十三
しんとした森の中にある社。
あいつのいる場所だ。
あれ、僕はいつの間にここに来たんだけっけ……?
それともこれは夢……?
夢だ、小童よ。
社からあいつの声が聞こえた。
くく。順調に弱ってきたのう。
声は楽しそうに言った。
「どういう風のふきまわしだ。いつもは来るなとか、帰れとか言うくせに」
僕は声の主に嫌味を言う。
ははっ! 我の気が向いたからだ。それ以外になかろう。
「ああそうかい。ならもう気は済んだだろう。さっさととお引き取り願いたいね」
僕は投げやりに言い捨てる。
はははっ! そう拗ねるでない。来たからには見舞いの品ぐらい用意しておる。今の小童には喉から手が出る程欲しいものであろうよ。そら、さっさと目を覚ますがいい!
そう言う終えるか終えないかで、一方的に社のある場所から追い出される感覚が襲う。社が段々とぼやけ、頭が覚醒していく感覚が起こる。
頭に響く笑い声を聞きながら、意識がはっきりとしてくる。意識がはっきりし、目を開けると外は明るい様だ。雨戸の隙間から陽の光が入って来ている。俺は介護ベッドから起き出し、障子を開け、雨戸を開けに行こうとした。
「あ……」
僕はその時気づいた。
身体が軽かった。
ベッドから出て立ち上がるがふらつかない。普通に立てる。
(あいつの見舞いってこれか)
今の僕の体調がスイッチをオンオフする様に良くなるものではない。なら答えは一つしかない。
僕はサイドテーブルに置いた携帯電話を取る。チカチカとディスプレイが点滅しているので携帯を開けた。康太さんからのメールだ。
(あいつは大人しくしている様だな)
メールにはあいつは親に塾や自然教室の合宿やらに放り込まれ、遊ぶ暇がない様にされているそうだ。ただそれでも隙があれば清把ちゃんの近所をうろついていたらしい。まあ清把ちゃんはこっちにいるから会えるはずもない。
僕は携帯電話を閉じて、たてつけの悪くなった雨戸を開けた。僕は少し目を眇め、ひんやりとした朝の空気を全身で浴びる。朝の明るさに目が慣れると、一つ向こうの部屋の障子がガタガタと動き開いた。
「祖母ちゃん」
「あれ、瑣高。起きてて大丈夫なんかい?」
祖母ちゃんは僕を見て驚いた顔をした。それはそうだろう。ここ二、三日は起きている時間の方が少なかったからね。そんな僕を見ているわけだから驚くのはわかる。
「うん。今日は体調が良くてね。大丈夫だよ。祖父ちゃんは?」
僕は祖母ちゃんの部屋へ行く。
「変わらんよ」
薄暗い部屋の中、介護ベッドで眠る祖父ちゃんはいつも通り、ただ静かに眠っていた。
「祖母ちゃんは?」
「変わらんよ」
「そっか」
「瑣高、着替えて凛子のとこに行ってやんな」
祖母ちゃんは雨戸を開けると布団を片付け始めた。祖母ちゃんはベッドではなく布団で寝ているのだ。
僕も部屋に戻り着替えなければ。
部屋の柱に掛かっている時計を見ると七時半過ぎだった。僕は部屋に入る前に外を見た。あの雑木林の向こうに清把ちゃんはいる。
ほんの十分程度の距離の先に——。
最後に会ったのは二ヶ月前か?
会わなくなった直後にはよくメッセージが来たが、最近は週に一回ぐらい来る程度だ。まあ碌に返事もしなければそうなるだろう。
おそらくもう会うことは無いだろう。
僕の身体はもうボロボロになり始めている。
原因不明の体調不良。
目眩や吐気、頭痛や倦怠感。食欲不振等々。あげればきりが無い。病院に行って診てもらっても、これらの症状の原因は不明。そう診断された。できるのは対症療法だけ。
病院で原因不明なら原因は一つ。
血の呪いしかない。
それはどうやっても逃れられないもの。
こうなったらもう長くない。
母さんや祖母ちゃんから言われているし、自分でもわかる。
ああ本当に名前の通りだな。
生きようと少しでも思えば死が先(祀賀偂)に来る。この苗字を押し付けたやつに腹が立つ。先に途絶えた池ヶ谷はいつも一族が血に塗れて死んでいるから血が家、四辜は死罪の罪人の家だから死(四)罪。
思い出すだけで最低最悪だ。
まあ、僕がこうなると、あいつらは家の血を絶やさない様にと僕に子供を作らせようとするだろう。僕に相手がいないとしれば、慣例通りならあいつらの家の娘で、清把ちゃんの従姉妹を押しつけてくるはずだ。
そうさせられない様、僕は少しでも元気なふりをしなければならない。
一日置きに来るあいつらに元気な姿を見せ続けなければいけない。だがそれも今日で終わらせなければいけない。
あいつがどういう理由で僕に力を与えたのかはわからないが、このチャンスを有効利用しないとね。
ああでも、今日なら、今日を最後に、清把ちゃんと会って別れを言いたかったな。
気まぐれな、遊びの時間は終わりだと。
暇つぶしに付き合ってくれてありがとうと。
きっと——いや絶対にあの子は僕の言葉に傷つくだろう。
傷ついて、泣いて、泣いて、僕を恨むだろう。
……いや、あの子なら恨まずただ悲しむだけだろうな。ずっと、ずっと、それこそ一生。
一生——。
僕は身体の底からぞわりと歓喜の震えが沸き起こった事に驚いた。下半身に少し熱が籠ってしまったのだから。
僕は柱に寄りかかり、口元を右手で覆う。大声が出ない様に。
「ふっ、くくっ。はははっ……。いくつのガキだよって話だよね。別にやらしい事を考えたわけじゃないのに興奮するなんて、くくっ」
馬鹿じゃないのか、自分。
でも、でも——あの子が一生自分に縛られて、時には泣いて生きると思っただけで、全身からぞわぞわと昏い歓喜が湧き上がり、また下半身が熱くなる。
「ちっ。だからほんといくつのガキだっていうのさ、僕は」
もう二十三なんだ。中高生じゃないんだからさあ。はあ。
僕は柱から身を起こし、大きく息を吸って吐く。身体が鎮まるまで繰り返し、落ち着いたところで部屋に戻り着替えを始める。
その数時間後、僕は清把ちゃんと再会し、最悪の別れをする事になるとは想像すらしていなかった。
そしてあいつはそれが見たいが故に力を与えたんだという事に気がついたのだ。




