十九
時は少し遡り。
清把が里如に引き摺られて祀賀偂の家から離れた後。
清把は里如に右腕を掴まれたまま、流澤の家の坂の下にいた。
里如は片手で携帯電話を操作した。
「父さん! 清把が、清把ちゃんがあの家にいたんだっ! なあ、どうすればいいんだ? 俺、わけわんかんねえよ……」
『はあ? お前、何言ってんだ? 清把が?』
電話の相手は伯父の健一だった。
「俺だってわけわかんねーよ。いつも通り、あいつの様子を見に行ったんだ。そしたら清把があいつの側にいて……その上、あいつのことを好きだって言ったんだ」
「っつ」
清把の腕を掴む里如の力が強まり、ただでさえ強く掴まれているのに、そこにさらに力が入ったのだ。確実に里如の指の跡が腕につくはずだ。どうせつくなら瑣高の方がいいのにと清把は思った。
『おい里如、それは本当なんだな』
「当たり前だ。嘘でもこんなこと言えるかよっ!」
里如は吐き捨てる様に言った。
『わかった。今すぐ帰る。今何処にいるんだ?』
「坂の下だよ」
『じゃあ裏山の小屋に行け。祖父ちゃんにも言っとく』
「わかった」
里如は電話を切り、ズボンの尻ポケットに携帯電話を突っ込むと、ぐいっと清把を引っ張って歩き出したが、すぐに清把が抵抗し出した。
「清把ちゃん、暴れるな」
里如が少し苛ついた声で言う。
「痛い! 里如君、離して!」
そこで里如は気づいた様だ。自分がどれだけの力で清把の腕を掴んでいたかの事に。
「あ、ああ、ごめん。でも手は離せないから」
里如は手は離さず掴む力を緩めた。手を離してくれないだろう事はわかっていたので、そこについては何も言わなかった。ただ、痛みで湧き上がった涙を滲ませた目で強く里如を睨み上げた。
里如はきまりの悪い顔をして、清把から顔を背けて歩き出した。
里如は家に上がる坂を上らず通り過ぎ、少し先にある畦道に入る。この先には小さな池がある。そこで小さい頃、健一と里如と一緒に釣りをして遊んだ事をふと思い出した。
池に出るとそこは行き止まりだ。
だが、里如は池の周りに生い茂った藪をかきわけて入った。するとそこは巧妙に隠されていたが、人一人通れる程の道があった。そこを十分程歩くと、小さな物置小屋らしきものが見えた。
里如は入口の板戸を開け、中に入った。引っ張られて一緒に入った清把は中を見回した。中は土間で、十畳程の広さの板間があるだけだった。壁側には木で作られた物置棚があって、そこには木箱がいくつか置いてあるだけだった。里如はここでようやく清把の腕を離した。
里如は入口の近くの壁に寄りかかって立つ。清把が逃げようとしても無駄だと無言でアピールしている。清把は長式台に座り、里如に掴まれた腕を見ようとパーカーを上の方にあげる。
そこにはしっかりと里如の指の跡がついていた。清把ははぁ……と小さく溜息を吐き、パーカーの袖をまた下に下ろした。清把を見ていた里如は物凄く渋い顔をして「ごめん」と小さく呟いた。清把は何も言わずただ俯いていた。
二人は話す事も無く、ただじっとそのまま健一や祖父が来るのを待っていた。
どれぐらいの時間が過ぎたかはわからないが、がたがたっと入口の板戸が動き、開いた。
そこには少し息の荒い健一と祖父がいた。
「父さん、祖父ちゃん!」
里如が安堵の声で二人を呼んだ。
二人は小屋の中に入ると緊張した面持ちで清把の前に立つ。
「清把」
健一が清把を呼び、清把はゆっくりと顔を上げて目の前に立つ伯父を見た。
伯父は厳しい顔で清把を見ていた。
「里如から聞いたが、お前、あの家にいたって本当か」
「瑣高君の家の事? うん。いたよ」
清把は射る様な視線の伯父の目をしっかりと見ながら答えた。
伯父は愕然とし、片手で顔を覆った。伯父はショックのあまり言葉が出ないのか、そのまま立ちつくす。
「清把。お前、なんであの家にいたんだ」
代わりに伯父の一歩後にいた祖父が問う。祖父も伯父と同じく表情はかたく厳しい。
「瑣高君のお見舞いだよ。体調が良くなくてこっちに帰ったって聞いたから」
「お前はいつ、何処であれと知り合ったんだ」
続けて祖父が問う。
「小六の時。散歩してたら瑣高君と会って話した。そしたら瑣高君、うちの方の大学に行くって言ったから、会えたらいいねって話した。そしたら偶然図書館で会って、それから週一回、会って話したり勉強を教えてもらったりしてた」
「そんなにか……」
伯父は手で顔を覆ったまま、掠れた声で呟いた。
祖父も里如も言葉には出さないが、伯父と同じ様に重々しく、苦々しい表情をしていた。
三人は言葉が出せない様でただ苦悩し、立ちつくす。
それ程、瑣高と一緒にいた事は許されないのだという事がわかる。
「ねえ、伯父さん、お祖父ちゃん。私、瑣高君のお母さんから聞いたの。家が——この村が瑣高君の家にどれだけ酷い事したのか。あれは本当なの?」
「何を聞いたんだ、清把」
祖父が答える。
清把は凛子に聞いた事を全部話した。
聞き終えた三人は頷いた。
「ああ。本当だ」
健一が答えた。
清把は全身が一気に熱くなり、立ち上がった。
「酷いっ! 酷いよっ! なんで瑣高君がそんな目に合わないといけないの!? なんで皆平気な顔していられるの!? 皆が……私達が瑣高君達に酷い事したんだよ。それなのにっ……」
清把の目からまた涙が溢れた。
「瑣高君のお母さんが言ってた。自分達は今この瞬間も殺されているって。っつ……」
清把は溢れ出る涙をパーカーの袖で拭う。
「ねえっ、なんでそんな酷いこと続けるのっ? なんで瑣高君達に謝らないのっ!? もうっ、どうにもできないならっ、せめて謝ってよっ。悪かったって、謝るぐらいっ、してよっ!!」
清把は涙を流し、しゃくりあげながら三人に言った。
穢れの行き先がどうにもならないのはわかった。でも、穢れを減らす様、努力する事はできたのではないか。定期的に穢れを浄化する儀式を行うとか。できないなら、せめて謝罪をして、瑣高達を蔑むのではなく、感謝を表すとか。何かできる事はあるはずなのだ。自分でさえこれぐらいの事は思いつくのだから、村全体で考えれば他にも思いつくはずだ。それなのに——
「謝罪なんて必要ねえ。むしろあいつらが俺らに謝罪する立場だ」
「え……?」
伯父の言葉に清把は愕然として目を見開いた。自分の知らない事を教えてくれて、間違った事は正してくれる、立派な伯父。そんな伯父を尊敬していたのに——。その伯父がなんの疑問も持たず、考えもしないでそんな事を言うなんて。
「当たり前だ。あいつらは贄子の分際でお前を拐かし穢した。おまけにあの倅のせいで家まで被害が及ぶんだ」
伯父は憎々しげに吐き捨てる様に言った。
「父ちゃん、清把は駄目だ。あいつらに穢され過ぎてる。つうか、俺らも穢れを受けてんじゃねえか?」
伯父は首だけ後に向けて祖父に問う。
「俺らは穢れは受けちゃいねえ。清把はお山の娘だ。多少の穢れなら受けねえよ。清把、お前、今までなんかあったか?」
祖父が鋭い視線を清把に向ける。初めて見る、厳しくて冷たい視線に清把は心が痛くなった。
「……無いよ」
小さい声で清把は答えた。
「な。だから俺らは穢れは受けちゃいねえ。が、こっからはわからねえ。だから清把はもうここには来んな。お前がいたからあれは逝くんだ」
清把はすっ、と全身の血の気が引くのを感じた。
(私のせい……? どういう事?)
祖父はそれ以上言わず、健一に向かって言った。
「あれの先は長くない。すぐにののかをやれ」
健一は祖父の言葉で身体を固くし、諦めた表情で大きく息を吐いた。
「わかった」
「は? ちょっと待てよ父さん。それってもしかしてののかにあいつと寝ろって言ってるのか!?」
里如が健一にくってかかる。
「そうだ」
健一は苦渋に満ちた顔で頷いた。
「ふざけんな! なんでののかなんだよ! 責任取るなら清把の方だろ!? 清把のせいであいつが逝くなら清把があいつと寝ればいいだろ! 清把はあいつとそうなりたいらしいんだから」
里如は清把を蔑み、罵った。清把は里如の言葉と態度に凍りついた。面倒をかけて困らせた事はあったけど、妹の様に接してくれていた従兄弟にこんな言葉を投げつけられるとは想像もしていなかったからだ。
「駄目だ」
「なんでだよ、祖父ちゃん! それが一番自然だろ!? 俺は嫌だ! ののかをやるなんて絶対に嫌だ!」
「里如」
健一が里如に逆らうなと言外に伝える。
「清把では駄目だ。あれが逝くきっかけになったのは清把だ。あいつらは最高の幸せを感じた瞬間、死合わせになるんだ。あいつらは幸せと死合わせが表裏一体なんだ」
「どう言う事だ、祖父ちゃん」
よくわからないという顔で里如が祖父に問う。
健一はわかっている様だが、清把も里如同様よくわからない。
祖父は上り框に座ると指で、床板に文字を書く。
「あいつらは幸せと死合わせが表裏一体なんだ」
指の動きで祖父が何を書いたのかはわかった。書いた文字から意味を理解した二人は対象的な感情を抱いた。
里如は悍ましさを。
清把は喜びを。
そして祖父は続きを話す。
「あいつは清把で死合わせになった。なら清把をものにした時、すぐにでも逝くだろうよ。そんでは俺らは困る。だがののかなら別だ。なんの感情もないののかならすぐに逝く事はないからな」
祖父は淡々と言い、二人の孫の顔をみた。
「だからののかをあれにやる。清把は明日帰らせる。そして里如。お前は清把の面倒をみろ。これは命令だ」
「「はっ!?」」
孫達は同時に声を出した。
「祖父ちゃん、どういう事だよそれ!?」
「そうだよ! なんで私が里如君に!?」
そして同時に祖父にくってかかるが、祖父は普通の、大した事でもない様に話す。
「本来なら清把は外の子だ。家の血を引いてても村で暮らすわけではねえから、村の事は関係ねえ。だども村の一番関わってはなんねえ事に関わった、いわば罪人だ。罪人を野放しにするわけにはいかねえ。そうだろう?」
祖父は孫達を見ながら言う。
「だから、罪人は出した家が責任持って管理するのさ。俺らはお前達より先にいなくなる。だから里如、お前が面倒みろってことさあ」
「なっ……」
里如は二の句がつげず、口をぱくぱくさせる。
「お祖父ちゃん。それ本気なの……?」
「ああ」
清把もそれ以上は訊けず、黙る。
「清把。お前は明日家に帰れ。実夏子には俺が連絡しとく。いいな」
清把は口を開こうとしたが、祖父達の顔を見て黙った。何を言っても聞き入れてもらえない事がわかったからだ。そもそも世話になっている分際で、家主の言う事に逆らう事などできない。
「話は終いだ。家に帰るぞ」
祖父は立ち上がり、板戸を開けた。
外は薄闇が空を覆い出していた。
祖父が先頭に立ち、里如、清把、健一と並んで歩き出し、重い足取りで家へと向かった。




