肆拾玖
清把はぽろぽろと涙を零しながら、自分の手を取っている瑣高を見上げている。
瑣高は蕩けるような優しい笑みを浮かべている。
その顔を見続けるのが、恥ずかしくなって少し俯いた。
(瑣高君が私に——プロポーズ、してくれたの? 一緒にいきて欲しいって——。いき、て……?)
清把は意味に気がついた。はっとして、瑣高を見上げた。瑣高は悲しみと苦しみが混じった様な表情をしていた。
「——うん。清把ちゃんの考えている通りだよ。言ったよね、僕は死んでいるって。だから——そういう事だよ」
(やっぱりそうか。瑣高君は一緒に逝ってくれって、死んでくれって言ってるんだ)
清把は瑣高の顔をじっと見つめる。
瑣高はまだ握っている清把の左手を撫でた。
清把の左手を包む瑣高の手からは温もりを全く感じなかった。
「——清把ちゃんが断っても、僕はそれを受け入れるよ。言いたい事は言えたし、後悔はない。けど——」
瑣高は清把の左手を撫でながらしばし黙る。そして——言った。
「未練は残るかな」
瑣高は清把の左手を自分の頬に持って行き、触れさせた。そして清把の左手に小さくだが、自分の頬を擦り付けた。哀しげな表情を滲ませながら。
清把は思わず吹き出した。
「ふっ、ふふっ。あははっ。瑣高君、必死すぎ、あざとい! あははっ」
「酷いなあ、清把ちゃん。必死になるのは当然だよ。だって、僕を呼び戻す程、僕への気持ちがあるわけなのはこの身をもって証明できたからね。それならもう、形振り構ってはいられないよ。——清把」
瑣高は清把の左手の平にちゅっ、と音を立ててキスをした。
清把の全身が一気にぶわっと熱くなり、驚いて左手を引っ込めた。
以外にも瑣高はあっさり清把の左手を離したが、その表情は悪戯が成功して嬉しそうな少年の顔をしていた。
畳がバンバンと鳴る音がする。
また、原田がバタバタともがき出したのだろう。
「返事が欲しいな。清把ちゃん」
瑣高は優しく笑いながらもその笑みの中には、自分を選ぶだろうという揺らぎない自信も混じっていた。
「ふふっ、仕方ないなあ。…………私、瑣高君と一緒に逝くよ」
瑣高は初めて見せた満面の笑みで、両腕を広げた。
清把も笑みを浮かべ、瑣高の腕の中へと収まった。
「清把!? あんた何言ってるの!? 早くこっちに来なさ……あっ!?」
「お母さん!?」
清把が母親の異常に気づき、振り返って瑣高の腕から出ようとしたが、瑣高はぎゅっと抱き寄せた。
「瑣高君!?」
「大丈夫だよ、清把ちゃん」
「でもっ!」
母親は足が動かない様で、動きたくても動けない感じだった。
瑣高は不安な清把を安心させる様に微笑した。そして、正面にいる清把の母親、美夏子に挨拶をした。
「初めまして、清把ちゃんのお母さん。僕は祀賀偂瑣高です。初めての挨拶がこんな場で大変申し訳ございません」
心からすまなさそうな表情をして、瑣高は頭を軽く下げた。
「そう。……そうね、私ももっと普通に会いたかったわね、祀賀偂さん。それよりも私の娘を返してくれないかしら。清把、こっちに来なさい」
手は動く様で、母親は瑣高を軽く睨みながら娘へ手を伸ばした。
こっちに帰って来なさい、家族の元へ帰って来なさいと。
「瑣高君。離して」
「清把ちゃん」
清把は顔を後に向け、自分を囲う瑣高の腕をぱしぱし叩き、瑣高は行くなと言葉にはしないが、表情で懇願する。
「私を信じないの?」
「っ……。それは……」
清把が瑣高を裏切った事はない。
やるな、と言った事をやって叱った事はあるが、約束した事を破った事は一度も無い。
だから信用している、信じているが、それでも瑣高は不安だった。
仮に裏切られても、もう問答無用で連れて逝くが、ちゃんと清把の意思で一緒に逝って欲しいから。
やっと手に入れた可愛く愛しい女を絶対に手離したくないのだ。
清把は瑣高が躊躇した瞬間、腰を落として下からスルッと瑣高の腕の中から抜け出した。
「清把っ!」
自分から逃げた清把をすぐに捕まえ様としたが「待ってて!」と言い捨てられ、瑣高の動きが止まる。
清把はととと、と小走りで母親の元へ行った。
「清把っ!」
母親はがしっと手元に戻った娘をぎゅっと抱きしめた。
「よかった……、よかった、清把」
母親は安堵の声を出し、自分の元へ帰って来た娘の背中を優しく撫でた。
娘も母親の背中に両腕を回してぎゅっと抱きついた。
(ああ……お母さんの匂いがする。優しくて、ほっとする匂い。……当然か。だって、お母さんから産まれたんだもんね。こんな風にぎゅってするなんて、中学校? 小学校以来かな? 今はもうこんな風にぎゅっとする理由も無いし、あっても恥ずかしくてできないよ。でも……これが最後のぎゅっだからちゃんと覚えておく。お父さんや鈴花ともちゃんとお別れしたかったけど……ごめんね、二人共)
清把は息を吸って、涙が出ない様に誤魔化した。
「お母さん、今までありがとう」
「清把!?」
母親は驚き強く娘を抱きしめた。
とても、とてもいやな予感がしたのだ。
だから強く娘を抱きしめたのだ。
どこにも行かせない様に。
「何言ってるの、清把! 私達はこれから帰るのよ。変な事言わないで! ほら、もう帰るわよ」
「……ごめんね、お母さん。私、瑣高君と一緒に逝くね」
「は? 行くって何処へ?」
「うーん、遠い所かなあ、多分」
「何言ってるの? 駄目よ、お母さん許さないわ」
「うん、そうだよねえ。でも……ごめんね。私、瑣高と逝くって決めたの」
「駄目よ清把、駄目っ!」
母親はさらに力を込めて清把を抱きしめた。
少し苦しいが、それも今日、今この時で最期になるのだから我慢する。
もう……母親に抱きしめてもらう事などないのだから。
「ごめん、ごめんねお母さん。私、瑣高君と逝くから。……だって、瑣高君、私に逢うために生き還ったんだよ? 死んだんだよ、瑣高君。死んだのに、私に逢いたいからって、還って来たんだよ……」
「何馬鹿な事を言ってるの! 死んだ人は生き返らないのよ! 生き返るわけなんてない! 里如の言う通り、きっとお芝居かなんかしたのよ。しっかりしなさい、清把! だから、だから……」
母親も心の何処かでは、瑣高が生き還ったとわかっているのだろう。だがそれは人智を超えた力。その人智を超えた力は何なのか。考えたくもないのだろう。
「ごめ、んね……お母さん。私、瑣高君と行かなかったら一生後悔する。このまま逝っても後悔するかもしれない。でも、同じ後悔でも、ついて逝かなかった後悔の方がずっと大きいの。絶対、毎日毎日、ついて逝かなかった今を思い出してはずっと後悔するの。だから……逝くね。お父さんと鈴花に会えないのはちょっと心残りだけど。三人で仲良く生きてね。……じゃあね、お母さん」
「駄目よ! 駄目駄目、駄目よっ、清把!!」
母親はどこにこれだけの力があるのか想像できない程、さらに清把を抱きしめた。
これには流石に清把も小さく咳き込んだが、すぐに抱きしめる力がゆるんだ。
「大丈夫? 清把ちゃん」
瑣高が来た。母親の力がゆるんだのもおそらく瑣高が何かしたのだろう。
「瑣高君……。うん、大丈夫だよ」
清把はゆるんだ母親の腕からゆっくりと抜け出し、離れた。
そしてすぐ傍に立つ瑣高に寄る。
「駄目、行かないで、清把……」
「お母さん……ごめんね」
母親は娘へ手を伸ばす。
あと少し、ほんの少しで娘に手が届くのに、届かない。
それでも母親は諦めず、指を伸ばすが掴めるのは空気ばかり。
「清把、駄目よ……。こっち、こっちよ……」
母親は涙を流しながら、諦めず必死に腕を伸ばす。
「おかあ、さん……」
清把は自分を必死に求める母親の姿が、嬉しくて、辛くて、悲しくて、申し訳なくて。
母親のこんな姿はもう見たくない。
でも、見なければ行けない。
母親にその姿はさせたのは、自分なのだからと。
でもやっぱり辛くて辛くて、清把の右手は瑣高の着物を掴んだ。
瑣高は着物ではなく、自分の手を握る様、清把の右手に触れると清把はすぐに瑣高の左手を握った。
そんな清把を愛しげに一瞥すると、正面にいる清把の母親に視線を移す。
「清把ちゃんのお母さん」
母親は今瑣高の存在に気づいたかの様にびくりとして、瑣高を見上げた。
涙に濡れたその顔はあまりにも憐れで、見る者は皆胸を痛ませるだろう。
「ねえ、返して。清把を返してよ……ねえ……ねえ……」
瑣高は清把の右手を握ったまま、ゆっくりとその手を引き、自分の横から前に来る様に引き寄せた。
「申し訳ございませんがそれはできません。清把さんは僕を選んだ。僕も清把さんを手離す事はしません。それに……僕達は今のあなたの様にこの五百年間、奪われ続けてきたのです。その気持ちがおわかりいただけましたか」
「そんなっ……」
「お母さん……」
瑣高は悪意をのせながら艶然と笑んだ。
「ですが。清把さんを大事に幸せにします。これだけは言えますよ」
「瑣高君……」
清把は涙を零し、それ以上は言えなかった。
瑣高は指で清把の涙を優しく拭った。
「……温かいんだろうね、清把ちゃんの涙も頬も。今の僕にはもうわからないんだけどね」
「瑣高君……」
「ああ、ごめん。そろそろ逝こうか、清把ちゃん」
瑣高は微苦笑して清把の背を優しく押した。
「うん」
「清把! 駄目、駄目よ! 行っちゃ駄目っ!!」
母親は必死に叫ぶが、清把は振り切る様に前を、佳奈恵達のいる方へ進み出した。
母親は身体を捩り悶えながら動かない下半身を動かそうとするが動かない。
必死に娘の名を呼びながら、自分から遠ざかる娘に手を伸ばし続ける。
清把は涙を零しながら瑣高と一緒に前へと進み、康太と佳奈恵の所へ来た。
「ゔーっ! ゔゔっー! ゔぶーっ!」
康太の下で原田息子が狂った様に暴れている。
「ちっ。流石に鬱陶しいな、クズガキが」
康太はクズガキの首を絞めようとしたが瑣高に止められる。
「いいよ康太さん、そのままで。おい」
そう言うと何処からともなく黒蛇が現れてクズガキの首に巻きついた。
「ん゛ん゛っー!!」
クズガキは黒蛇を避けようと首を左右に振るが、黒蛇は巻きついたまま離れない。
しばらくするとクズガキは先程の暴れぶりが嘘の様に大人しくなり、黒蛇もクズガキから離れた。
「もう離れて大丈夫だよ。ああ、邪魔だからそれ、端の方にでも転がしてよ」
「そうだな」
康太はクズガキから離れ、クズガキを蹴飛ばして端に転がした。
ただ意識はある様で、視線だけは清把へ向いていたが清把は一瞥もせず康太と佳奈恵の方を向いていた。
「汞、清把ちゃん」
佳奈恵は清把と瑣高、二人を抱きしめた。
康太は佳奈恵を上から抱きしめた。
「佳奈恵、さんっ……」
清把はしゃくりあげながら名を呼んだ。
「元気でね。二人とも、って言っていいのかわからないけど」
「ありがとう、佳奈恵さん。……そうだね、でも清把ちゃんと一緒に幸せになるよ」
「……そう」
康太は何も言わず三人を抱きしめる。
「瑣高」
瑣高は声の方に首を向け、佳奈恵と康太は二人から離れた。
「母さん」
「ふふ。おめでとう、瑣高。あとの事は任せてちょうだい」
「ありがとう、母さん。面倒だと思うけどよろしくお願いします。あと、清把ちゃんのお母さんだけは」
「ええ。あの人には何もしないわ。対価を払ったものね」
言って清把に視線を向けた。
「あのっ、母や妹には……」
「大丈夫よ。あなたの母親や妹には何も無いわ。そこに転がっているあなたの従兄弟やその家族は別だけど」
清把は首を動かしまだ廊下で蹲ったままの里如を見つけ「里如君……」と呟いた。
清把は少し俯いたがすぐに顔を上げ、瑣高を見上げた。
「清把ちゃんはもう何も気にしなくていいよ。あとは現世の話だ。僕達にはもう関係ない」
「ええそうよ。あとは私がやるだけ。ありがとう、瑣高。私、本当に本当に嬉しいわ。やっと、やっとこの村に復讐できて」
凛子は心底嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。
「瑣高」
この場にいる者ではない声が瑣高を呼んだ。
「祖母ちゃん」
凛子の背後からぬっ、と老婆が現れた。
いつの間に何処から入って来たのか誰も気づかなかった。
瑣高は屈んで祖母の高さに合わせた。
「すまんなあ、瑣高。本当にすまんなあ……」
祖母は瑣高の頬を撫でながら、今にも消え入りそうなか細い声で詫びた。
「いいんだよ祖母ちゃん。祖母ちゃんこそ、今までありがとう。祖母ちゃんには何十年も辛い思いさせて」
祖母は小さく首を振った。
「ワシらはもういいんだ。……娘さんもすまんなあ」
祖母は清把に顔を向けて言った。
「え、あの、いえ」
まさか自分にも話しかけるとは思わず清把は驚き、なんと答えればいいのかわからなかったが祖母は清把の手を握り「瑣高のこと、よろしくなあ」と言った。
「はい」
清把は頷いて答えた。
「……じゃあ逝くよ、僕達は」
瑣高は清把を引き寄せた。
「ああ、緊張してるね。でも大丈夫。僕がいるから。もう絶対に清把ちゃんを離さない。だから安心して」
清把は瑣高を見上げてぱちりと瞬きをした。
「ふっ、安心って」
清把は苦笑した。
(これから死ぬのに安心してって言われるのも、なんだかなあ)
口には出せないが、清把は内心そう思った。
「だって怖いでしょ」
清把は答えず、曖昧に微笑する。
勿論怖いに決まっている。
当たり前だ。
ただ、今この場で本音を言う気はなかった。
言ってしまえば一緒に逝く決心が鈍り、言わなくていい事まで言ってしまいそうだったからだ。
瑣高もそれ以上は何も言わず、清把の背に左手を回し、そっと押した。
行くよ、と。
清把は小さく頷き、瑣高に誘導されるまま、部屋の奥へと進んだ。そして襖の前で止まる。薄暗くて気づかなかったが、まだ奥にも部屋があった様だ。
背後から悲痛な声で娘の名を呼ぶ母親の声が聞こえる。
清把は振り返ってその声に応えたくなったが、背中に添えられた瑣高の左手がするりと腰に移動し、逃がさないとばかりに力が入った。
清把は右手を瑣高の背中に回して、少しぎこちない笑みを浮かべて瑣高を見上げた。
「——逝くよ、清把ちゃん」
「——うん」
互いの心を確かめ合い、二人は一歩踏み出し、襖を開けて消えた。
「清把ー!!」
母親の絶叫が部屋に響いた。
母親——美夏子は清把が消えたと同時に身体が自由に動く様になった。
それは原田息子も同じで、二人は清把達が消えた場所によろけながら駆けつけ、目の前の開いた襖の部屋を見て——悲鳴を上げた。
薄暗い部屋に清把達はいなかった。
代わりに、夥しい数の古ぼけた写真が二人に虚な目を向けていた。
「ここはね、家の先祖を祀っている部屋よ」
「あ……」
足を震わせながらも何とか立っている美夏子の横に凛子がスッと来た。
薄暗い部屋の中を目をこらしてよく見ると、神棚があり、部屋の奥に大きな御霊舎があった。随分と古い様だが埃などはなく、丁寧に手入れをされている様だ。御霊舎を真ん中に、左右に重厚な机があり、その上に写真立てに入れた写真と、小さな額縁に入った人物画があった。
それが沢山——百人近くはありそうだった。
その写真や絵が虚な目で一斉に美夏子達に向いていた。
「家の先祖がこれだけ死んだの。いいえ、殺されたのよ。この村にね」
「あ、ああ……」
美夏子はへなへなとその場にへたり込んだ。
俯き、ボタボタと涙を茶色になった畳へと溢す。
「うゔっ、あっ、あ、あ……」
娘は消え、目の前では村の——自分達や先祖の罪を見せつけられた。
悲しみや苦しみに感情を締めつけられ、心はもう耐えられず、美夏子は意識を手放した。
「久桷さん!?」
倒れかけた美夏子に気づいた佳奈恵が支えようと移動するが、控えていた沢田がスッと移動して美夏子を支え、ゆっくりとその場に横たわらせた。
「久桷さん!」
佳奈恵が顔を覗きこむ。
「大丈夫です。気を失っただけです」
「そう……」
沢田の言葉を受けて、佳奈恵はほっとした。
「んだよっ! おい、清把は何処に行ったんだよ、おばさん!」
立ち直った原田息子がズカズカと祭壇の部屋に入り、辺りを見回し凛子に突っかかる。
手は出していないがかなり近くまで凛子に詰め寄っていた。凛子は動じる事はなかった。
「さあ? 瑣高に訊けば?」
冷たく淡々と凛子は返す。
「ああっ? いねーだろ、ソイツ。それに嘘ついてたんだな、お前ら。アイツ、起きて動いてたじゃねーか。しかも俺の清把を攫って行きやがった」
原田息子は今にも凛子に手を出すのではと思う程の勢いでくってかかる。
康太はすぐにでも原田息子を凛子から引き剥がしたいが、凛子が構うなと手で制したので、康太はすぐに引き剥がせる様、原田息子の背後に立っている。沢田も凛子の一歩後に移動していて、もしもの時のために控えていた。
「っふふ。キミはキミのパパとは違うわね。随分と威勢の良いこと。ふふ。……瑣高は死んでいるわよ。キミが信じようが信じまいが、瑣高は死んでいるのよ」
「いい加減にしろよな。死人は動かねーんだよ。漫画じゃあるまいし。いいからとっとと言えよ。清把は何処に行ったんだよっ!」
原田息子は凛子に手をあげようとしたが、背後に康太がいる事を思い出し、両手をぎゅっと握って止まる。
「だからさっきから言った通りよ。瑣高のいき先なんて知らない。それよりもキミ達はこれからの事を心配した方がいいわよ。っふふ」
凛子は意味ありげに微笑し「康太さん、沢田さん。そのクズ親子を連れて来てちょうだい。素敵なお部屋に今日明日は滞在してもらうから」と言った。
二人は言われた通りにクズ親子を拘束し、凛子の後へ続こうとしたが、廊下で蹲っていた里如が近づく凛子の気配を察知すると「うわぁあーっ!」と叫び、縁側から脱兎の如く逃げ出した。
「あらまあ、本当、礼儀知らずね。でもまあいいわ。っふふ」
含みのある微笑を浮かべ、凛子は歩き出し、康太は息子を、沢田は父親を拘束しながら凛子の後に続いた。
五人が消え、一気に人気の無くなった部屋に佳奈恵と美夏子が取り残された。凛子の母親もいつの間にかいなくなっていた。
広い部屋にたった二人、残された。
佳奈恵は美夏子の様子を見ながら、部屋の中を見回した。
部屋の中は、瑣高が起きる時一緒にくっついて出て来た白い花が散らばっていた。
棺の前に設えられた祭壇も、供えられていた水や御神酒が転がり、祭壇を濡らしていた。
座布団も蹴飛ばされて脇に移動していたりして、厳かだった部屋は乱雑な部屋になっていた。
本当に、ついさっきまでの出来事が嘘の様にしんとしている。
佳奈恵は横たわる美夏子を眺めた。
(久桷さん、必死に清把ちゃんを引き止めてた。当たり前だよね。自分の娘が知らない何処かに行ってしまうんだから。……ううん、逝ってしまうって気づいたから必死に引き止めた。仮に逝かないとしても、よく知らない男と駆け落ちなんて許せるものじゃない。でも私は……汞を引き止めず見送った。死人を引き止めたってどうにもならないし、汞の大事な清把ちゃんを引き止める事もできなかった。だってそうしたら汞はまた一人で逝かなければならない。だから……私はこれでよかったと思っている。でも普通の人が見たら、頭がおかしいと思われるわよね)
佳奈恵は眉間に皺を寄せ、やりきれない表情で、美夏子と瑣高達が消えた部屋を眺めた。




