179 【過去編】1996年4月~ 3つの心臓
若き天才技術者――早川真。
東京消防庁装備部、新型重機開発室所属。
魔術理論を含む対怪異工学――
いわゆる“裏の技術体系”において、世界的権威とされる技術者名簿。
世界百工匠。
その席に、あと一歩で届かなかった男だった。
結果は――次点。
名簿から漏れた名前の、筆頭。
あと一歩。
本当に、あと一歩だった。
評価票には、こう記されていた。
「設計思想は既存体系を逸脱する。危険。
だが、完成すれば世界標準を塗り替える可能性がある」
その一文の横には、小さな補足が添えられていた。
発端となったのは、彼が提出したある設計案だった。
因果滑走を用いた高速救急航空機。
巡航速度――マッハ四〇。
山岳地帯や離島から重症患者を数分で都市部へ搬送する。
理屈としては、救命率を劇的に引き上げる構想だった。
だが、審査会の反応は冷ややかだった。
「マッハ四〇だと?」
図面を見た医療監修の一人が、呆れたように言った。
「君は救急機と言ったな」
設計図を指で叩く。
「患者がジャムになるぞ」
加速。
減速。
圧力差。
振動。
人体が耐えられる範囲を遥かに超える。
どれほど理論が美しくても、実用にはならない。
それが審査会の結論だった。
だが、技術評価だけは別だった。
因果位相を滑走面として扱い、慣性を相対化するという発想。
既存の航空工学にも、魔術理論にも存在しない概念。
あまりにも危険で、
あまりにも革新的だった。
だからこそ評価票には、こう残された。
「設計思想は既存体系を逸脱する。危険。
だが、完成すれば世界標準を塗り替える可能性がある」
早川真の名は、その評価とともに記録された。
世界百工匠。
その席に、あと一歩届かなかった技術者として。
評価は、決して低くない。
むしろ、異例と言っていいほどの高評価だった。
だが、それでも――
選ばれなかった。
それが、すべてだった。
世界百工匠。
その名簿に刻まれるのは、ただ百の名だけ。
百一番目の名は、どれほど優れていても、そこには残らない。
早川真の名前は、記録の端に置かれた。
「次点」
その二文字とともに。
早川の心には、静かに澱のようなものが溜まっていた。
そんな時だった。
大学時代の先輩、鎌田 等から連絡が来た。
東京大学工学部出身。
現在は重工系企業で、防衛特殊車両の開発に関わっている男だ。
その鎌田が言った。
「山形県総務部防衛課の整備班に来ないか」
しかも。
指名。
早川真、名指しのスカウトだった。
だが早川は、思わず眉をひそめた。
――山形県?
よりによって。
山形。
東京から見れば、
ほとんど「地図の端」だ。
なぜそんな田舎へ?
そう思った。
断ろうとした。
しかし、その前に話は進んでいた。
総務省消防庁からの正式な出向命令。
逃げ道はない。
しぶしぶ従うしかなかった。
山形県に新設された部署。
それが、早川に与えられた新しい職場だった。
情報通の間では、すでに噂になっていた。
日本全国の都道府県に、同時期に設立されたという新組織。
表向きは災害対策。
だが実際には、対怪異・対超常事象の防衛部門。
――地域防衛課。
中央からの通達により、各自治体の総務部直下に配置された。
山形県での正式名称は。
山形県総務部防衛課。
その中でも早川が配属されたのは、整備班だった。
機体の保守。
装備の管理。
名目は、ただそれだけ。
整備。
その言葉を見たとき、早川は内心ため息をついた。
整備など。
自分がやりたかったのは、開発だった。
世界百工匠に届きかけた技術者が、地方で機械のメンテナンス。
左遷に等しい。
そう思っていた。
だが。
山形市に到着したとき、早川を待っていたのは。
彼の想像とは、まったく違う光景だった。
地下五十メートル。
文翔館の地下。
巨大な格納庫。
そして、その中央に鎮座していた。
――箱型の防衛重機。
都道府県防衛機のプロトタイプ。
二十メートル級都道府県防衛ロボ。
オカルト技術の粋を集めた動力、
霊子炉《如来》が脈打つその名は、
山形ロボ。
それは、機体というより――巨大な箱だった。
無骨という言葉では足りない。
装飾も流線もない。
巨大な直方体に、ただ腕と脚が生えている。
まるで、誰かが「とりあえず動けばいい」とでも言うように組み上げた構造だった。
現代の工学から見れば、正気とは思えない設計。
重量配分も、推進構造も、兵装配置も、常識から外れている。
早川は、地下ドックの中央に立ち、その機体を見上げた。
天井近くまで届く鋼鉄の塊。
その胸部では、霊子炉の光がゆっくりと脈打っている。
言葉が出なかった。
整備班。
確かにそうだ。
だが――
この機体は。
「整備」しながら、研究し、改造し、進化させるしかない代物だった。
早川真は、その瞬間理解した。
ここは。
地方の整備班などではない。
世界を守る最前線。
“守護神の心臓”を扱う場所だった。
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しかし、彼を待っていたのは新たな困難であった。
今から十六年前――一九八〇年。
防衛技術研究局は「広域防衛構想案」を発令し、日本全土に防衛機の建造指示を下した。
それにより、日本各地では七十メートル級の「国土防衛機」の建造が進められていた。
そして山形にも、追加の命令が下る。
二十メートル級の山形機を増強せよ。
そして、そのプロトタイプをコアとして――
百二十メートル級。
「世界秩序維持装置」を建造せよ。
それが中央からの正式なオーダーだった。
しかし、問題は山形ロボの心臓部にあった。
霊子炉。
それは対怪異、すなわちオカルト存在を相手取る炉としては、旧式でありながら今なお最優の性能を誇っていた。
古代の霊的遺物。
低級精霊の観測残滓。
それらを位相共振で抽出し、出力へ変換する。
極めて特殊な機構の炉である。
だが。
百二十メートル級の巨体となると話が変わる。
大容量コンデンサを搭載しても。
理論上の最大値である三炉直列接続を用いても。
稼働時間は――
三分。
たった三分しか、その巨体を動かすことができなかった。
当然、百二十メートルという機体規模に合わせ、出力に余裕を持たせるための案も検討された。
追加合体側の機体各部に炉を複数搭載し、必要に応じて接続する方式である。
だが、その案には決定的な問題があった。
シンクロ率。
炉を追加接続した瞬間、位相同期が崩れる可能性が急激に高まる。
霊子炉は、単なる動力機関ではない。
霊子という因果的エネルギーを扱う以上、炉同士の共振は極めて繊細な均衡の上に成り立っている。
もし同期がわずかでも乱れれば、共振は増幅され、制御不能の振動へと変化する。
そして一度暴走が始まれば、停止は不可能だ。
霊子炉同士の共振が臨界に達した瞬間、
機体内部で因果圧が破裂する。
その結果は明白だった。
――機体そのものが爆裂する。
許容できない危険だった。
あくまで二十メートル級コアの出力を増強する。
それが絶対条件だった。
早川は別案も提示した。
物理出力の高い光子炉《観音》。
あるいは、最新型でバランス性能に優れた次元炉《菩薩》。
それらへの換装。
だが。
返答は、簡潔だった。
――却下。
理由の説明すらない。
鎌田は何も言わず、山形ロボの箱状のボディにあるメンテナンスハッチを開いた。
内部に収められている霊子炉。
その外殻には、金属板のようなものが埋め込まれていた。
そこには、古い刻印があった。
---
――百年後、この箱を託され、運用する勇気ある者へ。
この箱は、人々の願いを束ね、想いを受け継ぐための器である。
どうか、邪悪なるものより無垢なる民を守る盾として在れ。
百年にわたり願いを受け止めたこの箱は、やがて神の資格を帯びる金属の板――
超板金へと至るであろう。
ならば我らの願いはただ一つ。この箱が正しく用いられること。
そのことを、切に託す。勇者よ。
1960年3月28日
山本
石原
木村
山田
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刻印の奥で、霊子炉が静かに脈動していた。
鎌田はその炉を見つめたまま、ぽつりと言った。
「早川」
振り向かずに続ける。
「お前はこれを、破棄できるか?」
早川は一瞬、言葉を失った。
正直なところ、思っていた。
――こんな落書きに振り回されているのか。
ただの精神論だ。
技術とは関係ない。
だが。
鎌田の声には、冗談の色が一切なかった。
早川は小さくため息をつく。
そして、霊子炉を見つめ直した。
物理出力は貧弱。
しかし。
この炉を捨てることは許されない。
ならば。
この炉を活かしたまま、
百二十メートル機を動かす方法を見つけるしかない。
早川真は、頭を抱えながら設計図を広げた。
地獄のような改良案の検討が、そこから始まった。
---
限定的ではあるが、“会議室”の資料閲覧が許可された。
早川の端末は、最新のISDN回線を通じてそのデータベースへ接続された。
閲覧権限。
範囲限定。
だが、それでも十分すぎるほどの情報だった。
早川は、端末の画面を見つめた。
そこに並んでいたのは、世界各地の対怪異機関が蓄積してきた炉運用の研究結果だった。
そして、数分後。
彼は理解した。
――詰んでいる。
画面には簡潔な報告が並んでいた。
同型炉での並列接続。
安定。
同じく同型炉での直列接続。
安定。
理由、
位相特性が一致するため。
エネルギー位相の同期が可能。
ここまでは、想定通りだった。
しかし。
次の項目を見た瞬間。
早川の指が止まる。
異種二炉並列接続。
出力は上昇。
しかし……、
位相干渉により暴走確率が激増。
理由、
物理優位波と因果優位波が干渉。
因果容量が不安定化。
まだ希望はあると思った。
だが、その下の行を読んだ瞬間。
早川は椅子にもたれた。
異種二炉直列接続。
完全制御不能。
弱い側へエネルギー逆流。
爆発。
理由、
高因果圧から低因果圧へエネルギー逆流。
因果勾配崩壊。
画面の文字は淡々としていた。
感情など、どこにもない。
だが、その意味は明確だった。
霊子炉。
光子炉。
次元炉。
異なる炉を組み合わせることは不可能。
暴走する。
あるいは爆発する。
つまり、
選択肢は同型三炉並列。
霊子炉のみ。
それ以外の選択肢はない。
だが、その出力では、
百二十メートル機は三分しか動かない。
早川は、しばらく画面を見つめていた。
画面の数式を三つほど書き換える。
試算。
再計算。
――どれも同じ結論だった。
早川は椅子にもたれた。
「……完全にチェックメイトじゃないか」
---
「根を詰めるなよ」
声がして、早川は顔を上げた。
鎌田だった。
いつの間にか戻ってきており、手には瓶を二本持っている。
「コーヒー苦手だろ、お前」
そう言って、一本を机に置いた。
「コーラも飽きただろ?ご当地のサイダーらしい」
ラベルを指で叩く。
「パインサイダー。冷やしておいた。結構、俺は癖になってな」
早川は無言で瓶を受け取り、グラスに注ぐ。
炭酸が弾ける音。
一気に飲み干した。
刺激のある甘い味。
確かに炭酸は強い。
だが、パインかと言われると少々疑問が残る味だった。
早川はグラスを机に置く。
「同型三炉で計算は進めています」
モニターを指差す。
「改良型フレーム――通称“グレートフレーム”。
各部に増設した大容量コンデンサを使っても、全力稼働は五分が限界です」
鎌田は黙って聞いている。
早川は続けた。
「これでは出動して現場で怪異に対峙しても……」
少し苦笑する。
「アニメや特撮みたいに一撃必殺で終わるなら賄えますが」
肩をすくめる。
「そうでなければ、百二十メートルの的になりますね」
鎌田は腕を組んだ。
「他の炉は食い合うんだろ?」
軽く言う。
「じゃんけんみたいにさ」
指でグーとチョキを作る。
「グー、チョキ、パーで、あいこになって安定するとか――
……ないよな?」
早川は思わず笑った。
「鎌田さん、
三つの炉が並んで牽制し合って安定するなんて……」
そこまで言って。
早川の顔色が変わった。
言葉が止まる。
モニターを凝視する。
そして、ゆっくりと呟いた。
「……盲点だ」
鎌田が眉をひそめる。
「何が?」
早川は画面をスクロールする。
資料を次々と確認する。
「その記述が、どこにもない……。
非効率すぎるんです。
誰も試していない」
早川の声が早くなる。
「次元炉が実用化された今、三種の炉はそれぞれ適した機体に合わせて選ぶ」
「それが常識です」
「暴走の危険が明らかな組み合わせを、わざわざ試そうとする技術者はいない」
鎌田が腕を組んだまま言う。
「つまり?」
早川はゆっくり振り向いた。
目が光っていた。
「鎌田さん」
はっきりと言う。
「まだ誰も試していない組み合わせがあります」
指を三本立てる。
「霊子炉《如来》」
「光子炉《観音》」
「次元炉《菩薩》」
三つの名前を並べる。
「この三炉を――並列配置する」
一瞬、沈黙。
そして早川は静かに言った。
「これが駄目なら」
「本当にチェックメイトです」
---
鎌田の指示のもと、山形ロボの胸部装甲がゆっくりと解放された。
重い金属音がドックに響く。
開いた内部には、長年使われ続けてきた霊子炉《如来》が脈打つように光っている。
その両側へ、新たに取り寄せられた二基の炉が据え付けられた。
光子炉《観音》。
そして次元炉《菩薩》。
整備班が慎重にクレーンで吊り下げ、固定ボルトを締めていく。
異種三炉。
誰も試したことのない配置だった。
万が一の暴走を想定し、起動前に整備班は元より司令部、警備版の大半は地上へ避難していた。
ドックには、ほんの数人しか残っていない。
峯田。
鎌田。
そして早川。
「おやっさん、こっちはもう十分なんで地上に行っててください」
鎌田が言った。
しかし峯田は鼻で笑う。
「鎌田と早川がバカするんだろ?」
腕を組んだまま、炉を見上げる。
「こんなに面白れぇもの見ないで死ねるかよ」
少し笑う。
「どうせ死ぬなら、布団よりドックの中の方が何倍もマシじゃい」
鎌田は肩をすくめた。
早川は、山形ロボの真下に立っていた。
手には、動力起動スイッチ。
本来は制御室から操作するものだが、緊急停止用に延長した回路が繋がっている。
その手が、小刻みに震えていた。
暴走すれば。
爆発する。
そして、ここにいる早川は確実に死ぬ。
だが。
彼は、自分の設計で誰かが死ぬことの方が耐えられなかった。
鎌田が通信機を見て言う。
「全員の避難確認」
ドックを見回す。
「全隔壁閉鎖」
少し笑う。
「核弾頭が四つ破裂しても地上は平気だ」
軽く肩をすくめる。
「ちょっとは揺れるかもだが」
そして、早川を見る。
「やっちまえ、早川」
早川は唾を飲み込んだ。
震える声で言う。
「では……いきます」
深呼吸。
「三」
「二」
「一」
「――オン」
スイッチが押される。
――グワン。
低い重音がドックに響いた。
三つの炉が同時に起動する。
霊子炉《如来》。
光子炉《観音》。
次元炉《菩薩》。
三つの異なる光が、胸部コアで共鳴する。
出力ゲージが跳ね上がった。
ぐんぐんと上昇していく。
だが、制御プログラムは最大三〇%でリミッターが入るよう設定してあった。
峯田がモニターを覗き込み、声を上げる。
「鎌田ぁ、これ見てみろ」
ゲージを指差す。
出力は安定していた。
それどころか。
峯田が思わず叫ぶ。
「出力が三〇%で……次元炉三基直列と同等の値を示してる!?」
ドックに沈黙が落ちる。
山形ロボ。
二十メートル級の超重量型。
肉厚の装甲で敵の攻撃を受け止め、反撃する機体。
それが本来の設計だった。
だが。
この出力ならば。
別の姿が見えてくる。
重装高機動型。
絶対の防御。
圧倒的な瞬発力。
そして、
これはまだ、
三〇%。
もし一〇〇%まで解放されたなら。
百二十メートル級機体の動力としても、余裕がある出力だった。
怪異。
いや。
邪神とすら、戦える。
早川が声を震わせた。
「だ、大丈夫ですか……鎌田さん!」
鎌田は笑った。
「早川!」
拳を握る。
「成功だ!
お前やっぱり天才だよ!」
肩を叩く。
「さすが俺の後輩だ!」
歓喜の中で鎌田は、
モニターの出力曲線を見つめていた。
――危険だ。
三炉並列。
すでに共鳴している。
設計上は、三炉直列への切り替えも可能だ。
だが。
それを行えば。
確実に何かが壊れる。
鎌田は静かに思った。
――三炉直列、この機構は。
絶対に解放させない。
直感だった。
技術者の勘。
それだけで十分だった。




