肆拾陸
近づいて来る原田を康太が遮る。
一瞬で顔を顰め、原田は道を遮る康太を睨みながら言った。
「退いてよ、篠原さん。俺、清把を迎えに来ただけだから。清把ー! こっち来てよ、一緒に帰ろう。そんで、初詣に行こう!」
原田は康太に阻まれながらも笑顔で手を振っている。
「っ……!」
清把はますますゾッとして棺に身体を押し付け、強く強く縁を掴む。
初めて見る娘の怯え様に、母親はこれは危険だと察知し娘の前に立ち、庇う。
原田は清把清把と連呼し、連呼される度に頭を振って、声を掻き消そうとしている。
そんな娘の姿を見ては母親として黙っていられない。そもそももう近づくなと電話ではあるが、原田の親、入口の障子の所の、部屋の隅にいる父親に抗議したのに。全く対応されていないではないか。許せない。
母親——美夏子は、端にいる佳奈恵に視線を向け、「お願いします」と言って康太の脇をすり抜ける。
佳奈恵はすぐに清把の側に行き、清把をぎゅっと抱きしめた。
「下がって」
康太はすり抜けて来た美夏子に言ったが、美夏子は「大丈夫です」と返し、騒いでいた原田にきつい視線を向けた。
「原田君、だったわよね」
「あ、はい!」
原田は清把から目の前の美夏子の方を向き、若干照れた様な緊張した様な声を出し、表情をしていた。
「あなた、お父さんから聞いているはずだと思うけど、うちの清把に付き纏うの、いい加減にしてちょうだい。もう弁護士にも相談するわね」
美夏子は厳しい声と表情で原田に告げた。
「え、ええっ!? ちょっと待って下さい、おばさん。おばさんは何か誤解されてませんか? 俺と清把さんは付き合っているんです。あ、もちろん結婚前提ですので安心して下さい」
原田は焦りながらもちょっと照れた様な表情で美夏子に話す。
「はぁ? 君、本当に何を言っているの? 清把は君と付き合ってなんかいない。それどころか嫌って怯えているの。君がおかしなぐらいしつこく付き纏って、清把、体調も崩したのよ。今だってあんなに嫌がっている」
美夏子はチラリと清把の方に視線を流した。
清把は佳奈恵にしっかりと守られているが、娘の表情から怯えの色は消えていない。美夏子は元凶である原田を更にきつく睨みつける。
「それに、そもそも何で君はここにいるの? ……まさか私達をつけていたの?」
「え、違います、違います! 俺、そこの人の弟です、一応」
原田は瑣高の棺を指差し、その言葉を聞いた美夏子と清把は驚愕した。
美夏子は清把の方を向き、康太越しに「清把、あんた隠してたの!?」ときつい口調で問う。
清把はやや血の気の引いた顔で強く頭を振った。そして隣にいる佳奈恵の顔を見た。
佳奈恵は心底嫌悪しているという様な表情で頷いた。
「本当よ、清把ちゃん。あのクズガキと汞は腹違いの兄弟なの」
清把は信じたくないのか、凛子の方に顔を向け、「本当よ」と淡々と告げられた。
凛子はあっさりと原田の言葉を肯定した。確かにそんな特別な縁でもなければ、ここまで乗り込んではこないだろう。多分。
だが清把はその事実よりも、瑣高が自分にその事を言わなかった事にショックを受けた。何故、自分にそんな大事な事を教えてくれなかったのか。
清把はそれが悔しい。
「佳奈恵さん。瑣高君はなんで私に教えてくれなかったの……」
「清把ちゃんに教える必要はないからよ」
清把は一瞬目を見開き、傷ついた表情で俯いた。
ああ、信じたくなかったけど、やっぱり自分は瑣高の暇つぶしと村への嫌がらせのためだけに相手にされていただけだと。
「あっ、やだやだごめんね。言い方が悪かったわね。えーとね、汞にとってクズガキなんて同じ血が流れていただけの他人。自分にとって何の価値も無いものをわざわざ清把ちゃんに教える必要もないってこと」
佳奈恵のフォローの言葉を聞いても、自分を慰めるための嘘にしか思えなく、清把は悲しみが更に深くなる。悲痛な面持ちの清把に佳奈恵は慌てて自分の言葉不足を詫び、また改めて言い直した。
「ねえ清把ちゃん。汞、清把ちゃんに必要だと思ったことは、どんな小さな事でも話してたでしょ? 話さなかったっていう事は、清把ちゃんには全く必要のない事だってこと。だから安心して。汞は清把ちゃんの事、大事に思ってたよ」
「佳奈恵さん……」
清把はぼろぼろ涙を溢して泣き出した。
佳奈恵はそう言ってくれたが、実際はわからない。でも、佳奈恵の言葉を清把は信じたかった。
「清把! 泣かないで。あんなやつの事で清把が泣くことなんて無いんだ。……でも、泣きたいなら俺の腕の中で泣いてよ。俺が絶対にあいつの事、忘れさせるから。ね、だからこっちにおいで、清把」
原田は康太に行手を阻まれてもまだ懲りずに妄言を清把に伝える。そのあまりの妄言に、この場にいる全員がゾッとしたり強い嫌悪感を抱いた。
清把はこのあまりに酷い妄言を聞いて、激しい怒りが身体の底から湧いて、溢れる涙も止まった。
あんまりにも気持ち悪くて気持ち悪くて、清把はブチ切れて立ち上がろうとした時。
「おい、祀賀! 居るんだろ!? 出て来い! 外の車は何だ、一体何する気だ、おい、出て来い! 出て来いって言ってんだよ! 祀賀!」
外からもブチ切れた怒声が響いた。
テレビドラマとかである、借金取りが言う様な、あんな感じのノリだ。
しかもその声にはとてもよく聞き覚えがあった。
「里如?」
母親がその声の主の名を言った。
その怒声がだんだんと近づき、窓をガンガンと乱暴に叩く音も加わった。
本当に借金取りが来た様な感じだ。
里如が清把達のいる部屋の前のガラス戸の前まで来た時、中の人間も外の人間も互いを見て固まった。
「…………え。叔母、ちゃん……? 何で、こんな所にっ、て、え……?」
里如は叔母がこの場にいた事に疑問と驚愕が押し寄せたが、それ以上に奥座敷にある白木の棺を見て、目を見開いた。
里如はガラッと乱暴にガラス戸を開けた。そして奥にいる凛子を、強い強い殺意のこもった視線で睨みつけた。
「おい、祀賀。その棺はなんだ。まさかあいつが死んだなんて事はないよな?」
今まで聞いた事のない、怒りで震える低い里如の声が、部屋の中に届く。
「瑣高は死んだわ。それが何?」
凛子は一歩前に出て里如にさらりと答えた。
「……あ゛? ふざけんなよ? そいつが死んだら村が滅びるだろうが! 何が『死んだわ』だよっ! お前、どう責任とんだよ、ああ!?」
まるでヤクザの様にガラ悪く、一歩的に凛子を詰る里如に清把はさらに腹が立った。
何故一方的に瑣高の家が悪者になるのか。
悪いのは、何もしないそっちじゃないかと。
「知らないわよ、そんなの。あなた達でどうにかすればいいじゃない。私達は五百年も生贄をやらされたのよ。今度はあなた達がどうにかすればいいじゃない。馬鹿ね」
凛子は最後の言葉に思い切り悪意を乗せ、里如を見下して嗤った。
「あ? ふざけるな、罪人如きが俺達に逆らうな。クズが」
里如も負けず、凛子に暴言を吐く。
互いに一触即発、次は何を仕出すかわからない緊張感の中、それを断ち切る声があった。
「止めなさい、里如!」
美夏子はつかつかと甥に向かって歩き出す。
「黙りなさい。それ以上失礼な事は言うんじゃない」
ピシャリと甥に言い切り、怒りの表情で甥の顔を見る。
里如は初めて見た叔母の剣幕にのまれ、数瞬、呆然とするが、すぐに立ち直り叔母に言い返す。
「叔母ちゃんこそなんでこんな所にいるんだよ。ここがどういうとこかわかってんのか?」
「勿論よ。清把と祀賀偂さんから聞いたわ」
「わかってんならなんでここにいるんだよ!」
里如は苛ついた。わかっているなら何故いるんだ、と。
「清把の友達が亡くなったのよ。お別れをしに来るのは当然でしょう。それに私だけでも今までの事をお詫びしなければいけないの。許してもらえなくてもしなきゃいけない事なのよ。あんたももう子供じゃないんだからわかるでしょう?」
美夏子は甥を嗜める。村がやった事はもう仕方ない。時代も時代だからだ。でも今の時代は違う。もう、飢えや寒さに怯えなくていいのだ。そういう時代なのだ、今は。それならば村はもう、謝罪し、礼を言うべきなのだ。
「……はっ。叔母ちゃん、すっかり外の人間だな。外の奴らには俺達の気持ちなんてわからねーよ。もういい、もういいからさっさとこの村から出てけよ。この裏切り者が」
「里如……」
清把は立ち上がり、小走りで母親と従兄弟の元へ行くとグイッと従兄弟の首元を掴んでバシッとその頬に平手打ちをかました。
「てっ!」
「清把!?」
清把は里如のセーターを掴んだまま、ブチ切れた。
「ふざけんな! 何が裏切り者だ、外の者だよっ! お前達が馬鹿だから私達が正しい事を教えてやっただけだろっ! 瑣高君達はもう五百年も頑張ったんだ! 残った穢れぐらいお前達でどうにかしろよっ! ああそうか、お前らはチキンだもんな。嫌な事は全部他人に押し付けて自分達は高みの見物。自分達は偉いんだって、瑣高君達とは違うんだって見下すだけっ! 何も違わねーよっ! 同じ人間だよっ! むしろチキンなお前らよりずっと偉くてかっこいいよっ!!」
清把は涙を流しながら里如に思っていた事をぶちまけた。
そのあまりの剣幕に、里如も母親も、この場の全員が今度は清把の勢いにのまれた。
里如は自分を掴む清把の両手を乱暴に叩き除けた。
清把は痛みに顔を顰めたが、強い非難の顔で里如を睨みつけている。
「おい、清把。随分言いたい放題言ってくれたがなあ、元はと言えばお前が悪いんだ。お前があいつを殺したから、俺達村の者は今の生活を失うんだ。お前のせいでなっ! それにこいつらが穢れを負うのは義務なんだ。なんてったって罪人だ。そんな罪人に謝れ、感謝だ? 罪人にそんなことする馬鹿がどこにいる? ああ、目の前にいるなあ、馬鹿な罪人がな!」
里如も憤怒の形相で清把を詰る。
「罪人?」
「あ? わかんねーのかよ。馬鹿だな! お前はあいつを殺したんだ。立派な罪人じゃねーか。俺達、この村の奴らに穢れを撒き散らすんだからなあ。あーあ、お前のせいで死ぬ奴が出るかもなあ。なあ、罪の無い村人を殺して満足か、清把?」
「っ……それは……」
清把は言葉に詰まった。
村人の事はどうでもいい。自業自得だ。だが、瑣高の事については別だ。
「里如!」
「俺の清把を泣かせるな!」
母親と原田の声が重なった。
「はあ? 誰だよお前」
里如は話に割って入って来た原田を睨みつけ、警戒する。
「俺は清把の恋人だ。お前こそ誰だ。俺の清把に馴れ馴れしくするな!」
「違う! ふざけんな、このクズ!」
清把は顔を振り向け、背後にいる原田を全身全霊で拒絶した。
「清把、もうそんな酷い事を言うのは止めよう? もうあいつはいないんだから隠す必要なんて無いんだからさ。ね、清把?」
「はあ? ふざけんな! お前の事なんて大っ嫌いよ! 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い大っ嫌い!!」
「ふっ、ははっ、はははっ! なんだよお前、二股なんてしてたのかよ。酷い女だな。こんな女と血が繋がってるとか虫唾が走るわ」
「里如! 黙りなさい!」
「清把、清把!」
里如が嘲笑し、母親が怒鳴り、原田は清把を呼び続ける。
清把はもう頭がおかしくなりそうだった。
煩い、煩い、煩い、煩い煩い煩い煩いっ!
なんでこんな目にあうの?
私、ただ瑣高君に逢いに来ただけなのに。
まだ、ちゃんとお別れもしてないのに。
なんで、なんでちゃんと瑣高君とお別れさせてくれないの?
なんで?
なんで?
そもそも……そもそも瑣高君が死ななければ、私、こんな目にあってないんじゃない?
瑣高君が死ななければ。
瑣高君が死ぬから、私を置いて死んじゃうから……。
そう、そうだよ。
全部、全部瑣高君が悪いんだよ。
瑣高君が。
「あーーーーっ、もう煩い煩い黙れっ!!」
清把は足を踏み鳴らす。
幼い子供が癇癪を起こした様に。
「もうっ、もうっ、みんな瑣高君のせいだよっ! 瑣高君が勝手に死ぬから私、こんなクズにここまで付き纏われてるんだよっ!」
清把はびっと原田を指差して怒鳴る。
そしてズカズカと瑣高の元へと移動する。
棺の縁をぎゅっと握って怒鳴る。
「瑣高の馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿っ! 何で死んじゃうのよっ! 勝手に死なないでよっ! わたっ、わたっ、しっ……ゔっ……」
瑣高の胸元に清把の涙がぼたぼたと流れ落ち、着物に染み込む。
清把は大きく息を吸った。
「瑣高の馬鹿っ! 私を置いて逝くなっ! 逝かないで……逝かないでよ……。私、私っ、苦しいよ……」
清把は静かに眠る瑣高の頬をそっと優しく触れ、撫でる。
冷たい頬が、もうこの世にいない事を実感させた。
そして清把は、心の底から、全身全霊で怒鳴った。
「瑣高の馬鹿っ!!」
ドンッ!!
怒鳴った後、部屋全体が地の底から突き上げられ揺れた。
地震だ。
「わっ!?」
あまりにも強い突き上げで清把はバランスを崩して倒れそうになったが、右手でしっかりと棺の縁を掴んでいた事と、左手がしっかりと掴まれていたので倒れなかったのだ。
「え……?」
清把は全身が一気に冷えた。
清把の左手は誰かが掴んで固定してくれたから、倒れなかったのだ。
誰が?
棺の中に置いてある清把の左手を掴める者は誰もいない。
佳奈恵はへたり込んでいるし、凛子も柱にしがみついている。
だが、たった一人だけいる。
棺の中で永遠の眠りについている瑣高だが、瑣高は死んでいるのだ。
清把は全身が心臓になったかの様に、恐怖と緊張でバクバクしていた。
この状況が、今目の前で起きている事が信じられなかった。
何故なら、動くはずのない瑣高の右手がしっかりと清把の左手を掴んでいたのだ。
そして——ゆっくりと開くはずのない瞼が上がり、生前と変わらない綺麗な目が清把を捕える。
「おはよう、清把ちゃん」
もう二度声を聞く事もできず、話す事もできないはずの瑣高が——ぎこちない微笑を作った。




