3
放課後、清把は市立図書館へと向かった。
今日は汞と会う約束をした水曜日だからだ。
約束といってもお互い予定がなければ水曜日、市立図書館で会おうというゆるいものだ。
会えたら、とはいっているが中学から今まで会えなかったのは十回にも満たない。それだけお互い会うのを楽しみにしているのではと思える。少なくとも清把はこの特別な水曜日を毎週楽しみにしている。
今日も待ち合わせの場所に汞がいた。
市立図書館のエントランスホールの隅の方で立って本を読んでいた。
小中高大と学校の多い市のため、この図書館はカフェが併設されていたり学生向けの資料が多かったりと学生が使用しやすい様に作られている。エントランスもその一つで、かなり広く作られており、エントランスホールで待ち合わせてから勉強しに行くという学生も多い。
そのエントランスホールの名物と化してしまったのが汞との待ち合わせだ。
汞はモデル顔負けの容姿とスタイルだ。となれば、その姿に見惚れて足を止める男女がでるのはごく自然な事。いつも何人か立ち止まって汞を見ている光景は一種の名物にすらなっている。それだけではなく、直接汞に声をかけに行く者もいるが、例外無く汞に無視されるか、辛辣に追い払われている。
そんな汞にたった一人、清把だけが声をかけても無視されず追い払われもしない。
「汞君、お待たせ」
羨望や嫉妬の視線を感じながら、小走りで清把は汞の元へ寄った。
足を止めていた人々も、汞が本から目を離すとそそくさと動き出してその場から離れていく。
「大丈夫だよ。今日はどうするのかな」
汞は文庫本を閉じ、ショルダーバッグに入れた。
「庭園に行きたいな。庭園の桜、綺麗だから」
「ああ、そうだね。じゃあそうしようか」
「うん」
会った日に何をするかはその日に決める。テスト前だから勉強する、勉強を教えて欲しい、本を読みたい、公園を散歩したい、話したい等々。
今日は花見をする事にし、二人は隣接する市立公園へと向かった。
公園はそれなりに大きく、小規模だが野外ステージがありイベントを行ったりできるし、小動物と触れ合える施設もある。
日本庭園ぽいものもあり、何種類かの桜が植っていて、花見をする事もできる。
清把達と同じ事を考える人達は当然いるので、今日の庭園は普段より少し人が多かった。
「いつもより人が多いね」
のんびりと小道を歩きながら清把が言う。
「そうだね。まあこの季節は仕方ないね」
微笑しながら汞が答えた。すれ違った大学生ぐらいの女性が汞の微笑に釘付けになった事を清把は見逃さなかった。いつもの事だが。
汞はモデル顔負けの容姿とスタイルなので、老若男女問わず汞に見惚れる人を見るのは、それこそ呼吸をするのが当たり前と同じぐらいの当たり前の事だった。
それなのに、汞に彼女はいなかった。
汞ならいて当然だと思うのだが、そういう素振りも無かったので清把は思い切って訊いたことがある。そうしたらちょっと驚いた顔をして「いないよ」と言われ「作る気もないよ」と。何故、と清把は訊きたかったが、それ以上は訊くなという雰囲気を察して「そうなんだ」としか言えなかった。
後からその理由を汞の叔母から聞いて知ったが、普通の人なら信じない様な理由だ。けれど清把はそうかと疑う事なく納得した。
誰かとすれ違う度、汞の容姿に見惚れる人達を一瞥しながら清把は汞にあの事を言ってみた。
「あの、ね。汞君、相談があるんだけど……」
清把は汞を見上げ、汞は微笑を深めた。
「うん。じゃあ……あそこに座ろうか」
汞は少し先にある空いているベンチに顔を向けた。そこは他の桜より、花が散っているのであまり人気がないのだろう。相談するには人気もなくていいのかも知れない。
清把はこくりと頷いた。
ベンチに舞い落ちている桜の花弁を汞がハンカチで軽く払ったあと「どうぞ」と清把に座る様促した。
「ありがとう、汞君」
清把は礼を言ってから座り、汞も座る。
「それで清把ちゃん、何があったのかな」
「うん。どう話せばいいのか……。私が白鐘に入った理由って覚えてる?」
「勿論。小学校の時、男子に嫌がらせをされて男子と関わりたくないから入ったんだよね」
僕も男だけどね、と揶揄われた事を清把は思い出し、汞は違う、男の子じゃなくて男の人だから違うと言い返した事を思い出して少しだけ頬を緩めた。
「どうしたの?」
汞が小さく首を傾げた。
「ううん、何でもない。……でね、その私に嫌がらせをした男子と先週偶然出会ったの。そしたら、その男子が何事も無かった様に話しかけてきたの。でも私はもう関わりたくないから知らんぷりしてたんだけど、私にした事を何とも思ってないようだったから、私にした事を言ってやったの。あ、その時友達も一緒だったんだけど。そしたらそいつ、私の事が好きだからそういう事をしたんだって。私にはそれは嫌がらせでいじめだったって言ったの。そしたら今度は自己弁護し始めて、逆ギレして帰ったんだけどね、そいつ。で、その後一緒にいた友達経由で聞いたんだけど、そいつ、私の事が小学生の時から好きだったんだって。で、高校卒業したら付き合ってくれって自宅に来る気だったんだって。でも卒業前に今ここで出会えたのは運命だから絶対迎えに行くって言ってたんだって……」
清把は先週あった事を汞に話し、汞の顔を見た。汞は穏やかな表情をしているが、これは相当不愉快になっている顔だった。側から見れば不安にならない様に、優しい顔で寄り添ってくれたんだろうなと思うだろう。でも間近で汞を見てきた清把はそうではない事に気がついた。この穏やかな表情は相手を馬鹿にしているのだ。この場合は清把ではなく、原田の事をだ。
「話してくれてありがとう、清把ちゃん。もし、この話を知らずにその場にいたら、僕があの時教えたことは理解していなかったのかと残念に思うところだったよ」
汞は綺麗ないい笑顔で言った。
その笑顔には、——まあ、また一から教えてあげるけれどね。ちゃんと理解するまで何度でも。
という言葉にならないような声が、清把は聞こえた様な気がした。
「うん。ちゃんと覚えてるよ、汞君」
つられて清把も笑顔を作ったが、汞に指摘されたあの時の事を思い出した。
汞曰く、清把は危機意識が薄い様なので、何かあったら必ず汞に相談しろと言われていたが、うっかりして汞に相談せず事後報告をしたら、先程の様な穏やかな笑みを見せながら、汞に相談しなかった場合、こういう事になる可能性が高かったんだよという事を図書館で資料を並べながら事細かに説明という名の説教をされたのだ。
清把としては説教であっても、ここまで丁寧に教えてくれる事がとても嬉しかったし、会う時間がその時は三日連続で会えたので嬉しさ以外無かった。無かったが、汞を怒らせるととても大変な事になるという事がわかったので、それ以降、面倒な事は汞に必ず相談するという事を学んだ。
「うん、えらいね。それにしてもそんな変質者、ストーカーはさっさと片付けないとね。それ、なんていう名前?」
「ああ。中浦結貴、欅学院の高三だよ。あ、ごめんなさい、違う、原田結貴だった。親が結婚したとか言ってたかな、確か」
「原田結貴、ね。わかった。とりあえず清把ちゃんはそれに近づかないで。話が通じるとか思わないでね。絶対に近づかないでね」
「う、うん。近づかないよ。それに話が通じないのはこの前理解したから」
小学校の時と中身は変わってないような雰囲気だったからなと、清把はこの前の事を思い出す。
「じゃあ今日はもう帰ろうか」
「え、ああうん」
清把はチラリと腕時計を見た。いつも別れる時間より三十分程早い。
「桜が綺麗だからね。観ながらゆっくり帰ろう」
清把の内心を察したかの様に汞は小さく笑い、ベンチから立ち上がった。
(あれ……?)
清把は立ち上がった汞を見上げる。
「汞君、具合悪い?」
汞はきょとんとした顔になり「何故?」と問いかけた。
「なんか顔色が悪いから……」
「そう。僕はなんともないよ、清把ちゃん。光の加減でそう見えただけだと思うよ」
ああ確かにそうかもしれない。桜の枝の隙間から差し込む夕方の陽が、汞の綺麗な顔に影を落としたり照らしたりしている。
だけど。
ほんの一瞬だけど、汞の顔がとても青白くて今にも倒れてしまう様に見えたのだ。
桜の中にいるせいか、汞の美貌のせいか、鳥肌が立つ程ぞっとしたのだ。
だが汞は否定したし、今はなんともなく普通の顔色だった。
「じゃあ行こうか」
「うん」
汞は清把に立つ様促し、清把もすぐに立ち上がった。そしてゆっくりと、はらはらと舞い落ちる桜の道を駅に向かって歩き出した。




