參拾肆
凛子が去った後。
瑣高は自分の身体を枕元に立って見ていた。
痩せた身体、血で汚れた顔。
ああ、これがついさっきまでいた自分の身体かと。
『くくっ。どうだ、自分の身体を眺める心境は』
足元に真紅の目を持つ黒蛇が瑣高に問う。
「何も。それどころかやっと解放されて気分が良いよ。でも、もうちょっと肉付きを良くしておきたかったかなあ。こんなに痩せてたんじゃ、清把ちゃん、びっくりするんじゃないかな」
『はっ! 女のために外見を気にするなど随分と余裕ではないか』
「それは当然だろう。久しぶりに逢う姿が痩せてやつれた姿なんてね。ちょっと恥ずかしいかな。ああでも、同情は引けるかな。ふふっ」
『はあ……。死んだ途端に色ボケか。嘆かわしい』
黒蛇は頭を振って呆れた様子だ。
「いいじゃないか。だってやっと本当に自由になったんだ。もう人の世の理なんて関係無い。僕はもう自由なんだ。幸せになってもいい、人を好きになってもいい。だってもう死んだんだからね。ははっ、あははっ!」
瑣高は嬉しそうに笑ったが、すぐに笑いを止めた。瑣高の正面——障子に影が揺らめいたからだ。勿論瑣高ではない。
『客の様だぞ、小童』
「そうだね。——どうぞ、高弥さん?」
正面の影は返事をするように揺れてから、障子を通り抜けた。
黒い影はだんだんと人の形になり始めた。
人の形になった影は、着物姿の精悍な三十前後に見える男だった。
「初めまして、かな。私は高弥。やっぱり君は私が見えてたんだね」
高弥はにこりと笑んだ。
「初めまして、高弥さん。瑣高です。ええ、まあ。正確にはこれと契約してからですかね」
瑣高は足元の黒蛇にチラリと視線を向けた。
「ああ、成程」
高弥は納得した様に頷き、少しの間、沈黙がこの場を支配した。
「あの。僕に何か用があるのですか?」
ただ自分を見つめる高弥に瑣高が問う。
「ああ、ごめんね。特に用とかは無いんだ。ただ少し話してみたいなってだけ。凛子の子供だしね。さっき凛子が話してた事に対して君はどう思ったのかとかね」
「ああ……。別にどうも思ってませんよ。母さんには感謝してます。ちゃんと情をかけて育ててくれたし。むしろ申し訳ないぐらいですよ。あんな経緯で僕を妊娠、出産させる事になって。本当に申し訳ないです、高弥さん」
瑣高は辛そうな顔で高弥に頭を下げた。実際、この話を凛子から聞いた時は心底申し訳なくて、どうやって凛子に償えばいいのかわからなかった。
「わっ、ごめんごめん、瑣高君! 謝らないでくれるかな。凛子だって君に償いとかさせたくて話したわけじゃない。第三者から聞いて、変に誤解とかされたくないから君に話しただけだ。私も凛子同様、恨むとか償いとかそんな事は考えた事も無いよ。それに、償いをさせるなら本人がすべきだろう。それが道理だ」
「高弥さん……ありがとうございます」
瑣高は頭を上げ、申し訳なさの滲んだ表情で返した。
「僕も、罪を犯したなら罪を犯した本人が償うべきだと思っています。だから……楽しみにしていて下さいね」
瑣高は酷薄な笑みを浮かべて言った。
「それは嬉しいな。楽しみにしてるよ。私もね、自分の女を傷つけられて何もできないなんて、業腹すぎてね」
死んだのに、ぞわりとした感じが襲う程、高弥から不穏な気配が立ち上がったが、すぐに「ごめんごめん」と謝って不穏な気配を消した。
「凛子が君を産んだ経緯を知ったのは、私が死んでからだったからね。だから、何もできなかったんだよ」
淋しげな微笑を浮かべながら高弥が言う。
「そうですか……。でも高弥さん、何故母さんと結婚しなかったんですか? …………いや、できなかった……?」
疑問と推察を口にして瑣高は腕を組んだ。
「ははっ。正解。私はね、憑物筋の家なんだ。だから結婚は一族内から選ぶのが決まりなんだ。外から娶る場合は条件が厳しくてね。……私と凛子はお互い気持ちは通じてた。でもその気持ちを口にした事は無いよ。お互い、結婚できる者同士じゃないのは言わなくてもわかってた。だから何も言わず、連絡もせずに生きていった。けれど死んだ後なら構わない。だから私は葬式に凛子をよんで、手紙を渡した。ずっと好きだった、いまも愛しているとね。そして今、ここにいるんだよ」
高弥は嬉しそうな笑顔で言った。
「そうだったんですね。あの……でも、不躾ですが、奥さんに対して失礼ではないかと……」
「ああ、それは大丈夫。家族は了承済みだよ。私の妻も好きな人はいるしね。家の結婚は本当、ビジネスだよ」
「ビジネス……」
瑣高は少し驚いた表情で呟いた。
「そうだよ。憑物筋は仕事で家は会社だ。社員——一族の者はそう簡単に仕事も会社も廃業できないんだよ」
高弥は苦笑する。
「……ああ、よくわかります、それ。親会社の権力が強かったら子会社なんて逆らえないですしね」
瑣高も苦笑した。まさにその通りだったからだ。
お互い顔を見合わせて、苦笑した。
「ごめんね、話を脱線させ過ぎて」
高弥が申し訳なさそうに言った。
「いえ、こちらも脱線させてしまいましたし」
瑣高も気にしないでほしいと答える。
「では改めて。——瑣高君。私は何か手伝えるわけではないけど、君の最後の望みが叶う事を、勝手ながら見守らせてもらうよ」
「ええ。どうぞ存分に観ていて下さい」
瑣高は艶然と笑み、高弥は楽しそうに笑んだ。
そして高弥の身体が揺らめき、また黒い影となり障子をすり抜けて行った。
「ふふ。観客もいるならやりがいがあるなあ。といっても清把ちゃん頼みだけど」
『あの小娘なら、お前の思う様に動くだろうよ』
「そうだと嬉しいなあ」
瑣高はにこにことしながら、部屋の襖を通り抜け、姿を消した。




