181 2026年5月26日(火)_02 宵闇に走る3傑
地下のスーパーで買い物をしていた山部聡は、
教え子の片桐陽葵の姿を、たまたま視界の端に捉えた。
買い物かごを抱え、値引きシールの貼られた野菜や肉を選んでいる。
――買い物とは、なかなかに結構。
山部は心の中で呟いた。
――学校での姿は、作っているわけではないみたいですね。
どこか安心したように、軽く笑う。
自分は晩酌用のつまみと牛乳、
それからいくつかの日用品を買い込み、レジを済ませた。
出口へ向かう途中。
ふと、違和感を覚える。
陽葵の後ろを歩く、スーツ姿の老人。
一見すれば、ただの買い物客だ。
歩き方も自然。
視線も自然。
距離の取り方も自然。
だが――
あまりにも自然だった。
山部は足を止める。
馴染みすぎている。
その感覚に、覚えがあった。
海外でヒッチハイクをしながら、
様々な国を放浪していた頃。
紛争地域。
治安の悪い都市。
かなり危険な国にも迷い込んだことがあった。
その時、見た。
暗殺を生業にしている人間の動き。
あのときの感覚に、
今の老人の歩き方が――
酷似していた。
山部は、レジ袋を持ち直す。
――万が一の場合は……通報すればいいか。
自分に言い聞かせる。
そして。
興味本位。
半分はそれだった。
地下フロアを出ていく人の流れは、まばらだ。
その中に紛れながら。
山部は、
陽葵と老人の後を追った。
---
「先生、おじいさん! 下がって!」
陽葵が叫ぶ。
そして、鞄から飛び出した子猫――カルの額に、
迷いなく口づけをした。
――瞬間。
空間が、砕けた。
世界が、上塗りされる。
カルの身体が、白銀の光に包まれた。
背後に浮かび上がる紋章。
十字を貫く、竜。
聖王国キッズオルナート。
騎士団の中でも、隊長級にのみ許される紋章だった。
光の龍の咢が、カルを飲み込む。
「契約、成立」
それは、もう猫の声ではなかった。
光の中心に立つ男。
金髪。
緑の眼。
積層ミスリル銀製のハーフプレートメイルが、
鈍く光を反射する。
カル・ヴィー・サージュ。
静かに言う。
「ここを聖域と定義する」
その瞬間。
地面に、十字が刻まれた。
光の線が交差し、
聖なる結界が広がる。
カルが剣を抜く。
「制限時間――603秒」
静かな声。
「聖十字騎士団二番隊隊長」
剣先が、邪神へ向けられる。
「水の騎士にて、竜骨剣の使い手、カル・ヴィー・サージュ」
「わが師の剣技をもって、貴公らを滅する」
山倉が、ニヤリと笑った。
「名乗りとは……最近の猫又は古風だな」
肩を回す。
「では俺も」
一歩前へ出る。
「山形県 総務部付属資料管理室 施設警備班顧問」
低く言う。
「――“夜叉”山倉仁」
そのとき。
「あ、ちょっと待って下さい、私も」
山部が、慌ててリュックを開けた。
ごそごそと取り出す。
LEDが仕込まれた、奇妙な形のフルフェイスマスク。
それを、被る。
山倉が、ちらりと見る。
「おや」
少し楽しそうに言う。
「あんたもやっぱり、イケるクチなんだな?」
山部が胸を張る。
「情報科非常勤講師、山部聡」
一拍。
「いや、えーと……」
少し迷う。
「お助け仮面!」
すぐに首を振る。
「じゃない、いや!えーっと、あ“シャドウ=ウォーカー”!」
黒い防刃皮手袋をはめる。
明らかに使い込まれている。
構える。
陽葵が思わず言った。
「いや、ヤマセン、むりしないでよ……」
カルが、静かに告げる。
「陽葵、この山部という方……、彼もまた、レベルブレイカーです」
わずかに笑う。
「多分、大丈夫です」
剣を構え直す。
「――では、推して参る!」
山倉が笑う。
「ああ!」
山部も叫ぶ。
「いきます!」
夕暮れの交差点。
邪神を前に、
人類が、吠えた。
---
「……あの、棒を持っている方は僕が相手をします。
お二人は、あちらの白衣の方をお願いします」
カルはそう言いながら、聞き慣れない言葉を紡ぎ始めた。
古い響きの呪文。
そして――
一気に駆けた。
地面を蹴る音が、夕暮れの路地に響く。
山倉も同時に走り出す。
その横で、山部が必死に並走する。
山倉が走りながら聞いた。
「先生、俺は中国拳法やら古流武術のチャンポンに、
ルーンと陰陽のミックスなんだが……あんたは?」
山部は息を切らしながら答える。
「シャドウ=ウォーカーです。
えーっと……空手?ファイドウ?
よく分からないです」
一瞬考える。
「この仮面に昔、占い師にもらった賢者の石?ついてます。
そういう感じでいいですか?」
山倉が笑う。
「俺の全力についてきて、しゃべれるなら」
「多分、警備班の現役より使える」
少し速度を緩める。
「俺が合わせる!」
その瞬間。
山部が、白衣の男――シャウルスへ一気に肉薄した。
躊躇なし。
フック。
渾身のボディブロー。
続けて正拳突き。
「が?」
シャウルスの呼吸が、わずかに漏れた。
その瞬間。
山倉が横に回り込む。
ゼロインチパンチ。
拳が触れる距離。
同時に、ルーンが炸裂した。
衝撃。
シャウルスの身体が横へ――
吹き飛ぶ。
……はずだった。
その瞬間。
山部の仮面の額が神秘の光を放つ。
鋭い右の上段回し蹴り。
反対方向から弾き返す。
衝撃が交差する。
逃がさない。
山倉と山部が、阿吽の呼吸で動く。
一撃一撃が必殺。
呼吸を与えないラッシュ。
シャウルスに、行動の隙を与えない。
その光景を――
グラーキは愉快そうに眺めていた。
ゆっくりと背中が蠢く。
棘。
それが触手のように伸びる。
一斉に、カルへ襲いかかった。
だが。
カルは独特の歩法で動く。
加速。
遅延。
加速。
遅延。
まるで時間をずらすような動き。
すべての棘を回避する。
その最中も、呪文は続いていた。
そして。
詠唱が、完了する。
カルが剣を振り上げた。
「僕は、水の次に炎の魔法が得意でね!」
空気が震える。
「灼熱螺旋槍!」
次の瞬間。
グラーキの周囲に、
青白い炎が出現した。
三角錐の炎。
一本。
二本。
三本。
――八本。
「鉄を溶かす熱量の炎の槍」
カルの瞳が光る。
「悪いが、格上相手に遠慮はしない!」
八本の炎槍が、
同時にグラーキへ襲いかかった。
その間、シャウルスに対し
山倉の崩拳。
山部の双掌打。
二つの衝撃が、正反対の位置から同時にシャウルスの胸部へ叩き込まれた。
鈍い音。
内臓が潰れる感触。
白衣の身体が、力を失う。
シャウルスは、そのまま膝をつき――
地面に倒れた。
同時に。
グラーキの背中の棘がうねる。
襲い来る炎の槍。
一本。
二本。
三本。
四本。
棘が、叩き落とす。
だが――
残り四本。
青白い炎の槍が、一直線に突き刺さった。
グラーキの身体を、貫く。
焼ける匂い。
肉が焦げる音。
夕暮れの交差点に、静寂が落ちた。
陽葵が、思わず声を上げる。
「え?
やっつけたの?
すごい!」
カルが、静かに言う。
「残念ながら……」
山倉も、低く続ける。
「ああ」
山部が息を整えながら言った。
「はぁ……はぁ……
今度は、あちらのターンってところでしょうか……」
倒れたはずのシャウルス。
胸部が、ひしゃげている。
それでも――
ゆっくりと、動く。
骨が、元の位置へ戻るような音。
ぐり、と。
関節が逆に折れながら、立ち上がる。
そして。
黒く焦げたグラーキ。
胸を貫かれたまま、
イルリガードル台を握り直す。
滴る黒い液体が、
アスファルトに落ちた。
じゅ……と、
小さな音がした。
二柱の邪神の眼が、
闇の中でゆっくりと開く。
逆再生のように肉体が元に戻る。
シャウルスが、愉快そうに笑った。
「やるねぇ……人類」
ちらりと視線を向ける。
「ねぇ、お父様?」
グラーキの身体が、ぐにりと動いた。
潰れた胸の奥から、
泡立つような声が漏れる。
「痛い……」
「熱い……」
その目が、
ゆっくりと陽葵を見た。
「許さない」
シャウルスが、肩を回す。
骨が鳴る。
ぱき、ぱき、と。
「では、仕切り直しだ」
夕暮れの交差点。
邪神が、二体。
騎士と、老人と、教師。
そして――
まだ戦い方を知らない、一人の少女。
沈黙。
風が、止まる。
遠くの車の音も、
人の気配も、
ここには届かない。
世界が、この交差点だけを
静かに切り離していた。
シャウルスが、ゆっくり首を回す。
「では――」
骨が鳴る。
ぱき、ぱき、と。
グラーキの手の中で、
イルリガードル台の車輪が
ぎり、と鳴った。
「仕切り直しだ」
邪神が、もう一歩踏み出す。
山倉が拳を握る。
カルが剣を構える。
山部が、仮面の奥で息を整える。
そして。
自転車の横で立ち尽くしていた陽葵が、
ゆっくりと顔を上げた。
胸の奥で、心臓が鳴る。
怖い。
それでも。
少女は、一歩も引かなかった。
母がいる。
姉がいる。
友達がいる。
――ここは、私達の世界だ。
夕闇の交差点で。
まだ何者でもない少女が、
邪神を、
真正面から見返した。




