162 2026年5月22日(金)_06 現場検証
21:00。
山形市十日町、第二公園。
赤色灯が、静かに回る。
警察が周囲を封鎖。
立入禁止のテープが、夜風に揺れる。
山倉の一報を受け、
施設警備班1班が到着していた。
動きは早い。
無駄がない。
1班前衛、嘉藤がしゃがみ込む。
「暗くて見落としそうになったが……」
芝の中から、鈍い光沢。
「オリハルコン製のナイフ……」
手袋越しに慎重に持ち上げる。
刃の根元。
刻印。
「このシリアル……」
目が細くなる。
「“会議室”特殊事案処理班、SART所属。
特級序列六位――“見えざる手”ナハトネーベルのものだ」
短い沈黙。
「任務中に失踪したはずだぞ、こいつ」
視線を横へ。
「こっちも……スミス&ウェッソン M&Pシールド。
銃身に加速魔術の術式入り。
素人が触ったら精神力持ってかれる。数日は寝込む」
吐息。
「山倉さんの一報がなかったら、大惨事だ」
中衛、矢口が衣服の切れ端を手にする。
「こっち、量販店の安物だけど……」
切断面をライトで照らす。
「鋭利すぎる。
焦げてない。
レーザーじゃない。
ウォーターカッター……いや、違う」
一瞬、黙る。
「“斬られた”って感じだね」
足元に、セラミックナイフ。
「要人警護用ネクタイ仕込みモデル。
前、買おうと思ってたやつ」
後衛、鈴木がイヤーカムで通話。
「……はい。
いや、大丈夫だ。
ああ、三人前な」
イヤーカム越しに淡々と告げる。
少し間。
「山倉さん、今“孫モード”。
コミュニケーション不可」
芝をライトでなぞりながら、続ける。
「今晩の人柱は浮雲さんだ。
あの人、二百万年戦った訳だし、これくらいは平気だろう」
周囲、無言で頷く。
誰も否定しない。
むしろ納得している。
「2班の長井と、狙撃班の那須に確認。
認識阻害の術式だろうな」
端末を操作する。
位相ログが流れる。
「話せば話すほど整合性が崩れる。
証言は参考程度。物証優先」
ふっと息を吐く。
「〆は五十番らしい。
夜食にあんかけ焼きそば頼んどいた。
焼餃子もな」
嘉藤が小さく笑う。
「了解。現場押さえて、腹押さえるか」
矢口が言う。
「孫モードのときは放置が一番だ」
嘉藤が立ち上がる。
「了解。
警察には失踪者との照合要請だな。
あれば、だが」
ライトが芝をなぞる。
「今月はうちの班がメインか。
来月は美味いもん食おう。
ラーメン会、行きたかったな」
矢口が笑う。
「給料よくても使う暇ねぇんだよ。
石原さん、なんだかんだ息抜き考えてくれるの助かる」
鈴木も続く。
「青山さんもな。
喫茶店の情報どこから拾ってくるんだか」
軽く肩を回す。
「中野目のピザ屋行きたい。
この仕事、食うか飲むかしかねぇ」
夜は、静かだ。
第二公園は、
何事もなかったように沈んでいる。
だが。
芝の奥。
微細な水分の乱れ。
わずかな位相のズレ。
目を凝らせば、
そこに“切断された空間”の痕跡がある。
専用端末が静かに起動する。
赤外。
位相解析。
霊子濃度。
記録。
保存。
暗号化。
夜風が、芝を揺らす。
第二公園は、ただの公園に戻る。
だが。
そこにあった“戦闘”の痕跡は、
確かに、記録された。
---
第二公園。
展示されている蒸気機関車の上。
保護用の屋根の梁に、
一匹の蝙蝠がぶら下がっている。
夜風が、鉄の匂いを運ぶ。
赤色灯はすでに消えている。
警備班の車両も去った。
公園は、静かだ。
蝙蝠が、ゆっくりと瞬きをする。
その声は、人のもの。
奈良透。
「気になって見に来てみれば……」
小さく笑う。
「総務部付属資料管理室の警備班。
山倉の子飼いか」
梁がわずかに軋む。
「この対応速度。
物証の扱い。
現場封鎖の精度」
目が細くなる。
「片桐一葉の妹を助けたのが山倉とその部下なら、納得ですね」
翼が、わずかに震える。
「エイホートさん」
柔らかな声。
だが、温度はない。
「意識干渉、強めすぎましたかねぇ?」
小さく首を傾げる。
「駒の自意識を消しすぎると、即興性が死ぬ」
梁が、きし、と鳴る。
「まして、慣れない魔術など与えれば、 出力は上がっても、総合戦闘力は下がる」
草むらを見下ろす。
微細な水分の乱れ。
位相の擦過痕。
「芸術は、即興です」
くすり、と笑う。
「“会議室”のエージェントなら、 山倉と互角」
夜の公園は静まり返っている。
「七対一なら、圧倒も可能なはず」
一拍。
「……いや。
警備班三名がいれば、互角か」
蝙蝠の瞳が、わずかに赤く光る。
「何をしても」
低く。
「警視庁生活安全部特別事案対策室。
公安部公安第五課。
その両方を渡り歩いた男」
夜風が止まる。
「かつての警察庁退魔八部衆。
“夜叉”山倉 仁」
わずかな笑み。
「老いてなお、脅威指数は健在」
公園を見下ろす。
芝の微細な歪み。
わずかな水の残滓。
「……そして」
少しだけ楽しそうに。
「不確定要素の猫、只の妖怪変化か」
梁から、音もなく飛び立つ。
「高位霊格の外来同位体か」
空中で影が歪む。
蝙蝠は、
蒸気機関車の陰で長身の男へと変わる。
整った顔。
穏やかな目。
優しい笑み。
だが、影が深い。
奈良は、背を向ける。
「いいですね」
小さく。
長身の男が、くすりと笑う。
「こんなに面白くていいんでしょうか?」
夜風が、スーツの裾を揺らす。
第二公園の出来事。
猫。
妹。
老いた夜叉。
すべてが、予想よりも少しだけ上。
「逆に、お布施したくなってきました」
柔らかい声。
本気か、冗談か、わからない。
「また差し入れでも……」
一瞬、考える。
和菓子か。
洋菓子か。
あるいは、もっと悪趣味な何かか。
ふっと、首を振る。
「やめましょう」
目が、わずかに細くなる。
「フードロスは主義に反する」
くすくす、と笑う。
その笑みは穏やかで、
どこまでも理性的だ。
だからこそ、
底が見えない。
「もう少し、泳がせましょう」
影が、足元から広がる。
「物語は、焦らない方が美味しい」
男は振り返らない。
そのまま、夜に溶ける。
第二公園には、
ただ蒸気機関車だけが残った。
---
あれ?
玄関の灯りが、やけに白い。
靴を脱いだ瞬間、
視界が、ふっと揺れる。
床が遠い。
「あれ……」
ぐらり。
「ちょっと、陽葵?大丈夫?」
ぐらり、と視界が揺れた瞬間。
「陽葵!」
母・綾の腕が、とっさに伸びる。
抱きとめられる。
細いのに、力強い。
逃げ場を失った身体を、迷いなく支える腕。
胸元に、エプロンの布の感触。
洗剤と、夕飯の匂い。
少しだけ醤油。
少しだけ玉ねぎ。
いつも通りの匂い。
日常。
さっきまで、
空間が歪み、
弾丸が飛び、
水龍が吠えていた世界と、
まるで別の場所。
「大丈夫?」
母の声は、ただの母の声だ。
世界の裏も、魔も、神格も知らない。
それでいい。
陽葵は一瞬だけ、
その胸に顔をうずめたくなる。
でも、
笑ってごまかす。
「ちょっと立ちくらみ。へーきへーき」
綾は、じっと娘を見る。
ほんの少し、眉が寄る。
けれど追及しない。
「ちゃんと寝なさいよ」
それだけ。
腕が離れる。
「ごめん、お母さん。なんだろ、勉強しすぎたかな?」
冗談めかす。
声が少し軽すぎる。
「バカ言わないの。そういえばライン見たけど自転車どうしたの?盗まれたって?警察行った?」
「ん、いったー」
「防犯登録してたんでしょ?最近の山形、治安悪くなったわねぇ~」
本気で心配しているのは自転車だ。
それが、ありがたい。
それでいい。
「部屋いくね~」
廊下を平気なふりして歩く。
扉を閉める。
カチ。
鍵はかけない。
そこまでの力がない。
そのまま。
膝が抜ける。
崩れる。
床が冷たい。
「……っ」
呼吸が浅い。
心臓が、遅れて鼓動を強める。
「陽葵、ごめん」
カルの声は、静かだった。
責めるでもなく、 誇るでもなく、 ただ事実を告げる調子。
「負荷がないよう配慮はした」
床に崩れた陽葵の隣で、 子猫の姿のまま、淡々と続ける。
「魔法などの大技は、すべて控えた。 神気の放出も最小限。 術式展開は局所圧縮。 環境破壊はゼロ」
少しだけ、間。
「でも、僕と君のレベル差。 およそ10」
陽葵は、ぼんやりと天井を見る。
「……10って、そんなに?」
「大きい」
きっぱりと言う。
「器の容量が違う。 小さな容器に、一瞬だけ大河を通したようなものだ」
背中に、鈍い重さ。
骨の奥が、じん、とする。
熱はない。 痛みでもない。
ただ、 身体の中心が、ずれている感覚。
「反動が返ってきた。 それだけだ」
カルは陽葵の手の甲に、前足をのせる。
「命に関わるものではない。 一晩、休めば回復する」
陽葵は、小さく笑う。
「よかった。 筋肉痛みたいなもん?」
「魂の筋肉痛だ、そのうち馴染む」
「なにそれ」
少しだけ、空気がやわらぐ。
陽葵は、床に額をつけたまま笑う。
「大丈夫。
多分ああしなかったら、私、死んでた」
少しだけ。
震える。
>a-test TESTO てすと テスト
>回線チェック完了
>システム オールグリーン
電子音。
懐かしいテンポ。
>ごめんなさい陽葵。
>肝心な時に動けなくて……
>無事でよかった
画面が明るくなる。
>今後はローカル環境起点で動きます
>外部依存は最小化
>ゲーミングノートパソコン、それが今後の私の本体です
陽葵が、顔を上げる。
「ハコ子……戻れたの?」
>はい
>ただいま
涙が、ぽろりと落ちる。
ようやく。
ようやく。
安全な場所に帰ってきたと、身体が理解する。
「よかったよう……」
ベッドに転がる。
天井が、普通だ。
歪んでいない。
迷宮じゃない。
ただの部屋。
ただの高校生の部屋。
母の食器の音が、ドアの向こうから聞こえる。
布団の上。
天井は、ただの天井。
壁は、ただの壁。
そして台所には、
母がいる。
一人暮らしの姉もいる。
学校の友達もいる。
頼りないけど、離れて暮らす父もいる。
あの、エプロンの匂い。
あの、くだらない会話。
あの、何も知らない日常。
あれを壊させない。
壊させたくない。
胸の奥に、静かな火が灯る。
怒りでもない。
恐怖でもない。
決意。
母を。
姉を。
父を。
友達を。
あの非現実から守る。
自分が。
まだ震えている手を、ぎゅっと握る。
山形の夜は、静かだ。
けれど、
その静けさの下で、
ひとつの誓いが生まれた。




