十二
清把は指示された通り、山への小道を歩いている。流石にサンダルでは上れないので、スニーカーに履き替えて上っている。
小道には色々な種類の草木が生えており、いたずらに触らない様にと祖父や伯父達に言われていた。
これは漆だから触ったらかぶれる、この葉には毛虫がよくいるから刺される場合もある、これは毒キノコだから絶対に取るな触るな、等々。
だから山に入る時は、長袖長ズボン長靴のスタイルだと言われていたが流石に長靴を履いて、初めて行く家、しかも汞の家となれば長靴は履きたく無い。
清把はスニーカーにチノパン、長袖のパーカーを着て山への小道を上っていた。もう五分ぐらい歩いただろうか。指示された通りに上っているが、誰も現れない。
清把は立ち止まり、前と後を見たが人の気配はない。聞こえるのは蝉の声と、そよ風で揺らされた葉擦れの音だけ。
(道は間違えて無いはずだけど……。このまま行くと道路に出ちゃうけどいいのかな……)
佳奈恵の指示通りに進んでいるはずだが、清把はなんとなく不安になった。それでも佳奈恵の言葉を信じて上に進むしかない。清把はまた小道を上り始めた。もうすぐで道路に出る手前でがさがさと雑木が揺れた。驚いた清把は立ち止まる。
(え、なになに。猪とか狐とかじゃないよね!?)
清把は緊張で全身が固まった。
清把はまだその姿を見てはいないが、野生動物はよく出るそうだ。去年より鶏が減っているねと伯父に言ってみれば、狐に喰われたんだと言われた。他にも狸や猪が〜とか言われて山に行く時は注意しろと言われているのだ。
緊張しながら音のする方を凝視していたが、雑木をかきわけて女性が上半身だけ出した。
女性の姿を見て清把はほっとして全身から力が抜けた。
(よかった……。猪とかだったらどうすればいいのかわからなかったし)
清把は女性を見ると、佳奈恵より少し上の感じがした。よくみると顔立ちが汞に似ている事に気づいた。
ああ、この人が汞君の——
「……流澤のお嬢さんかしら」
女性は辺りを警戒しながら清把に問う。
「はい。あの……佳奈恵さんから、連絡、もらってます」
清把はトートバッグから携帯電話を出し、佳奈恵からの着歴を女性に見せた。女性はそれを見ると、張り詰めていた気配が少し緩まったようだった。
「ありがとう。こっちよ。足元に気をつけて」
女性は雑木を押さえて道を作った。
「あ、はい。ありがとうございます」
清把はわきへ逸れ、女性の後を追った。
道が無いと思っていたがそこは獣道の様で、慣れた人しかわからない様な道筋だったが、人一人分は歩けた。女性は無言で歩き、清把も黙って後を追うだけだ。
五分程歩いたのだろうか。獣道を下っているが、何処をどう下っているのかはわからないが、急に薄暗さが晴れて明るくなっていく。明るくなった先は開けていて、伯父達の家よりも大きくて立派な藁葺き屋根の家が見えた。
「……ねえ、あなた。いつ、瑣高と出会ったの?」
女性は振り向かず歩きながら清把に問うた。
「……え、あ、はい! あ、えと、初めて会ったのは小六の夏で、従兄弟と歩いていたら畦道にいた汞君と会いました。その時は従兄弟に無視する様に言われたので、通り過ぎただけです。初めて話したのはその冬で、一人で散歩していたら畦道にいた汞君に話しかけられて……。少し雑談して別れました」
清把は正直に答えた。
「そう。……物珍しかったんでしょうね」
女性はそう答えたが、口ぶりから貶されているなとなんとなく清把は感じた。
「そうだと思います。もしくは従兄弟と一緒にいた子だからか。そうじゃなければ汞君は声をかけなかったと思います」
清把は女性の言葉を肯定した。それは紛れもない事実だからだ。汞を知った今なら尚更だ。
女性は清把の返事が意外だったのか、歩くのを止めて振り返った。
「ねえあなた。あなたは家の事、知ってるの?」
清把も止まり、少し先にいる無表情な女性の言葉の意味を考えた。おそらく汞の家が、この村でどういい扱いを受けているのか、という意味だろう。
「……どういう意味か、わかりません」
清把はそう答えた。薄っすらと予想できる事はあるが、それが確実に正しいわけではない。ならば正直に答えた方がいい。
「そう。何も知らないのね。……ああ、まだ名前を言ってなかったわね。私、祀賀偂凛子。瑣高の母親よ」
予想通り、目の前の女性は汞の母親だった。
汞は母親似だったんだなと清把は思った。
「私は久桷清把です」
清把は軽く頭を下げた。
「あら、流澤じゃないのね。あなたは実夏子さんの娘さんよね?」
「はい。実夏子は母です」
「そう。じゃああなたは外の子になるのね。……でも、流澤の血を引いていれば皆同じだわ」
言い方は丁寧でも、声音は刺々しい。
凛子はまた背を向けて歩き出した。
「瑣高は母屋にいるけど、まずは離れで話をしましょうか。佳奈恵ちゃんもあなたの事が気になる様だし」
「はい」
言った通り、凛子は母屋を通り過ぎ、先程は見えなかった離れへと向かった。
離れの近くには見慣れた佳奈恵の車があった。離れの家は藁葺き屋根の家ではなく、清把の住む家と同じで、ごくごく一般的な一軒家だった。ただ違うのは二階建てではなく平屋だというだけだ。
凛子は玄関ドアを開けた。
するとすぐに中から佳奈恵が出て来た。
「清把ちゃん!」
「佳奈恵さん」
「元気そうでよかった〜。元気だって連絡もらってもやっぱり心配だったのよ。でも清把ちゃんに会えてほっとしたわ」
佳奈恵は軽く清把の両腕をポンポンと叩いた。
「私も佳奈恵さんに会えて嬉しいです」
清把は照れながら答えた。
「あら、本当に二人は仲が良いのね」
凛子は少し驚いた顔で、二人のやりとりを見ていた。
「でもこんな場所で話すよりも中で話しましょう。どうぞ、久桷さん」
凛子は廊下にすでに並んでいる濃いベージュ色のスリッパを清把に勧めた。
「ありがとうございます。……お邪魔します」
清把はスニーカーを脱いで隅の方に寄せ、スリッパを履いて待っていた凛子の後をついて行く。
リビングに入り、ソファーに座る様勧められたので、軽く頭を下げて座った。清把の隣に佳奈恵が座った。
凛子は向かいに座り、早速話を始めた。
「久桷さんは家の事、——この村の事を知っているかしら。この村が私達にしている事をね」
凛子は冷たい表情で淡々と訊く。
「知りません。ただ、汞君の家については触れてほしくない様な感じはしました」
「どうしてそう思ったの」
「以前、うちの縁側から汞君の家の藁葺き屋根がチラリと見えたんです。なのであそこに家があるのか訊いたら気のせいだと言われ、母にもそれとなく訊いてみたら、はぐらかされたので触れられたくない事なのかなと感じました」
「そう。それは正解よ、久桷さん。家はね、この村から無いものとして扱われているのよ」
「え、それって村八分されてるって事!?」
佳奈恵が驚きの表情で凛子を見る。
「村八分ではないわ。それをして困るのは村の方。いっその事その方がまだマシだわ」
声は荒げないものの、吐き捨てる様に凛子は言った。
「久桷さん。あなた、目に見えないものを信じられるかしら」
「え?」
突然変な事を言われた清把は、なんて答えればいいのかわからなかった。代わりに佳奈恵が凛子に問う。
「目に見えないものって? え、もしかして幽霊とかそういうやつ?」
「そうよ。まずそういうものが本当にあると信じられなければ、私達の置かれている状況を理解できないわ。佳奈恵ちゃんならわかるでしょう?」
佳奈恵ははっとした表情になり頷いた。
「そう、そうよね……」
凛子と佳奈恵の視線が清把に向く。
「信じます。世の中にはそういう話は沢山あるし、佳奈恵さんからも聞いているので」
清把はそう答え、しっかりと凛子の顔を見返した。
「そう。簡単にだけど家がこの村でどういう扱いを受けているか話すわね。もし嘘だと思うなら、あなたの祖父や伯父に訊くといいわ」
凛子はにっこりと笑顔を作って言った。
清把は小さく唾を飲み込んだ。
「今から約五百年ぐらい前、この村は飢饉や疫病といったものに襲われてその日を生きるのも大変だった。とはいえ、当時はそれが当たり前の事だったけれど、そんな厄災に合わずに暮らせればそれにこしたことはない。日々そんな暮らしを送る村に一人の旅の呪術師が来て、宿を請われたから村長が宿を提供した。そしてもてなしている時にその呪術師に愚痴ったの。今年は例年より飢饉が酷い、どうにかならないかって。そうしたらその呪術師ができるが代償が必要だと。代償は勿論生贄の事よ。それを聞いた村長はね、すぐ様呪術師に依頼したそうよ。生贄なら用意するからなんとかしてくれと」
「……生贄って……」
佳奈恵が顔色を悪くしながら呟いた。
「ええそう。生贄。生贄は三家選ばれたわ。その内の一人がうち—— 祀賀偂よ。呪術師はね、生贄の三家にこの村の起こる災厄を受けさせる事で、この村は栄えるだろうと言ったそうよ。でも選ばれた方はたまったものじゃないわ。少なくとも家は普通の家だったもの。三家の内、一家は罪人の家。それなら妥当よ。あと一家はその年、規定の税を納められなかったから。それは運が悪かったとしか言えない。でも家はね、腹いせに選ばれたの。家の娘が村長の息子を振ったから、だそうよ。表向きは村長に対する反抗心が強いから、って。そうして私達は生贄とさせられ、この村は繁栄したの。でも繁栄すればする程、後ろめたさも大きくなったんでしょうね。代わりに土地やらお金やらを押し付けていったのよ。死なれては困るからね。でもね、二百年ぐらい前の三家の先祖が反乱を起こしたのよ。私達はお前達を生かす為に死ぬのはもう御免だ、私達への呪術を解け、さもなくば村人全員皆殺しだと宣戦布告したの。それを受けた村長はなんとか高名な呪術師を探して呪術を解いて、これ以上村の厄災を受けない様にはした。したけど、この村に蓄積した厄災を浄化することはできなかった、残ったその厄災はそのまま三家が受け続けるしかないと。酷い話よね」
清把も佳奈恵も凛子の衝撃的な話に絶句した。何も言えずただ黙って聞く。
「これが家が村から受けている扱いよ。……厄災ってね、私達の身体を蝕むのよ。意味、わかるわよね、久桷さん」
真冬の空気よりも冷たい声で凛子が静かに言う。
「…………それ、は……。汞君の体調不良は、村のせいだと、言う事ですよね?」
清把は重い声で答える。
凛子はにっこりと、凄艶な笑みを浮かべた。大正解という顔だ。
「ええ、その通りよ、久桷さん。あなた達の先祖が私達を、瑣高を今現在、今この瞬間も殺しているのよ」
「凛子さん!」
「なあに、佳奈恵ちゃん」
佳奈恵は俯く清把の手をぎゅっと握りながら非難の目で凛子を見る。清把は佳奈恵の手にはっとして二人を見る。
「言い過ぎよ、凛子さん。事実、だったとしてもそれは清把ちゃんが受ける言葉じゃない。だって清把ちゃんは……」
「何も、してない、かしら?」
凛子は佳奈恵の言葉を奪って問いかける。
佳奈恵は静かに怒りを湛えた凛子の目を見ながら答える。
「——ええ、そうよ。清把ちゃんは何もしていない。それどころか汞といい関係を築いていた。だから清把ちゃんに八つ当たりするのは止めて。凛子さんらしくないよ、そんなの」
凛子は小さく笑い出し、段々と声が大きくなる。
「ふふふっ、八つ当たりね。ふふっ、確かに八つ当たりね。でも八つ当たりしても別に構わないじゃない。だって私達は五百年前に八つ当たりで贄子にされたんだから。今私が村の血を引く子に八つ当たりしたって、何もおかしくわないわよ。ねえ、そうでしょう?」
凛子は小さく首を傾げ、真顔で佳奈恵と清把に言った。何もおかしい事は言ってないのに、という顔だ。
「凛子さん……」
佳奈恵はゾッとした。
今目の前にいる義姉は、今まで自分が尊敬し、接してきた義姉と同じ人間なのかと——。
今まで接してきた義姉はこんなに話の通じない人ではなかったのに。目の前でクスクス嗤っている義姉は、自分の知っている義姉ではない。
こんな——何の落ち度もない清把を悪意を隠さず嗤い続ける義姉を、佳奈恵は初めて知った。
「ふふっ。この村が私達に何をしたかは知ってもらえたから、今度はちゃんと見てもらわないとね。佳奈恵ちゃんはここで待ってて。私と久桷さんは瑣高に会いに行くから」
凛子はソファーから立ち上がった。
「待って、私も行くわ!」
佳奈恵は勢いよくソファーか立ち上がる。
「駄目よ。これは家と村の事。部外者は邪魔なのよ」
「っつ……」
佳奈恵は凛子の冷たい視線に怯み、声が出なかった。
「さ、立って、久桷さん。瑣高に会いたいのでしょう」
あまりの衝撃と情報量でどうすればいいのかわからなく、暗い表情で固まっていた清把だが瑣高の名ではっとする。
自分はなんのためにここに来たのか。
それは汞に——瑣高に会うためだ。
清把は顔を上げ、ソファーから立ち上がる。
「はい」
凛子は凄艶な笑みを浮かべて、玄関へと歩き出した。
「清把ちゃん……」
心配と不安の入り混じった目で佳奈恵は清把を見た。
「大丈夫だよ、佳奈恵さん。……行ってくるね」
清把はそう言うと小走りで玄関へと向かう。
凛子はサンダルを履き、清把を待っていた。清把も急いで靴を履き、玄関を出た凛子の後を追った。




