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參拾捌

凛子は玄関に着き、サンダルを履いて引き戸を開けた。

目の前には最後に会った時よりも歳をとったクズと、その息子が立っていた。

凛子は目の前の犯罪者くずを見て、自分の心が驚く程無反応な事に驚いた。自分を強姦した男を目にしたら多少なりともまた負の感情が湧き上がると思っていたのに、道端の石ころを見るかの如く何も感じなかった。

「こっちよ」

クズ親子に凛子は声をかけた。

クズ父の方は気まずい顔をしながら凛子の後に続き、息子は父の後に続く。

時々軋む廊下を歩き、瑣高のいる部屋へと入る。

部屋は薄暗く、何も無い。

部屋の奥の襖を開けると、その部屋は今いる部屋よりさらに暗かったが、そこに瑣高は安置されていた。

瑣高のいる部屋に人がいる事に気づいた原田はその方向に視線を向けた。

「……え、康太、さん?」

クズは目を細めながら、その人物に声をかけた。

「……ご無沙汰しています、原田さん」

奥の方に座っていた康太が立ち上がり、襖の近くまで来た。

「何で……佳奈恵もいるのか?」

原田はげんなりとした顔になりながら問う。

「いいえ、いないわ。佳奈恵ちゃんは後で来るわ。あんたなんかに会いたくないでしょうから。まあ私もそうなんだけど。瑣高の遺言だからね」

凛子は冷たい表情でクズに言った。

「っつ……」

クズは凛子から顔を背け、畳の方に視線を向けた。

「えっ、ちょっと待ってよパパ。なんで篠原さんがいるの?」

原田息子——結貴が父親に問う。

「今日って、俺の腹違いの兄の通夜だって……え……え?」

結貴はわけがわからなく、父親に答えを求める様に顔を向ける。

「康太さんがいるのはね、私がお手伝いを頼んだからいるの。あと、この子——瑣高の養父としての立場もあるわ」

父親の代わりに結貴の疑問に答えたのは凛子だった。凛子は冷たい微笑を浮かべていた。

「そうだ。俺達の息子になった時、名前も変えた。篠原汞、それが瑣高のもう一つの名前だ」

その名前を聞いた瞬間、結貴の顔色が変わった。

その名前は清把に付き纏っていた自称彼氏の男の名だ。

そうだ、この女を見た時に誰かに似ていると思ったのは間違いじゃなかった。

あいつの母親なら似てても当然じゃないかと結貴は思った。

目の前に横たわる男。

これは本当にあの自称彼氏の男だろうか。

結貴は父親の後から瑣高の枕元にバッと移動すると、顔にかけられた白布を掴んで剥ぎ取り、同時に結貴の頬に凛子の平手が飛んだ。

「てっ!」

「結貴!」

凛子の強い平手でバランスを崩した結貴はよろめいて、尻餅を着いたが、すぐに瑣高に近づいて顔を見た。

間違いない、随分顔は痩せているが、いつも清把の隣にいたあいつだ。

そう認識した瞬間、結貴は笑い出した。

「あはっ、あははははっ! ほんとにあいつだ。俺の清把に散々付き纏ってたウゼェやつだ! 何、しかも俺の兄だったなんてどんなドラマだよって話じゃん。あははっ!」

結貴は瑣高から離れ、ぺたんと座り、笑いが止まらないのかしばらく笑っていた。

父親の方は息子の豹変した姿に驚いたのか、何も言えず、顔色を悪くして立ちつくしている。


「もういいかしら、クズ親子。気が済んだらその祭壇にある黒蛇を撫でて。どうせ瑣高の死を悼む気持ち無いんでしょう。なら黒蛇だけ撫でて帰っていいわよ」


凛子は瑣高の顔近くに落ちている、剥ぎ取られた白布を取り、エプロンのポケットに突っ込んだ。そして瑣高の胸元を布団の上から、聖母のごとき微笑を浮かべながら優しくぽんぽんと叩いた。

「結貴」

父親は強く息子の名を呼んで、自分の方へ来いと軽く睨む。

結貴は上機嫌で立ち上がり、父親の後に座る。父親は祭壇の前に立っていたが、座った。

祭壇には米や塩、水等が供えられていた。

その中央の手前側に、成人女性の掌に乗る程度の大きさの、きれいにとぐろを巻いた漆黒の蛇の置物が置いてあった。どんな素材を使用しているのかわからないが、精巧に作られていた。

原田は瑣高の側に座っている凛子に視線を向け、訊く。

「これを……撫でればいいのか?」

凛子はチラリと視線だけ動かし「ええ」とだけ言った。

原田はなんでこんな物を撫でなければいけないのか理解できないが、これを撫でなければこの場から出られない事だけは理解した。凛子の反対側には康太がいる。凛子の手伝いと言ったので、凛子の言う事は聞くという事だ。

チラリと康太に視線を向けると、康太の顔からは静かな怒りを感じた。

その怒りに身の危険を感じた原田はさっさと黒蛇を撫でた瞬間、すっ、と身体から何かが抜けた様な感じがした。身体の中を風が吹き抜けた様な感じというのだろうか。だがそれは瞬きをする程の時間程度だったので、気のせいだろうと原田は思った。

「これでいいのか」

「ええ」

「焼香とかは……」

「ああ、うちは仏教じゃないから無いわよ」

凛子がそう言うと、だからかという顔を原田はした。原田は立ち上がって後に下がると、「結貴」と小さく声をかけた。

息子も父親と同じ様に黒蛇を撫でると、ん? といった様な顔を一瞬したが、特に気にした風もなくすぐに父親の方に顔を向けた。次はどうするのかと。

父親は凛子の方に顔を向けた。

凛子は視線に気づいていたが、原田に顔を向ける事なく瑣高に優しげな顔を向け、まだぽんぽんと布団を叩いていた。側から見れば、愛しい子供を愛情深く慈しんでいる母親にしか見えない。

「もう用はな無いわ。康太さん」

凛子は康太にチラリと視線を向けた。

康太は立ち上がり凛子に言った。

「凛子さん。私は瑣高の養父として今だけ行動します」

「どうぞ」

凛子は理由を問う事もなく、あっさりと許可を出した。

「ありがとうございます、凛子さん」

康太はまだ座っている結貴に大股で近づき、胸ぐらを掴んで立たせた。

「え? は?」

結貴は戸惑う間も無く、康太に凛子が叩いた頬の反対側を、凛子以上の力で叩かれた。

「ってえっ!! 何するんだよ、くそジジイ!!」

康太は激しい怒りの表情で、もう一発反対側の頬を叩き、ゴミでも捨てる様に結貴を放り投げた。

「痛っ!」

「結貴!」

父親は放り投げられた息子の側に近寄り、仰向けになった息子の背中に手を入れ起き上がらせた。

「パパにも叩かれた事なんてないのにっ……」

起き上がった結貴は両頬の痛みを感じながらも、呆然とした口調で言った。

「なんだよ……一体なんだよ……そこのオバサンといい叔父さんといい……俺は何もしてないじゃないか! なのになんでこんな目に遭わなきゃならないんだよっ!!」

言った事で現状を再認識したのか、理不尽な暴力に怒りが湧き上がる。

「結貴の言う通りだ。何をするんだ康太さん!」

今すぐ康太を殴りに行こうとする結貴を、原田が抑えながら非難する。

そんなクズ親子を康太は冷たい視線で見下す。そのあまりにも恐ろしく冷たい視線に、親子は怯んで動けなくなる。

「あ? 当たり前だろう、このクズ親子が。わからない? なら教えてやるよ。お前ら、特にクソガキの方。お前はな、俺の息子を冒涜したんだよ。顔をみたいなら凛子さんに訊いてから白布を取ってもらえばいい。なのにお前は遺族に断りもなく、汞に触れ、貶したんだ。こんな事をされて怒らない親がいるのか? なあ、宏貴。お前、俺と立場が逆なら同じ事するんじゃないのか、なあおい」

口調は淡々としているが、出る言葉には強い怒りが滲み、康太はクズ親子を容赦なく詰る。

父親は康太から視線を逸らし「それは……」と口ごもるが、息子は父親の制止を振り切り立ち上がる。

「そんなのどうでもいいよ。そいつは俺の清把を騙して奪い取ったんだ! なのにざまあねーよな。ていうか、散々俺達の邪魔をしたから死んだんだよ、そいつ。絶対そうだ! ははっ! それに清把は元々俺のものだ。お前の女じゃない!」

結貴は康太を睨みつけ、瑣高を指差しながら嗤ったが、すぐに嗤いは止まり、顔から血の気がひいた。康太の気迫があまりにも怖ろしく、これ以上何か喋れば殺されてしまうのではないかと感じたのだ。


「っふふっ。ふふふっ、ふふふふっ。あははっ! いやだ、親のクズな遺伝子って、ちゃんと遺伝するんだなって思ったらおかしくなっちゃって。ふふっ」


今この場には場違いな、愉快な笑い声がコロコロと広がり、一触即発な空気が消えた。

笑い続ける凛子を三人はポカンとしながら見ている。声をかけようにもなんとなくかけ難く、凛子が落ち着くまで見守る。

「ふふっ。こんなに大笑いしたの久しぶりかも。だって、ねえ」

凛子は視線をクズ息子に向けた。結貴はびくりとしたが、眉間に皺を寄せて凛子を睨む。

「キミ、随分自己肯定感が高いようだけど、瑣高と比べたらなんにも敵わないわよ」

「あ?」

結貴は唸るような低い声で凛子をさらに強く睨んだ。

「あら、気づかないの? じゃあ言うけど、外見一つとっても負けているじゃない。身長は瑣高の方が高いし、顔もそう。瑣高、とっても綺麗でしょ。よくモデル関係の事務所からスカウトも来ていたわ。ねえ、康太さん」

「あ、ああ」

いきなり話を振られてすぐに反応できなかったが、間をおいて肯定し、付け加えた。

「……大手の芸能事務所からもスカウトは来ていた」

「勿論頭も良いわよ。高校はこっちに来させたけど、大学は国立だし、幼・小・中学は美笹木みささぎ学園だったわよ。成績は常に上位五位以内よ」

「み、美笹木……? 五位……」

結貴の眉間から皺が減った。

美笹木学園は都内の小・中・高校の中で偏差値トップの学校だ。結貴の通う欅学園は中の上ぐらいのレベルだ。

「ふふっ。遺伝子は半分同じなのに、ずいぶん差があるわよね。ああ、母親の遺伝子が違うからかしら。私、容姿も良いし、学歴もキミのパパよりも上よ。でもキミのママは高卒だし、夜の仕事だったから差がでるのも仕方ないわね」

凛子はにっこりと艶やかに笑った。

薄暗い部屋の中に浮かぶその笑みは仄暗く、どこか怖ろしさを感じた。

だが結貴はそんな危険さを感じる間もなく怒鳴った。

「黙れ! ママを侮辱するな! ママはお前なんかよりすごく美人で賢いし優しいんだ! だからパパはお前よりママを選んだんだ! そうだろパパ!」

父親は息子の剣幕におされながら「あ、ああ」と掠れた声で答えた。

「あらまあ、ずいぶん尊敬されているのね。それならちゃんと本当の事を教えてあげないと駄目よね」

ふふっと凛子は嗤う。

「キミのパパはね、キミが産まれる前、ある女の人が気に入ったらしく、凄くしつこくつき纏って付き合ってくれって言い寄ってたの」

その言葉を聞いた原田はざっと血の気が失せ、震える声で「やめろ」と言った。

「でも女の人が全く相手にしないから、キミのパパ、こっそり薬を飲ませて……」

「やめろ」

「その女の人を強姦したのよ」

「やめろっ!!」

凛子は愉しそうに言い、原田は凛子の言葉を聞かせないように、凛子の言葉に被せて怒鳴る。

「パパ……?」

だが息子には凛子の言葉が聞こえ、父親に声をかけた。

父親は両手を畳について、顔を俯けて小さく震えていた。

息子はそんな父親の姿を初めて見て動揺した。

いつも堂々とした父親が、怯える様に震えている事にだ。

その姿を見た息子は許せないという感情が湧いた。大好きな父親を傷つける凛子を許せなかった。

「うるせえっ! そんなの嘘は信じない! 仮に本当だったとしてもそんなのパパの言う事聞かなかった女が悪いだけだろ!」

結貴は父親を守る様に立ち、凛子を怒りの表情で睨む。

「あらやだ、クズの子供は本当にクズで馬鹿なのね」

凛子は呆れれと感嘆の混じった顔で結貴を見上げる。

「今言った事は本当よ。だから瑣高がいるのよ。ね、瑣高」

凛子は布団から手を離し、瑣高の頭を撫でた。

「えっ……」

結貴は凛子と瑣高の二人を見る、それから背後にいる父親を見た。父親はまだ俯いたまま、震えている。違う、違う、凛子のせいだ、俺は悪くない、などと呟いている。

その姿を見たら、結貴は猛烈に胸が苦しくなった。大好きなパパをこんなに苦しめ、ママがずっと結婚できなかった事、清把を騙して誑かした、俺達をこんなに不幸にしたのはこいつらのせいだったのかと知ったらもう心底腹が立った。

結貴は大股で凛子達に向かったが、康太に腕を掴まれ流れる様に羽交締めされた。

「離せっ! 離せくそジジイ!」

結貴は康太から逃れようともがくが、康太はびくともしない。

「お前らのせいでママは結婚できなくて大変だったんだ! 俺だってパパと暮らせなかった! 清把だってこいつに騙されて俺の事を疑った! 全部全部お前らのせいじゃねえかっ!!」

凛子は鼻で嗤いながら、冷笑を崩さず言った。

「あら、キミのパパがすぐに結婚しなかったのは、別の女と付き合ってたからよ。キミのパパは浮気してたのよ。でもキミのママは狡賢くパパを捕まえたのよ」

「嘘だっ! パパはママしか愛してないっ! 出鱈目ばっかり言うな、嘘つき女!」

凛子は感情のまま猪突猛進する馬鹿息子から視線をチラリと原田に向けた。原田も同じタイミングで凛子に視線を向けたらしく、互いの視線が合った。

「っ……」

原田はすぐに視線を逸らした。

「嘘じゃないわよ。事実よ。世の中お金があれば大抵の事はわかるのよ」

凛子は頬に軽く手を添えて真冬の冷気よりも冷たい微笑を浮かべた。

「もうこれ以上あなた達といる理由もないわ。康太さん、沢田さん、二人を追い出してちょうだい」

「ああ」

「わかりました」

康太は羽交い締めを解くと、今度は結貴の首根っこを掴み、引き摺る様にして玄関へと向かった。

薄暗い部屋の隅に控えていた沢田が立ち上がり、ぬっと出で来るとへたり込んでいる原田を立たせて玄関へと向かった。

煩いクズ親子が消えた部屋は一瞬で静まり返った。

凛子は瑣高の顔を見る。

「あなたの遺言通りにしたわよ。二十年ぶりぐらいかしら、あのクズを見たの。やっぱりクズはクズなのね。でもそれ以上に息子がクズで本当、笑ったわあ。ふふっ。……さて次は佳奈恵ちゃん達ね。あの子、どういう反応するのかしら。楽しみだわあ、ふふっ」

凛子はクスッと笑うと立ち上がり、部屋を出た。

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