第二十五章 蘇河が残した名
翌朝早く。
沈硯は七号埠頭へ向かった。
役人は連れていない。
秦重と蘇晩晴だけを連れていた。
陳旺もついて来ようとした。
だが、沈硯は断った。
「ここに残ってくれ」
陳旺が眉をひそめる。
「なぜだ?」
「もし蘇河が本当に生きているなら――」
沈硯は陳旺を見た。
「蘇河が一番会いたくない人間は、おそらくお前だ」
陳旺はしばらく黙っていた。
それ以上、食い下がることはなかった。
蘇晩晴は隣に立っていた。
昨夜からずっと、沈硯が何を調べたのか聞こうとはしなかった。
三人が埠頭の端まで歩いたところで。
ようやく口を開く。
「父さんのこと、分かったの?」
沈硯は頷いた。
「可能性はある」
「可能性?」
「今のところ分かっているのは――二十三年前の九月初七より前までは、生きていたという証拠があることだけだ」
蘇晩晴の足が止まった。
「じゃあ、その後は?」
「まだ分からない」
彼女は河面を見つめた。
しばらくして。
「もし本当に生きていたら」
「あなたは父を捕まえる?」
沈硯は彼女を見る。
「罪を犯していたなら、捕まえる」
「犯していなかったら?」
「捕まえない」
蘇晩晴は小さく頷いた。
「それなら、よかった」
それ以上は聞かなかった。
⸻
七号埠頭は、もう当時の姿ではない。
古い杭は取り替えられている。
石段も新しく敷き直されていた。
だが、一番下にはまだ一つだけ古い石が残っていた。
長年の水跡が、その表面に残っている。
秦重がしゃがみ込んだ。
石の隙間に指を入れる。
「ここには、昔、何かあった」
沈硯が近づいた。
石の隙間に、半分腐った木片が挟まっている。
秦重が刀の先で取り出した。
木片はすでに朽ちかけていた。
それでも、三文字だけは残っていた。
南平埠頭。
蘇晩晴が眉をひそめる。
「ここは昔、七号埠頭じゃなかったの?」
「違う」
沈硯が答えた。
「七号は旗の番号だ」
「七号旗がどの船に掲げられるかで、その船が一時的に七号船になる」
秦重が頷く。
「じゃあ、南平埠頭っていうのは?」
沈硯は木片を見つめた。
「別の荷役場だ」
三人はすぐに向かった。
⸻
南平埠頭は、何年も前に廃棄されていた。
雑草は膝の高さまで伸びている。
岸辺には、半ば崩れた木造小屋もあった。
扉はすでになくなっている。
中はがらんとしていた。
あるのは古い机が一つだけ。
秦重が中へ入った。
机の表面には、厚く埃が積もっている。
手で拭うと。
そこから浅い刻み跡が現れた。
「蘇」
蘇晩晴が、その字を見た。
身体がわずかに強張る。
だが沈硯は触れなかった。
「触るな」
秦重の手が止まる。
「新しく刻まれたものか?」
「そうは見えない」
沈硯がしゃがみ込む。
木はすでに黒ずんでいる。
刻み跡の中には、小さなカビまで生えていた。
「少なくとも十年以上前だ」
秦重が尋ねる。
「蘇河が残したものじゃないのか?」
「まだ断定できない」
沈硯はその字を見つめた。
「だが、ここで蘇という姓を刻んだ人間がいたことは確かだ」
さらに机の周囲を調べる。
机の脚の下に、ひび割れがあった。
その中に、小さな油紙が押し込まれている。
沈硯が取り出した。
開いてみる。
そこには一文だけ書かれていた。
「もし誰かに聞かれたら、私はもう死んだと伝えろ」
署名はない。
蘇晩晴の顔から血の気が引いた。
「父さんの字よ」
沈硯が顔を上げる。
「本当にそう言い切れるか?」
「分かる」
「子供の頃に見たのか?」
「違う」
蘇晩晴は首を横に振った。
「父は昔、私の名前を書いてくれたことがある」
「覚えている」
彼女は紙の上の「死」という字を指差した。
「この字を書く時、最後の一画を下に長く引くの」
沈硯が確認する。
確かにそうだった。
だが、それだけでは書いた人物が蘇河本人だとは証明できない。
「ほかに証拠は?」
蘇晩晴は首を横に振った。
その時。
秦重が別のものを見つけた。
部屋の隅に、古びた木箱がある。
鍵はかかっていない。
開けてみると。
中には銅片が一枚だけ入っていた。
刻まれているのは、二つの数字。
九、六。
秦重が眉をひそめる。
「九月初六か?」
沈硯は答えなかった。
七号埠頭で見つけた木札を取り出す。
二枚を並べる。
すると――
ぴたりと組み合わさった。
裏側には、薄い文字が現れた。
「南平、子の刻」
蘇晩晴が、その四文字を見つめる。
「父さんは、ここに来たことがある」
沈硯は頷いた。
「可能性は高い」
⸻
三人は木造小屋の中を、一刻あまり探した。
蘇河は見つからなかった。
新しい手紙もない。
だが秦重が壁を叩いた。
音がおかしい。
「ここは空洞だ」
三人が一斉に振り向く。
壁板の裏には、確かに隙間があった。
沈硯が木板をこじ開ける。
中には、小さな布包みが隠されていた。
布はすでに硬くなっている。
開いてみると。
折り畳まれた紙が一枚。
そこには数行の文字があった。
先ほどの紙よりも、さらに乱れている。
最初の一文。
「私は死んでいない」
蘇晩晴の息が止まる。
二行目。
「だが、蘇河はもう死んだ」
沈硯が眉をひそめる。
三行目。
「もしこの紙を見つけたなら、七号旗が再び現れたということだ」
秦重の顔色が、ゆっくり変わった。
四行目。
「沈懐川を探すな」
最後の一文。
「名のない者を探せ」
そこで紙は終わっていた。
日付はない。
署名もない。
ただ紙の右下には。
ごく小さな印が残されていた。
七つの水紋。
沈硯はそれをじっと見つめた。
「これは、蘇河が俺たちに残したものじゃない」
蘇晩晴が尋ねる。
「どうして?」
「もし本当に自分を探させたいなら――」
沈硯は紙を見た。
「『沈懐川を探すな』なんて書く必要はない」
秦重も気づいた。
「つまり……」
「誰かが、俺たちをここへ来させた」
沈硯は紙を折り畳む。
「前と同じだ」
「誰かが、俺たちが調べていることを知っている」
「そして、俺たちが蘇河を調べることも知っている」
蘇晩晴は黙り込んだ。
やがて。
「じゃあ、父さんは本当にここへ来たの?」
沈硯はすぐには答えなかった。
木造小屋の外へ出る。
門の敷居を見る。
そこには、かすかに残った車輪の跡がいくつかあった。
その一つの脇に。
薄い足跡が残っている。
靴底の模様が、妙に特徴的だった。
官靴ではない。
船頭や船工が履く草鞋でもない。
秦重がしゃがみ込んだ。
「この足跡……」
「どうした?」
「見たことがある」
沈硯が振り返る。
秦重の顔が険しくなる。
「二十三年前の義荘だ」
「子供を連れてきた女」
沈硯が戻ってくる。
「確かなのか?」
「百分の百とは言えない」
秦重は靴底の幅を手で測るようにした。
「だが、模様は同じだ」
蘇晩晴が突然尋ねた。
「女?」
秦重は頷いた。
「当時、俺はあの女を見ている」
「女の腕には、女の子が一人いた」
「その後、もう一人の子供は先に送り出されたと聞いた」
蘇晩晴はその場に立ち尽くした。
何も言わない。
長い時間が過ぎてから。
ようやく尋ねた。
「その人は……誰?」
秦重は首を横に振った。
「分からない」
だが沈硯は、突然あることを思い出した。
林秋娘が言っていた。
「私が生き残れたのは、誰かが私の代わりに死んだから」
もし――
あの時の女も、その中にいたのだとしたら。
彼女は一体。
子供を救おうとしていたのか。
それとも――
誰かの身分を入れ替えるために、何かをしていたのか。
⸻
午後。
沈硯は南平埠頭の調査を続けなかった。
あの紙を持って、住まいへ戻る。
そして、これまでの証拠をすべて並べ直した。
七号旗。
七号船。
八人。
二人の子供。
沈懐川。
蘇河。
沈仲平。
そして、ずっと名前のないままの八人目。
沈硯は一つずつ紙に書き出した。
その中央に一本の線を引く。
九月初六。
左側には。
沈懐川が河運司へ向かった。
七号旗が臨時に調達された。
南平埠頭に蘇河の名が現れた。
一人の女が、二人の子供を連れて沈家を出た。
右側には。
七号船が戻った。
八人が七人になった。
蘇河が記録から消えた。
河令が廃止された。
沈仲平が死んだ。
沈家が火事になった。
沈硯は長い間、それを見つめていた。
やがて筆を取る。
「沈家が火事になった」
その下に、一文を書き加えた。
「火は終わりではない」
さらに。
「火は、九月初六を隠すためだったのかもしれない」
秦重が隣に立つ。
「火事は記録を焼くためだったと?」
「違う」
沈硯は首を振った。
「記録を焼くだけなら、河運司の文書を焼いたほうが直接的だ」
「なら、なぜ沈家を焼く?」
沈硯は答えなかった。
なぜなら。
もっと恐ろしい可能性が浮かんだからだ。
火は紙を焼くためではない。
すべての人間に、こう思わせるためだったのかもしれない。
――沈家の人間は、もう死んだ。
そうすれば。
生きている人間を。
死んだ人間にできる。
死んだ人間に。
別人の名を与えることもできる。
そして七号旗の本当に恐ろしいところは。
船の番号を変えられることではない。
一人の人間に。
別の身分を与えられることだった。
その時。
外からノックの音がした。
三回。
止まる。
二回。
秦重はすぐに刀の柄を押さえた。
沈硯が手で制する。
「誰だ?」
返事はない。
ただ、扉の隙間から。
一枚の紙が、ゆっくりと差し込まれてきた。
沈硯は近づいた。
すぐには手に取らない。
まず刀の先で紙を持ち上げる。
暗器がないことを確認してから。
ようやく拾い上げた。
紙には一文だけ。
「ようやく、人間を調べ始めたな」
その下に、もう一行。
「ならば次は、八人目を調べろ」
署名はない。
七つの水紋だけが残されている。
沈硯は、その七つの水紋をじっと見つめた。
長い沈黙の後。
低い声で呟く。
「八人目……」
秦重が尋ねる。
「どうした?」
沈硯が顔を上げた。
「蘇河じゃない」
秦重が目を見開く。
「どうして分かる?」
沈硯は紙を指差した。
「もしこの紙を書いた人間が、俺たちに蘇河を疑わせたいなら――」
「わざわざ八人目を調べろなんて、念を押す必要はない」
少し間を置いて。
「この言葉の意味は――」
沈硯は静かに言った。
「奴らは、俺たちがすでに蘇河が答えではないと気づいていることを知っている」
部屋は再び静まり返った。
蘇晩晴が、ふと机の上の古い下書きを見た。
最後の一行。
そこには、消された名前がある。
蘇河――?
彼女は小さな声で言った。
「じゃあ、その人は……」
「一体、誰なの?」
誰も答えなかった。
窓の外。
河水が、ゆっくりと流れている。
遠くから、船頭の掛け声が聞こえる。
一艘の小舟が、闇の中から現れた。
船首には、旗がない。
だが船尾には。
半分焼け焦げた木札が、一枚掛けられていた。
そこに残っていたのは。
たった一文字。
八。




