參拾伍
凛子は瑣高をきれいにした後、二人の男に電話をした。
一人は康太。佳奈恵の夫だ。やはり男手がないと色々大変なので手伝いのために呼んだ。康太はすぐ行くと返事をくれ、夜には着くと言った。
もう一人は瑣高の生物学的に父親である男。
原田宏貴——クズである。
凛子は携帯電話でクズの番号を押した。
非通知だから出ないのか、いないから出ないのかはわからないが、三回かけ直して出た。
『もしもし』
相手が誰かわからず、少し警戒している様子の声だった。
「凛子よ」
『凛子!?』
宏貴は動揺した。
まさか凛子が自分の電話にかけてくるとは考えた事もないし、電話番号も知らないはずだからだ。
宏貴の動揺など気にする事もなく、凛子は話し出す。
「瑣高が死んだわ。だから父親のけじめとして顔を見に来て。ああ、あなたの子供も一緒に連れて来て。住所は後で送るわ。できれば早めに来て。じゃあ」
凛子は用は済んだとばかりに通話を切ろうとしたので慌てて止めた。
『ちょ、ちょ、ちょっと待て、凛子!』
早く切りたいという態度を隠しもせず、面倒そうに答える。
「何」
『何って、こっちのセリフだ! いきなり瑣高が死んだから会いに来いって、離婚の際、瑣高には金輪際関わらない、接触しないと証書も書いたのに何で行かなきゃならないんだ!?』
「ああ。私はそうしたけれど、瑣高が死んだら二人を呼んでくれって言ったのよ。瑣高本人がそう言ったのだから、母親としては遺言を叶えないわけにはいかないのよ。来ない、というなら迎えを手配するけど。どちらがいいかしら?」
『迎えって……』
宏貴は口中が乾き、掠れた声を戻そうとごくりと唾を飲み込んだ。
「迎えは迎えよ。どっちにするの?」
凛子は苛ついた声で迫る。
『い、行く。自分で行く』
無理矢理連行されるよりは自力で行った方がマシだ。
「そう。じゃあ早めに来て」
凛子は通話を切った。
「はあ。クズとまた話す日が来るなんて思わなかったわ」
凛子は心底気持ち悪かったと思いながら、携帯電話をエプロンのポケットに入れた。
母屋の台所にいた凛子は気分を切り替える様に、テーブルに置いてある湯呑みを持ち、温くなったお茶を一気に飲んだ。
「さて、夜には康太さんが来るから部屋、早く掃除しなきゃ」
凛子はどこか楽しそうな感じで、台所を出て行った。
原田宏貴は通話の切れた携帯電話を掴んだまま、ダブルベッドに座っていた。
ほんの十分足らずの時間だったのに、十年分ぐらいの疲労を感じた。
あまりにも信じられない話を聞かされ、もう一度話を思い出す。
(凛子は、息子が死んだから会いに来い、と言ったんだよな。一緒に結貴も連れて来いと……。それは息子の遺言で、凛子は俺に会いたくもない、と)
はあっ、と大きな溜息を吐き、宏貴はベッドへ倒れた。
宏貴は死んだ息子、瑣高の事を思い出そうとした。だが、顔はわからないしどんな性格かも知らない。凛子が瑣高に合わせなかったし、自分自身も、凛子を手に入れる道具にもならなかった息子の事など記憶に残す必要もなかったからだ。
それどころか、瑣高を作らなければよかったとさえ今は思っている。妊娠さえさせれば、凛子は自分に従うと思っていた。だが現実は違った。言う事を聞くどころか破滅へと追いやられたのだ。あんなに気が強い女だとは思いもしなかった。宏貴の思い通りにならなかった女は凛子ただ一人。それ故に、宏貴はもう凛子とは関わり合いたくなかった。だから本当は凛子の息子の葬式になど行きたくない。あれは凛子の子供であって、自分の子供ではない。
だが、行かなければ凛子はどんな手を使っても、自分達を凛子の元へと連れて行くのだ。やると言ったらやるのだ、凛子は。宏貴は今でもあの言葉が忘れられない。
『世の中ってね、お金があれば解決するのよ』
そう言いながら冷たく微笑んだ凛子の顔が記憶にしっかりと焼き付けられた。同時に、自分はこの女に手を出した事を心底後悔した。もし、時間を戻せるなら、全力でこの女のいない所に行くのにと。だがもう遅い。無駄な後悔をするよりも、さっさと終わらせた方が心身共に楽になる。
宏貴は握っていた携帯電話で日付を確認した。
もう大晦日は目の前だ。なら明日、結貴を連れて行って、さっさと帰って来て新年を迎えたい。
そうと決まれば支度をしなければ。
宏貴はベッドから起き上がり、息子と妻に言うため部屋を後にした。




