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河灯未明  作者: 亀


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第十七章 誰が阿遥を見たのか

秦重の住まいに戻ったときには、すでに子の刻を過ぎていた。


街には人影がない。


遠くで夜回りの者が、一度だけ拍子木を鳴らした。


秦重は門に閂をかけた。


そして振り返ったところで、沈硯の手にある木箱を見て、顔を曇らせた。


「手に入れたのか?」


沈硯は頷く。


「七通だ」


秦重は、誰が届けたのかを尋ねなかった。


箱に書かれた名前を、すでに見ていたからだ。


その視線が七つの名前をゆっくりと辿る。


そして、最初の名前で止まった。


――沈懐川。


「読んだのか?」


「最初の一通だけ」


秦重は何も言わなかった。


沈硯は手紙を机の上に置く。


「父が、一つ言葉を残していた」


「何だ?」


沈硯は秦重を見る。


「阿遥を七号船に乗せるな」


秦重の手が、ぴたりと止まった。


ほんの一瞬。


だが、沈硯は見逃さなかった。


「阿遥を知っているのか?」


秦重は答えない。


戸口に立っていた蘇晩晴も、彼を見つめている。


陳旺が直接尋ねた。


「お前は、あの頃あの子に会ったのか?」


秦重はゆっくりと腰を下ろした。


長い沈黙のあと。


ようやく口を開いた。


「会った」


沈硯は急かさなかった。


「いつ?」


「二十三年前だ」


「どこで?」


秦重は顔を上げた。


「義荘で」


部屋の中が静まり返った。


沈硯は秦重の向かいに座る。


「死んでいたのか?」


秦重は首を横に振った。


「少なくとも、私が初めて見たときは違った」


その言葉に、全員が黙り込んだ。


沈硯は秦重を見つめる。


「初めて?」


秦重は苦笑した。


「あの頃、私はまだ仵作ではなかった」


「師匠について仕事をしていただけだ」


「九月初七の未明、河運司から何体かの遺体が運び込まれた」


「師匠に、記録を取るよう言われた」


「その中に、一人の子供がいた」


蘇晩晴が突然尋ねた。


「男の子? それとも女の子?」


秦重は彼女を見る。


「女の子だ」


蘇晩晴の顔色が、わずかに変わった。


「何歳くらい?」


「七歳くらいだ」


沈硯が尋ねる。


「沈知遥か?」


秦重は答えなかった。


代わりに、棚から黒ずんだ木箱を一つ取り出した。


蓋を開ける。


中には金銀など入っていない。


古びた布切れが数枚。


折れた筆が一本。


そして、黄ばんだ紙が一枚。


秦重は、その紙を机の上へ滑らせた。


「当時、私が残しておいたものだ」


沈硯が紙を広げる。


そこには、乱れた字で数行だけ書かれていた。


九月初七。


女児。七歳前後。


左腕に傷あり。


その下には、もう一行。


だが、墨で乱暴に塗り潰されている。


沈硯は紙を灯りにかざした。


かすかに、二文字だけ残っていた。


阿……


沈硯が顔を上げる。


「なぜ、これを残した?」


秦重は、その紙を見つめた。


「その夜、私は一つのことに気づいた」


「何に?」


「彼女は死体じゃなかった」


陳旺が勢いよく立ち上がる。


「何だと?」


秦重は言った。


「まだ息があった」


「弱かった」


「だが、生きていた」


沈硯は何も言わなかった。


この瞬間。


二十三年前の時間が、初めてはっきりと目の前につながった。


九月初七。


七号船が戻った。


八人で出た。


七人で戻った。


河運司が記録を始めた。


義荘に遺体が運び込まれた。


そして、一人の七歳の少女は――


まだ生きていた。


「その後は?」


沈硯が尋ねる。


秦重は目を伏せた。


「師匠は、放っておけと言った」


「死体ではない」


「面倒事だ、と」


「面倒事?」


「師匠は……」


秦重は言葉を止めた。


そして、ゆっくり続ける。


「彼女が目を覚ましたら、誰かが死ぬと言った」


蘇晩晴の指が、静かに握り締められた。


沈硯が尋ねる。


「だから、誰かに引き渡したのか?」


秦重は否定しなかった。


「私には選択肢がなかった」


陳旺が冷たく言う。


「みんな、そう言う」


秦重は顔を上げ、彼を見る。


「分かっている」


「だから私は、その後もずっと義荘に残った」


「知りたかったんだ」


「その夜、いったい何人が死んだのかを」


⸻


沈硯は、それ以上秦重を問い詰めなかった。


古い紙をしまう。


そして、沈懐川の手紙を取り出した。


二枚の紙を並べる。


一枚には――


「阿遥を七号船に乗せるな」


もう一枚には――


「九月初七。女児。七歳前後」


日時は一致している。


だが、まだ一つ問題が残っていた。


なぜ沈懐川は知っていた?


もし少女がすでに義荘にいたのなら。


なぜ「七号船に乗せるな」と書いた?


それはつまり――


沈懐川がこの言葉を書いた時点では。


まだ七号船は出ていなかったのではないか。


沈硯は突然、顔を上げた。


「陳旺」


「何だ?」


「七号船は、いつ出た?」


陳旺はしばらく考えた。


「九月初六だ」


「いつ?」


「日が暮れてからだ」


「正確な時間は?」


陳旺は首を横に振った。


「覚えていない」


沈硯は、それ以上追及しなかった。


代わりに尋ねる。


「九月初六だったことは間違いないか?」


「間違いない」


「なら……」


沈硯は蘇晩晴を見る。


「お前が子供の頃、陳旺に船へ連れていかれたのは、いつだ?」


蘇晩晴は一瞬、言葉を失った。


「九月初六」


部屋の中が、凍りついたように静かになった。


陳旺も彼女を見る。


沈硯は、彼女が沈知遥なのかとは聞かなかった。


ただ尋ねた。


「そのとき、何歳だった?」


「七歳」


秦重が勢いよく顔を上げた。


蘇晩晴自身も、呆然としている。


七歳。


九月初六。


七号船。


沈懐川の手紙。


秦重が見た少女。


すべてが、初めて一つの線上で交わった。


だが。


林秋娘は、つい先ほど言っていた。


七号船にいた子供は、蘇晩晴ではない。


沈硯は、ゆっくりと言った。


「つまり、七歳の少女が二人いる」


「一人は七号船にいた」


「もう一人は、乗っていない」


「一人は蘇晩晴」


「もう一人は……」


沈硯は、そこで言葉を止めた。


秦重が代わりに言った。


「阿遥だ」


⸻


翌朝。


沈硯は旧記録庫へ向かった。


今回は蘇晩晴を連れていない。


陳旺もいない。


同行したのは秦重だけだった。


調べるのは、七号船ではない。


もっと単純なことだ。


二十三年前、九月初六。


南陵城に、七歳の少女が一人、記録されていなかったか。


旧記録庫の扉は狭い。


積もった埃は厚かった。


秦重は、この場所に慣れている。


第三列の棚から、一冊の戸籍補記簿を引き抜いた。


「ここだ」


沈硯がページをめくる。


九月初六。


ない。


九月初七。


ない。


九月初八。


それでも、ない。


沈硯は眉を寄せる。


「何もない?」


秦重が言う。


「当時の戸籍記録は不完全だった」


「七歳の子供なら、個別に登録されていないこともある」


だが沈硯は、帳簿を閉じなかった。


さらにページをめくる。


そして、一枚のページで手を止めた。


そのページには、明らかな破れ跡がある。


本来なら、そこに一枚の添付書類があったはずだ。


誰かに破り取られている。


秦重は、その跡を見つめた。


顔が次第に険しくなる。


沈硯が尋ねる。


「これは何だ?」


「補記書類だ」


「誰が破った?」


「分からない」


沈硯は何も言わなかった。


帳簿を次のページへめくる。


次の紙の裏側。


そこには印章の一部が残っていた。


そして、三文字。


――白石巷。


沈硯が顔を上げる。


白石横丁。


周婆が住んでいた場所だ。


そして、周明の遺骨も。


二十三年前、七号船と関わっていた。


もはや、偶然とは言えない。


少なくとも。


無視できるような偶然ではなかった。


⸻


旧記録庫を出たとき。


外では、すでに小雨が降り始めていた。


秦重が突然言った。


「沈硯」


「何だ?」


「お前の父親は、当時このことに気づいた最初の人間じゃない」


沈硯が足を止める。


「どういう意味だ?」


秦重は雨を見つめた。


「もっと早く気づいた人間がいた」


「誰だ?」


秦重は首を横に振る。


「分からない」


「だが、覚えている」


「九月初六の夜、一人の女が義荘に来た」


「腕には子供を抱いていた」


「その女は、一つだけ質問した」


沈硯は秦重を見る。


「何を?」


秦重は、一語ずつ口にした。


「人の名前を名簿から消せば、その人は死なずに済むのか、と」


雨音が次第に大きくなる。


沈硯は答えなかった。


なぜなら。


昨夜、林秋娘が言った言葉を思い出したからだ。


――


「私が生き残ったのは、誰かが私の代わりに死んだからよ」


そして、七通の手紙に書かれていた最後の名前。


――蘇女。


蘇晩晴ではない。


蘇河でもない。


姓すら完全には残っていない。


ただ二文字。


蘇女。


沈硯は、初めて感じた。


手元にある七通の手紙は。


もしかすると、七人の遺書ではない。


七人の身元を、誰かが書き換えた記録なのではないか。


誰かは生きている。


誰かは死んだ。


誰かは名前を変えた。


誰かは名簿から消された。


そして。


すべての始まりは、七号船ではなかったのかもしれない。


二十三年前。


誰かが初めて筆を取った。


そして、一人の名前を。


名簿から消した。


この一筆を書いたのは――


一体、誰だったのか。


沈硯は顔を上げ、曇った空を見つめた。


答えを知る者は、誰もいない。


だが、沈硯は決めた。


次に探すのは。


蘇河でもない。


林秋娘でもない。


二十三年前に死んだ男だ。


――周明。


もし、周明が残したあの紙が本物なら。


七号船の上で。


彼は、あの子供を見ていた。


そして。


なぜ八人目が船にいたのかも。


知っていたはずだった。

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