないんだっ! だからお前は最初から死んでない。こんなふざけた芝居して一体どうしたいんだ!? いい加減にしろっ!! お前はただ子供作って、穢れを負って死ねばいいんだよっ!!」

「「里如!」」

清把親子が同時に怒鳴る。

「いい加減にするのはお前だよっ!」

清把は佳奈恵の腕から抜け出し、また里如の元へ怒りを露わに進む。

「何で瑣高君だけ穢れを負わなきゃいけないのよっ! お前達の出した穢れだろっ! お前達のやらかした事ぐらいお前達で後始末しろよっ!! もう瑣高君達に押し付けるなっ!!」

「そうよ、里如。さっきも言ったけど、もうそういう時代じゃない。残った穢れを村が負いたくないならちゃんと祀賀偂(しがさき)さんにお願いするしかない。だけどそれすらもしない、できないなら私達はもう祀賀偂さんに関わってはいけない。何もしない私達が都合のいい要求だけをするなんておかしな事だわ」

母親が清把の背後に立ち、清把の両肩に両手を置いて言った。清把は首を少し後に傾け母親を見た。母親は小さく頷いた。

「はっ。叔母ちゃんは部外者だもんな。いくらでも無責任な事が言えるもんな。あーあ、ほんっとに最悪だわ。虫唾が……」

「虫唾が走るのはこっちだよ、流澤」

瑣高は里如の言葉を遮り、清把達の方へ静かに歩き出した。

「さっきからずっとお前の話を聞いていたけど、本当に不愉快極まりない。そもそも僕の家は罪人じゃない。当時の権力者の腹いせで選ばれただけだ。四辜(よつみ)とは違う。あれは本当の罪人の家系だ。とは言え、もう時代が違う。だから二百年前の先祖達は自分達を解放する為、動いたんだ。その当時は僕達のおかげで、もう不作や凶作に見舞われる事はなかったから、裕福というほどではないが多少の蓄えはできる程度の生活だったからね」

開いたガラス戸から入る冬の冷気よりも冷えた目で、瑣高は里如を見下ろした。

「だけど、一度甘い蜜を知った害虫共は蜜を生み出す僕達を解放する訳がない。はっ。それは今も変わらない。僕達がいなきゃ何もできない無能はお前達だ。お前達こそ死ねばいい」

瑣高はくくっと嗤って、ゆっくり腕を組む。

「まあ、でもお前達に何ができるとも思わないよ。清把ちゃんの言った通り、お前達は負け犬だからな」

「なんっ……だとっ」

里如の身体は、怒りで小さく震えている。

「そうだろう。だってお前はこの家に入りもしないし、名前も呼べない。そんな奴が臆病で、弱虫で、負け犬じゃないって? お前より清把ちゃんの方が立派だよ。あはははははっ!」

「っ……!」

瑣高は愉快だと言わんばかりに高らかに嗤い、里如は図星をつかれ顔を赤くして、怒りと羞恥で震えている。

「ははっ。それにそもそもこんな名字を押し付けてきたのはお前達だ。生きるより、死が早く来るから『死賀偂(しがさき)』なんてな。お前達が押し付けた名字を、押し付けたお前達が言えない、なんて本当に嗤わせる。っははっ」

里如は何も言い返せず、ただ地面を睨め付けるだけだ。

「それだけじゃない。言霊というのを知っているか? 僕達三家はお前達が押し付けた名字に、生き様そのものまで押し付けられたんだ。池(ち)ヶ谷(や)は血(ち)が家(や)。血が家の者が死ぬ時はいつも家。そしていつも誰かを道連れにして死ぬから家は血塗れ。一人で死ぬのは嫌だから、いつも誰かを道連れにしていたんだって。本当はそんな事、したくなかったけれど、もう本能みたいになっていて逆らいたくてもどうにもできなかったって。四辜(よつみ)は死罪の罪人の家だから死(四)罪。四罪(よつみ)は罪人の家だから、罪人と関わりあいになりたい者なんていない。だから結婚相手はどうしても近親者が多くなる。兄弟姉妹、おじおば甥姪。ただ、近親婚でも両親と子供という組み合わせだけは避けたと言ってたよ。せめてもの抵抗だって。こんなに近親だらけなら今更親子でシても変わらないと思うんだけどね。まあそうやって四罪は血を重ねた。途中、よその血が入っても濃くなりすぎた血は容赦なく心身共に異常をきたす。四罪はね、大体腹上死、つまりヤりながら死ぬ事が多いんだ。血に依存、セックスに依存。近親婚という罪を犯しながら四罪は死んで行ったんだ。祀賀偂(しがさき)は死が先に来るから死が先。家はね、幸せを掴もうとすると幸せではなく、死が先に来るんだ。だから家は大体三十代まで生きれたら長生きなんだ。そりゃあそうだよね。二十年、三十年も幸せを望まないで生きるなんて無理だよね。ただ、祖母ちゃんと母さんは例外」

瑣高は小さく肩を竦め、少しおどけた様な表情をした。

瑣高は俯いている里如の髪の毛を乱暴に引っ掴み——大きな魚を持つかのごとく、里如を自分の目線近くまで持ち上げた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーっっ!! 痛ぇ痛ぇ離せよっ!! あ゛あ゛あ゛ーっっ!!」

里如がぎゃんぎゃん喚きながら瑣高の手を髪の毛から離させようと暴れるが、瑣高はびくともしないが、それ以前におかしい。

里如は中肉中背の成人男子だ。

それを痩せ、筋力も落ちているはずの瑣高が片手で掴み上げ、平然としている様はどう見てもおかしい。

「煩いな、黙れよ」

瑣高は空いている左手で喚き散らす里如の口を塞いだ。

「んーっ、ゔんーっ!!」

口を塞がれても里如は喚き散らす事をやめないが、瑣高は無視して里如の目をしっかり見て話す。

「なあ、お前達のせいで僕達は何百人死んだと思ってるんだ? しかも全員、お前達村人を恨んで怨んで死んだ。勿論、死んだ今だって恨んでいるよ。当然だよね。謝罪もしない、供養もしない。これで恨むなって言う方がおかしい」

里如の目は血走り、呼吸もだんだんおかしくなってきている。

瑣高は里如を廊下にポイと投げ捨てた。

「ゔあっ!!」

里如は鈍い音を立てて廊下に身体を打ちつけた。

ぜーはーぜーはー呼吸しながら里如は蹲る。

そんな里如を瑣高は鼻で嗤うと近くにいる清把へ顔を向けた。

「ねえ、清把ちゃん。僕達三家の者が死んだ後、どんな扱いを受けるか知ってる?」

瑣高はスッキリした様な顔で清把に問う。

清把は怯えながら小さく首を振った。

「僕達はね、土葬されるんだ。火葬じゃなくてね。公衆衛生からいっても火葬が望ましい。実際、この村の奴らは火葬だ。土葬されるのは僕達三家だけ。何でだと思う? それはね、死んでもその身に穢れを負えっていう事なんだ。埋葬の時は目付役が来てちゃんと土葬か確かめてから埋葬されるんだよ。……信じられる? 死んでからも僕達は犠牲にされ続けられるんだよ。だからね、三家の土地は怨嗟で溢れ返っているんだよ」

「ぐふっ」

瑣高は蹲っている里如の背中を力強く右足で踏みつけた。

「それなのにっ。こいつらはっ、僕達にはっ、何も返さない」

瑣高は里如を踏み躙りながら話す。その姿を見て、清把は恐れ慄いた。そして、最初に感じた違和感に気づいた。

今の瑣高は感情が豊かなのだ。

今まではなにがあっても、感情をこんなに露わにする事はなかった。瑣高は感情をいつもいつも、内へ内へと押し込めていた。感情は多少顔に出ても、すぐに押し殺して微笑を浮かべていた。

瑣高は変わったのではない、今が本当の瑣高なのだ。そう気づいた清把の胸中は瑣高への憐憫で溢れた。

(瑣高君……)

今、目の前で瑣高がしている事には目を背けたい。大好きな瑣高があんな風に人を虐げるなんて見たくもない。しかも虐げている相手は従兄弟だ。

里如には詰られ、憎悪された。瑣高の事も罵倒し、嫌忌している。それでも、面倒を見、優しくされ、楽しく一緒に過ごした時間を思い出すと、完全には嫌いになれないし、いたたまれない気持ちも湧き上がる。

でも、瑣高達にした事を思えば受け入れるべき報いとも思う。

瑣高を止める事も、里如を庇うこともできず、ただ二人をを見守る事しか清把はできなかった。

里如を虐げていた瑣高だが、多少は溜飲が下がったのか里如から離れ、清把に近づいた。

「ごめんね、清把ちゃん。嫌なものを見せちゃったね」

言葉ではそう言っても全く悪いとは思っていない顔で瑣高が言った。

清把は瑣高をじっと見つめて、両肩に手を置いていた母親を振り切って瑣高の胸に飛び込んだ。

「清把!?」

母親は突然の事で娘を引き止められず、また引き戻す事もできなかった。娘の悲痛な声が躊躇させたのだ。

「ごめっ、ごめんなさい、瑣高君! お祖父ちゃんや祀賀偂さんが、私がっ、私が、瑣高君を殺したって言ったの。それは……本当、なの……?」

清把は皆にそう言われたし、そうじゃないかとは思っている。

自分の恋心が瑣高を殺した。

信じたいけど、信じたくない。

嬉しいけれど、絶望しかない。

瑣高が自分の事を好きでいてくれた。

それは心底嬉しい。

だけどその想いが大好きな、大好きな人を殺してしまったのなら、絶望と底の見えない苦しみしかない。

それを訊きたくても、訊きたい本人はいない。

でも今目の前に訊きたい本人——瑣高がいる。

清把は泣きながら瑣高を見上げ、答えを待った。

瑣高は清把の頭を優しく撫で、慈愛に満ちた表情で言った。


「うん。本当だよ。君が僕を殺したんだよ、清把ちゃん」


清把は目を見開き、ゆっくりと頭を下げた。


「あっ、あ……」 


何を言えばいいのかわからない。

瑣高の着物を掴んでいた両手から力が抜け、だらりと下がり落ちる。

瑣高本人から死の原因を肯定され、身体中に絶望と罪悪感が駆け巡るが、それと同時に湧き上がる一つの感情。

思ってはいけない、否定しなければいけない。

でも——消す事のできない感情。

それは——


「嬉しいんでしょ、清把ちゃん」


瑣高の言葉に清把はバッと頭を上げた。

瑣高は先程よりも深い慈愛の表情で、清把の顔を冷えた両手で優しく包む。


「だってそれは僕も清把ちゃんが好きだって事だからね。……そうだよ。僕はね、清把ちゃんの想いがとても嬉しくて——一緒にいきたい、と願ってしまった。そこからはもう、坂道を転げ落ちる様に身体は死へと向かったよ」


「瑣高、君……」


清把は顔を歪め、止まった涙がまた溢れだした。


「でもね、同時に清把ちゃんの事が心底憎かった」


瑣高の表情が一変して、悪意に満ちて唇は綺麗な三日月になった。


「当然だよね。僕の人生はもう死しかないのに、清把ちゃんは僕のいない世界で幸せに生きようとしている。僕を殺したくせにね」


清把の顔を包む瑣高の両手に力が籠り、徐々に痛みが強くなるが、清把は何も言わずただ瑣高を見上げ、話を聞く。


「そんなの赦せるわけないよね。僕を好きになって僕を殺したくせに、自分だけ僕じゃない誰かと幸せになるなんて。絶対に赦せない。そうして毎日毎日、死ぬその瞬間まで君を憎悪し、呪ったよ」


清把はその言葉を聞いて腰の辺りが一瞬、疼いた様な気がした。そして何とか話そうとして、痛む頬を懸命に動かした。

瑣高は清把の顔から両手を離した。頬に残る痛みや痺れた感触が残っていて話しにくかったが、すぐに瑣高に話したくて、頬をマッサージしながら、一語一語をしっかりはっきりと声に出す。


「瑣高君」


ん? と瑣高は小さく首を傾げた。

頬に残った違和感は大分消え、一度小さく喉を鳴らしてからまた口を開いた。


「瑣高君は、死ぬ瞬間まで本当に、本当に……私の事、考えてたの?」


「ああ。清把ちゃんを恨みながら死んだよ」


「ほんと、に……?」


清把の声が震えた。


「ああ」


「ほんと、に?」


「ああ、本当だよ」


その言葉を聞いた瞬間、清把の全身はぶわっと歓喜で粟立った。


「ぅ、ゔっ、嬉しいよぉ。ゔっ、うぇーん……」


清把は顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。


「ふっ、ははっ! なんだよそれ。殺した謝罪じゃなくて、僕が清把ちゃんの事を考えて死んだ事が嬉しいなんて……!」


怒りとも嘲りとも取れる声音で瑣高は吐き捨て、立ち尽くして泣いている清把の顎を右手で掴み上向かせた。


「清把!」


本能的に娘の危機を感じ取った母親が清把を引き戻そうと足を出した瞬間。

「ひっ!?」

母親は止まっで足を見た。

足には黒蛇が巻き付いていた。

「や、やだっ、あっち行って!」

母親は左足をブンブン振って、足から黒蛇を振り解いた。

「びっ、びっくりしたっ……って、清把!」

母親は足から清把に顔を向けると、清把と瑣高がキスをしていた。

「はっ!? え??」

この場にいる全員が「え?」という顔で清把と瑣高を見ていた。

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