參拾漆
朝になり、身支度、食事を終えた凛子は離れから母屋の康太達の部屋へと向かった。
「康太さん、起きているかしら」
部屋の前で声をかけるとすぐに障子が開いた。
「おはようございます、凛子さん」
康太が挨拶をした。沢田は康太の後で小さく頭を下げた。
「おはようございます。準備ができているなら早速仕事をしてほしいのだけど、大丈夫かしら」
「勿論、大丈夫ですよ」
沢田もこくりと小さく頷く。
「じゃあ私の後について来て」
凛子は踵を返し、廊下を歩く。二人はその後について行く。凛子は瑣高の部屋へと行き、部屋の前で止まった。
「お待たせしたわね、康太さん。この部屋に瑣高がいるのだけど、瑣高を着替えさせて別の部屋に移動させたいの。流石に私一人じゃ難しくて。ただその前に」
凛子は二人の顔を見てにこりと笑って言う。
「疑問に思う事はあると思うけど、何も訊かず、私の指示通りに動いて下さいね」
二人は緊張した面持ちで頷いた。
「瑣高、入るわね」
凛子は障子を開け、二人を中に入れると障子を閉めた。
康太はベッドに横たわる瑣高の姿に目を見開いた。ベッドが血塗れだったからだ。と、いってもシーツや枕だけで、ヘッドボードとかには血はついてない。そこら辺は先に凛子がきれいにしたのかもしれない。シーツや足元に避けられた布団には、乾いた血が黒褐色の染みを残していた。その汚れた範囲は広く、どれだけ瑣高が吐血したのかを想像させた。
瑣高自身はきれいだったが、寝巻きにも血が染み込んでいた。どう考えてもこの状態は異様だった。死んで三日程は経っているのはずなのに、棺にも入れずベッドに寝かせたまま。
おかしい。
普通は葬儀関係の人間がいて、ある程度、葬儀の体裁は整っているものだ。
それなのに。
康太は凛子に問いかけずにはいられず「り……」口を開いた瞬間、沢田がぐいっと康太の腕を引っ張った。振り向いた康太は頭を小さく振り、鋭い視線を自分に向けている沢田を見ると、小さく頷き、あらためて凛子と瑣高を見る。
「瑣高をね、お風呂に入れてあげたいの。だけど私一人じゃ連れて行けないからね。だからお風呂場まで瑣高を連れて行ってほしいの」
凛子はにこりと笑う。
「じゃあ俺が連れて行きます」
康太が返事をし、瑣高を抱き上げた、が。
「!?」
瑣高の身体が普通に抱けた。
康太は今自分の腕の中にいる息子を見た。
息はしていない。心臓の鼓動も聞こえない。身体は冷たい。腐臭もしない。間違いなく死んでいるのに、身体は柔らかい。康太は瑣高を抱き上げたまま、呆然と立ちつくす。
「瑣高はね、特別な防腐処理をしてあるの。だからただ眠っているだけに見えるけど、ちゃんと死んでいるわ」
康太はびくりとして、横から自分を覗き込む凛子に顔を向けた。
凛子は康太の疑問を見透かした様に話した。
「さあ、じゃあこっちよ」
凛子は障子を全開し、風呂場へと案内した。
風呂に入れ、きれいになった瑣高は死装束ではない、普通の着物を着せられ、真新しい清潔な布団へ横たわらせた。この状態だけで見るなら、瑣高はただ眠っている様にしか見えない。
ゆすって起こせば目を覚ますのではないか——そう錯覚する程だ。
枕飾りも終え、あとは今日来るはずのクズ親子の対応をすればいいだけだ。凛子はエプロンのポケットから携帯電話を出し、時間を見るとすぐにポケットに入れる。昼少し前だったので康太達に休憩を与え、身支度を整えたら台所まで来る様言った。真冬とはいえ、成人男性の入浴の手伝いなどすれば、身支度は必要になる。
康太達は一旦部屋へ下がり、身なりを整えてから台所へと向かった。
テーブルにはおにぎりが十個以上、肉じゃが、豚汁等が所狭しと置かれていた。
「あら、早かったわね。お昼、テーブルの上にあるから適当に持って行って。あ、ここで食べていっても構わないわよ」
凛子は胡瓜の漬物を切りながら言う。
「ここでいただきます」
康太が答えた。
二人は椅子に座り、黙々と食事をとり始めた。
「味はどうかしら、康太さんほど上手くはないけどね」
凛子は胡瓜の漬物をテーブルの上に置きながら、言った。
「いえ、美味しいですよ」
康太は小さな笑顔と共に言い、沢田も小さく頷いて同意した。
「そう、よかったわ。豚汁とか、おかわりはあるから適当にやってて。私は母さんにお昼を持って行くから」
凛子はおにぎりや肉じゃが等を盆にのせていた。
「手伝いましょうか?」
康太が箸を置いて訊ねる。
「大丈夫よ。康太さん達はゆっくりしてて」
凛子は康太の手伝いを断り、台所を出て行った。
康太は箸を取り食事を再開したが、凛子がいない今、今までの事を考えてしまう。
瑣高は何故、あんな状態なのか、と。
死んでいるのは確かだが、どんな特別な処理を行えばあんな状態になるのか。凛子は一体何を考えているのか……。
「康太」
はっとして康太は顔を上げた。
「沢田さん」
向かいに座る沢田は鋭い視線で康太を見る。
「世の中は俺達の知っている理屈と俺達の知らない理屈でできてる。……お前なら、わかるよな」
康太は眉間に深い深い皺を作り、ぎゅっと目を瞑った。右手で顔を覆い、「ええ」と喉につかえた声を絞り出す様に声を出した。
「ならいい」
沢田はそう言うと、湯呑みを持ち茶を飲んだ。
しばらく沈黙が続いたが康太は吹っ切る様に立ち上がり、空いた皿を流しに片付け始め、皿を洗い始めた。
「あら、康太さん。流しに置いておいてくれればいいのに」
凛子が空になった皿を盆にのせてひょっこり戻って来た。
「このぐらいはしますよ。喫茶店のマスターですからね」
康太は洗いながら答えた。
「そういえばそうだったわね。じゃあこれもお願いしていいかしら」
凛子は空になった皿がのる盆を康太の横に置く。
「勿論。凛子さんはお昼食べて下さい」
「ありがとう。でも私も母さんと一緒に軽く食べたから……」
言いながらイスに座ろうとしたら、不愉快な気持ちにさせる様な着信メロディが流れた。
凛子はエプロンのポケットから携帯電話を取り出し、すぐに切った。
「クズが来たわ。康太さんと沢田さんは瑣高の所に行って下さい。あ、場所、覚えてます?」
「大丈夫です。じゃあ行きますね」
康太は手を拭き、沢田と共に台所を出、凛子も続いて玄関へと向かった。




