191 2026年5月28日(木)_01 新規メンバー
山形県庁。
始業直後のフロア
武藤恵子は、机の引き出しを乱暴に閉めた。
ガン、と音が鳴る。
「……何なのよ、これ」
段ボール箱に私物を放り込む。
ペン立て。
化粧ポーチ。
小さな観葉植物。
総務部 行政経営課からの出向。
六月一日からの予定だったはずだ。
それが――
今日。
五月末の、このタイミングで突然の辞令。
「異常でしょ……」
書類を丸めて箱に突っ込む。
「だいたい資料管理室って何よ」
「そもそもそんな部署、組織図にもないんだけど」
小さく舌打ちする。
「……左遷じゃない」
「これ、どう考えても左遷でしょ」
いつもの、あの独特の“ぶりっこ”口調。
それすら作る余裕がなかった。
周囲の職員たちは、
誰も目を合わせない。
送別会すらない。
静かな空気。
武藤は奥歯を噛んだ。
(私が……)
(どれだけ我慢してきたか)
(誰も分かってない)
箱を持ち上げる。
「……別にいいわよ」
小さく呟く。
「こんな場所」
「未練なんてない」
ふと思い出す。
(次の部署)
(確か……片桐がいたはず)
口元が歪む。
「……ふふ」
「また、あの子の相手でもして」
「ストレス発散すればいいか」
箱を抱え、県庁を出た。
---
文翔館。
夕方の光が古い石壁を染めている。
入口で、
小柄で、ふくよかな女性が待っていた。
「いらっしゃい」
笑顔。
「武藤さんね?」
武藤は軽く会釈する。
(誰だっけ)
記憶を探る。
(ああ)
(若林)
「丁度よかった」
若林が箱を指す。
「荷物、持つ?」
武藤は首を振る。
「いえ、大丈夫です」
若林はじっと顔を見る。
そして笑う。
「あら」
「今日はキャラ、作ってないのね?」
武藤の表情が固まる。
「……別に」
若林は気にした様子もなく、くるりと背を向けた。
「じゃ、行きましょう」
文翔館の中へ入る。
古い建物特有の匂い。
歴史あるモダンな模様の床。
荘厳な赤いカーペットの階段。
歩きながら、若林が言う。
「武藤さん」
「うち、守秘義務けっこう厳しいの」
武藤は適当に答える。
「規約は一応読みました」
「さらっとですが」
「それが?」
若林は振り返らず言う。
「詳しい書類は後で見せるわね」
そして、廊下の奥。
エレベーターの前で止まる。
「じゃ」
「乗りましょうか」
武藤がボタンを見て、首をかしげた。
(……?)
通常の操作パネルではない。
若林は、手を伸ばす。
触ったのは――
点検用のカバー。
パネルの横。
普通の職員なら、まず触らない場所。
若林は慣れた手つきでカバーを開く。
その裏に隠されていた小さな操作盤。
カチ。
カチ。
いくつかボタンを押す。
武藤が思わず声を出す。
「え?」
エレベーターの扉が閉まる。
そして。
一度。
一階で止まった。
普通の動き。
だが――
その次の瞬間。
エレベーターが、
急降下した。
ガクン、と身体が沈む。
武藤が壁を掴む。
「ちょ、ちょっと……!」
表示パネルを見る。
そこに並んでいるのは、
2階
1階
――だけのはずだった。
だが。
操作パネルの内部、
新しいランプが、静かに灯る。
B50
淡く光る数字。
武藤の顔から血の気が引いた。
「……文翔館って」
「地下……ありましたっけ?」
若林は、いつもの調子で答える。
「ないわよ」
少し笑う。
「だから」
「“存在しない階”なの」
エレベーターは、
さらに深く、
地下五十メートルへ向かっていた。
---
武藤は、しばらく動けなかった。
自分の目に入っている光景が、
脳の理解を拒否していた。
天井が――高い。
高すぎる。
少なく見積もっても三十メートル。
巨大な地下空間だった。
その中心。
そこに、
二十メートル級の箱状の機械が鎮座している。
重厚な装甲。
無数の配管。
冷却ユニット。
そして、機械の表面には、
古い金属と、見たことのない結晶構造が混ざり合っていた。
武藤は、思わず呟いた。
「……箱……」
一瞬考える。
「……大仏?」
若林が隣でくすっと笑う。
「そんな名前で呼ばれてるみたいね」
そして、機体の側面に表示された文字を指した。
YAMAGATA CORE UNIT
MODEL:JGR-06-core ver.2026
「山形県防衛統合重機兵装システム」
少し間を置く。
「通称――」
「山形ロボ・コアユニット」
武藤の口が、ぱくぱく動く。
「や……まがた……」
「ろぼ?」
理解が追いつかない。
次の瞬間。
「はい、次」
若林に軽く背中を押される。
今度は、明らかに工事用エレベーターだった。
武骨な鉄の箱。
武藤は半ば流されるように乗せられる。
ガタン、と音を立てて動き出す。
上昇。
一階、二階――
いや。
普通の建物の階数ではない。
体感で、ビル六階分ほど上がったところで止まる。
扉が開く。
そこには、
事務所らしい部屋があった。
ただし――
防音扉付き。
若林が扉を開ける。
中にいた二人を見て、
武藤は一瞬息を呑んだ。
室長。
児島裕子。
そしてもう一人。
元警察署長の
石原。
そのほかにも、数人の職員がいた。
皆、忙しそうに作業している。
だが――
机の上の機材が、普通じゃない。
見たことのない装置。
立体映像のモニター。
空中に浮かぶ三次元の地図。
武藤の頭が追いつかない。
児島が振り向いた。
「よろしく、武藤さん」
石原も軽く手を上げる。
「よろしくな、武藤さん」
武藤は慌てて頭を下げる。
「あ、あの……」
「よろしくお願いいたします」
だが。
心の中では叫んでいた。
(……ここ)
(何なの?)
児島がタブレットを閉じる。
「一応説明しておくわね」
淡々とした声だった。
「うちのエース」
「片桐さん」
武藤は少し驚く。
「……はい」
児島は続ける。
「武藤さんも面識あると思うけど」
「今、重傷でね」
「アメリカのアーカムで治療中」
石原が腕を組む。
児島は続ける。
「しばらくはパイロット一人で運用」
「浮雲だけね」
武藤の頭の中は、すでに混乱している。
児島はさらに話す。
「武藤さんの仕事だけど」
指を折る。
「県庁」
「県議会」
「その辺とのうちとの調整役」
「あと渡部信也内閣府 大臣補佐官のサポート」
「それと」
窓際を指す。
「齊藤さんのサポート」
そこにいた男が軽く会釈する。
児島は言った。
「経理もお願いしたいの」
武藤の堪忍袋が切れた。
「ちょっと待ってください!」
部屋の全員がこちらを見る。
武藤は叫んだ。
「一体ここ何なんですか!」
指を下へ向ける。
「地下に箱大仏あるし!」
「山形ロボって何なんですか!」
児島は一瞬だけ黙った。
それから、少し困った顔をした。
「……ごめんなさい」
「説明不足だったわね」
椅子に背を預ける。
「改めて言うわ」
「ここは」
一拍。
「山形県 総務部付属資料管理室」
武藤はぽかんとする。
児島は続ける。
「さっき見たでしょ」
「山形ロボ」
「あれの運用」
「それと」
画面に表示された地図を指す。
「山形県内の怪異対策」
武藤の思考が止まる。
「……かいい?」
若林が横から口を挟む。
「先日の戦闘記録」
「見た方が早いかな?」
若い職員が慌てて言う。
「いや、あれはちょっと刺激が……」
だが。
若林が目で制した。
一瞬で、部屋が静かになる。
武藤は、ただ立っていた。
心の中で繰り返す。
(怪異?)
(戦闘?)
(ロボ?)
(地下五十メートル?)
そして思った。
(……私)
(とんでもない部署に)
(来ちゃったんじゃない?)
部屋のモニターが、
静かに起動した。
---
武藤の目の前に、巨大なモニターが降りてきた。
部屋の照明がわずかに落ちる。
武藤は腕を組んだまま、椅子に浅く座る。
(……何を見せられるっていうのよ)
鼻で笑う。
(どうせ自主制作の何かでしょ)
(県の予算で作った“それっぽい映像”とか)
(そんなの見せられたら――)
(本当に辞めてやるわ)
画面が暗転する。
白いテロップ。
酒田港沖
怪異発生
のちに邪神と判明
その交戦記録
武藤は小さく鼻を鳴らす。
(……安っぽいわね)
映像が切り替わる。
複数の視点。
月山湖を見下ろす空撮映像。
海上のモノクロ観測映像。
そして――
空中に浮いている、
あの「箱大仏」。
さらにもう一つ。
武藤は眉をひそめた。
画面の端に、
妙なコスプレをした女性。
(……あれ)
(片桐?)
山形ロボのパイロット、
片桐一葉。
その姿が映っていた。
映像の中で通信が流れる。
>山形ロボ、SWNでの情報同期完了
>風速、湿度、地場歪み
>射線補正すべて処理しました
>モニターに照準表示します
武藤は腕を組み直す。
(……はいはい)
(SFごっこ)
次の瞬間。
箱大仏が白い線を放った。
武藤の眉がわずかに動く。
モノクロ映像。
海の中央。
巨大な、
塊。
そこに白い線が突き刺さる。
箱大仏が――
二発目を撃つ。
その瞬間。
モノクロ映像の塊が、
光線を放った。
二つの線がぶつかる。
そして――
押し返される。
キィィィィィィィィィィン!!!!!!
光が弾ける。
箱大仏に直撃する。
武藤は思わず前に身を乗り出した。
(……え?)
(今)
(画面いっぱいに)
(何か……見えた?)
一瞬だけ。
巨大な影。
理解できない形。
武藤の背筋が冷える。
(……なんで)
(逃げないの?)
その答えが、
映像の中から聞こえた。
>私が逃げれば
>絶対、湾岸の市街地に被害が行く
>逃げれない
武藤の顔が歪む。
(……馬鹿なの?)
塊がまた光線を放つ。
武藤は思わず声を出した。
「……当たる!」
録音の通信はほとんど理解できない。
だが、
それだけは分かった。
当たってはいけない。
だが――
光線は、
箱大仏の目の前で止まった。
空間が歪む。
何か。
見えない壁。
(……バリア?)
武藤は息を吐いた。
(……よかった)
だが。
光線が増える。
二本。
バリアが、
明らかに削られていく。
(……馬鹿なの?)
(知らない人が怪我したって)
(自分が生きてればいいじゃない)
そのとき。
通信の中から、
片桐一葉の声が聞こえた。
>死にたくない
武藤は思わず言う。
「なら逃げなさいよ!」
だが。
次の言葉が続く。
>死にたくないけど……
>絶対
>逃げたくない
>誰かの明日を無くしたくない
武藤は歯を食いしばる。
(……馬鹿)
(ほんと、馬鹿)
だが、耳から声が離れない。
>……私さ
>実は<ゆうしゃ>なんだ
武藤は目を見開く。
(何言ってるのよ)
>古い端末時代に
>見ちゃったんだよね
>被害者リスト
映像の中で、
悲鳴。
叫び。
警告。
だが。
なぜか。
片桐一葉の声だけが、
異様に鮮明だった。
>私が守れなかった
>被害者リストに載せちゃった人
>その息子さんかな
>男の子に会ったの
武藤の手が震える。
(……どうでもいい)
(いいから逃げて)
気付くと、
両手が胸の前で組まれていた。
祈る形。
>私さ
>罪悪感なのかな
>わかんないけど
>その時、泣いちゃってさ
>そしたらその子がさ
声が震える。
>“ぼく、つよいから、だいじょうぶ”
>“だから、これ、あげる”
武藤の喉が詰まる。
>パパからもらった
>“ゆうしゃのけん”なんだって
>これ
>……笑っちゃうよね?
バリアが、
割れかけている。
武藤は立ち上がりかけた。
「逃げてよ!」
「お願いだから!」
だが、
一葉の声は続く。
>私ね
>うまく言えないけど
>その子に誓ったんだ
>もう二度と
>“なくさない”って
武藤の目に涙が浮かぶ。
>私さ
>誰かが誰かに
>思いやる言葉を
>繋いでいく
>そんな世界
>守りたいのよ
そして――
叫ぶ。
>だからさ――
>ハコ子!
>私と今から
>地獄に付き合って!!!!!!!!!!!!!!
映像が変わる。
絶叫。
警報。
箱大仏が光線を放つ。
その瞬間。
箱大仏が消えた。
武藤が息を呑む。
(……え?)
画面がズームする。
海上の遠景。
そこに――
箱大仏。
両腕を光らせながら、
高速移動している。
(……ワープ?)
(なにこれ)
次の瞬間。
箱大仏が、
塊を殴った。
ドン。
その瞬間、
世界の色が反転する。
武藤は息を止める。
また殴る。
また、
世界が反転する。
遅れて、
先ほどの光線が届く。
画面が、
白く染まる。
その輝きの中で。
箱大仏は、
最後の一撃を叩き込んだ。
そして。
すべてが終わった。
---
児島は、静かにリモコンを操作した。
大型モニターの映像が止まる。
画面には、
海上で拳を振り抜いたままの箱大仏――
山形ロボの姿が残っていた。
部屋は、しばらく無言だった。
児島がゆっくりと武藤を見る。
「以上」
少しだけ間を置く。
「これが」
「貴女が“お給料泥棒”と呼んでいた」
「片桐一葉さんの仕事よ」
武藤は言葉を失っていた。
児島は続ける。
「武藤さんには、彼女や浮雲。
それと警備班のみんなが安心して怪異と戦えるように……」
「バックアップをお願いしたいの」
武藤は、しばらく黙っていた。
そして、ようやく口を開く。
「……なんで」
「私なのよ」
顔を上げる。
「別に、他の人でもいいでしょ?」
その問いに答えたのは若林だった。
若林は、若い女性職員から資料を受け取りながら言う。
「理由は三つ」
紙を軽く叩く。
「一つ」
「貴方の類まれなる渉外交渉能力」
もう一枚。
「一つ」
「議員や県の上級役職者との独自コネクション」
武藤の眉がわずかに動く。
若林は最後に言った。
「そして――」
顔を上げる。
武藤の目を見る。
「初対面の時」
「片桐さんに“守る”と言われた」
「あなたの眼」
武藤が固まる。
若林は静かに言った。
「心の底から」
「羨ましいって」
「憧れた人間の眼だった」
武藤は何も言えない。
気付くと、
周囲に人が立っていた。
作業着。
スーツ。
白衣。
様々な職員たちが、
いつの間にか武藤の周りに集まっていた。
誰も笑っていない。
誰も茶化していない。
ただ、
本気で待っている顔だった。
児島が立ち上がる。
「ようこそ」
少しだけ微笑む。
「武藤恵子さん」
「総務部付属資料管理室は」
「あなたの能力が必要です」
武藤は、しばらく黙っていた。
そして。
ゆっくり息を吸う。
顔を上げる。
「……なら」
一拍。
「ふさわしいお給料」
「頂戴?」
少し肩をすくめる。
「私、安くないわよ?」
だが。
その声は、
少しかすれていた。




