第十四章 名を変えた男
その紙は薄かった。
端は、何度も揉まれたように皺が寄っている。
沈硯は路地の入口に立ち、そこに書かれた文字を見つめていた。
――蘇河は死んでいない。
――ただ、名前を変えただけだ。
風が路地の奥から吹き抜ける。
紙が、かすかに震えた。
蘇晩晴は沈硯の後ろに立っている。
「信じるの?」
沈硯は答えなかった。
だが、陳旺が先に口を開いた。
「信じない」
蘇晩晴が彼を見る。
「どうして?」
「蘇河が本当に生きているなら、俺に二十三年間も死んだと思わせるはずがない」
陳旺の声は低かった。
「ただ……」
「ただ?」
「当時の奴自身も、自分が生き残れるかどうか分からなかったのなら、話は別だ」
沈硯が顔を上げる。
「その言葉は重要だ」
陳旺が目を瞬く。
沈硯は紙を折りたたんだ。
「この紙を残した者の言葉が本当なら」
「蘇河は、ただ身を隠したわけじゃない」
「誰かが、奴の身分を別のものに変えたんだ」
蘇晩晴が尋ねる。
「なぜ?」
沈硯は彼女を見る。
「それを調べる」
――
三人は役所へ戻らなかった。
向かったのは、南陵府の旧記録庫だった。
ここを訪れる者は、今ではほとんどいない。
記録の管理を任されているのは、許という名の老吏だった。
髪には、すでに白いものが半分ほど混じっている。
沈硯を見るなり、慌てて立ち上がった。
「沈推官」
沈硯は先ほどの紙を机の上に置いた。
「許老。一人、調べたい」
許老が紙を見る。
「誰だ?」
「蘇河」
許老が眉をひそめる。
「どの蘇河だ?」
「二十三年前、城西で船頭をしていた男だ」
許老はしばらく考えた。
「……いる」
「戸籍は?」
「死亡扱いだ」
「いつ?」
「九月七日」
蘇晩晴が、はっと顔を上げた。
「その日?」
許老は頷いた。
「戸籍には、急病で死亡とある」
陳旺の顔色が変わった。
「そんなはずがない」
許老が彼を見る。
「知り合いか?」
「知っている」
「なら、どう死んだのか知っているのか?」
陳旺は答えなかった。
許老は小さく息を吐く。
「二十三年前の記録だ。俺も帳面を写しただけだよ」
沈硯が尋ねる。
「原本は?」
「封印してある」
「見せてくれ」
許老は迷った。
「沈推官」
「何だ?」
「これは、そう簡単に見せられるものじゃない」
沈硯は無理に迫らなかった。
ただ尋ねる。
「なぜ?」
許老はしばらく黙った。
「当時の戸籍簿は、後になって書き直されている」
「いつ?」
「沈家の事件が起きた後だ」
沈硯の目が、ゆっくりと細くなる。
「誰が?」
「河運司だ」
――
一刻ほどして。
三人は古い戸籍簿を手に入れた。
紙はすっかり黄ばんでいる。
端には虫食いの跡まであった。
蘇晩晴は沈硯の隣に立ち、その一頁を見つめる。
そこには、こう記されていた。
蘇河。
男。
三十一歳。
船工。
大晟二十三年九月七日、死亡。
死因――
急病。
沈硯は何も言わなかった。
一枚の薄い木片を取り出し、紙をそっと押さえる。
そして次の頁をめくった。
「ここを見ろ」
蘇晩晴が身を寄せる。
次の頁には、周姓の一家が記されていた。
その中に、一つの名がある。
周明。
十八歳。
船工。
大晟二十三年九月七日、死亡。
死因――
行方不明。
蘇晩晴が目を見開く。
「死因が……行方不明?」
許老が説明する。
「遺体が見つからなかったんだ」
沈硯は答えず、さらに頁をめくった。
七人。
七つの家。
七つの異なる身分。
だが――
死亡日は、すべて同じだった。
九月七日。
陳旺は、その名前の並んだ頁を見つめていた。
顔色が、みるみる悪くなる。
「そんなはずはない」
沈硯が尋ねる。
「どうした?」
陳旺が、その中の一人を指差した。
「この男……」
「王三だ」
「知っている」
「だが、こいつは船工じゃない」
陳旺は言った。
「薬草を売っていた男だ」
「なのに、どうして戸籍では船工になっている?」
許老も困惑した。
「本当にそうなのか?」
「間違いない」
陳旺は別の名前を指す。
「こいつも違う」
「港の荷運び人だ」
さらに別の名前を指す。
「こいつは、そもそも南陵の人間じゃない」
沈硯は何も言わなかった。
一頁。
また一頁。
七人。
七つの身分。
しかし――
正しい記録は、一つとしてなかった。
蘇晩晴が、突然口を開いた。
「死者を登録しているんじゃない」
沈硯が彼女を見る。
彼女は七人の名前を指差した。
「この人たちに、新しい身分を与え直している」
沈硯はすぐには同意しなかった。
だが、否定もしない。
「続けろ」
「本当に死んだのなら」
蘇晩晴が言う。
「どうして身分まで書き換える必要があるの?」
「しかも、全員が河運に関係している」
「これは普通の戸籍の間違いじゃない」
沈硯は七人の記録を見つめる。
「何かの理由で、別の身分に分類された可能性がある」
陳旺が突然、口を挟んだ。
「分類じゃない」
全員が彼を見る。
陳旺は、そのうちの一人を指差した。
「すり替えだ」
「何?」
「当時、河運司には決まりがあった」
「臨時の船工を船に乗せる時は、名前を記録する」
「だが、何か問題が起きた場合……」
陳旺は一度、言葉を切った。
「別の名前に変える」
沈硯が尋ねる。
「なぜ?」
「本当の身分を、船の記録に残さないためだ」
「誰が決めた?」
陳旺は答えなかった。
長い沈黙のあと。
ようやく言った。
「河運司だ」
沈硯はさらに尋ねる。
「誰が担当していた?」
陳旺は首を横に振る。
「分からない」
沈硯は彼を見る。
「本当に?」
陳旺は怒らなかった。
ただ、苦笑した。
「二十三年前、俺はただ船を動かしていただけだ」
「人を運べと言われれば、運んだ」
「名前を聞くなと言われれば、聞かなかった」
「もし俺が何もかも知っていたなら――」
陳旺は沈硯を見た。
「今頃、こうして生きてここにはいない」
沈硯は、それ以上追及しなかった。
今回は――
陳旺の言葉は、本当なのかもしれない。
――
その時。
許老が奥の棚から、一冊の薄い帳面を取り出した。
「もう一つ、これがある」
「何だ?」
「昔の河運司の臨時船舶記録だ」
沈硯が帳面を開く。
ほとんどは、ごく普通の記録だった。
どの船がどこへ行ったか。
いつ戻ったか。
何を運んだか。
米。
木材。
塩。
そして――
大晟二十三年九月六日。
沈硯の手が止まった。
その日の記録は、一件だけだった。
七号船。
船主――
陳旺。
行き先――
城外北渡し場。
乗船人数――
八。
沈硯が顔を上げる。
陳旺を見る。
「八人」
陳旺は答えなかった。
彼自身も、その記録を見ていた。
蘇晩晴も見ている。
彼女の顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「あなたは周婆に言ったよね」
「船には七人しかいなかったって」
陳旺は目を閉じた。
「ああ」
「でも、ここには八人と書いてある」
陳旺が低い声で言った。
「分かっている」
「いつから?」
「……今日だ」
「どうして今まで言わなかったの?」
陳旺は目を開いた。
「ずっと、そう思っていたんだ」
「何を?」
「八人目は……」
陳旺は蘇晩晴を見る。
「お前だったんだと」
部屋が、完全な静寂に包まれた。
蘇晩晴は、その場に立ち尽くしていた。
長い間、何も言わない。
沈硯は突然、次の頁をめくった。
九月七日。
七号船。
状態――
未帰還。
さらに次の頁。
九月八日。
追記。
七号船、帰還。
乗船人数――
七。
沈硯の指が、「七」の文字の上で止まった。
「八人で出た」
「七人で戻った」
蘇晩晴が、かすかに呟く。
「……一人、いなくなった」
陳旺は首を横に振った。
「違う」
彼は、その一行を指差した。
「いなくなったんじゃない」
沈硯が彼を見る。
陳旺の声が震える。
「最初から、みんなにそう思わせたんだ」
――
その時。
記録庫の外から、足音が聞こえた。
許老は慌てて扉を閉める。
若い役人の声が外から響いた。
「許叔」
「沈推官を訪ねてきた人がいます」
沈硯が尋ねる。
「誰だ?」
「女です」
「名前は?」
「名乗りませんでした」
「ただ、一言だけ伝えてくれと」
沈硯が扉を開ける。
若い役人が彼を見る。
「こう言っていました」
「蘇河がどこへ行ったのか知りたいなら」
「今夜、子の刻」
「南陵河の七号埠頭へ来い」
「一人で来い、と」
沈硯は何も言わなかった。
蘇晩晴が彼を見る。
「行くの?」
沈硯は古い河運帳を閉じた。
「行く」
「一人で?」
「いや」
蘇晩晴が彼を見る。
「どうして?」
沈硯の答えは簡潔だった。
「相手は、俺たちが蘇河を調べていることを知っている」
「しかも、七号埠頭まで指定してきた」
「つまり、俺たちより多くを知っている」
「そういう時に、一人で行くのは――」
沈硯は一度、言葉を止めた。
「勇敢なんじゃない」
「自分の命を、相手に預けるだけだ」
蘇晩晴は何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
すると陳旺が口を開く。
「俺も行く」
沈硯が彼を見る。
「なぜ?」
陳旺はしばらく黙っていた。
「七号船は、俺の船だった」
「二十三年前」
「俺は、あの船を戻せなかった」
陳旺は拳を握る。
「今度は、自分の目で確かめたい」
沈硯は止めなかった。
ただ、古い帳面を机の上へ戻した。
そして言った。
「なら、一緒に行こう」
窓の外。
空が、ゆっくりと暗くなっていく。
七号埠頭。
二十三年前。
七号船が出ていった場所。
そこには、きっと答えがある。
蘇河は、本当に死んだのか。
八人目は、いったい誰だったのか。
そして――
八人を乗せて出たはずの船が。
なぜ、最後には七人だけを乗せて戻ってきたのか。




