十六
離れに着いた瑣高は中に入り、居間で凛子と雑談していた佳奈恵に挨拶をしようとしたが、それよりも早く佳奈恵が「汞!」と呼んで、ソファーから立ち上がり瑣高に近づいた。
「ああ……よかった、よかった。やっと顔を見れたわね、汞」
「ふふ。久しぶり、ですかね、佳奈恵さん」
瑣高は微笑して答えた。
佳奈恵は最後に会った日よりも痩せた瑣高を心配そうに見ながらも、外見については何も言わなかった。
「何も無い所でしょ、ここ」
瑣高は苦笑しながら言った。
「うん、聞いてはいたけどね。似た様な風景ばかりだから、この道であってるのかなってちょっと不安にはなったけどね」
佳奈恵も苦笑しがら言う。
「都内の人達ならそうでしょうね」
凛子も苦笑した。
「ねえ汞、ずっと家にいたからちょっと外見たいんだけど、ついてきてくれる?」
「あらそれなら私も行くわよ、佳奈恵ちゃん」
「いや、母さんはいいよ。それより祖母ちゃん達の方見てきて。さっきはそれどころじゃなかったからね」
「ああ、そうね。じゃあ瑣高、お願いね」
「ああ」
「じゃあ佳奈恵ちゃん、何かあったら瑣高に言ってね」
凛子は居間を出、離れへと向かった。
「じゃあ僕らも行こうか、佳奈恵さん」
「ええ」
瑣高と佳奈恵は玄関から外に出、離れの庭を歩く。陽射しが落ち、多少涼しくなった夏の庭を二人で歩く。
「ふふ。庭っていう程の庭じゃないんだけどね」
「確かに」
二人は軽く笑った。
離れの庭も母屋と同じく、雑草はないが野草が好き放題に生えている状態だ。
少しの沈黙の後、佳奈恵が口を開いた。
「清把ちゃんとは会えた?」
「……うん、会えたよ」
「そう。よかったわ。あの子、ずっと汞の事心配してたのよ」
「そう」
「ええ。ああ、それとあのチビクズだけどね、康太が若い子に見張らせてるから、清把ちゃんには何も無かったわよ」
「……チビクズ。っふふっ。確かにチビクズだ。ははっ」
瑣高は佳奈恵の的確な名付けに思わず吹き出した。
「ふふっ。でも康太さんには迷惑かけちゃったね。申し訳ないな」
「あら気にしないでいいわよ。若い子はいい小遣い稼ぎだっていって喜んでやってるわよ」
「でも、余計な出費させてるし……」
「家はそんな程度でどうにかなる家じゃないわよ、汞。知ってるでしょ」
「まあね。でも僕に関わる事だから気にはなるよ」
「全く。自意識過剰ね、汞は。私が清把ちゃんの事が心配だから勝手にしてるの。汞のためじゃないわ」
佳奈恵が呆れて軽く瑣高を睨む。
「そっか。それは失礼しました、佳奈恵さん」
瑣高は苦笑しながら謝った。
「そうよ。全く。………………ねえ、汞。私今気づいたんだけど、チビクズって、もしかして汞の影響かなあ?」
「え?」
瑣高は鳩が豆鉄砲を食った様にポカンとした。考えてもいなかったという顔だ。
だが言われて考えてみればそうかもしれないと思い考える。しばらく思考した後、瑣高が口を開く。
「多分、違う。けど影響はあったかもしれない、かな」
「どういう事?」
「僕が原因による『何か』はもっと突発的だ。天災同様にね。チビクズは僕と出会う前からの悪縁だ。僕と出会ってなくてもあのチビクズはあの子に会いに行くだろう。ただ僕の影響で出会う時期が早まったぐらいはあるかもしれない」
「なるほどねえ。……ん? そうしたら私達って、遅かれ早かれ清把ちゃんと関わる事になったのかも?」
瑣高はまたも不意打ちの言葉をくらい、ポカンとした。確かにそうかもしれない。
「多分、私にはなんらかの尻拭いみたいなとばっちりが来て、それで清把ちゃんとは出会いそうな気がする」
「ああ……」
瑣高は重い声で同意する。
「だけど僕とは繋がらないよ。クズとは籍も抜いているし、チビの方は僕の存在すら知らないだろう?」
「存在ぐらいは知っているわよ、チビ。腹違いの兄がいるって。ただどこにいてどんな人間かは知らないけど。私、訊かれた事はあるけど教えなかったし、私達もクズファミリーとは縁切ってるしね」
佳奈恵は肩を竦めた。
「そっか」
「まあ……でも、清把ちゃん、チビクズと汞が兄弟、血縁関係があるって知ったら……。いや、清把ちゃんなら気にしないわね。だから? って言いそう。ふふっ」
「………………」
確かに、と瑣高は心の中で思った。
血縁関係があっても家族として付き合いがあるわけでも無い。ただの他人だと言うだろうなと。
「佳奈恵さん、その事は……」
「勿論言わないわよ。不可抗力の場合とかは仕方ないけど」
「うん、それでお願いしますね」
「ええ」
佳奈恵は頷き、顔を瑣高から目の前に立ち塞がる雑木に向けた。小さな笑いが消え、スッと真顔になる。
「ねえ、汞。あなたはこれからどうするの?」
瑣高も雑木を眺め、答える言葉を探した。どうなるかなんて決まっている。死ぬだけだ。だが佳奈恵が聞きたい答えはそれでは無いとわかっている。
「……そうだね。そっちには帰らないよ。少なくても来年までは」
「そう」
「……………………」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
瑣高は綺麗に微笑を浮かべた。
「そう。……清把ちゃんの事はどうするの? さっき会ったって言ったけど、ちゃんと会って話したの?」
「ああ。話したよ」
「……凛子さんから清把ちゃんの家の事、聞いたわ」
「……そう。聞いたんだね、佳奈恵さんも。それならわかると思うけど、母さんは——いや、祖母ちゃんも僕もこの村を憎んでいる。憎しみ、なんて簡単な言葉で言い表せないぐらいにね。僕達はこの村から出られない。一時出れても必ずこの村に引き戻される。だって僕等がいなければこの村はお終いだからね」
瑣高は軽く肩を竦め、冷笑した。
「僕達は死ぬまでこの村の奴隷なんだ。今この瞬間も僕達はこの村に殺されている。先に絶えた池ヶ谷や四辜だって悲惨だった。特に池ヶ谷なんていつも凄惨な死に様だ。あれを四百年近くも繰り返した。家だってそうだ。全員絶望のどん底に落とされてから死ぬんだ。こんな呪いをかけた村を、自分達の血を嘆きながらね。そんな村の血を引いた人間を、僕が大事に思うわけがないでしょう。悪意を持っても好意なんて持てるわけがない」
佳奈恵は驚きに目を見張った。
瑣高のこんな悪意を、毒を平然と吐く姿を初めて見たからだ。佳奈恵の知る汞は——瑣高は、いつも穏やかで、滅多に感情を揺らさず、ましてや誰かに悪意を持ちぶち撒けるなんて姿を見た事が無かった。
佳奈恵はなんと言えばいいのかわからず、口を開いては閉じた。
「だからもうあの子とは関係無いよ、僕は」
「…………そう」
「うん」
さあっと涼やかな風が吹き抜けた。竹がさわさわと揺れて鳴く。
「そろそろ帰った方がいいよ、佳奈恵さん。もう夕方だからね」
佳奈恵はちらりと腕時計を見ると十六時半を過ぎていた。
「そうね……」
佳奈恵は瑣高を見上げた。瑣高は綺麗な微笑を浮かべていた。これは拒絶の微笑だ。見ればわかる。だけど佳奈恵はまだまだ瑣高と話したかった。話したいけど、何をどう訊いて話せばいいかは悩んでしまう。悔しいが、ここは素直に引くしかなかった。
瑣高は踵を返し、離れへと向かい始めた。
佳奈恵も後に続く。
玄関ドアを開け、佳奈恵を中へ入る様促し中に入ったその時——。
「今までありがとう、佳奈恵お養母さん」
瑣高がそう言ってドアを閉めた。
「え……?」
バッと振り向いた時にはもうドアは閉まっていた。急いでドアを開けると、母屋へと向かう瑣高の後姿が視界に入る。
佳奈恵は瑣高を追わず、その場で立ちつくす。
「汞……」
汞の心情に気づくと涙が溢れ出た。
だがかける言葉が見つからない。いくつも言葉は浮かぶがどれもあっていて、どれも違う。
佳奈恵はただ、全てを拒絶する瑣高の——息子の姿を見送ることしかできなかった。




