十四
清把は凛子の後をついていく。母屋に入るのかと思ったが、中には入らず中庭の方へ向かった。
中庭は手入れはされていないが、雑草はあまり生えていない。ヤマユリや紫陽花、桔梗やあけび、弟切草等が好き放題に生えていた。伯父達の家の庭と変わらない感じだった。
そしてその野草を縁側に座って眺めている男が一人。その男を見た瞬間、清把の心臓がドクンと跳ね上がった。
(汞君……!)
暗めの翡翠色の着物を着た汞は、儚げな美しさと色気を醸し出していたが、清把が最後に会ったときよりもかなり痩せ、本当に儚く——まるで花が散る寸前の美しさの様に感じられて、清把は今すぐにでも現実に汞を縛り付けたいと思った。
足音と人の気配に気づいた汞がゆっくりと顔を動かし、そして目を見開いた。
その顔は青白く、本当に血が流れているのか確かめたくなる程だった。
「清把、ちゃん……?」
声は聞こえなかったが、汞の口はそう動いていた。
「瑣高! あら、今日は本当に体調がいいのね。良かったわあ。どうしたの? って、聞くまでもないわね」
くすくすと凛子が楽しげに言う。
「久桷さんよ。瑣高を心配して来てくれたのよ。さ、どうぞ。瑣高と沢山お話ししてあげて。私も二人の話にはとても興味があるの。普段はどんな話をしてるのかしら?」
「……大したことは話してないよ。今日は天気がいいね、とか学校であったこととか話すぐらいだよ」
瑣高は縁側に座ったまま、にこりと微笑みながら言った。
「あらそうなのね。でも私はそういう他愛ない話が好きなの。そういう話って、ある程度親密じゃないとできないでしょう?」
凛子が小さく首を傾げて瑣高に言う。
「そんなことないよ。どうでもいい相手だから、どうでもいい会話になるんだよ、母さん」
瑣高もくすくすと笑いながら、やんわりと否定する。凛子が疑う程仲良くはないよと。
清把は汞の——瑣高の言葉にずきりと心が痛んだ。
「ふふっ。まあいいわ、今はね。久桷さん、どうぞ、瑣高の側に行ってあげて」
凛子は振り向き、背後にいた清把に声をかける。
脇に退き「どうぞ」と瑣高への道をあける。
「あ……」
ほんの二メートル先程に、縁側に座っている瑣高がいる。今すぐ駆け寄りたいが側にいる凛子の視線が気になる。顔は笑みを浮かべているが、目は冷んやりとしている。行けと言われても、その視線は行くなともとれて、清把は瑣高の元へ行くのに躊躇する。それにあの話しを聞いた直後では、どの面下げて瑣高に会えばいいのかわからない。
「清把ちゃん、おいで」
視線を彷徨わせていた清把に瑣高が声をかけた。
清把は反射的に瑣高の顔を見た。
瑣高は微笑してもう一度言った。
「おいで」
清把は意を決し、瑣高の元へと歩き出す。
一歩一歩、瑣高との距離を確実に詰めていく。
清把は瑣高の正面に立った。
久しぶりに見た瑣高は、見間違いであって欲しかったが、やはり見間違いではなく、最後に会った日よりもさらに痩せていた。
元々クールな顔立ちだったが、さらにクールさというよりも神経質そうな繊細さが際立つ程になり、首も、着物から覗く手首も確実に痩せていた。
「っつ……」
清把は瑣高のその姿を見て、ごちゃごちゃになった感情が処理できず、感情のなすがまま、涙が溢れ出た。
その涙は瑣高の手首にぱたぱたと流れ落ちた。
「清把ちゃん、どうしたの?」
涙の意味がわからず、驚いた瑣高は清把に問う。
「っつ……。ごっ、ごめんなさい、汞……ぅうん、さっ、瑣高、君。ごめん、なさい……」
清把は泣きながら瑣高に謝る。謝る事しか思いつかなかった。今、瑣高がこんな目にあっているのは家の——村の所為なのだから。そう思ったらせめて謝罪でもしないとやりきれなかった。
「あら、感心ね、この子。他の奴らは絶対に謝罪なんてしないのにね」
瑣高は何故清把が謝罪するのかわからなかったが、凛子の言葉で理解した。
「母さん、清把ちゃんに話したのか」
瑣高は凛子の方に首だけ傾け、冷えた声音で言った。
「そうよ。当然じゃない。家に来るならそれは知っててもらわないと。あいつらが私達にした事は今も、この瞬間も続いているのよ。なのに村の血を引きながら何も知らないなんて赦される事じゃないのよ。瑣高こそ、どういうつもりでその子と付き合っていたの? 流澤の子だって知っていたんでしょ。ねえ、何故? 教えてちょうだい、瑣高」
凛子は忌々しげに瑣高に問う。強い憤りの視線を向けながら。
対して瑣高は綺麗な微笑を作り、答える。
「母さんが疑う様な事は何も無いよ。この子と会っていたのは僕の暇つぶしで、かつ流澤を傷つけるためだ。あいつらはこの子と僕が会っているなんて知らない。知ったらどんな顔をするか愉しみでしょう? まあもうすぐ見れると思うけどね。そろそろ時間だろうし」
ふふっと、瑣高は綺麗に作った微笑をはりつけながら、清把の手を軽く引いた。
清把は俯き泣いていたが、はっとして瑣高を見る。涙で視界が滲むが、瑣高の右手が空いている隣をトントンと軽く叩いた。座れと言っているので、清把は素直に瑣高の右隣に座る。
「清把ちゃん…… 久桷さん」
清把ははっとして、瑣高の顔を見上げた。
涙でまだ滲む視界をクリアにするべく、清把はパーカーの袖で涙を拭く。いくらか視界がはっきりしたが、また視界を滲ませないためにも両手をぎゅっと強く握る。何故なら今この時が、瑣高と会う最後の時間だと悟ったからだ。ならば、しっかりと瑣高の全てを覚えておきたいし、瑣高が見る清把の姿も、できる限りきれいに記憶に残って欲しいからだ。
そんな清把を瑣高は微かに憂いを滲ませた目で見る。
「今までありがとう、久桷さん。僕の暇つぶしの玩具になってくれて。それなりに楽しかったよ」
瑣高は綺麗な微笑をはりつけて言う。
「……こちらこそ、ありがとうございます、瑣高、さん」
瑣高『さん』と言われた瞬間、瑣高の視線が一瞬だけ痛みを感じたかの様に辛そうに揺らいだ。
「そう。……じゃあ、さようなら。久桷さん」
『さようなら』
その言葉に清把の胸は締め付けられた様に軋み、痛んだ。目を見開き、瑣高の顔をしっかりと見る。
その顔は、綺麗に作った微笑が今にも泣き出しそうな微笑になっていた。その表情を見たら清把は自分の気持ちを抑えられなくなった。
今、言わなければ。
絶対に瑣高に言わなければ、死ぬ程後悔する。
清把は瑣高の痩せた右手を両手で強く握った。
「瑣高君っ! あのっ、わた……」
「清把ちゃん!?」
清把の言葉は第三者の声で遮られた。
清把が声の方を向くとそこには従兄弟の里如が疑問とありえないものを見た顔で立ち竦んでいた。
「里如君……」
清把も驚きで、言葉を失ってしまった。
「あら、監視ご苦労様。ちょうど今瑣高に会いにお客様が来ていたのだけど」
凛子が愉しげに言うが、里如に凛子の声は聞こえていない様だ。
「清把ちゃん……だよな? 何で、こんな所に……?」
里如の顔は青ざめ、右手で口元を覆った。
「久桷さんはね、瑣高のお友達なの。もう六年も付き合っているそうよ? 知らなかったのかしら? ふふっ」
里如が凛子の方を向く。凛子は馬鹿にした様に嗤っている。里如はその顔を見てカッとなり、強く凛子を睨みつけた。
「清把ちゃん、帰るよ。こんな場所にいては駄目だ」
ツカツカと里如が清把に近づく。そして清把の両手が瑣高の右手を握っているのを見た瞬間「離せっ、清把!!」と怒鳴り、清把の腕を掴んで無理矢理瑣高から引き剥がす。
「痛っ! 離して里如君!」
「駄目だっ! 行くぞ!」
清把は引き摺られながらこの場から連れ去られて行く。だが、まだ離れるわけにはいかない。清把は咄嗟に近くの柱を掴んで瑣高を見る。
「清把!?」
引き摺れなくなった清把を呼び、里如が振り返るのと清把の大声が重なる。
「瑣高君っ! わたっ、私っ、瑣高君の事が好き。大好き! 何も知らなくて、できなくて、ごめんなさい」
瑣高の顔が驚きで強張る。
「清把、離れろっ!」
里如は声を張り上げ、柱を掴む清把の指を力任せに引き剥がすが、清把は必死に抵抗し、剥がされてもまた柱を掴む。掴みながら、瑣高の顔を見て声を出す。
「瑣高君が私を嫌いでもっ、私はっ、瑣高君が好きっ! だからっ!」
指が、柱から全て剥がされまた里如に強引に引き摺られて行くが、それでもなんとか身体を捻って瑣高の方に左手を伸ばす。
「私は、瑣高君の厄を持って行きたいよっ!」
泣きながら清把は瑣高に向かって叫んだ。
瑣高は雷にうたれたかの様に、全身に強烈な痺れが走ったかの様な感覚に襲われた。
瑣高は泣きながら引き摺られて行く清把をただ、縁側に座って見送った。
泣き笑いの微笑で。
もう、綺麗な微笑をはりつけることはできなかった。




