第十六章 父の手紙
木箱の中には、七通の手紙が並んでいた。
誰も口を開かなかった。
川の水が、ゆっくりと岸を叩いている。
林秋娘は、すでに数歩後ろへ下がっていた。
もう近づこうとはしない。
沈硯は、七つの名前を見つめた。
そして、最初の一通を手に取る。
――沈懐川。
封筒は古びている。
だが、封は水に濡れていなかった。
明らかに、後から入れられたものだ。
沈硯は、すぐには開かなかった。
蘇晩晴が尋ねる。
「読まないの?」
「読む」
「じゃあ、どうして開けないの?」
沈硯は封筒を見つめた。
「父の手紙だからだ」
「だから?」
「先に、よく考えておきたい」
蘇晩晴は、それ以上聞かなかった。
だが、陳旺が口を挟む。
「もし中に書いてあることが、お前には受け入れられないことだったら?」
沈硯は顔を上げた。
「それでも事実だ」
陳旺は黙った。
しばらくして。
沈硯はようやく封を切った。
中には、一枚の紙しか入っていない。
見慣れた筆跡だった。
沈硯は一目見ただけで分かった。
父の字だ。
⸻
「もし誰かがこの手紙を読んでいるのなら、七号船の事件が再び掘り起こされたということだ」
沈硯の手が、一瞬止まった。
そのまま読み進める。
「その誰かが、後に誰になるのかは分からない」
「私自身が、この日まで生きていられるかも分からない」
「だが、一つだけ残しておかなければならない」
「二十三年前、河運司から私に渡された名簿には、七人しか記されていなかった」
「私は三度、確かめた」
「実際には、八人いた」
蘇晩晴が小さく息を呑んだ。
陳旺が低く呟く。
「やはり……」
沈硯は読み続ける。
「八人目には名前がなかった」
「あるのは、一つの番号だけだった」
「七」
蘇晩晴が眉を寄せる。
「番号が七?」
沈硯は首を横に振った。
「違う」
「父が言っているのは、『番号しかなかった』ということだ」
「その番号が、七だった」
陳旺には意味が分からない。
だが、沈硯には少しだけ見えてきた。
二十三年前。
記録されていたのは、名前ではなかったのかもしれない。
身分を示す番号だったのだ。
さらに読み進める。
「河運司の者に尋ねた」
「彼らは、臨時船員の登録方法だと答えた」
「だが、後になって、その説明が嘘だったと分かった」
「七は、人間の番号ではない」
「貨物番号だった」
沈硯の目の色が変わった。
貨物番号。
七つの旗。
七本の水紋。
七号船。
今まで同じものだと思っていたものが。
実は、最初から別々のものだったのかもしれない。
誰かが意図的に混同させたのだ。
さらに、その先を読む。
「誰かが、人を貨物として扱った」
その一文の下には。
長い空白があった。
そして、ようやく次の一行が現れる。
「私は、それを止めなかった」
沈硯の指が、紙の上で止まった。
誰も何も言わない。
蘇晩晴は沈硯を見つめている。
陳旺も、急かさなかった。
沈硯は再び読み始める。
「そのとき私は、最後の文書に署名さえしなければ、まだ止められると思っていた」
「だが、間違っていた」
「私は署名した」
たった三文字だった。
だが、それまでのどんな言葉よりも重かった。
沈硯は、その場に腰を下ろした。
それ以上、読み進めることができなかった。
蘇晩晴が静かに尋ねる。
「あなたのお父さん……関わっていたの?」
沈硯は答えなかった。
長い沈黙のあと。
ようやく口を開く。
「少なくとも、署名はした」
陳旺が低い声で言った。
「じゃあ、あいつは……」
「最後まで読もう」
沈硯が遮った。
声は静かだった。
だが、その指先は白くなるほど強く紙を握っていた。
⸻
手紙の後半。
筆跡が乱れ始めている。
まるで、ほんの短い時間で書き殴ったようだった。
「私が署名したのは、輸送文書だ」
「死亡文書ではない」
「だが、後になって分かった」
「彼らの手にかかれば、この二つに違いはなかった」
沈硯は、一度目を閉じた。
その瞬間。
父が死ぬ前に残した言葉が、再び脳裏に浮かんだ。
――
もし、いつか。
法と人の命が、別々の道に立っていたなら。
先に人を救え。
あのときの沈硯は、それを父が教えてくれた官吏としての道だと思っていた。
だが今になって、ようやく分かった。
あの言葉は。
教訓ではなかったのかもしれない。
後悔だったのだ。
⸻
手紙の最後。
そこには、一つの段落だけが残されていた。
「私は、あの人たちに対して、申し訳ないことを一つした」
「だが、後悔していないことも一つある」
「九月初七の未明、私は本当の名簿を一つ隠した」
「もし私が死んだら」
「その後に出てくる七人の名簿を信じてはいけない」
「本当の名簿には、八人いる」
その下に。
八つの名前が並んでいた。
だが、そのうち七つは墨で塗り潰されている。
最後に残っていた名前は――
沈知遥。
沈硯が勢いよく立ち上がった。
蘇晩晴も、その名前を見た。
顔から血の気が引く。
「どうして、彼女だけなの?」
沈硯は答えなかった。
陳旺が一歩近づく。
「じゃあ、残りの七人は?」
沈硯は首を横に振った。
「分からない」
「どうして消した?」
「分からない」
「なら、お前の父親は一体何を伝えたかったんだ?」
沈硯は紙に残された名前を見つめた。
長い沈黙のあと。
言った。
「たぶん、誰が生きているのかを教えたかったんじゃない」
「伝えたかったのは――」
「誰が、その名簿にいるべきではなかったのかだ」
陳旺が目を見開く。
蘇晩晴は、ゆっくりと意味を理解し始めた。
「つまり……」
沈硯は彼女を見る。
「本当の名簿に八人いた」
「それなのに、最後に残されたのは沈知遥の名前だけ」
「なら、消された七人の身元は」
「誰かによって、意図的に消された可能性が高い」
「どうして?」
「分からない」
「だが……」
沈硯は、手紙の一文を指差した。
「父が言ったのは、『本当の名簿』だ」
「『死亡者名簿』じゃない」
蘇晩晴は黙った。
そのとき、七通の手紙を思い出す。
沈懐川。
秦重。
陳旺。
蘇河。
周明。
沈知遥。
蘇女。
七つの名前。
七人。
だが、父が残した名簿には八人いた。
足りない一人は――
一体、誰なのか。
⸻
林秋娘は、ずっと横で黙っていた。
だが、ここに来て。
ようやく静かに口を開いた。
「一つ、答えを知っている」
沈硯が振り返る。
「何だ?」
「なぜ沈懐川の名簿に、沈知遥だけが残されていたのか」
沈硯は林秋娘を見る。
「話せ」
林秋娘は、すぐには答えなかった。
河辺まで歩いていく。
そこには、もう七号船の姿はない。
ただ、暗い川面だけが広がっている。
「他の七人は」
「誰も、沈家の人間ではなかったから」
陳旺が尋ねる。
「なら、どうして沈家と関係がある?」
「当時、沈家があるものを保管していたから」
「何を?」
「名簿よ」
沈硯が眉を寄せる。
「どんな名簿だ?」
林秋娘は首を横に振った。
「詳しい内容までは知らない」
「ただ、知っているのは」
「沈懐川がそれを手に入れてから、七号船が本当は何を運んでいたのかを知ったということ」
沈硯が尋ねる。
「何を?」
林秋娘は彼を見る。
「人ではない」
「貨物でもない」
「一つの物だった」
「何だ?」
林秋娘は答えなかった。
なぜなら。
彼女は突然、沈硯の手にある手紙を見たからだ。
顔色が変わる。
「その手紙を私に渡して」
沈硯は動かなかった。
「なぜ?」
「その言葉の後ろに、まだ何かある」
沈硯は紙を見下ろした。
確かに。
手紙の最後の隅に、不自然な折り目がある。
沈硯は紙を裏返した。
裏には文字はない。
だが、一部分だけ。
他より明らかに色が濃くなっている。
まるで、何かに強く押しつけられていたようだった。
秦重が以前言った言葉が、沈硯の脳裏に浮かぶ。
死体は、何も語らないことがある。
だが、残された痕跡は語る。
沈硯は紙を松明のそばに置いた。
熱で、少しずつ紙を乾かしていく。
すると。
ごく薄い文字が、徐々に浮かび上がった。
たった七文字。
「阿遥を七号船に乗せるな」
蘇晩晴の顔色が、一瞬で変わった。
陳旺も言葉を失う。
林秋娘は目を閉じた。
沈硯は、その七文字を見つめた。
そして、ようやく理解した。
二十三年前。
少なくとも一人は。
最初から、沈知遥を生き残らせようとしていた。
そして。
七号船の本当の秘密は。
もしかすると、この一言から始まっていたのだ。
⸻
沈硯は手紙を元通りにしまった。
残り六通は、まだ開かなかった。
蘇晩晴が尋ねる。
「どうして読まないの?」
沈硯は木箱を見る。
「今読んでも、増えるのは答えじゃない」
「もっと多くの疑問だ」
「じゃあ、いつ読むの?」
「最初の一通が、なぜここに置かれていたのか分かってからだ」
蘇晩晴は頷いた。
反論はしなかった。
だが、陳旺が突然尋ねる。
「じゃあ、この六通はどうする?」
沈硯は彼を見る。
「持っていく」
「全部?」
「全部だ」
「誰かが奪いに来たら?」
沈硯は木箱の蓋を閉じた。
「そのときは――」
「そいつらのほうが、この手紙が開かれることを恐れているってことだ」
河風が吹き抜ける。
月明かりの下。
木箱に刻まれた七本の水紋が、異様なほど鮮明に浮かび上がっていた。
沈硯は、初めて気づいた。
二十三年間も続いてきたこの事件は。
おそらく、一度も本当の意味では終わっていない。
ただ。
誰かが、それを隠していただけなのだ。
そして今。
誰かが少しずつ。
それを再び掘り起こしている。




