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河灯未明  作者: 亀


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第十三章 蘇河が残した者

白石横丁を出てから、三人は一言も話さなかった。


陳旺は最後尾を歩いていた。


何か思うところがあるらしい。


だが、路地を出るまで、口を開くことはなかった。


沈硯が空を見上げる。


もう辰の刻を過ぎている。


「先に何か食べよう」


蘇晩晴が尋ねた。


「今、食べる気なんてある?」


「ある」


沈硯は平然と答えた。


「人間は鉄でできている」


「事件も鉄だ」


「だが、俺たちは鉄じゃない」


陳旺が、ようやく笑った。


「お前、その言い方だけは生きた人間みたいだな」


蘇晩晴が陳旺を見る。


「もともと生きた人間よ」


沈硯は何も言わなかった。


ただ、通り沿いの屋台へ向かって歩き出した。


三人は腰を下ろした。


陳旺は麺を一杯頼んだ。


蘇晩晴は湯だけを頼む。


そして沈硯は、麺を二杯頼んだ。


「そんなに食べられるの?」


蘇晩晴が尋ねる。


「傷を治すには力が要る」


「自分の身体を気遣うようになったのね」


「昔から気遣っている」


「じゃあ、昨日どうして刀を受けたの?」


沈硯は黙って麺を食べる。


「……あれは、人を気遣っただけだ」


蘇晩晴は、それ以上何も言わなかった。


だが陳旺が突然、吹き出した。


「お前たち二人は……」


沈硯が顔を上げる。


「お前は麺を食え」


陳旺は黙った。


――


食事を終えると。


三人は南陵城の西へ向かった。


周婆から与えられた手掛かりは、一つだけだった。


蘇河がかつて暮らしていた場所。


そこには、廃れた船頭の宿舎があった。


門は傾き。


錠前はすっかり錆びついている。


陳旺は門の前に立ったまま、中へ入ろうとしなかった。


沈硯が彼を見る。


「ここへ来たことがあるのか?」


「ある」


「いつ?」


「二十三年前」


陳旺は門を見上げた。


「……最後に来た時だ」


蘇晩晴が彼の隣に立つ。


「父と知り合いだったの?」


陳旺は頷いた。


「知っていた」


「仲が良かった?」


陳旺はしばらく黙った。


「そういうわけでもない」


「じゃあ、どうしてここへ?」


「奴に金を貸していた」


蘇晩晴が目を丸くする。


「父があなたに?」


「銀十両だ」


陳旺が答えた。


「結局、返してもらえなかった」


「その後は?」


「その後、奴は死んだ」


「だから、返してもらえなかった?」


「そういうことだ」


陳旺は苦笑した。


「あの頃は、腹を立てていたよ」


「死人が借金を残して死んだのに、誰も代わりに返してくれないってな」


蘇晩晴は彼を見る。


「今も怒ってる?」


陳旺は首を横に振った。


「もう怒っていない」


「どうして?」


「後になって知ったんだ」


「その十両は、誰かの薬を買うために借りた金だった」


蘇晩晴は何も言わなかった。


陳旺は錆びた錠前を見つめる。


「誰のためだったのか、奴は一度も言わなかった」


「だから俺はずっと、ただの踏み倒しだと思っていた」


「だが、後になって……」


陳旺の言葉が止まる。


沈硯が続けた。


「沈家の事件が起きた」


陳旺は頷いた。


「ああ」


「あの時になって、ようやく気づいた」


「蘇河が俺に借りていたのは、十両の金じゃなかった」


「人から受けた恩だったんだ」


沈硯が尋ねる。


「誰からの恩だ?」


陳旺は首を横に振った。


「分からない」


「聞かなかったのか?」


「聞いた」


「何と?」


陳旺は顔を上げた。


「奴はこう言った」


「もし、いつか誰かが訪ねてきたら」


「こう伝えてくれ」


「俺は何も知らない、と」


蘇晩晴が眉をひそめる。


「それって……おかしくない?」


「おかしい」


陳旺は答えた。


「だから、二十三年間ずっと覚えていた」


――


錠前は、沈硯がすぐにこじ開けた。


中には、ほとんど何も残っていなかった。


壊れかけた寝台。


古い箪笥。


角の欠けた机。


そして壁には、子供が炭で描いたような跡がいくつか残っていた。


船。


それから太陽。


蘇晩晴が歩み寄る。


指先で、そっと壁を撫でた。


「これ……私が子供の頃に描いたの?」


陳旺は首を横に振った。


「違う」


「お前の父親は、お前をここに住まわせなかった」


「どうして?」


「ここは船頭たちが暮らす場所だった」


「だから、誰かに連れていかれるのを恐れていたんだ」


蘇晩晴が振り返る。


「どうして、そんなことを知っているの?」


陳旺は彼女を見つめた。


「……あの夜」


「俺がお前を連れ出したからだ」


部屋の空気が、一瞬で変わった。


沈硯が陳旺を見る。


「今、何と言った?」


陳旺は目を閉じた。


まるで二十三年間、胸の奥にしまい込んでいたものを、ようやく話す覚悟を決めたようだった。


「二十三年前」


「蘇河が俺を訪ねてきた」


「奴は言った」


「誰かが娘を探している、と」


蘇晩晴の顔から、少しずつ血の気が引いていく。


「……私を?」


「ああ」


「奴は俺に頼んだ」


「お前を城南まで連れていってくれ、と」


「でも……」


蘇晩晴は自分の手を見る。


「どうして、何も覚えていないの?」


「その時、お前はまだ七歳だった」


陳旺が言った。


「ずっと泣いていた」


「そのうち、眠ってしまった」


「俺はお前を、一人の女に引き渡した」


沈硯が尋ねる。


「誰だ?」


陳旺は首を横に振った。


「分からない」


「分からない?」


「笠をかぶっていた」


「ただ、蘇河がその女を『姉さん』と呼んでいたことだけは覚えている」


蘇晩晴が尋ねる。


「それから?」


陳旺は黙った。


「それから、俺は戻った」


「翌朝――」


「沈家が火事になった」


蘇晩晴が突然、立ち上がった。


「じゃあ、父は沈家で何が起きるか知っていたの?」


陳旺は答えなかった。


だが、沈硯は別のことに気づいた。


「待て」


「今、お前は言ったな」


「蘇河は蘇さんを城南へ送れと言った」


「それは、いつだ?」


陳旺が沈硯を見る。


「九月六日の夜だ」


沈硯の目が鋭くなる。


「沈家の火事は?」


「九月七日の明け方だ」


沈硯は何も言わなかった。


蘇晩晴も、その場に立ち尽くしていた。


そして、ようやく気づいた。


自分は、沈家の火事が起きた後に連れ出されたわけではない。


火事が起きる前に。


すでに誰かによって隠されていた。


つまり――


二十三年前、あの火事が起きる前から。


誰かは、何が起こるのかを知っていた。


――


沈硯は古い箪笥の前まで歩いた。


「この箪笥は誰のだ?」


「蘇河のものだ」


「以前、開けたことは?」


「ない」


「なぜ?」


陳旺は苦笑した。


「あの頃の俺は、奴をただの船頭だと思っていた」


「他人の私事まで首を突っ込むつもりはなかった」


沈硯は錠前を見る。


すでに壊れている。


彼は扉を開けた。


中は空っぽだった。


ただ、一番下に。


古びた木靴が一足、置かれていた。


蘇晩晴がしゃがみ込む。


木靴を取り出す。


靴底には、白くなった粉がこびりついていた。


沈硯が受け取る。


指先で、そっと粉を削る。


「石灰だ」


陳旺の顔色が変わった。


「本当に?」


「間違いない」


蘇晩晴が靴を見る。


「父は城西へ行っていたの?」


沈硯は頷いた。


「その可能性が高い」


「しかも、最近じゃない」


沈硯は木靴を裏返す。


靴底には、小さな文字が二つ刻まれていた。


――七巷。


陳旺が突然、口を開いた。


「知っている」


沈硯が顔を上げる。


「どこだ?」


「城西に、一つの路地がある」


「昔は『七巷』と呼ばれていた」


「今は名前が変わっている」


蘇晩晴が尋ねる。


「どうして?」


陳旺は、すぐには答えなかった。


「二十三年前」


「そこでは、大勢の人間が死んだからだ」


また、部屋が静まり返る。


沈硯は木靴を布袋にしまった。


「行こう」


蘇晩晴が尋ねる。


「七巷へ?」


「いや、まだだ」


「どうして?」


「今、分かっているのは、蘇河がそこへ行ったということだけだ」


沈硯は蘇晩晴を見る。


「だが、何をしに行ったのかは分からない」


「今すぐ行けば」


「俺たちがここを見つけたことを、誰かに知らせるだけになる」


蘇晩晴は頷いた。


ふと、彼女は気づいた。


いつの間にか。


自分は沈硯の推理を聞くことに慣れていた。


以前の自分なら。


何か手掛かりを見つければ、すぐにそこへ向かおうとしただろう。


だが今は違う。


手掛かりを見つけることと。


その手掛かりを使えることは。


同じではない。


――


三人が出ていこうとした、その時。


蘇晩晴が突然、振り返った。


壁際に残された、子供の落書き。


その中の一艘の船の隣に。


小さな人影が描かれていた。


その横には、歪んだ二文字。


「蘇河」でもない。


「蘇晩晴」でもない。


そこに書かれていたのは――


「阿遥」


蘇晩晴は、その場に立ち尽くした。


顔色が、少しずつ変わっていく。


沈硯が近づく。


「知っているのか?」


彼女は首を横に振った。


「……分からない」


だが。


陳旺の顔が、突然真っ青になった。


彼は、その二文字を見つめている。


そして、かすかな声で呟いた。


「この名前は……」


沈硯が彼を見る。


「知っているのか?」


陳旺は答えなかった。


長い沈黙のあと。


ようやく口を開く。


「二十三年前」


「蘇河は、ある人間について俺に尋ねた」


「誰だ?」


「沈知遥」


蘇晩晴が顔を上げる。


陳旺は彼女を見る。


「奴は言った」


「もし、いつか」


「誰かが阿遥について尋ねてきたら」


「こう伝えてくれ」


「阿遥は、もう死んだ」


沈硯が眉をひそめる。


「だが、なぜ沈知遥の名がここにある?」


陳旺は答えなかった。


答えられなかった。


彼自身にも、分からない。


その時。


屋外から足音が聞こえた。


三人が同時に振り返る。


一人の見知らぬ男が、門の外に立っていた。


三人を見ても。


男は逃げなかった。


ただ、一言だけ尋ねた。


「お前たち、蘇河を探しているのか?」


沈硯は答えない。


男は続けた。


「そうなら――」


「探す場所を間違えている」


そして。


男は背を向けた。


「蘇河は死んでいない」


蘇晩晴が、勢いよく顔を上げる。


男はそのまま歩き去っていく。


沈硯はすぐに後を追った。


だが、路地の入口まで駆けた時には。


男の姿は、すでに人混みの中へ消えていた。


地面に、一枚の紙だけが落ちている。


沈硯はそれを拾い上げた。


そこには、たった一文が書かれていた。


――


「奴は、ただ名前を変えただけだ。」

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