三十
瑣高は部屋で片付けをしていた。
今使用している部屋は元々空き部屋で、瑣高の部屋では無い。瑣高の部屋はもっと奥にあるのだが、具合の悪い瑣高や寝たきりの祖父の面倒をみる凛子の手間を減らすためにここへ移動したのだ。
家は無駄に大きく広いが、住んでいる人はたった三人だ。凛子は離れへ居を移しているので、母屋にはいない。離れは祖父母や瑣高の面倒を見やすい作りにしてあるのに、肝心の三人が揃って離れに住む事を拒否したのだ。
瑣高の今いる部屋には和箪笥があるが、この和箪笥を開けた所、男物の着物が丁寧にしまわれていた。祖母に見せたら祖父の物ではないと言われたのでおそらく、曽祖父の物だろう。このまましまっておくのも勿体無い気がして、着物の選別をしようと和箪笥から出していた。
瑣高は着物の方が楽なので家では着物を着ている。もう着る事のない祖父の代わりに着たいという気持ちも多少ある。
そうして着物の状態を確認している時、突然中庭が騒がしくなった。またあいつらが来たのだ。だが瑣高は流澤の者が来ても無視をしていた。祖母も母親もだ。流澤の者も、戸を開け、家の中に入るまではしない。というよりかは触りたくも無いのだろう。また無視してやり過ごせばいいと思ったが、今日は様子が違った。
男と女の声の二つが近づいて来た。
そして中庭につくと男の大声がする。
「おいっ! いるんだろう? 出て来いっ!」
(父親の方か)
瑣高は声など無視して着物の状態を確かめる。
着物を触る度、樟脳の香りが辺りに漂う。
しばらく何事が言っていたが、聞き流していたので覚えていないが、最後の言葉には思わず手が止まった。
「ここに娘を置いていく! お前はこの家の義務をこの娘で果たせ! いいなっ!」
(は? 何を勝手な事を……)
流石にそんな者を置いて行かれては困る。
瑣高は畳から立ちあがろうとしたが、また座り直した。女の泣いて戸惑う声がしたからだ。
「父さん!? どういう事!? いっ、いきなりこんなとこに引っ張って来て、何っ? 私で義務を果たせって、わたっ、私、何されるの、何するのっ!? ねえ父さん、答えてよっ!」
ののかが自分を置いて帰ろうとした父親の腕を両手で掴んで引き止める。
「……家の仕事だ。お前はこの家の男の子供を産むんだ」
「え……?」
ののかの顔から一瞬で血の気が引いた。
「え……? 何、言ってるの、父さん……?」
ののかは頭の中が真っ白になって父親の言葉が理解できなかった。意味はわかっても理解ができない。
「え、え……?」
ののかは父親の腕を掴みながら、途方に暮れた幼子の様に、ただ必死に父親の腕を掴み、縋る。
だが父親は無言で縋りつこうとする娘の両手を、ぶんっと振って振り払う。
「きゃっ」
振り払う力が強かった様で、ののかは後によろけた。転びはしなかったが、立っているのがやっとだ。ののかはもう一度父親を見た。
「え……?」
父親は今まで見た事の無い、冷たく険しい顔でののかを見ていた。
「あ……」
ののかはその場にぺたんと崩れ落ちた。
(怖い……)
今まで父親の事を怖いと思っても、その怖さの中には親の愛情を感じ取れた。愛しているから怒るんだ、と。だから怒られて怖い思いをしても、自分が悪かったからと理解できた。
でも今の父親は違う。
恐怖しか感じ取れない。愛情なんて欠片も見えない。ただ冷徹に見下ろされているだけ。
でもののかは目の前の怖い父親でも、ここに来るまでの父親を信じてまた手を伸ばす。
「とう、さん……」
だが娘の願いも空しく、父親は踵を返し、娘を置いて去ろうとしたがその足は止まった。
「父さん!!」
はあはあと荒い息を吐き、父親の前に立ち塞がる様に里如がいた。
「兄ちゃん!」
ののかは里如を見てほっとした。兄ならこのわけのわからない現状を何とかしてくれると信じて、里如を涙でぐしゃぐしゃになった顔で見上げた。
妹の声に反応し、そちらに顔を向けると里如は凍りついた様に止まった。
「のの、か……」
それはそうだろう。妹が涙でぐしゃぐしゃになった顔で自分に縋る様な顔を向けていたのだから。目元は赤くなり、顔も浮腫み、当然化粧も所々落ちている。そんな妹を見た里如は一瞬で切れた。
「父さん! 一体どういう事だっ! ののかをこの家にやるなんて正気じゃない! 女が必要なら外の適当な女をやればいいだろう!? 探せばいくらでもいるはずだ!」
里如は父親にそう言葉を叩きつけると、すぐにへたりこんでいるののかの元へ行く。
「大丈夫か、ののか」
里如はしゃがんでののかの両肩を掴む。見た感じでは何もされてはいない様だ。
「おっ、にい、ちゃ……。だいじょ……うっ、うぇー」
ののかは里如に抱きつき、また泣き出した。
「ののかっ……!」
里如はののかをぎゅっと抱きしめ声をかける。
「大丈夫、もう大丈夫だからな。大丈夫……」
ののかが安心する様、優しい声音で宥め続ける。
「里如、帰るぞ。ののかは置いておけ。ののかはこの家の男とやるまで帰ってくんな」
「は!? 冗談じゃない!! ののかをこんな家にやるわけ無いだろう!! ふざけんなっ!! 俺が絶対にやらせねえ。ののか、大丈夫だ。兄ちゃんが守ってやるからな、ほら、立てるか。……よいしょ」
「んっ。うん……」
ののかは里如に抱きつきながら、力の抜けた足に力を込めて立ち上がるが、里如に抱きついたままだ。今里如から離れたらまたへたり込むし、なにより父親が怖くて里如から離れられない。
だが父親は里如からののかを引き剥がす様に、抱き合う二人に手をかけた。
「止めろっ!」
里如が身体を振って父親の手を振り解く。
それを何度か繰り返していたが、どうやっても諦めない息子に父親が痺れを切らした。
「いい加減にしろっ、里如! ののかが孕まなければ村がどうなるのかわかってんだろうが! お前は村よりもののかを取るのか? もしそんなら許さんぞ、里如!!」
「ののかも村も大事だ! 孕ませるならののかじゃなくてもいいんだろ!? なら俺が別の女を探してくるさ。身内じゃなきゃ駄目なら清把をやればいいんだ。元々あいつのせいでののかがこんな目に遭ってんだ。あいつに責任取らせろよっ!!」
「清把は駄目だって言っただろっ!」
「何だよ、別に構わねえよ。あいつが清把の中に出したら死んだって構わねえだろ? 少なくても家は役目を果たしたんだって面目はたつ。そうだろ、父さん!!」
「里如……」
父親も里如の言葉に一理あると思ってしまったのか、それ以上の言葉は出て来ず、苦り切った顔で立ち尽くす。
そんなはた迷惑な戯言を部屋で瑣高は聞いていたが、もう黙っていられなくなった。
(こっちの都合なんて完全無視の押し付けかよ。ふざけるな! わかってはいた、知ってはいた。だけどここまで馬鹿にされて黙ってなんていられない)
瑣高は立ち上がり、静かに障子を開け、部屋から一歩出た。
目の前には馬鹿な親子が三人。
三者三様の顔で立ちつくしていた。
「おい。黙って聞いていれば随分な話だな」
三人の親子は冷たい声の方に一斉に顔を向けた。
「お前……」
里如が憎々しげに呟く。
「僕はね、お前達の言う事をきく筋合いは無いんだ。ただでさえお前達のために、生命を毟り取られているのにね。しかもなんだ、その頭の悪そうな女は。……ああ、お前の妹だっけか。それなら頭も顔も出来も悪いのは当然か。ははっ!」
「お前っ……!」
瑣高は軽く腕を組み、ククッと三人を見下して嗤う。
「事実なんだから怒る事じゃないだろ。それに僕にだって選ぶ権利はある。少なくとも今目の前にいる馬鹿な女はお断りだ。だからお前達はさっさと帰れ」
瑣高は出ていけと、ひらひら手で払う仕草をする。それに里如が噛み付いた。
「はっ! そうかよ。じゃあどんな女が好みだよ。俺が責任持って連れて来てやるよ。そうだな、やっぱり清把みたいな女か。それとも本人を連れて来た方がいいか? なあおい。っははっ」
清把の名を出せば動揺するだろうと踏んだ里如だが、瑣高は全く無反応だった。
「清把ちゃん? 確かに目の前の馬鹿兄妹と比べれば頭も良いし可愛い。視野も広いちゃんとした子だよね。その清把ちゃんより劣る女をこの僕に押し付けようって言うんだから馬鹿、以外の言葉が見つからないよ。ははっ。だからと言って清把ちゃんが僕に相応しいわけじゃない。僕にだって好みはあるよ。そうだな、お前達にもわかりやすいラインを言うなら一流大学出身、容姿スタイルとも良く賢い女性かな。だから目の前のランク外のお前の妹なんて、こちらから金を払ってでも断るレベルって事だよ、お前達。ふふっ」
瑣高は肩を揺らしてくすくす嗤う。
「っのっ……!」
里如はののかから離れて瑣高を殴りつけに行こうとしたが、ののかが何処にも行かせまいとして、今以上に里如にしがみついた。
「ののか……」
里如は懸命にしがみつく妹を振り払う事はできなかった。
「そうか。じゃあお前のいう女を用意しよう。用意できたらその女を孕ませろ。いいな」
父親が冷たい表情で瑣高を見ながら言った。
「さあね。僕はお前達の言う事を聞く理由なんて無い。さっさと出て行け」
瑣高は高圧的に三人に告げると、障子を開け部屋へ戻った。
父親は瑣高の消えた部屋をしばし見ていたが、踵を返し、家へ向かって歩き出した。
「おい、待てよ父さん!」
里如は自分達を置いて去って行った父親に言葉を打つけたが無視され、兄妹はその場に置き去りにされた。里如は舌打ちした。自分達もこの場にいる理由はない。さっさと出るためにも、腕の中にいるののかの状態を確かめなければ。
「ののか、大丈夫か? 歩けるか?」
里如は優しく声をかけた。
ののかは小さく頷くと、兄の背中に回した両腕を、兄の左腕へと移動させた。
知らない人間からの突然の暴言にショックを受けた妹が心配だが、まずはここから移動しなければいけない。
里如はののかに気遣いながらゆっくりと歩き出し、瑣高の家を後にした。




