參拾陸
夜の七時過ぎ頃、康太ともう一人の男性が祀賀偂の家に着いた。
「康太さん。遠い所ありがとう。迷惑かけてごめんね」
凛子は母家で康太を迎え、申し訳ない顔をして言った。
「いえ。汞は俺の息子でもあります。ですから気にしないで下さい。それより汞は……」
普段は何事にも動じない康太だが、息子の事となると話は別の様だった。
「ああ、そうね。そちらの方がお手伝いして下さる方でいいのかしら」
凛子は康太の言葉を軽く流し、康太の一歩後にいる、初老の男に視線を向けた。
身体は鍛えているのか、この年頃には珍しく、余分な肉はついていない様だ。顔は強面と言われる部類で、どことなく陰気な感じのする男だった。
「あ、そうです。沢田さんです。沢田さん、こちらが義姉の凛子さんです」
沢田はぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いしますね。玄関で話すのもなんですし、話しながら部屋へ案内しますのでどうぞ。ああ、母屋はスリッパは無いの。床が冷たくて申し訳ないけどこちらへ」
二人は頷き、靴を脱いで凛子の後に続く。
年季の入った家は、歩くと場所によってはギシギシと音がなる。
「この家で見たこと、起こったこと、聞いたことは絶対に口外しないで下さい。そのかわりというわけではないですが、日給で十万円お支払いします。今日はここまでの交通費として五万円、お支払いします。……こちらが滞在中使用してもらう部屋です。どうぞ」
凛子が障子を開ける。
部屋は十二畳程の広さで、机、座布団、ストーブ、布団等があった。
「先にお金、置いておきますね」
凛子は机に二つの茶封筒を置いた。
「凛子さん、私は……」
「駄目よ、康太さん。これはお仕事なの。お仕事にはお給料が必要でしょう。だから受け取ってちょうだい。受け取れないなら帰って下さい」
凛子は康太の言葉を遮って言った。
沢田は机に置かれた封筒を取り、中を確認した。
「ありがとうございます」
低い声で凛子に頭を下げた。
「はい。明日もよろしくお願いしますね」
凛子は康太に視線を向けた。
「……わかったよ、凛子さん」
康太も茶封筒を机から取った。
「はい、よろしくお願いします。ああ、お風呂とトイレはこの先を真っ直ぐでつきあたりを右ね」
凛子は廊下に出て、指を指す。
「その前に凛子さん、汞は……」
康太は息子に早く会いたかった。
あの夏から康太も会っていないのだ。
どんなに気にかけても汞は会ってはくれなかった。
メッセージを返してくれるだけだった。
「お願いします、凛子さん」
康太は凛子に懇願する。
凛子はそんな康太をじっと見返し、言った。
「今日は駄目。今日はもう疲れてるでしょうし、今から作業をしたら深夜になるわ。康太さんには申し訳ないけれど、明日まで我慢してほしいの」
「凛子さん……」
康太はじっと凛子の顔をみる。この顔は絶対に譲らない、言う事は聞かないという顔だと、康太はすぐにわかった。それなりに長い間、付き合いがあるのだ。もう諦めるしかない。
「……わかりました」
「康太さんの気持ちはわかるの。でも駄目な時は駄目なのよ。ごめんなさいね」
「いえ」
康太は小さく頭を振った。
凛子は先程の話の続き、この家での注意事項を伝え終わると離れへと帰って行った。
凛子がいなくなると、康太と沢田は座布団に座って力を抜いた。
机の上にはお茶のセット一式に、茶請け、ポットがあったので、康太は茶筒から急須へ茶葉を入れ、お湯を注いで湯呑みに茶をいれた。
沢田に茶を勧め、自分も冷ましながら飲む。
冷えた部屋にいるとお茶のあたたかさが身に染みる。ストーブはつけたばかりなので部屋はまた寒いのだ。
沢田も茶を飲み、軽く息を吐いた。
「……あの奥さん、俺らと同じか近い匂いがするな」
ぼそりと零した言葉に康太が固まり、視線を手元の湯呑みから向かいの沢田へ移す。
「そう、ですか……」
康太はそれ以上は言えず、視線を沢田からまた湯呑みへ戻す。
それ以上の言葉は互いに出ず、荷物を片付け、風呂に入って早々に休んだ。




