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河灯未明  作者: 亀


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第二十七章 誰も顔を見たことがない男

部屋は、長い間静まり返っていた。


沈硯は老人を見つめる。


「さっき言ったな。本当の八人目は、誰も顔を見たことがないと」


老人は頷いた。


「少なくとも、私は見ていない」


「では、なぜそんな人間がいたと分かる?」


老人は机の上を見つめた。


「札があったからだ」


沈硯は「人」と刻まれた身分証を取り出す。


「これか?」


「違う」


老人は首を横に振った。


「これは後から残されたものだ」


「本当の札は、その人間が持っていた」


「どんな札だ?」


老人は考える。


「名前はない」


「番号もない」


「ただ、一文字だけ」


沈硯が尋ねる。


「何の字だ?」


老人は答えなかった。


手を伸ばし、机の上にゆっくり一本線を引く。


そして、もう一本。


最後に、ごく簡単な一文字が形作られた。


「契」


沈硯の目が鋭くなる。


秦重もそれを見た。


「契?」


老人は頷く。


「そうだ」


「あの人が持っていたのは、一枚の契札だけだった」


「なぜ河運司が、そんな札を人に渡す?」


老人は苦笑した。


「河運司が発行したものじゃない」


「では、誰が?」


「分からない」


⸻


老人の話では。


二十三年前の九月初六の午後。


河運司は七号旗を臨時に調達した。


旗は特定の船に渡されたわけではない。


一群の人間に渡された。


彼らは日が暮れる前に、南陵を離れなければならなかった。


そのうち六人には身分証があった。


二人の子供にはなかった。


そして八人目は――


「札がなかったのか?」


沈硯が尋ねる。


老人は首を横に振る。


「ある」


「ただ、誰も登録することができなかった」


「なぜ?」


老人は沈硯を見る。


「その人間は、本来ならすでに死んでいたからだ」


また、その言葉だった。


だが今回は、沈硯はすぐに身元を尋ねなかった。


「いつ死んだ?」


老人は目を閉じる。


「九月初五」


「どこで?」


「城西だ」


「誰が確認した?」


「仵作だ」


秦重が勢いよく顔を上げる。


老人は彼を見る。


「お前は、あの頃まだ若かったな」


秦重は何も言わなかった。


「その夜、城西から確かに一体の遺体が運ばれてきた」


「だが……」


秦重の声が低くなる。


「そんな人間がいたことは覚えていない」


老人は首を横に振った。


「遺体に名前がなかったからだ」


沈硯が尋ねる。


「遺体は最後にどうなった?」


「義荘だ」


秦重の顔から、完全に血の気が引いた。


突然、立ち上がる。


「待て」


「九月初五だと?」


老人は頷く。


秦重は目を閉じた。


長い時間が過ぎてから。


ようやく口を開いた。


「思い出した」


⸻


二十三年前。


秦重は、まだ義荘に入ったばかりの若い仵作だった。


その夜は大雨だった。


城西から、一体の遺体が運び込まれた。


戸籍はない。


衣服もない。


身につけていた物もない。


ただ、右手に焼け焦げた赤い糸を一本、握っていた。


その時、検死を担当したのは秦重ではない。


師匠だった。


師匠は一目見ると。


「中へ運べ」


そう命じた。


「死因は?」


「溺死」


「身元は?」


「不明」


「年齢は?」


「二十歳前後」


「記録しろ」


師匠は言った。


「無名」


当時の秦重は不思議に思った。


「名前がないのに、どうして年齢まで書くんです?」


師匠は彼を一瞥した。


「死人にも決まりがある」


翌日。


遺体は消えていた。


埋葬記録もない。


移送記録もない。


義荘から出した記録すら残っていなかった。


秦重は師匠に尋ねた。


師匠はただ一言。


「聞くな」


そう言った。


あの時は、それ以上追及しなかった。


だが、何年も経ってから。


秦重は知った。


あの遺体は、決して埋葬されていなかった。


生きている人間として。


もう一度、登録されていたのだ。


⸻


秦重が話し終える。


部屋には、誰の声もなかった。


沈硯がゆっくり尋ねる。


「間違いないか?」


秦重は頷く。


「覚えている」


「名前のない遺体を見たのは、あれが初めてだった」


「そして、遺体が消えるということを知ったのも、あれが初めてだった」


沈硯は老人を見る。


「その人間が、八人目なのか?」


老人は首を横に振った。


「分からない」


「分からない?」


「ただ、あの遺体には後から名前がついた」


「何という名前だ?」


老人は答えた。


「蘇河」


蘇晩晴が勢いよく顔を上げた。


沈硯も立ち上がる。


「何だと?」


老人は繰り返す。


「あの名のない遺体だ」


「後になって、蘇河として登録された」


部屋は、死んだように静まり返った。


⸻


蘇晩晴の顔は青ざめていた。


「じゃあ、父さんは……」


「待て」


沈硯が遮る。


「まだ結論を出すな」


彼は老人に向き直った。


「誰があの遺体を蘇河として登録した?」


老人は首を横に振る。


「分からない」


「誰が見た?」


「河運司だ」


「誰が運んだ?」


「分からない」


「いつ?」


「九月初六」


沈硯がその場で止まった。


九月初五。


名のない遺体が義荘に運び込まれた。


九月初六。


蘇河の名が臨時調達の記録に現れた。


九月初七。


蘇河の名が七号船の名簿から消された。


三つの出来事が、ようやく一つにつながった。


だが、まだ最も重要な部分が欠けている。


なぜだ?


なぜ、すでに死んでいた人間を。


蘇河として登録する必要があった?


そして、なぜ七号船の名簿から消す必要があった?


沈硯が突然尋ねた。


「本物の蘇河は?」


老人は答えなかった。


「本当の蘇河を見たことがあるか?」


「ある」


「いつ?」


「九月初六」


「どこで?」


「南平埠頭」


沈硯の目つきが変わった。


「では、あなたが見たのは誰だ?」


老人は答えた。


「生きている人間だ」


「その人間は、蘇河だったのか?」


老人は首を横に振る。


「分からない」


⸻


その言葉を聞き。


沈硯は完全に黙り込んだ。


もし老人の話が本当なら。


当時の記録には、三人の「蘇河」が存在していた可能性がある。


本物の蘇河。


蘇河として登録された死者。


そして後に七号船の記録から消えた蘇河。


沈硯は突然気づいた。


自分たちは、ずっと一つの問いを間違えていた。


ずっと尋ねていた。


蘇河は死んだのか?


だが、二十三年前に本当に起きたことは。


おそらく――


「蘇河」という名前が、何度使われたのか。


そこだった。


⸻


沈硯はすぐに河運司へ戻った。


今度は船を調べなかった。


戸籍を調べた。


蘇河。


二十三年前。


南陵。


記録は三つあった。


一つ目。


蘇河、河工、九月初七死亡。


二つ目。


蘇河、戸籍なし、臨時河運人員。


三つ目。


蘇河、死亡済み。


三つ。


三つの異なる身分。


年齢も違っていた。


三十七。


二十九。


二十四。


秦重は三つの記録を見つめた。


「一人の人間のはずがない」


沈硯は頷く。


「当然だ」


さらに一枚めくる。


三つ目の記録の最後に。


一つの注記があった。


たった五文字。


「旧契をもって定む」


沈硯は、その五文字を見つめた。


「旧契?」


秦重が尋ねる。


「第七契か?」


沈硯は答えなかった。


ふと、父が残したあの木札を思い出す。


契。


そして七号旗。


そして、名前のない八人目。


この瞬間。


沈硯は初めて気づいた。


「第七契」は、そもそも一枚の契約書ではないのかもしれない。


それは一つの身分。


あるいは――


死人を再び、生きている人間にするための身分なのかもしれない。


⸻


夜。


蘇晩晴は一人で河辺に立っていた。


沈硯が近づく。


彼女は振り返らない。


「分かった?」


「何が?」


「父さんが、一人じゃないかもしれないってこと」


沈硯はしばらく黙った。


「まだ断定できない」


蘇晩晴は小さく笑った。


「やっぱり、そう言うのね」


「証拠が足りないからだ」


彼女が振り返る。


「もし最後に」


「生きている蘇河が、父さんじゃないと分かったら?」


沈硯は彼女を見る。


「それでも探す」


「父さんが本当に死んでいたと分かったら?」


「それでも探す」


「何を?」


沈硯は河面を見る。


「誰が、父さんを死なせたのか」


蘇晩晴は何も言わなかった。


しばらくして。


手を差し出す。


その掌には、七水銅貨が乗っていた。


「今日、あの老人が言っていた」


「この物は、沈家のものだって」


沈硯は頷く。


「聞いた」


「でも、子供の頃、私にくれたのは姉さんだった」


「そうだ」


「彼女は沈知遥だった」


「そうだ」


蘇晩晴は銅貨を強く握った。


「じゃあ、どうして彼女は沈家の物を私に渡したの?」


沈硯は答えなかった。


その問いには。


彼にも答えがなかった。


突然。


銅貨の縁が、彼女の爪に触れた。


かすかな音が鳴る。


沈硯が目を落とす。


銅貨の内側に、何か刻み跡がある。


これまで汚れに隠れていたものだった。


布で拭う。


少しずつ。


ようやく文字が見えてきた。


七つの水紋ではない。


そこには一文が刻まれていた。


極めて小さい文字。


たった六文字。


「七契、終契にあらず」


沈硯の顔色が、ゆっくり変わった。


蘇晩晴が尋ねる。


「どういう意味?」


沈硯は答えなかった。


遠くを見つめる。


二十三年前。


彼らは七枚の旗があると思っていた。


その後、七人だと分かった。


そして実際には、八人いた。


今度は。


「第七契」も最後の契ではないと分かった。


ならば――


当時隠されていたものは。


決して八人目だけではない。


彼らが今まで、一度も目にしていなかった何かが。


まだ残っている。


第八契。


河面に。


一つの河灯が、ゆっくり流れてきた。


灯の中に火はない。


あるのは、水に濡れた一枚の紙だけだった。


沈硯が拾い上げる。


紙には一行だけ。


「お前たちは、八人目を探し間違えた」


その下に。


初めて、完全な名前が現れた。


沈懐川。

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